チョン・ミョンフン指揮 東京フィル (ピアノ : チョ・ソンジン) 2016年9月23日 サントリーホール

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今回の記事はいつもと若干趣向を変えて、写真の二連発から始めた。1枚ものと、アンディ・ウォーホル描くキャンベル・スープよろしく同じ図柄が複数集まった上に(あ、以前も使ったネタである 笑)、チョンと東京フィル(通称「東フィル」)の演奏会がほぼ毎回そうであるように、「満員御礼」の札が貼ってあるものとである。このような映像が2016年9月の音楽シーンのひとつの記録になるであろう。私にとっては、9月からの新シーズンにおいて、東京のメジャーオーケストラ7団体のうち6団体目の鑑賞になる。これで今シーズンで未だ演奏会を楽しむ機会がないのは東京交響楽団だけになった(10月には機会が到来する)。これまでこのブログの記事でご紹介して来た通り、今般の東京の新音楽シーズンは非常に充実しているわけであるが、わけても、まぎれもない現代のトップ指揮者である韓国出身のチョン・ミョンフンの指揮する東フィルの演奏は、掛け値なしに東京の音楽ファンにとって見逃すことができないイヴェントになっている。

今月、チョンと東フィルは2種類の曲目による3回のコンサートを開く。私が今回聴いたものは、既に同じ内容で9/21(水)に東京オペラシティにて開催された演奏会と同じ、以下のような演目である。
 ベートーヴェン : ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(ピアノ : チョ・ソンジン)
 ベートーヴェン : 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」

なるほど、逃げも隠れもできない真向勝負のベートーヴェン尽くし。実はチョンが今回採り上げるもう1つのプログラムは、やはりベートーヴェンの6番と7番。うむ、逃げも隠れもする必要はない。チョンと東フィルの力量が試される機会となるだろう。チョンは2001年にこのオケのスペシャル・アーティスティック・アドバイザーに就任してからはや15年。現在では名誉音楽監督というポジションを得ている。チョンの演奏はこのブログでも何度も採り上げてきたが、その度に大きな刺激を受けている。今回も期待せずにはいられないのである。

今回登場するソリストは、昨年のショパン・コンクールの覇者で、既に国際的な活動を始めている、弱冠22歳の韓国のピアニスト、チョ・ソンジンだ。既に名門レーベル、ドイツ・グラモフォンからライヴ盤が出ている。
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彼がショパン・コンクールに優勝した直後に来日して、ウラディミール・フェドセーエフ指揮のNHK交響楽団と共演した際の演奏については、昨年11月21日の記事で採り上げた。今回自分の過去の記事を読み返してみると、今回の演奏の感想と共通する部分が多いことに若干の驚きを覚えるとともに、いつもチャランポランな私としては、音楽に関して自分の抱く感想がコロコロ変わることがないことを知り、なにやらほっと一安心だ(笑)。要するに前回も今回も私が感じたのは、この若きピアニストの場合、発展途上というよりは、既に完成した音楽家であるということだ。彼が弾いた「皇帝」は、その名の通り華麗で力に満ちた演奏が求められるところ、彼のピアノは、ただそのような外面的な効果を狙うというより、音楽の本質を丁寧に抉り出すようなイメージであったのである。若い演奏家を聴く楽しみの多くは、彼または彼女がその後いかに成長して行くかという点にあり、私も過去の記事でそのようなことを述べたことが何度もある。だが、「将来が楽しみだ」といった感想もあってもよいとはいえ、若かろうが熟年だろうが、まずはその演奏家の現在に耳を傾けるべきであろう。今回のチョの演奏からそのような感想を抱いた。彼のピアノは美しく流れがよく快活で、まさに若さに満ち溢れている。そして、それだけにとどまらないところが非凡なのである。今回の演奏では、チョンの推進力ある伴奏にも助けられたかもしれないが、実は数十名のオケに相対して、チョのピアノが先導するような箇所も、実際に何度か聴かれたと思う。いたずらに派手な効果を狙わないのに、音楽は溌剌とし、愉悦感にあふれている。なるほどこれは素晴らしい才能であると再認識した次第。それはアンコールで彼が弾いたベートーヴェンの「悲愴」ソナタの有名な第2楽章の演奏にもはっきりと表れていた。私もこの楽章には心から惚れ込んでいる人間であるが、あまり情緒的で思わせぶりな演奏では鼻白んでしまうところ、今回チョのピアノは、ごく自然体で感傷を排した、でもこの上なく美しい演奏であり、素晴らしい説得力であった。

後半はベートーヴェンの名作「田園」交響曲である。この曲はベートーヴェンの9曲の交響曲の中でも異色の作品であり、内容が親しみやすい割には、本当に質のよい演奏をするのは難しい曲であろうと思う。もともと交響曲とは、ソナタ形式に基づく器楽だけの形態。古典派の時代には、純粋な音の喜びの表出がメインであったはずだが、この曲は鳥の声や、農民の踊りや、嵐や、嵐が過ぎ去った後の晴天下における神への感謝など、いわゆる純粋な音楽以外の要素がふんだんに入っている。ここには情景の描写もあるが、それよりも重要であるのは、田園地帯で人間の感じる感情こそが、音に表されるべき対象であるということだ。チョンはインタビューでこの曲に関し、以下のように語っている。

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『田園』は私が愛してやまない交響曲です。奇跡的な音楽であり、人間的という点で言えば、歴史上の全交響曲の中でも最高の作品。音楽を通してベートーヴェンがどれほど自然を愛していたかということがよくわかります。
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演奏家としてこれだけ率直にものを言ってしまうと、自らの演奏の質を厳しく問われるようにも思うが(笑)、さすが円熟の境地のチョンである。期待にたがわぬ素晴らしい演奏を聴かせてくれた。テンポは若干速めであったが、オケの面々にお互いの音を聴かせるように導いていて、その重層的な各パートの鳴り方に、何か尋常ではない強い表現意欲を感じることができた。そうだ。それから、7月22日の記事で書いた、チョンの音楽が師のジュリーニに似てきたという感想を、今回も抱くこととなった。民族もメンタリティも、きっと日常生活で好きな食べ物も(笑)、この師弟の間では異なる点が多いのに、不思議なことに音楽という文化活動においては、師弟間におけるそのような差異の要素よりも、類似の要素が、いずれかの時点で出て来てしまうのであろうか。興味深いことである。ともあれこの「田園」、いつものようなチョンの「寄らば切るぞ」という気迫よりも、人生の収穫を楽しむという感覚に満ちていたと思う。あとは、例えば終楽章でさらに凝縮した音が鳴っていればよかったようにも思う。だが素晴らしい熱演であったことは間違いない。

そして、定期演奏会としては珍しいことに、アンコールが演奏された。同じベートーヴェンの交響曲第7番の熱狂の終楽章だ。この曲は今回のチョンと東フィルの一連の演奏会のうち、9/25 (日) のメインの曲目になっている。多分この日の昼、この曲のリハーサルをしたところなのだろうか。楽器編成もほぼ同じ。ただ例外は、「田園」の後半に使われているトロンボーンが、7番では使われていないということだ。なので、このアンコールにおけるトロンボーン奏者たちは、同僚たちの熱演を高見の見物としゃれこんだわけである(?)。ただ、「田園」と同じく、大団円に向けてさらに音に緊密度が高まれば、さらによかったかもしれない。

今回の演奏会ではハプニングがもうひとつ。開演直前にオケがチューニングをする際、通常はオーボエが最初に「ラ」の音を出すが、ピアノがステージにある場合には、コンサートマスターがピアノの鍵盤を叩いて同じラを出すのである。ところが今回、コンマスがピアノに向かったところまではよかったのだが、間違えて全然違う音を出してしまい、楽員も聴衆も爆笑だ。これは珍しいことであるはず。まぁこれはご愛敬で、演奏が始まってしまえば、きっちりプロの音楽が奏でられていたのであるが。このような些細なハプニングが、時に思い出作りに貢献するし、音楽を奏でるという行為の真剣さを逆に強調することになるだろう。・・・と、ここはすっきり整理しておこう(笑)。

チョンと東フィル、次の演奏が待ち遠しい。

by yokohama7474 | 2016-09-24 01:56 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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