イレーネ・ネミロフスキー著 : ダヴィッド・ゴルデル (芝 盛行訳)

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今年1月24日の記事で映画「フランス組曲」をご紹介したが、その映画の原作者が、イレーヌ・ネミロフスキーであった。その記事において、このアウシュヴィッツ強制収容所で命を落としたユダヤ人女流作家の作品のいくつかの翻訳本の装丁の美しさに惹かれたことを書いたが、そのうちのひとつがこれである。

題名のダヴィッド・ゴルデルとは、主人公のユダヤ人実業家の名前。なにやら知らぬが、響きのよい名前ではないか。主人公の名前を題名とする文学作品としては、「アンナ・カレーニナ」とか「ジェーン・エア」とか「シラノ・ド・ベルジュラック」とか、いくつか思いつくが、いずれも一度聞いたら忘れない響きであると思う。その意味ではこのダヴィッド・ゴルデルも同様で、なぜか印象に残るのである。私の勝手な思いつきであるが、この名前が古代ユダヤの王「ダヴィデ」と、彼に退治された巨人「ゴリアテ」の響きを思わせて、なにやら神秘的な連想を誘うのではないだろうか。もちろん、ダヴィッド (英語ではデイヴィッド) は、聖書に登場するこのダヴィデに由来する名前である。これはカラヴァッジオの有名な「ゴリアテの首を持つダヴィデ」。切られた首は画家の自画像と言われている。
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だがこの「ダヴィッド・ゴルデル」は、古代ユダヤの話ではない。両大戦間、1920年代を舞台に、ソヴィエトの油田採掘への投資で切った貼ったの勝負をする実業家の話である。全く予備知識なく、ただ青を基調とした清冽な表紙にだけ惹かれて本作を読みだすと、冒頭から戸惑うことになる。厳しい交渉のシーンなのであるが、その描き方はかなり骨太であり、人生の苦渋の経験の数々を皺としてその顔に刻んでいるであろう初老の主人公、ダヴィッド・ゴルデルの狡猾で強欲なイメージが浮かんでくる。その後ストーリーは大きな展開があると言えばあるし、最初から変わらないトーンで淡々と進むと言えばそうも言える。リアリティはあり、それは過酷なものですらあるのだが、どこか夢の向こうで人々ののっぴきならない人生が展開しているようにも思える。ユーモアを感じることもできるが、思い返してみると暗褐色のシーンのイメージが圧倒的に多い。そんな不思議な小説である。金に執着する強欲ユダヤ人、ダヴィッド。それゆえに彼には一方で家族への強い思いがあるのだが、妻や娘はそれを弄ぶように冷酷だ。若さと老い。富と困窮。精神の高揚と委縮。それらが終始入り乱れ、見知らぬ青年が登場して物語は静かに終わりを告げる。読後感は決してよいものではないのだが、しばらく経つとこの表紙のような涼やかな諦観をもって振り返ることになる。

作者のネミロフスキーは1903年にロシア帝国内のキエフ(今のウクライナの首都)で生まれ、ロシア革命の際にパリに亡命。1929年というから、未だ26歳の若さでこの「ダヴィッド・ゴルデル」で文壇にデビューした。パリの出版人ベルナール・グラッセ(プルーストやラディゲの作品を世に送り出した人らしい)のところに、M・エプスタインという名前で送られてきた原稿は、その力強い筆致で百戦錬磨のグラッセを唸らせたが、なかなか作者に連絡が取れず、新聞広告まで打って作者に呼びかけたらしい。そして1ヶ月後、グラッセのもとに現れたうら若い女性が、子供が生まれたばかりで連絡が遅れて申し訳なかったと自己紹介した上で、夫の名前で原稿を送付したことを告白。そのわずか一週間後にこの小説は出版された。これが作家ネミロススキーの処女作となった。
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そして、早くも1931年に、この作品はジュリアン・デュヴィヴィエ監督により映画化されている。後年、「望郷」「舞踏会の手帖」等で知られるようになるフランス映画の巨匠の、実はこれが初監督作品であったようだ。一体どのような内容であったのか知らないが、試写会にはあの作曲家モーリス・ラヴェルや画家キース・ヴァン・ドンゲン、作家コレット等が姿を見せたという。ふーん。私はコレットはよく知らないが、ラヴェルとヴァン・ドンゲンはよく知っている。このような酒と汗の匂いがして、なぜか鼻毛が出ていたに違いないと思えてならない(笑)主人公を描いた映画と、この2人の洗練された芸術家のイメージは、かなり遠いものがある。ということは、両大戦間のパリにおいて、芸術としてのスタイルの差を埋めるような、何か不思議なリアリズムが、人々の心に訴えかける要素があったということだろう。大変に興味深い。

その後ネミロフスキーは人気作家となったそうだが、39歳の若さでナチのホロコーストの犠牲となってしまう。なんという理不尽なこと。もちろん、才能ある作家であろうが歴史的に名を残す可能性のない市井の人であろうが、命の重さに変わりはないものの、もし彼女が戦後まで生きながらえれば、フランス文学史に新たなページを開いたということになったかもしれない。ただその一方で、運命的に限られた命であったからこそ、天から才能を与えられて、若くして文壇を駆け抜けたとも言えるのかもしれない。今、この本を出している未知谷(みちたに)という出版社で、同じ芝 盛行の翻訳で何冊もネミロフスキーの作品が出版されている。この出版社のウェブサイトは、あたかもインターネットが普及し始めた初期の頃のように古風なものであるが、面白そうな本を次々と出版している。モットーは、「誰もやらないなら私がやります」であるそうだ。文化を愛する人なら、この出版社の果敢な姿勢に大いに共感するはず。私もまずはネミロフスキーをもう少し読んでみることにします。しかしながら、正直に白状すると、「ネミロフスキー」だか「ミネロフスキー」だか、まだ混同することしきりなのである。正しくは、ネミロフスキー。ちゃんと覚えよう(笑)。

by yokohama7474 | 2016-09-16 00:21 | 書物 | Comments(0)