メアリー・カサット展 横浜美術館

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人並みに西洋美術を愛する身でありながら、日本人に深く愛されている印象派というものには、正直、どうもなじめないものがある。生来のひねくれ者だと言ってしまえば話は簡単だが、それ以上に、私が文化芸術に接するときには、人間の Bright Side よりは Dark Side により興味があるということだろうと自覚している。もちろん、私のことを個人的にご存じの方には、いかに私が能天気な人間であって、深刻な事柄と無縁であるかも同時にご存じであろうから、私がここで何をもって Dark Side と呼んでいるかについては、あまりイメージがないかもしれない。Dark Side とは、組織への従順性には一顧だにせず、社会の規制への抵抗として、悪いことを平然と行う無頼なマインドセッティングのこと。ここでひとつの例を挙げると、中学・高校の頃は、必ず昼休みになる前に弁当を食っていた。いわゆる早弁という奴だ。これはひとつの Dark Side の資質と言えば、少しはイメージをお持ち頂けるだろうか。...そんなことかい(笑)。

などとくだらないことを冒頭に書いているのは、今週末まで横浜美術館で開催中(その後京都国立近代美術館に巡回)のこの展覧会、上でご覧の通り、「印象派を代表する女性画家」であり、また、「あふれる愛とエレガンス」の画家の個展であるからだ。このような Bright Side について語ることは、果たして私の信条と矛盾しないかということをまず考えてしまうわけである。だが、私はこの画家の名前は聞いたことがあるものの、作品については詳しく知るものでない。また、日本でのこの画家の個展開催は実に35年ぶりとのこと。よって、虚心坦懐に見れば何か新たな発見があるかもしれないと思い、この Bright Side に属するらしい画家の展覧会に赴いたのである。

メアリー・カサット(1844-1926)は、米国ピッツバーグで生まれた女流画家。近い年代の米国人画家といえば、ホイッスラー(1834-1903)が挙げられるが、この1830年代、40年代生まれはまさに印象派の世代。ホイッスラーは印象派とは一線を画した画家であったが、このカサットはパリに渡って、まさに印象派のひとりとして活躍した人である。私はカサットの作品にホイッスラーの感性との共通性も感じるが、紋切り型の分類によると、この2人は違う流派に属した人たち。そもそもカサットの場合、当時女性で画家になるということは非常に稀であったがゆえに、世間の無理解の中で大変な苦労をしたらしい。ここに彼女の肖像写真を2枚示そう。若い頃の写真と、年老いてからの写真である。
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確かに若い娘と老女であるが、この2人が同一人物であることは明らかではないだろうか。その射るような、だがとても自然でもある視線には、強い意志と同時に、社会に順応する柔軟性が備わっているように思う。このような人物の創り出す芸術には、Bright SideであるとDark Sideであるとを問わず、何か非凡なものがあるに相違ない。

カサットは1865年、21歳にして画家を志してパリに移り、初期にはサロン入選を目指して保守的な作風を持っていた。そして1870年以降は、度々サロンに入選するという実績を挙げた。これは1872年、29歳のときの作品、「バルコニーにて」。半年間滞在したスペインのセヴィリアで制作された。セヴィリアと言えば、ムリーリョである。確かにこの女性たちの柔らかい表情にはムリーリョ風の雰囲気がある。
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1877年、33歳のカサットをあの大画家エドガー・ドガが訪れて、サロンという保守的な場ではなく、印象派展への出品を勧めた。そしてそれ以降、彼女の作風はほぼ一貫して印象派風になって行く。そもそも印象派の女流画家と言えば、以前も伝記映画を通じてこのブログでも紹介したベルト・モリゾ(1841-1895)がいるが、カサットはこのモリゾとも交流があったらしいく、年の近いモリゾの作品の透明感を懸命に学んだという。近い世代ではほかにも、エヴァ・ゴンザレス(1849-1883)、マリー・ブラックモン(1840-1916)という女流画家が印象派のスタイルで活躍した。彼女らの作品はこの展覧会にも展示されているが、彼女らが活躍したのは、女性の権利が徐々に認められつつある時代。カサットの創作活動には社会性があり、晩年は女性参政権の実現に奔走したという。

だがそれは一旦忘れよう。一体どのような作品を残した画家なのか。私にとってなじみがあり、彼女の代表作のひとつと目されるのが、この「桟敷席にて」(1878年作)。
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パリの劇場での一場面のようであるが、全体として落ち着いた色調の中、熱心にオペラグラスで舞台の方向を見ている女性が描かれている。ここで面白いのは、彼女の左側の奥に、あからさまな好奇心を持って彼女をオペラグラスで見ている男性が描かれていることだ。この男性は、この絵に描かれているほかの人物たち同様、輪郭も定かでなく、その人格は分からないが、自らの意志を持って社会と接している女性の姿の前に、なにやら情けなくも見える。近代的な光景と言えるだろう。

そして彼女の代表的な作品として、一連の母と子の肖像が挙げられる。なるほどこれが「あふれる愛とエレガンス」か。展覧会のポスターにもなっている、「眠たい子どもを沐浴させる母親」(1880年)。
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まあ確かに、いかに私がDark Sideを愛する人間とはいえ(笑)、このような情景にはやはり心温まるものを感じる。解説によると、子供の極端に長い足や無邪気なポーズは、パルマで研究したパルミジャニーノやコレッジョの母子像の影響だという。ふーん、なるほど。マニエリスムを代表するパルミジャニーノは私も大好きだが、ちょっとイメージが違うなぁ・・・。これが彼の代表作。
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コレッジョの場合、まあ確かにこの作品など、幼児キリストのポーズが奔放ではあり、そこから学んだと言われれば分かるような気もする。
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だが、私としてはこの絵の面白さは、青い色彩を椅子、衣類、そして赤ん坊の足にまで使うという大胆さにあると考える。母と子の愛がどうというより、大胆な視覚の冒険に心惹かれるのである。同様のテーマで母子を描いた作品がいくつも展示されていて、これぞカサットというイメージであるが、よく見るといずれも色彩と構図にかなりの神経が使われているのが分かる。そして、西洋の過去の絵画に学んでいるとは言っても、その精神は常に近代的だ。
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これら3枚はしかし、いずれも1890年代の制作。それらに先立つ1880年に描かれた「眠たい子どもを沐浴させる母親」との一見して分かる違いは、その輪郭の明確性である。つまり、描かれる対象がしっかりと回りの部分から区別されていて、「眠たい子どもを沐浴させる母親」のように、人の体も服も椅子も青を含み、輪郭も曖昧模糊とした描き方からは、明らかに変化して来ている。これは浮世絵の影響ではないだろうか。カサットは、他の印象派の画家たち同様、浮世絵に大きな影響を受けたとのことで、展覧会には、歌麿や北斎の作品のほか、カサット旧蔵の琳派の屏風絵まで展示されている。その意味では、彼女の版画作品はさらに、浮世絵の直接的な影響を感じさせる。これは、「沐浴する女性」(1890-91年)。まさに浮世絵風ではないか。
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そしてこの「手紙」(1890-91年)などは、日本の大正モダニズムを思わせるではないか! 江戸時代の日本から影響を受けた西洋の画家が、今度は近代の日本の画家に影響を与えていると考えると、なんとも興味深い。
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カサットは1926年、82歳で世を去るが、60代後半から視力が弱り、1915年以降は何度も白内障の手術を受けたという。従ってこの展覧会でも、後期の作品は1910年代前半までで終わっている。これは1913年の作である「クロシェ編みのお稽古」。視力が弱っても色を塗りやすいパステル画が制作手法として選ばれているが、平和な風景の中に若干の憂鬱も感じさせるのは、第一次大戦前夜という暗い時代が、なにがしかの影を落としているのであろうか。
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カサットは終生、人物画を中心に制作活動を続け、ある場合は西洋の過去の巨匠、ある場合には日本の絵画に範をとって、前衛的とまでは言えないものの、美しい絵画を求めて冒険的な試行錯誤をした。このような大規模な回顧展では、一点や二点の絵画では分からないそのような画家の軌跡を辿ることができ、やはり様々な発見がある。Bright Side を描き続けた画家とはいえ、そこには強い表現意欲を感じることができて、Dark Side 好きにも大いにインスピレーションを与えてくれるのである。メアリー・カサット、また世界のどこかの美術館で彼女の作品に遭ったときには、親しみをもって接することができるであろう。

by yokohama7474 | 2016-09-07 01:06 | 美術・旅行 | Comments(0)
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