ジャングル・ブック (ジョン・ファヴロー監督 / 原題 : The Jungle Book)

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「ジャングル・ブック」と言えばディズニーの古いアニメが有名であるが、この映画は、同じディズニーによる最新の実写版。この映画の予告編を見たとき、先端CG技術を駆使した映像に、きっと何か新しい発見があるに違いないと興味を持った。昔のアニメは見ていないが、ここで描かれる野生の少年と動物たちの交流や対立は、普段忘れていることを思い出させてくれるに違いない。

この「ジャングル・ブック」の同名の原作は、英国の作家ラドヤード・キプリングが1894年に発表した短編小説集である。私はこの作家の名前を覚えていて、それはなぜというに、昔サイモン・ラトルが、確か当時の手兵であるバーミンガム市交響楽団との演奏会で、シャルル・ケクランというフランスの作曲家による交響詩「ジャングル・ブック」という作品を演奏したFM放送を聴いた際に、原作者の名前を聞いたからである。要するに「キプリング」に「ケクラン」という似たような響きが耳に残ったというわけなのであるが、調べてみると実はこのキプリング、1907年に41歳でノーベル文学賞を、史上最年少かつ英国人としては初めて受賞したという大作家なのである。生まれはインドのムンバイで、この「ジャングル・ブック」が書かれた背景はそのような点にもあるのであろう。見る人にはすぐに分かることだが、この映画におけるジャングルでは、ライオンではなくトラが王者なのであって、アフリカではなくインドのジャングルが舞台なのである。

ストーリーは至って簡単。ジャングルの中でクロヒョウに見つけられ、狼に育てられた人間の子供モーグリが、人間世界に戻るべきか否かで迷いながら、自分をつけ狙う敵と戦うという話。
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だからこの映画に登場する人間は、このモーグリ少年だけなのである。だが、ほとんどの動物は言葉を喋り、感情も個性もある。非現実的な設定ではあるものの、これが大人も楽しめるエンターテインメントとして成立しているのは、それら動物たちの「人間的な」(?)感情の描写と、それを可能にしている高度なCG技術のおかげである。要するにCGというものは手段にしか過ぎないので、それを使っていかなる世界を描けるかが映画の成否を分けるところ、この映画の作り手はその点においてかなりの手腕を持っており、「へぇー、どうやってこの映像を作るんだろう」という驚きはいつしか、主人公たちへの感情移入へと変わって行くのである。なかなかよい映画だと思う。

主役のモーグリは、全く演技経験のない2003年生まれのニール・セディという少年が2,000人の候補者の中から選ばれて演じた。走り方や飛び方はなかなかに野性的で、ごく自然な少年の感情も表現できていたので、見ていて好感が持てる。そして、沢山出てくる動物たちは、多くの名優たちがその声を演じている。まず、モーグリの師匠役にあたるクロヒョウのバギーラは、ベン・キングズレー。未だにあの「ガンジー」の、という形容詞で呼ぶのがしっくり来るが、様々な映画で活躍中だ。
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また、気のいいクマのバルーの声は、ビル・マーレイ。昔の「ゴースト・バスターズ」や、近年(でもないか)の「ロスト・イン・トランスレーション」の演技が忘れがたい。
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森の中でモーグリに父の死の真相を教えながら、彼を一飲みにしてしまおうとする大蛇カーの声は、スカーレット・ヨハンソン。ワンシーンのみの登場ながら、彼女らしい色気と多彩な表現力を見せて、いや、聞かせてくれる。
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それから、密林の中に大サル帝国を築いているキング・ルーイの声はクリストファー・ウォーケン。私はこの人の癖のある人相が大好きなので、最近出演作を見ることが少ないのを淋しく思っている。声だけでなく、本当は顔も出して欲しかったところだが・・・。この写真の髪型など、キング・ルーイそっくりではないか(笑)。
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と、このように豪華俳優陣は声だけなのであるが、やはりその点でも人選に手抜きがないがゆえに、動物たちのキャラクターが活きているのであろうと思う。それにしても、本当に動物たちの動きは驚異的によくできていて、ちょっとした仕草にもいちいちリアリティがあって引き込まれる。映画のプログラムに、撮影方法の一部が紹介されているが、例えば川でモーグリがバルーの腹に乗って移動する場面。ブルーバックのスタジオにプールを作り、モーグリはバルーの腹を模した毛の塊のようなものの上に乗っており、劇中でバルーの顔が来るあたりに監督がいて、それに向かって演技したらしい。これが撮影風景。
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完成したシーンはこんな感じ。なんと見事な。
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こうは書いたものの、大柄な監督さんが水に入って熱血指導したからと言って、よいシーンができるとは限るまい。回りの風景や水の動きなど、気が遠くなるような膨大な作業を多くのスタッフがこなしたに違いない。そして、ひとつひとつのシーンの出来もさることながら、全体を通してクリアなメッセージが観客に伝わるようにしなければならない。これはいかに技術が進歩しても、容易なことではないだろう。ちなみに監督のジョン・ファヴローは、「アイアンマン」シリーズや「カウボーイ&エイリアン」(変な映画だった)などを監督し、「アベンジャー」シリーズの製作総指揮も務めているとのこと。

このように、大変楽しめる映画なのであるが、重い問題提起もなされている。主人公モーグリは、狼たちとジャングルで暮らして行きたいと思っているものの、最後に人間としての戦いをする、つまり道具を使い火を使うことで、危機を脱するのだ。1894年に発表された原作にどこまで描かれているのか知らないが、その時代、近代文明の矛盾が表れて、未開の地への憧れも生まれることになった19世紀末ヨーロッパにおいては、人間だけが持つ力を強調することは、支持と反感をともに巻き起こすことであったに違いない。人間だけが兵器を作り、兵器を使って戦争をする。19世紀から戦争ばかり繰り返していた人類は、20世紀に入ってからはついに、大規模な戦争を繰り広げることになるのである。それこそは、この地球上で人間だけが行うことであったのだ。実はこの映画では、言葉を喋らない動物が二種類登場する。ひとつは、崇拝すべき森の賢者たち、象である。そしてもうひとつは、これは最も人間に近いはずの、サルの群れである。他を超越した存在と、自分たちは他を超越していると思っている存在、ということであろうか。別に深読みする必要もないだろうが、ただCGの見事さだけに感嘆するのではなく、なにか私たちの深層心理に働きかける要素を感じるべきであると思う。あ、でもこの絵では、象はとても超越した存在には見えないなぁ・・・(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-08-28 14:47 | 映画 | Comments(0)