武満徹の「ジェモー(双子座)」 タン・ドゥン / 三ツ橋敬子指揮 東京フィル 2016年8月26日 サントリーホール

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前項でご紹介したサントリー芸術財団主催によるサマーフェスティバルでは、様々な現代音楽が演奏されるのであるが、このコンサートもその一環で開催されたものである。だが、チラシや当日のプログラムにはあまりそのことは強調されておらず、「サントリーホール30周年記念 国際作曲委嘱作品再演シリーズ」と銘打たれていて、この方がより分かりやすく、またその意義が明確になると思う。というのも、まずは東京におけるクラシック音楽の殿堂として認知されているサントリーホールは、今年オープン30周年。
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このホールがオープンしたときには様々な演奏会が開かれたものであるが、いかにも文化サポート企業サントリーらしく、ただ人気の楽団や指揮者を招聘するのみではなく、国際作曲委嘱シリーズという企画も始められた。これは世界的な名声を持つ現代作曲家にオーケストラ作品の新作を委嘱するもので、過去30年間に38の作品がこのシリーズで世界初演された(今年のサーリアホで39作品目)。今回のタン・ドゥン指揮の演奏会は、このシリーズで初演された作品の再演がメインの目的である。現代音楽の場合、予算的な制約や集客の問題もあり、せっかくの意欲作も、なかなか再演の機会に恵まれないものであろうが、その意味でもサントリーが再演までも企画するということには、音楽文化の発展という観点で、多大なる意義がある。因みに30年前、サントリーホールがオープンした際に立て続けに新作が演奏されたときの小冊子がこれだ。もし現代音楽に知識のない方がおられれば、それぞれの作曲家についてWikiででも調べて頂いて(30年前にはそんなものはなかったから、便利な時代になったものだ)、これがいかにすごいイヴェントであったかについて認識を持って頂きたい。
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ちなみに、それぞれの演奏会の数日前には作品について語る各作曲家のレクチャーがあって、私はこの5回シリーズのうち、最後のブソッティを除く4回のレクチャーに足を運んだ。以下は、そのレクチャーでもらったジョン・ケージ(演奏会の4日前の日付入り)とユン・イサンのサイン。後者に至っては、「○○様」と、私の名前をこの上に書いてもらっている。お宝なのである。
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今回の演奏会の意義として最後に挙げられるのは、これが武満徹(たけみつ とおる)の没後20周年を記念するものでもあるという点だ。武満はもちろん、日本の作曲家として最も世界に知られた名前であり、音楽史に名を留める人物であることは間違いない。上の写真にある通り、この国際作曲委嘱シリーズの最初の監修者も彼であった。
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今回メインの指揮を務めるタン・ドゥン(譚盾)は、1957年中国生まれだが、ニューヨークのコロンビア大学で学んだ国際的作曲家である。一般的な知名度がどの程度あるか分からないが、現代音楽の分野ではもはや大家であり、彼がかかわった映画「グリーン・デスティニー」や「HERO」などを見た人は、その音楽を一度聴けば忘れられないであろう。また、香港の中国返還式典や北京オリンピックでも音楽を提供していた。彼の作品は純粋な西洋音楽ではなく、常に東洋的な雰囲気を持ち、人の声はもとより、動物の鳴き声を模した笛や、あるいは水の音などを駆使して、原初的、神秘的でヒーリング効果のある不思議な音楽である。もともと理詰めでできている西洋音楽もこの時代になると、極言すれば袋小路に迷い込むような状態を避けされないところ、このタン・ドゥンのような人の活動が新たな血を西洋音楽に注ぎ込んでいると言えると思う。
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さて、そのタン・ドゥンが東京フィルを指揮するこの演奏会の曲目は以下の通り。
 武満徹 : ジェモー(双子座) オーボエ独奏、トロンボーン独奏、2つのオーケストラ、2人の指揮者のための(1971-86年作)
 タン・ドゥン : オーケストラル・シアターII : Re(1992年作)
 武満徹 : ウォーター・ドリーミング フルートとオーケストラのための(1987年作)
 タン・ドゥン : 3つの音符の交響詩(2010)

面白いのは、上記の通り、サントリー国際作曲委嘱シリーズ最初の初演作である武満の「ジェモー」だけでなく、タン・ドゥン自身の「オーケストラル・シアターII : Re」も、このシリーズで初演された作品の再演であるのだ。かつてここで産声を上げた作品が、この場所で再び演奏されるわけである。ちなみに、これら2作品ではいずれも2人の指揮者が必要とされており、ここでは日本の女流指揮者、三ツ橋敬子が2人目の指揮者を務めた。
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さて、メイン曲目である武満の「ジェモー」が最初に演奏されたわけだが、これはなかなか聴くことのできない作品だ。というのも、2つのオケと2人の指揮者が必要であるからで、初演の際には、井上道義と新日本フィル、尾高忠明と東京フィルが演奏した。今回は、その後合併を経て大所帯となった東京フィルだけによる演奏。だが2群のオケは全く別々に配置され、別々の演奏をする。よって2人の指揮者は本当にほぼ対等な働きをするわけで、どちらか一人がメインでほかのひとりが補助的な役目というわけではない。その点三ツ橋はタン・ドゥンの指揮ぶりを見ながら呼吸を合わせてオケをよくリードし、素晴らしいかじ取り役であったと思う。私は思うのだが、この種の音楽を楽しむには規制概念は必要なく、五感を敏感にして、入ってくる情報に身を任せるべきであろう。たとえば、この2人の指揮者がともに指揮棒を持たずに大きな円をそれぞれに描いているのを見ているだけで、何か前衛パフォーマンスのような気がして、その思いは、まさにこの曲が演奏される場でしか抱くことができないものなのだ。この曲は、武満の精神的な師であった瀧口修三の詩に基づく4つの部分から成っていて、例えば若杉弘指揮のこの作品のCDには内容についての細かい解説が載っているが、それらに過度に捉えられる必要はないと思う。これに関し、以下のような実例もある。実は家人もこのコンサートに一瞬興味を持ち、この「ジェモー」がどんな曲であるか聴いてみたいというので、その若杉指揮のCDを渡すと、がんばって予習したらしいのであるが、残念ながら、解説に書いてある曲の内容を一生懸命追おうとして四苦八苦し、「えぇっと、今どこだ」と調べてみると、実は知らない間に既にこの曲は終了し、次の曲に入ってしまっていたというのだ(笑)。そんなわけで家人はコンサート行きをあきらめたのであるが、実演で聴けば何か感じることができたであろうに、もったいないことだ。ここで私がひとつ覚えている30年前の逸話をご紹介すると、作曲者武満その人がレクチャーにおいてこの曲について語った言葉の中に、「たまにはフォルテッシモでドーンと終わる曲を書きたいと思って、最後に大きな音にしたんだけども、年のせいか(注:当時武満は56歳)、最近どうも愚痴っぽくなっていて、その後にやっぱりちょっと音を足してしまいました」というものがあった。もちろん冗談として笑いながらの発言であったが、今回、終結部間近で三ツ橋が拳を握りしめて大きな音を引き出しているのを見ると、ここに武満が込めた思いが炸裂しているのだなと、感動したものだ。これが当時のプログラム。
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コンサートはここで休憩に入り、後半にはタン・ドゥンの2曲と武満の小品が1曲演奏された。タン・ドゥンは自作の演奏前にはマイクを持って登場し、曲について自らの言葉で語ってくれた。「オーケストラル・シアターII : Re」は、1992年にこのサントリーホールで初演されたが、その時に客席に座っていた武満(Toru-sanと表現)が、まるで今でもまだそこにいるかのように感じるのだと、もはやこの世にいない武満を、感傷的になることなく、親し気に追想した。この曲は、彼の用語では"Ritual"(儀式 --- ブーレーズにこのタイトルの作品がありますね)であり、宗教的雰囲気は伴っているが、それはどこの場所いつの時代というわけではなく、音楽による儀式なのであるということを、説教くさくもなく、また深刻さもない語り口で、穏やかに喋った。武満とタン・ドゥンの音楽には、共通点もあるものの、相違点の方が多いと思う。だがこの2人の間には親交があったのだ。東アジアの音楽創作における、偉大なる交差と称してよいだろう。ちなみに英語で喋るタン・ドゥンの説明を通訳したのは三ツ橋敬子であった。その喋り方だけでも聡明な女性であることは明白ではあったが、いかんせん、プロの通訳者ではないので、長い発言になると、途中で少し抜けてしまっていた。だがそんなことはどうでもよくて、実はこの「オーケストラル・シアターII : Re」のメインの指揮は彼女に託されたのである。この曲、木管楽器はステージからすっぽりいなくなって、ホール内、客席の各所にぐるりと配置される。そこで、客席の方を向いて指揮する指揮者が必要で、それを作曲者タン・ドゥン自身が受け持った。またこの曲では聴衆も、「Re=レ」の音でハミングさせたれたり、「ホン・ミ・ラ・ガ・イ・ゴ」と唱えさせられたり、結構無茶ぶり(笑)があるのだが、その部分の指揮も作曲者の担当。半ばいやいやながら参加させられたわけだが、やってみるとなかなか神秘的な雰囲気が出ていた。それから、冒頭の部分は三ツ橋が棒を振ってもオケが反応しないと思ったら、楽員は楽器を弾かずにハミングしていたのだ!! こういうときに楽員は、歌えというスコアの指示に従わないとならず、一方の指揮者は、棒を振るだけでいいので不公平だよなと思っていると、なんとなんと、次は指揮者までが大きな声で何事か("Silence!!"とか)叫ぶことになり、なるほど演奏者全員と聴衆まで巻き込んだ容赦ない(?)一大シアター・ピースなのだなと実感した。狂騒的な部分と瞑想的な部分のギャップが激しく、まさにSilenceが支配する静かな部分は、本当に長い長い時間、金縛りにあったように無音に耳を澄ませるという感覚に満たされ、誠に神秘的な体験であった。もっとも、しーんとした神秘の沈黙が空気を支配する中で、私の腹がグゥ~ッと鳴り、つられて隣のオジサンもグググ~ッと腹を鳴らせて、その沈黙に対抗したことも付記しておこう(笑)。武満の著作にも、「音、沈黙と測りあえるほどに」というものがあるが、腹が鳴るのは生きている以上致し方ない。沈黙と測りあえるほどに説得力のある生の証だ。

残りの武満の「ウォーター・ドリーミング」とタン・ドゥンの「3つの音符の交響詩」も充実した演奏で、終演の21時30分まで、この2人の異なる作曲家の作品を堪能することができた。但し、客の入りは悪く、全体で半分くらいの入りであったろうか(ステージ裏のPブロックは使用せず)。私が座ったステージ右手の席はB席で、なんとたったの2,000円!!前日のコンサートも安いと思ったが、これだけの大規模な演奏会でこの値段とは、本当に申し訳ないくらいだ。それでもこれしかお客が入らないとは淋しい限り。この日の聴衆の中には、日本の作曲界の大御所である湯浅譲二(もう87歳で、久しぶりにお見掛けしたがお元気そうだった)の姿や、中堅の星である権代敦彦の派手な衣装での登場も見受けられ、聴衆のレヴェルは非常に高かったことは明白。これだけ意義深い演奏会なので、できればもっともっと多くの人たちに会場に足を運んでもらいたいものだ。もっとも、「湯浅譲二がいたよ」と話すと、「あ、あの、たけしの映画に音楽書いてる人でしょ!!」と反応する家人のような人には、もう少し予備知識を持ってもらう必要あるが、でも、そういう人でも、2,000円払ってこの演奏会を経験すると、人生豊かになると思います。ちなみに北野武の映画に音楽を提供しているのは久石譲。その名前を知っているだけでも、まあ、偉いとほめてやるべきなのでしょうが・・・。家人からは、「そのような人の啓蒙のために、世帯主が2,000円を追加で出資すべきである」との主張がなされており、それもまあ、一理あるとは思います。来年から実行しよう。


by yokohama7474 | 2016-08-28 11:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)