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ポンピドゥー・センター傑作展 東京都美術館

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まずはお詫びから入ろう。この記事をご覧頂く方がこの展覧会に興味を持たれ、「ちょっと行ってみようかな」と思われても、時既に遅し。会期は9月22日(木・祝)まで。つまり、私がこの記事を書き終わるその当日だ。いや、それでも、朝この記事をご覧になった方は、ちょうど祝日ということもあり、上野公園の東京都美術館に走ろうか、という気持ちを抱かれるかもしれない。この展覧会はこの後日本のどこの都市にも巡回しない。よって、本当に今日は最後のチャンス。最終日に現地に急ぐだけの価値はある、と申し上げておこう。

さてこの展覧会は、パリにある現代美術の殿堂、ポンピドゥー・センターの所蔵作品によるものである。名称は、この美術館の設立を主導した当時のフランス大統領、ジョルジュ・ポンピドゥーの名を取ったもの。フランスにおける国立の大規模美術館として、古代から近代までをカバーするルーヴル美術館、主として19世紀(メインはヨーロッパ各地での革命勃発の年1848年から第一次大戦勃発の1914年まで)をカバーするオルセー美術館、そして20世紀(と21世紀?)をカバーするこのポンピドゥー・センターの3館が、芸術の街パリの主役たちである。建物の外側にパイプが走る独特の「現場感覚」あふれる、ささくれだっていて決して平穏ではないモダニズムを持った、こんな建物だ。おっとこの写真に写っているのは、この美術館を取り巻くパイプに住んでいる(?)というキャラクター、リサとガスパールではないか!!
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私がこの美術館を初めて訪れたのは1990年のこと。以来何度となく足を運んでいるが、よく小学生たちが見学に来ていて、本物のピカソの前に車座に座り、教師の問いかけに何やら積極的に答えている情景などを目にする。まぁそれを見ていると、さすがパリであると思う。しかも子供ですら、喋っているのはフランス語なのである!!(当たり前か 笑) だが、現地を離れた展覧会は少し勝手が違うだろう。今回のように一ヶ所の美術館からまとめて作品を持ってくる場合、いわゆる総花的で当たり障りのない選択がなされることも往々にしてあり、現地を訪れたときのような高揚感がない場合もあるのだ。だがその点今回の展覧会は、これは行ってみないと分からないのだが、これまでに例のない独特な方法を取っていて、しかもそれが非常に成功していると評価できると思う。図録に載っている主催者の挨拶を引用すると、「フォーヴィスムが台頭してきた1906年からポンピドゥー・センターが開館した1977年までのタイムラインを『1年1作家1作品』によってたどります」とのこと。つまり、1906年、1907年、1908年...と来て1977年までの72年間に亘って、各年1人のアーティスト(絵画、彫刻、写真、建築や家具、そして映画まで)の作品が展示されているということだ。しかも興味深いのは、隣接する年で全く違う分野の作品が無作為に並ぶような場当たり的な企画ではなく、お互いに関連する作家であったりジャンルであったりが、年を接して並ぶように慎重に考察・選定されている。これによって、これまで気づかなかった美術の潮流や、あるいは全く未知の作家に巡り合うチャンスが与えられている。これまでにない新しい形態の展覧会であるが、これが可能になるのも、多様で膨大な作品を所有するポンピドゥー・センターならではだ。

以下、展示されている71作品の中から私の興味を惹いたものを幾つかご紹介し、この企画についての私なりの評価を、いつものようにとりとめなく(?)書いてみたい。ん? 1906年から1977年までは、両端を入れると72年。なのになぜ71作品?答えは後ほど。なんだよ、じれったい奴だなぁと、ジョルジュ・ポンピドゥーさんも苛立っておられる。
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この展覧会では、それぞれの年の作品の作者の肖像と、その言葉が引用されていて、その点も非常に凝った構成になっている。まずトップバッター、1906年の作家は、ラウル・デュフィ(1877-1953)。瀟洒な色使いと軽快な筆致で親しみやすい作品を描いた人だ。作品は「旗で飾られた通り」。
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続く1907年は、これもフランスのビッグ・ネーム、ジョルジュ・ブラック(1882-1963)。フォーヴィスムからキュビスムに進んだ、やはり20世紀を代表する画家のひとりで、作品は「レック湾」。
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なるほどこの展覧会、やはりオーソドックな有名画家の明るい作品を並べて一般的な人気を狙うのだな、と思ったら、あにはからんや、次の1908年は一転してこの作品。これは侮りがたい。
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あの有名なムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いているが、ルノワールの作品とは大違いで、夜のモンマルトルの雰囲気がよく出ている。描いたのはオーギュスト・シャボーという画家(1882-1955)。この生年はピカソよりひとつ下、上記のブラックとは同い年だ。だが一般的な知名度は段違いに低い。試みに調べてみたが、Wikipediaでも彼の項目はない。美術の正規教育は受けたものの、船乗りで生計を立てていた時期もあるらしい。丁寧な絵ではないが、何か人生の裏側を知っている人でないと描けないような深い語り掛けをしてくる絵であると思う。

それから、知らない作家は1911年のコーナーでも登場する。ロジェ・ド・フレネー(1885-1925)。引用されている彼の言葉は、「私にはあまり想像力がないので、目で捉えたものをつくることしかできない」というもの。20世紀初頭という美術の革命の時代に生きた画家としては、なんと控えめな言葉であろうか。結核を患い、40歳という若さで世を去ったが、主としてキュビスムのスタイルを追求したらしい。展示されているのは「胸甲騎兵」という作品。
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そして永遠の前衛の最先端、マルセル・デュシャン(1887-1968)の有名な「自転車の車輪」は1913年の作品。
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翌年、1914年の作品が驚きだ。レイモン・デュシャン=ヴィヨン(1876-1918)の「馬」という彫刻。見事なモダニズムだ。
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この作品の作者の肖像写真はこれである。
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「動くものを動かなくするかわりに、動かないものを動かす。これが彫刻における真の目的である」とあるが、私はこれを読んで、ひとつ前に作品が展示されていたマルセル・デュシャンの手になる「階段を降りる裸体」を思い出した。ん?それにしてもこの作家の名前、レイモン・デュシャン=ヴィヨン...そうだ、彼はマルセル・デュシャンの兄なのである!! 腸チフスにかかって42歳で亡くなってしまったようだが、あの永遠の前衛デュシャンにも人並に家族がいて、しかも芸術家であったとは、あまり信じられない。因みにほかの兄弟たち、ジャック・ヴィヨン、シュザンヌ・デュシャン=クロティも芸術家であった由。デュシャンの妙な気品は、そのような家族環境から来ているのかもしれない。

さて時代は既に第一次大戦に突入しているが、ここで選ばれている作品群には、戦争の影は一切ない。シャガールやマン・レイという有名作家を経て、1922年はル・コルビュジェ(1887-1965)の作品。彼はもちろん有名な建築家であるが、ここでは「静物」という油彩画が出品されている。いかにも彼らしい混乱のないモダニズムが感じられる。
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1924年、25年は家具のデザインが連続していて、このあたりに展覧会の秩序ある見せ方の工夫があるが、1929年、30年の連続は、また毛色が変わっていて、かなりの衝撃だ。いわゆるアウトサイダー・アート、最近少しは定着してきたように思われる用語で言うと、アール・ブリュットに分類される作品であるからだ。1929年はセラフィーヌ・ルイ(1864-1942)の「楽園の樹」。なんとも形容しがたい表現力。
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彼女は全く美術の素養のない家政婦であったが、38歳のときに芸術に身を捧げなさいという聖母マリアのお告げを受け、多くの作品を生み出したが、後年は精神を病み、最後の10年間はすべての芸術活動をやめて精神病院で過ごしたという。引用されている言葉は、「私は絵を描きます。でもとても難しいです。私は絵のことを知らない年老いた初心者です」というもの。
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1930年は、カミーユ・ボンボワ(1883-1970)。「旅芸人のアスリート」という作品。アンリ・ルソー風ではあるが、船頭の息子として生まれ、肉体労働やサーカスでのレスラーとして働いたという彼の場合、これは自画像なのであろう。教育では身につけることができない、彼の人生が巧まずしてそのまま画面に現れたといった生々しさを感じる。
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この展覧会には彫刻もあれこれ出品されていて、ブランクーシやジャコメッティや、あるいは以前世田谷美術館での個展をこのブログでも採り上げたフリオ・ゴンザレスなどもよいが、私が好きなパブロ・ガルガーリョ(1881-1934)の「預言者」をご紹介しておこう。様々な角度からの視覚がこの彫刻の面白さを引き出すので、この写真だけではその存在感は伝わりにくいかもしれないが、見ていて飽きることのない、素晴らしい作品である。
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この展覧会では、シュールレアリスムの作品はほぼ皆無で、そのあたりも一種の知見を感じさせるが、ルーマニア出身のヴィクトール・ブラウネル(1903-1966)の「無題」が1938年のコーナーに展示されている。ちょっと雑に見えるが、奇妙に深層心理に訴えかける作品だ。
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そうして、1941年の作品は、再びアウトサイダー・アートである。フルリ=ジョゼフ・クレパン(1875-1948)の「寺院」。配管工で金物屋であった彼は、神秘主義に強い興味を持っていたが、ある日手が勝手にデッサンを始め、絵を描き出したという。1939年に第二次世界大戦が始まると、戦争を終わらせるために300枚の絵を描けとのお告げを聞き、ちょうど300枚目は、ドイツ降伏の前日、1945年5月7日に描き終えたという。そうするとこれもその300枚のうちの1枚か。いやー、なんとも鬼気迫るものがある。
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そして展覧会は1945年のコーナーへ。実はここには何も展示されていない。「人類にとって大きな意味を持つこの年には作品展示はせず、代わりにその年に作られたエディット・ピアフの『ラ・ヴィ・アン・ローズ(バラ色の人生)』を流します」という内容の表記があった。そういう理由で、総作品数は72ではなく71なのである。面白いことに、続く1946年はこのような作品が展示されている。
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「ラ・ヴィ・アン・ローズ」ならぬ「ピンクの交響曲」と題されたこの作品の作者は、アルジェリア人のアンリ・ヴァランシ(1883-1960)。彼は音楽絵画という概念を標榜したという。この展覧会では、二度の戦争の惨禍を社会参加的に訴える作品はごく限定的であるが、ピアフの「ラ・ヴィ・アン・ローズ」が流れる中でこのような作品を見ると、逆に凄まじい惨禍が人類を襲ったことを実感してしまうという逆説。歴史は決して後には戻らない。

ここまで有名作家の作品はかなり飛ばしてきたが、ここで一人ご紹介しておこう。1948年のコーナーで展示されているアンリ・マティス(1869-1954)の「大きな赤い部屋」。この展覧会のポスターにも使われている。
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私はマティスは本当の天才だと思っているが、その理由を明確に説明することができない。なぜこんな普通の情景がこれほどに神々しく見えるのか。以前見た大規模なマティス展で、なんということのない室内を描いた作品の制作過程で、描かれている対象の位置を繰り返し繰り返し動かして試行錯誤しているという解説を見た記憶がある。彼が作り出しているのは、彼自身が神である、現実とは別の世界なのであろうか。

これまでこの展覧会での展示はご紹介していないが、写真家としては、アンドレ・ケルテスやアンリ・カルティエ=ブレッソンの作品が出展されている。だが私が面白いと思ったのは、リチャード・アヴェドン(1923-2004)が1958年に撮影したココ・シャネルの肖像。タイトルでは本名のガブルエル・シャネルの名が使われているが、ここで写真家が切り取りたかった老いたシャネルのリアリティには、その方がふさわしいだろう。こんな角度での撮影と、皺がエッフェル塔の足みたいに伸びた写真の公開を、よくシャネルが許したものだ(笑)。
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さてこのあたりからはいわゆる現代アートの世界に入ってきて、そこそこ面白いものもあれば、全然面白くないものもある。その中で私としてはこの人を採り上げないわけにはいかない。1961年のコーナーに展示されたクリスト(1935年生まれ)の「パッケージ」。
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よく知られているように彼は、巨大な建造物を梱包することで知られており、かつて日本でも茨城でアンブレラ・プロジェクトというものが開催された。壮大なる無為な行為は、人類の歴史のある一面を、皮肉とともに人々に突きつける。相当に過激なアーティストなのである。

1962年のコーナーでは、映画監督クリス・マルケル(1921-2012)の「ラ・ジュテ」という作品が上映されている。
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クリス・マルケルと言えば、私も昔アテネ・フランセで見た「サン・ソレイユ」が非常に美しい作品だったし、黒澤明の「乱」の制作に取材したドキュメンタリー映画「A.K.」(語りは蓮實重彦であった!!)も面白かった。久しぶりにその名前を聞いて、このような芸術的な映画を見る機会が減っていることを反省することしきり。

最後の3年、1975年から77年は、ポンピドゥー・センターそのものを対象とした作品が展示されている。なるほど、これだけ多様な芸術分野を包含したこの偉大なる美術館こそ、未来に渡して行くべき作品なのである。1975年は、ゴードン・マッタ=クラーク(1943-1978)の映像作品で、「コニカル・インターセクト(円錐の交差)」。今のポンピドゥー・センターの場所には、もともと17世紀の建物が立っており、その取り壊しのために建物に円錐形の穴が開けられる際の映像を使用している。
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ところでこのゴードン・マッタ=クラークの名は初めて聞いたが、有名な画家ロベルト・マッタの息子だそうである。ちょっとマッタ、この展覧会には父親であるマッタの作品も展示されていなかったか。図録で確認したが、それは勘違いで、ほかの画家、アンドレ・マッソンと混同していた。というのも、随分以前に開かれたこのマッタとマッソンの合同展覧会によって、私はこれらの画家たちのことを知ったからである。実はこのゴードン・マッタ=クラークは、すい臓がんのために35歳の若さで亡くなっている。余談だが、もう一方のアンドレ・マッソンの息子ディエゴ・マッソンは指揮者、作曲家である。超有名ではないかもしれないが・・・(笑)。

展覧会の最後、1977年のコーナーに展示されているのは、このポンピドゥー・センターの模型である。
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このユニークな建物、誰の設計かと思えば、2人の建築家の合作で、ひとりは関西空港の設計によって日本でも有名なレンゾ・ピアノ(1937年生まれ)、もうひとりはリチャード・ロジャース(1933年生まれ)だ。リチャード・ロジャースと言えば「回転木馬」「南太平洋」「サウンド・オブ・ミュージック」などのミュージカルで有名な作曲家を思い出すが、もちろん同姓同名の別人である。代表作を調べると、ロンドンのロイズの本社があった。なるほど、あれはちょっとポンピドゥー・センターに似ている。日本にもいくつか作品があって、その中には南山城小学校というものもある。へー、写真を見ると解放感あるが、破天荒な小学校だ(笑)。ともあれ、激動の20世紀の文化活動を維持・保存するためのハコであるこの建物、それ自体が貴重な文化遺産になって行くものであろう。

まだまだご紹介できない作品が沢山あるが、このあたりでやめておこう。芸術の都パリらしいこの展示作品の幅広さとレヴェルの高さ。東京も、世界に誇る文化活動を、もっともっと広げていかなければという思いを新たにしながらも、やはりパリは特別だなぁと嘆息することしきりの、初秋の深夜でありました。

by yokohama7474 | 2016-09-22 01:57 | 美術・旅行