パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK交響楽団 2016年9月17日 東京芸術劇場

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9月からの新たなシーズン開幕にあたり、NHK交響楽団(通称「N響」)は指揮台に、昨年から首席指揮者を務めるエストニア出身のパーヴォ・ヤルヴィを迎え、先般9月9日付の記事でご紹介したマーラーの大作交響曲第8番によって、本格的な活動を開始した。楽団のスケジュールを調べると、9月8日に行われたこの演奏会から、10月6日に行われる同じくマーラーの交響曲第3番まで、ヤルヴィとN響は10回の演奏会を開催する。そのうちの1回は地方公演、つまり福井での演奏会だ。この1ヶ月に亘る共同作業によって、始動して間もないこのコンビの関係は間違いなく深化するであろうと期待している。

今回の演奏会は、サントリーホールでの定期Bプログラムと同じだが、場所は池袋の東京芸術劇場だ。上に掲げたポスターは会場に貼ってあったもの。直筆と思われるヤルヴィのサイン入りだ。

さてこの演奏会、なかなか意欲的な曲目である。
 ムソルグスキー : 交響詩「はげ山の一夜」原典版
 武満徹 : ア・ウェイ・ア・ローンII (1981作)
 武満徹 : ハウ・スロー・ザ・ウィンド (1991作)
 ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編) : 歌劇「ホヴァンチシナ」第4幕第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」
 ムソルグスキー(ラヴェル編) : 組曲「展覧会の絵」

つまり、ムソルグスキー&武満プログラムなのである。この2人の作曲家、共通点はほとんどないように思われるが、恐らく武満は今年没後20年の記念の年であるので演奏するのであろうし、たまたまそこに組み合わせるのがムソルグスキーであったのだと割り切って聴くことにしよう(笑)。いや実際、これは大変素晴らしい演奏会であった。N響の持つ実力が遺憾なく発揮され、今後のこのコンビへの大きな期待を持たせるに充分な演奏であった。もちろん、ひとつの条件が満たされる限りにおいて。それは、大きな体育館ではなく、音楽を音楽として細部まで鑑賞できる、一流のホールで演奏を聴くことができることだ。
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コンサートは前半に「はげ山の一夜」と武満2曲、後半にはムソルグスキーの作品の編曲ものが演奏された。最初の「はげ山の一夜」は、一般には盟友であり管弦楽法の大家であったリムスキー=コルサコフの編曲で知られているが、原典版は、あのクラウディオ・アバドが1980年にロンドン交響楽団と世界初録音して以来、それなりに聴く機会が増えてきた。R=コルサコフの編曲の方が聴きやすく、また最後にカタルシスを持って終わるので、今でもそちらの方が圧倒的にポピュラーなのであるが、原典版の土俗的な力もまた、たまにはよいものだ。ヤルヴィの指揮はいつも極めて洗練されており、この原典版でも、響きはうまくコントロールされていたと思う。何より、私がいつもN響を聴いている大きなホールではなく、このオケとしては演奏する機会の少ない東京芸術劇場のアコースティックを、楽員の皆さんも楽しまれたのではないか。勢いのある演奏であった。

そして、あの静かで瞑想的な武満の音楽が演奏された。「ア・ウェイ・ア・ローンII」は、「ア・ウェイ・ア・ローン」という弦楽四重奏のための曲の弦楽合奏版である。この曲は、既に解散してしまったが世界的な弦楽四重奏団として盛名を誇った東京クワルテットのために書かれた曲で、非常に清らかな曲である。私はこの曲を、まさにこの東京クワルテットの実演で1997年に聴いており、同じメンバーでのCDも持っているが、今回のように弦楽合奏版を聴くのは初めてだ。
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この曲と次の「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」との演奏において、ヤルヴィは指揮棒を持たずに素手で指揮をした。それは見事に功を奏していたと思う。繊細な音の浮き沈みがこのホールでははっきり聴き取れる(もちろん、定期演奏会で同じ曲目を演奏したサントリーホールでもそうであったろう)。ヤルヴィの出身国エストニアにはアルヴォ・ペルトという現代を代表する作曲家がいるが、彼の作風はヒーリング効果のあるもので、北欧には同様のスタイルの作曲家が多い。それらの音楽に充分親しんできたヤルヴィとしては、武満の静謐なスタイルには違和感なく入り込めるのではないだろうか。「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」の最後で、チーンという小さな鐘の響きが虚空に消えて行ったときは、ドビュッシーの代表作、牧神の午後への前奏曲を連想したが、フランス的感性への近似も、武満の音楽の国際的な認知を高める要素になっているであろう。だが、やはり日本のオケにこそ様々な武満の曲を深く解釈して演奏してもらいたい。今回のように、シェフである世界的指揮者のもとでの演奏機会は貴重であるが、N響はその貴重な機会を存分に生かし切ったと言えるであろう。

後半の1曲目は5分ほどの短い曲で、葬送行進曲風の間奏曲。R=コルサコフの手になるオーケストレーションはさすが雄弁だが、ここでも、ヴァイオリンの対抗配置を取ったN響の表現力に大いに印象づけられた。酒飲みで、多くの作品を未完のまま世を去ったムソルグスキーが聴いたら、なんと言うだろう。
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さて、そして天下の名曲「展覧会の絵」である。冒頭のトランペットがあまりに自由なのに驚いた。この種の表現は日本のオケがもともとあまり得意でなく、真面目に吹いてしまうことが多いからだ(あ、今回の演奏が不真面目だということではありません 笑)。ほかの東京のオケでも最近感じることだが、演奏中の表情に柔らかいものが出てくることが増えてきたように思うが、これは大変結構なことだと思う。今回の場合、N響の顔である「まろ」こと篠崎史紀が、終始余裕である。このあたり、在京オケ間の競争がよい刺激になっているものと思う。
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非常に派手な音響を沢山含むこの「展覧会の絵」であるが、ヤルヴィの統率は今回も見事の一言で、それぞれの曲の特性をきっちり表現しており、奇をてらうことは皆無。重々しい音もあれば軽やかな音もあり、快速で駆け巡る音もあれば炸裂する音もあり、この曲の持ち味通り、聴いていて飽きるということがなかった。ひとつユニークだったのは、この曲の最後の凄まじいクライマックスで鳴り響く鐘は、通常は縦に長いものを何本か吊るしたタイプのものを使うと思うが、今回は、幻想交響曲で使うような寺院の鐘のようなもの、いわゆるカリヨン(下の写真参照)を使っていた。この終曲は「キエフの大きな門」の情景であるから、カリヨンの深い響きでも曲調には合うし、面白い効果を挙げていた。
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この「展覧会の絵」は、誰もが素直に楽しめる内容であったと思うし、実際、終演後の聴衆の反応は熱狂に近いものがあった。オケの面々にも満面の笑みがこぼれ、その充実感を表していた。そうだ、このようなN響の演奏が聴きたかったし、これからも聴きたいのである。ヤルヴィとN響は、来春、大規模なヨーロッパツアーに出かける予定であるという。このように積極性あふれる演奏で、かの地の聴衆を魅了、圧倒して欲しいものである。

by yokohama7474 | 2016-09-18 00:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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