パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2016年10月6日 サントリーホール

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このブログでも何度か採り上げてきたNHK交響楽団(通称「N響」)とその首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィによる先月、今月の10回に亘る一連のコンサートの掉尾を飾るのは、マーラーの交響曲第3番ニ短調だ。これはまた、N響創立90周年と、サントリーホール開館30周年を記念する演奏会でもある。実はちょうど今日、ヤルヴィのN響首席指揮者としての在任契約期間が3年延長され、2021年8月までになったとの発表がなされた。ヤルヴィのコメントは以下の通り。

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N響との初めてのシーズンは極めて楽しいものでした。契約延長によって、今後数年にわたりN響の素晴らしい楽員達と演奏ができる機会を得ることとなり嬉しく思っています。2017年春にはN響との初めてのヨーロッパ・ツアー、そしてリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲に焦点を絞った我々のCDが、初めて海外でリリースされる予定もあり、来年に期待がふくらみます。今シーズンは我々にとってN響創立90周年という非常に大切なシーズンですが、今夕はそれに加えて、光栄にもサントリーホール開館30周年記念を祝う演奏会が行われます。
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実は私は、このニュースを帰宅してから知ったのであるが、N響さんも慎み深いというか、はっきり言うと、水臭いなぁ。なぜこのよいニュースを会場で大々的に宣伝してくれなかったのだろう。それとも、既に膨大な数の定期会員を抱え、特別演奏会や地方でのコンサートもほぼ常に満員になるオーケストラとしては、この世界の名指揮者を追加で3年も確保できたという素晴らしい成果も、それほど騒ぎ立てるほどのことではないということか。いやいや、でもこれは本当に意義あることではないか。N響さん、もっと宣伝しましょうよ。日本のシニアに向けてではなく、世界の聴衆に向けて!!
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今回の一連のヤルヴィとN響の演奏会は、マーラーの超大作第8番で幕を開け、大作第3番で幕を閉じる。その間に演奏された5種類のプログラムのうち、私はなんとか4種類を聴くことができたので、ある程度このコンビのイメージが出来てきた。もちろん、未だ2年目が始まったばかりの関係なので、今後発展も見込めるし、紆余曲折もあるかもしれない。でも明らかに言えることは、このコンビが今の、そして今後数年の、日本の音楽界の重要なひとつの顔であるべきということだ。エラい先生たちではなく、個性ある名指揮者たちが真剣に競い合う東京。その代表選手であるには、このコンビが発する音楽的メッセージがクリアに聴き取れなければならない。上質のワインを飲むのに、分厚く幅広なウィスキー用のタンブラーを使う人はいない。繊細なワインの色が見え、香りを嗅ぐことができ、時間の経過とともに熟成する味を実感できるワイングラスを用意するだろう。そんなことは強調するまでもなく、至極当たり前のことであって、ワインをワインとして味わうことのできる環境が必要なように、上質な音楽の鑑賞のためには、それにふさわしい環境が不可欠なのである。今回の演奏、特に終楽章の音の流れに痛く感動した身としては、これこそまさに極上のワインの味わいであって、このサントリーホールだからこそ聴くことができた音響であると信じてためらわない。なんという感動的な歌、なんという深い感情の吐露であったことか。最後の音が虚空に消えて行ったあと、演奏者たちが緊張を解いてもまだ客席は静まり返っており、拍手が起こる前に誰かが大きくブラヴォーを叫んだことで、聴衆たちは我に返ったのであった。素晴らしい音楽体験であった。

だが私は、何もこの演奏のすべてを手放しで絶賛しようと思っているわけではない。第1楽章にはもう少し重層的な響きと、木管楽器の鋭い絡み合いが欲しいと思ったし、音楽の呼吸自体も、それほど深かったとは思えない(例えばこの曲を得意としているハイティンクとかメータと比べると)。第2楽章も、野原に一陣の風が駆け抜けるような音楽を、もっとシャープに出す余地はあったと思う。第3楽章の舞台裏のポストホルンは、さらに幻想的に響いてもよかったかもしれない。どの楽章も若干速めのテンポ設定がなされ、いつものヤルヴィの要領のよいまとめ方であったが、マーラーの音響としては、若干の違和感も時に感じたことを白状しよう。だが、第4楽章で世界的なメゾ・ソプラノであるミシェル・デ・ヤングが深々としたまさに完璧に安定した歌唱を聴かせると、続く第5楽章のビム・バムという天使の合唱(東京音楽大学合唱団とNHK東京児童合唱団)も、この上なく瑞々しく響いたものである。つまりこのあたりまで私は、この演奏の美点と課題をともに感じ取っていた。だが、この世のものとは思われないような美しい第6楽章が始まると、細部を気にすることなく、音楽の流れに徐々に引き込まれていったのである。もしこの演奏が二度、三度と繰り返されれば、また違った洗練ぶりがあったかもしれないが、音楽は生き物。すべてが完璧に響く必要はなく、本当に素晴らしい音を聴ける箇所があれば、その演奏は感動的であるのだと思う。感傷が必要なわけではなく、プロフェッショナルな演奏団体による上質の音が聴ければ、コンサートに出かける価値があるというもの。その意味では、振り返って見ると、このミシェル・デ・ヤングの歌唱が、演奏家たち全員の霊感を引き出したとも言えるかもしれない。
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さて、頻繁にコンサートに足を運んでいると、時に意外な光景を目にすることがある。今日はそのようなことがあったので、ここに書き留めておこう。この曲では、大概合唱団は最初から登場している(サントリーホールの場合は、ステージ後ろの客席=Pブロック、もしくはステージ上)。だが、ソリストは登場方法がまちまちである。今回は、合唱団はPブロックに最初から陣取ったが、ソリストは第1楽章の後に登場した。この曲の第1楽章は35分を要する長い楽章であり、その終了後、ある意味で音楽が一段落するところでのソリスト登場は、分からないでもない。だが、ソリストが歌うのは第4楽章。合唱に至っては第5楽章だ。長い時間、緊張感を強いられることであろう。もちろん、プロの歌手であるソリストは大丈夫であろうが、この曲には児童合唱が入る。子供たちが舞台に出て彼歌い始めるまで1時間くらいあるわけで、ちょっと心配であったのだ。そうすると案の定、児童合唱の1列目の小柄な女の子(小学生であろうか)が、第2楽章あたりから何度か両手を口に当てるのが見えた。くしゃみでもしたいのかと思ったら、第4楽章、つまりソリストだけが静かに歌い出す箇所で合唱団も全員起立したときに、かわいそうにその子は、最初から気分が悪かったのであろうか、あるいは緊張によるものか、ついに両手の中に吐いてしまったのだ。ほんの数秒のことだし、角度からしてもこの異変に気付かない聴衆や演奏者も多かったと思うが、ちょうど正面の席にいた私は、気が気ではない(よそのお嬢さんではあるが、親御さんも会場にお見えかもしれないと思うと・・・)。残酷なことに音楽は、その後ソリストの歌う第4楽章が10分弱、児童合唱が歌う第5楽章が5分弱、そしてオケが歌い切る第6楽章が25分ほど。合計40分の間、一貫した流れと清澄さに満たされており、とても音楽を中断して病人を運び出す暇はない。従ってそのかわいそうな子は、結局40分間、席でうなだれたままであった。左右の子が励ましたり、ステージ奥に陣取るティンパニ奏者までが心配そうにのぞき込んだりしていたが、本当にがっくり力なく席に沈んでいたのである。ヤルヴィもきっとどこかでその異変に気付いたものと思うが、音楽を進めるその手は、冷徹に思われるほど指揮を続けていた。演奏終了後にようやく女性の係の人たちが二人入ってきて、彼女を退出させたのであるが、この小さな歌い手にとってはきっと地獄の40分、いや、全曲の100分が地獄であったろう。いわば、"The Show Must Go On" という舞台の鉄則が貫かれたのであるが、私が思うに、この少女にとってこの経験は、きっと一生忘れないものになるだろう。それは悔しさか恥ずかしさかもしれないが、私にとっては、この日の演奏の後半が感動的に盛り上がったことと、倒れてしまったこの少女との間に、既に因果関係ができてしまっている。つまり、妙な言い方かもしれないが、少女の思いが演奏全体のEmotionをぐっと上げたように思えてならないのだ。晴れの舞台で歌うことはできなかったものの、自己犠牲によって音楽に貢献したのではないか。まぁちょっと同情による美化もあるかもしれないが(笑)、人間の奏でる音楽には、そのような要素があっても不思議ではない。その意味で、この子がそうであるように、私もこのコンサートを今後忘れることはないだろう。

ところで、このパーヴォ・ヤルヴィがかつての手兵、フランクフルト放送交響楽団(現hr交響楽団)を指揮した「マーラー 4つの楽章」というCDがある。
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この録音は一風変わった曲目で、マーラーの4つの楽章、つまり、(1)交響詩「葬礼」(第2番「復活」第1楽章の原型)、(2) 交響曲第10番アダージョ、(3) 花の章(もと第1番第2楽章)、(4) 交響曲第3番第2楽章「野の花が私に語ること」(ブリテン編曲による室内管弦楽版)である。強いEmotionを必要とする楽章を最初に2つ並べ、デザートのような2つの楽章を後半に並べている。聴いてみると、なるほどヤルヴィの表現力の幅には感心するが、何より、爆裂的な音響で終わるのでなく、軽やかな風のごとくスマートに終わっているあたり、鋭敏な感性を感じることができる。同時に、きっと通りいっぺんのことでは満足しない頑固な点もあるのであろう。だがこのような自然な個性こそ、今の時代にふさわしいものであろう。ヤルヴィは11月には今度は別の手兵、ドイツ・カンマー・フィルを率いて来日し、樫本大進との協演も予定されている。その演奏会には行けない可能性は高いが、今後もN響とのコンビで様々な曲を楽しみたい。

by yokohama7474 | 2016-10-06 23:39 | 音楽 (Live) | Comments(2)
Commented by やすぷんた at 2016-10-07 07:21 x
今まで最高のN響体験でした。メンバーもタレントが揃ってきたなと。6楽章終盤で舞台に座っていたソプラノの方のjoyfulな笑顔が印象的でした。
ベルリンフィル、ウィーンフィルに比肩するパフォーマンスだったと思います。どちらが上手いということではなく、N響ならではの響きが育っているのかなと。
フォルティシモでも濁ることなく、各パートが設計図のように見渡せる透明感が特徴であると感じています。
サントリーホールの素晴らしさも一因ですね。
Commented by yokohama7474 at 2016-10-07 08:12
>やすぷんたさん
素晴らしいコメントありがとうございます。このような演奏が一回だけとはもったいなかったですよね。二回、三回と繰り返されれば、また新たな発展があったかもしれません。
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