長野県松本市 松本城、旧開智学校、旧松本高等学校、松本市美術館、なわて通り、中町通り

ここ数年、8月後半には音楽祭を聴くために松本を訪問しており、その度に松本の近隣を観光するものの、通常の松本観光の中心である松本城やその裏手にある旧開智学校等には、久しく足を運んでいなかった。それらメジャーな場所は以前に観光しているので、長野において未だ自分の知らない面白い場所を探訪したいと考えたがゆえである。だが、このブログでも既に姫路城と彦根城を採り上げた。城シリーズではないが、自然な流れとして、このあたりで松本城を記事にしてみようか。そう思い立ったのである。そして松本市街に遊んだ一日は、様々に新たな発見に満ちた充実の一日となった。やはりここは懐の深い街である。

音楽祭期間中ということで、街中にはセイジ・オザワ松本フェスティバルの看板も見える。ザルツブルクのようだと言うと言い過ぎかもしれないが、音楽祭が街の風物詩になっているとは、素晴らしいことだ。
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そして私のこの日の松本散策は、この場所から始まった。
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な、なんだこれは。松本にはもうひとつ城があるのか??? 実はこれ、松本城の正面に続く道沿いにある古本屋さんなのだ。このミニ松本城、建てるのも結構費用がかかったであろうが、維持管理も大変に違いない。だがこの堂々とした佇まいはどうだろう。建てられてから少なくとも数十年は経っていよう。古本屋好きの私としては、ここを素通りするなんてできっこない。入り口の様子。
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店内を見てみると、場所柄を反映して山の本が多く、また、格調高い文学書や歴史・地理などの専門書が並んでいる。横光利一や、地元出身の臼井吉見の本など手に取って見てみたのだが、正直、お値段はなかなかの水準で、また次回と自分に言い聞かせて店を出た。

そして、いよいよ松本城だ。
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戦国時代に信濃国の守護であった小笠原氏の命により、深志城として建造されたのが最初と言われる。その城はその後落城し、再建された。今の城の築城年代には諸説あるようだが、戦国時代か、あるいは遅くとも大坂の役の頃、1615年前後に建てられたとされる。日本に5つしかない国宝城郭のひとつで、まさに日本をを代表する城である。スタイリッシュな黒を身に纏い、均整の取れたこの美しい姿。
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ところがさすが人気の観光地、私が訪れた10時30分頃には既に天守閣への入場制限がなされていて、30分待ちとのこと。とはいえ、いろいろな気配りがなされている。入場を待つ人たちはテントの下のロングベンチに腰かけることになる。これで日差しもよけられ、足も疲れないので30分くらいは大丈夫だ。また、待ち時間に城の説明の紙が配られたり、昔の城主とお姫様の恰好をした人たちが出て来て愛嬌をふりまいたりしている。
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これらの心配りに穏やかな気持ちで待っていると、お、目の前に興味深いもの発見。松によく似たコウヤマキの幼木であるが、あの松本にとって重要な人物のお手植えである!!1992年に当時のサイトウ・キネン・フェスティバルが最初に開催されたときにマエストロ小澤が植樹したものであろう。これは、もし混雑がなくてそのまま天守閣に入っていれば気づかなかったもの。旅先では、このような偶然も楽しいものだ。どんなときも常にキョロキョロしていよう(笑)。
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さて天守閣の中というものは、存外どの城も同じようなもので、火縄銃やほかの城の写真など飾ってあっても、あまり面白くない。だが、やはり400年前の、今は何もない空間には何か不思議な重みがあるのも事実。寺社建築ではないので、滑らかに磨かれることもない、削り痕も生々しく荒々しい柱に、この城が送ってきた長い年月を感じる。
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このように立派な松本城であるが、もちろん明治の激動期を乗り越えてその秀麗な姿が現代に残っているのは偶然でもなんでもなく、他の古い城と同様、必死に城を守った人たちがいたからである。これは城内に展示されている明治35年(1902年)頃の写真。明治の大修理の直前とのことだが、今にも崩れ落ちそうだ。
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尚この城には、3代将軍家光を迎えるために増築されたと言われる箇所がある。天守閣正面の向かって左側の突き出た赤い手すりのある部分、月見櫓である。内部に入るとよく分かるが、ここは三方を開け放つことができるようになっている。この場所で実際に月でも眺めると、風流だろうなぁ。戦乱の時代から平和の時代に移り変わった象徴のような部分に思われて、なにかよい気分になる。
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さて、松本城域内には松本市立博物館があり、夏ということもあってだろう、戦争に関する展覧会を開催していた。その中にひとつ、最近発見された中国に従軍した兵士の記録があって、そこで見つけたこの落書き。「馬じゃあるまいし こんなに背わせてと不平言った頃」とある。戦中に書かれたものであれば、これは上官に見つかったら大変である。でも人間の正直な心情が表れた、よい遺品ではないか。いかに戦争中であっても、人間の思いはただがむしゃらな自己犠牲だけではいられまい。私ももしその時代に生きて従軍していれば、多分ふざけてこんなことをして、上官にこっぴどく殴られていたかもしれない(笑)。平和のありがたみを噛みしめよう。
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次に向かったのは、日本で最初期にできた小学校である、重要文化財、旧開智学校である。
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一昨日、佐久市についての記事で、同市にあるやはり重要文化財の旧中込学校が、日本に現存する最古の学校建築であると述べたが、この両者の竣工時期の差はわずかに数ヶ月。この開智学校は1876年4月の完成。今から実に140年も前である。もともとほかの場所にあったものをここに移築して来て、彩色や細部の彫刻には復元された箇所も多いようだし、現在残っている校舎は当時のものの数分の一のようだが、いやそれにしても、昔の小学校はなんともモダンで鮮やかで、しかも東洋風の意匠も取り入れられているユニークなものだろう。近代教育の黎明期にここで学んだ人たちは、来るべき新しい時代に胸を躍らせたことであろう。現在は通行禁止になっている廻り階段も面白いし、校舎の端にあって2階に続く階段は、人々の往来によって、いい感じにすり減っている。2階の講堂も、なんとも懐かしい雰囲気を漂わせている。
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それから、明治天皇ご夫妻がここに滞在されたこともあるとのこと。当時は神様だから、両陛下が滞在された部屋は、その後も使わずにそのままにしてあったのだろうか。
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興味深いのは、この学校を設計した立石清重(たていし せいじゅう)の写真だ。なんとも昔の日本人の顔であるが、この方、地元の大工さんであるそうだ。ということはこの学校は、西洋人が上から目線で作ったものではなく、日本人の日本人による日本人のための施設であったわけだ。素晴らしいことではないか。松本という土地柄がこの学校の建築を可能にしたのである。
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この旧開智学校のすぐ正面に、現在の開智小学校がある。建物上部の八角形の部屋は、旧開智学校の上部の鐘楼のかたちを模しているのだろうか。さすが、140年前に開校した学校は、今でも進取の精神を脈々と伝えているのである。
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尚、旧開智学校のすぐ隣に、旧司祭館という建物がある。1889年にフランス人司祭が作らせたアーリーアメリカン調の建物。ちょっと軽井沢風というべきか。こじんまりしているがシャレた建物で、復元に際しては、暖炉も使える状態にしたらしい。松本市、いちいちやることが気が利いている!!
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さて次に向かったのは、これも松本を代表する教育施設の遺構、旧松本高等学校である。現在でも市民の文化活動などに使われていて、一般公開されているのはごく一部であるが、1919年に完成した本館と講堂が重要文化財に指定されている。なおこの一帯はあがたの森公園という名称の、大変美しい公園になっている。ここにもセイジ・オザワ松本フェスティバルの旗がたなびいている。
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旧制高校と言えばバンカラなイメージがあるが、現代では失われてしまった風情がこの建物には漂っている。内部を見学できるのは、復元された校長室と教室だ。文教都市松本の面目躍如たるものがある。その時代に生きていなかったのに、懐かしいのはなぜだろう。
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この旧制高校の建物のすぐ横には旧制高校記念館という小さな博物館があり、旧制松本高校出身の北杜夫に関する資料などが展示されているが、以前見たことがあるので今回はパス。公園を少し奥に進むと、おぉなんとそこは素晴らしく整備された日本庭園だ。真夏の日差しは強かったものの、公園の木陰に入ると涼しく、そこのベンチに座ってしばしうたたねするという、最高の贅沢を楽しんだ。その間も、旧制高校の建物の中で練習する市民合唱団とおぼしき人々の歌声が遠くから流れてきて、夢幻的であることこの上ない。なんと心地よい。
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昼寝から覚めて次に向かったのは、松本市美術館。山岳画の展覧会を開催していて、それも足早に見たが(最近展覧会が日本を巡回しているらしい吉田博という画家の作品もいくつかあった)、それよりも松本と言えばやはり草間彌生である。1929年にこの地に生まれ、早くから世界的アーティストとして成功。未だに現役で活躍中だ。美術館の入り口には彼女の手になる巨大な作品が。
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平常展示の中にも彼女の作品コーナーがあって、大規模なインスタレーションをいくつか体験できて楽しい。また、一部のコーナーでは作品の写真撮影も可能とのことで、遠慮せずに何枚か撮らせて頂きました。
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ニョキニョキキラキラの不思議なヤヨイワールドのほかにも、地元に関連した多様な作品を見ることができるこの美術館、広々としていてなんとも気持ちがよい。

さて、この日の夕方にはファビオ・ルイージ指揮サイトウ・キネン・オーケストラの「復活」の演奏会が控えていたので、このあたりで観光は終えて、残る時間でしばらく街を歩きたいと思った。お目当ては、古い町並みが残っているという中町通りである。その前にまず、四柱神社(天照大神等4人の神様をご神体とする)にお参りする。ここはやはり明治天皇の御座所であったらしい。それほど古い神社ではないが、落ち着いた佇まいだ。
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この近辺に流れているのは、女鳥羽(めとば)川。ちょっと金沢の犀川を思い出す風情ではないか。
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上の写真の左側、川に沿って建物が軒を並べているが、これがなわて通り。なんとも庶民的な通りで、思わずたこ焼きを買い食いしてしまいました・・・。
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この通りから女鳥羽川を渡った反対側に、中町通りがある。蔵が立ち並ぶ風情ある通りだ。次回はこのあたりのよさげな飲み屋でちょいと一杯と行きたいものだ。
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そんなわけで、今回の長野滞在もあれこれ発見に満ちたものとなった。まだまだ訪れていない素晴らしい場所があるに違いない。夏の音楽祭の時期を中心に、またこの地域を探訪する機会を楽しみにしよう。

by yokohama7474 | 2016-08-24 23:42 | 美術・旅行 | Comments(0)
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