高慢と偏見とゾンビ (バー・スティアーズ監督 / 原題 : Pride and Prejudice and Zombies)

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この映画は9月30日に公開された。そして私がこれを見たのは10月9日。いかなる映画でも、私が封切一週間や10日で見に行くことはかなり稀である。というのも、見たい映画をチェックして、終了間近のものを優先して見に行くのが通常であるからだ。最近ちょっとバタバタしている上、コンサートは情け容赦なく決まった期日に行われるし(いや、まあ、チケットを買わなければよいのだが・・・笑)、見聞きしたものは記事をアップせねばならん。若干睡眠時間を削ってでも、文化ブロガーとしての矜持を持って、毅然として文化の諸相に立ち向かわねば。というわけで、朝9時前から爽やかなゾンビ映画の鑑賞となったわけだ。

以前も書いたが、私はゾンビ映画が三度の飯と同じくらい好きなのであるが、和製ゾンビ映画の傑作「アイ アム ア ヒーロー」についての記事を書いたときに友人から、「ああ、コイツ『ウォーキング・デッド』を知らねぇなと思ったよ」と厳しいコメントをもらった。私は和洋を問わずテレビドラマはほとんど見ないし、自宅のテレビでディスクを見ることも最近はほぼ皆無だ。よって、この素晴らしく感動的らしい米国のゾンビ物テレビドラマのことを、残念ながら今に至るも全く知らないのである。だが、「高慢と偏見とゾンビ」なら知っている。なぜなら2010年に、この映画の原作を読んだからだ。
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この本、実は米国で200万部以上の大ヒットとなり、世界20以上の言語に訳されているという。伝統的な古典小説に奇妙なテイストを与えているとはいえ、ナポレオン戦争当時の人々の不安を、ゾンビへの恐怖へと絶妙に置き換えた手腕はなかなかのもの。モトネタがよく知られている英語圏では、パロディの意味がよく分かるのであろう。だが、とりあえず私にとって重要なのは、この本についている帯だ。私の手元の本から撮影したものがこれ。
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そう、この6年というもの、ナタリー・ポートマン主演のゾンビ物を、今か今かと待ちわびていたのである。なので、この映画の予告編を見たときに飛び上がって喜び、公開日を迎えたのだが、調べてみると、公開日からわずか一週間しか経っていないのに、近くのシネコンでは朝1回の上映しかしていない!!これはいかん。ボヤボヤするとすぐに上映終了となってしまうぞとの危機感にとらわれて、慌てて見に行ったというのが真相だ。

だが、もちろんこの作品は、もともとの「高慢と偏見」を全く知らないと、面白くもなんともない。そのあたりが鑑賞のハードルを上げているというのはどうしようもない事実。つまり、ジェイン・オースティン(1775-1817)を知っていてかつゾンビ好き、そんな人しか興味を持たないのであるが、はて、そんな人、世の中にどのくらいいるだろう(笑)。私の場合は、これはたまたま偶然なのであるが、悪魔的教示に満ちたエミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読もうとして、実家で眠っていた昭和35年出版の筑摩書房の世界文學体系のうちの1冊を手に取ったところ、この作品が一緒に入っていたので、行きがかり上読んだもの(ちなみにそこでの邦題は「自負と偏見」)。正直私は、ロマンスとか恋愛ものには全然興味のない人間であって、そんな偶然でもなければこの作品を読むことはなかっただろう。だが読んでみて、200年以上も前に書かれた作品とは思えないほど人間の心情や社会のくびきを活写している点には瞠目した。要するに英国の片田舎で、没落の危機に瀕した家に5人の娘たちがいて、母親がなんとかして彼女らによい嫁入りをさせようとし、父親は愛情を持ちながら皮肉にそれを見ている中、何人かの男たちが求婚したり対立したりする人間ドラマである。設定は現代とはかけ離れたものであるが、描かれた人間心理には普遍的なものがあって、実に面白い。この映画の原作はその古風さにゾンビという異物を混入させることで、より強烈に人間のエゴとか、人間同士の愛の裏にある不可避の死といったテーマを浮き彫りにする、衝撃的な作品に仕上がっているのである。どうです、ゾクゾクするでしょう(?)。

では試みに、手元にあるオースティンの「高慢と偏見」と、それを米国の放送作家セス・グレアム=スミスが翻案した「高慢と偏見とゾンビ」の冒頭を比べてみよう。まずオースティン。

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これは広く認められた真理であるが、独りもので金があるといえば、あとは細君を求めずにいられないものである。
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次にゾンビ版。

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これは広く認められた真理であるが、人の脳を食したゾンビは、さらに多くの脳を求めずにいられないものである。
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もう可笑しくて仕方がない。このパロディ感覚、私の脳をつとに刺激するのである。その活性化した脳がゾンビに食われなければよいが・・・。とまあ、そんなことを考えて映画を見に行くと、映画の冒頭の語りが、上記の通りの小説の冒頭そのままで、ある屋敷のパーティがゾンビに襲撃される惨劇から話が始まるのを見てまずニヤリ。ゾンビ物のルールとして、感染によって死者が甦り、人間の脳を求める。ゾンビによって噛まれた者は、死して自らゾンビとなる・・・というものがあるが、ここでは、ゾンビと化した者が生者になりすまして社交界に紛れ込むという設定になっている。
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原作に登場する5人のベネット家の娘たちは同じ名前で全員出て来て、しかも全員が淑女のたしなみである(という設定の)東洋の武術を身に着けた、洗練された美女揃いなのである。
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だが待て。この映画、ナタリー・ポートマン主演ではなかったのか。いえいえ、実は私も、プログラムで名前を見て、そして映画で顔を見て思い出したのだが、これはリリー・ジェイムズ。あのケネス・ブラナー監督のディズニーの実写映画、「シンデレラ」の主演女優である。あれは大変よかった。これから大有望な素晴らしい女優だと思う。
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もちろんナタリー・ポートマンでもきっとうまく演じたと思うが、いかんせん、ちょっと年齢的に無理があっただろう(とはいえ、調べてみると、リリー・ジェイムズ27歳に対してナタリー・ポートマン35歳と、8歳しか違わないとも言えるのだが)。実はこの映画では、彼女は製作者のひとりに名を連ねている。いち早く原作を読んで映画化の権利取得に走ったようだが、自分を主演にしなかったのはむしろ懸命だと思う。

さてこの映画、どうせろくでもないパロディ映画なのだろうと思われる方もいるかもしれないが、どうしてどうして、映像も凝っているし、歴史的建造物でのロケも行われていて、相当な資金がつぎ込まれているものと思われる、本格的な映画なのである。例えば、あるシーンを見て私には強い既視感があったので、うーんと考え込み、脳の活性化を試み、はたと思い出して自宅の書棚から取り出して来たのが、ロンドン西部の郊外にあるSyon House (サイオン・ハウス)で購入した現地作成の小冊子。
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私が覚えていたのはこのアポロン像のある広間だ。もし映画をご覧になる方は、是非このシーンに注意して頂き、次回ロンドンに行かれるときには現地に足を運んでみられてはいかが。
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本作の脚本・監督を手掛けたバー・スティアーズは、私と同じ年の1965年生まれ。米国人で、もともと俳優としてキャリアを始め、タランティーノの「パルプフィクション」などに出ていたらしい。この作品は非常に要領よくまとめられていて、原作の持ち味をよく出していたと思う。なかなかの手腕である。
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果たしてこの映画の質が「ウォークング・デッド」と比べてどうであるかは私には分からない。だが、文芸作品の高い精神性とそのパロディの可笑しさ、加えて戦争やゾンビという人間に根源的恐怖を与えるものに興味のある方にはお薦めだ。世の中にはそういう人、あまり多くないかもしれないが・・・。


by yokohama7474 | 2016-10-15 23:42 | 映画 | Comments(0)
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