マリインスキー劇場来日公演 チャイコフスキー : 歌劇「エフゲニー・オネーギン」 (指揮 : ワレリー・ゲルギエフ / 演出 : アレクセイ・ステパニュク) 2016年10月15日 東京文化会館

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先に10月10日に上演されたヴェルディの「ドン・カルロ」をご紹介した、ワレリー・ゲルギエフ指揮するロシア、サンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場の来日公演、もうひとつの演目であるチャイコフスキーの名作「エフゲニー・オネーギン」を見た。結論から申し上げると、これは日本におけるロシアオペラ上演における記念碑的な演奏になるであろうと思われるほどの内容であった。

この演出は、2014年に制作されたプロダクションであるようだが、演出家は1993年からこのマリインスキーで仕事をしているアレクセイ・ステパニュク。もちろんロシア人だ。そしてキャスト表を眺めても、そこに見える名前はすべてロシア人。「ドン・カルロ」におけるフェルッチョ・フルラネットやヨンフン・リーのような他国人はここにはひとりもいない。そして演目は、もちろんロシア人プーシキンの原作をロシア人チャイコフスキーがオペラ化したロシア語のオペラなのである。これぞロシアのオペラハウスが自家薬籠中のものとし、世界に発信すべき演目でなくて何であろう。いやもちろん、何もお国物礼賛というわけではなく、実際に舞台を見て感動したからそのように言うのである。突出した大スターがいるわけではなく、主としてこれから世界で活躍して行こうという若い歌手がメインだが、その歌手たちの歌や演技力、統率のとれた合唱団、オケの深く細かい表現力、いかにも演劇好きのロシア人らしい気の利いた演出と、それぞれの要素が粒ぞろいで、全体としての完成度は驚くばかり。過去のマリインスキー劇場の来日公演では、今手元で判明する限りでは、2003年にこの「エフゲニー・オネーギン」は上演されていて、それはこれとは違う演出。ダブルキャストの主役の一方は、大スター、ディミトリー・ホロストフスキーであった(因みにこのときは、プロコフィエフの「戦争と平和」で、ホロストフスキーとアンナ・ネトレプコの共演があった)。多分今回の公演はそのときよりも、ステージ全体のレヴェルは数段上がっているのではないだろうか。換言すれば、芸術監督であり現代のカリスマであるワレリー・ゲルギエフも盤石の自信とともに、このロシアオペラの代表作を最高のレヴェルで日本の聴衆に提示するという強い意欲を持って、この演目を選んだのではないだろうか。
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まず、歌手をご覧頂きたい。タチアーナ役のマリア・バヤンキナ。アンジェリーナ・ジョリーではありません(笑)。
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オルガ役のエカテリーナ・セルゲイコワ。ニコール・キッドマンではありません(ちょっと違うか)。
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この二人が冒頭のシーンで、このように歌うのである。いやはや。
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オネーギンは、「ドン・カルロ」でロドリーゴを歌ったアレクセイ・マルコフ。
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タチアナの恋を打ち砕くオネーギン。
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彼らはいずれも若く、このマリインスキーで歌も演技も学んできた人たちだ。マリインスキー・アカデミーなるものがあり、なんでも、ゲルギエフの姉であるラリーサ・ゲルギエワという人が「もうひとりのカリスマ」として指導なさっているとのこと。歌だけでもなく演技も学び、複数のキャストが練習に参加して、本番ギリギリに誰が舞台に立つか決まるというシステムであるため、場数を踏むこともできるらしい。こうして金の卵たちがこのマリインスキーで生まれ、やがて世界に飛び立って行くわけだ。ロシア人はもともと体格がよく肺活量も多いとは言えようが、ただ闇雲にがなるのではなく、作品の求める声を出し、適切な演技をし、そして何より、見た目もよいという歌手たちが陸続と生まれているわけである。そんな若い優秀な歌手たちが、自国の代表的な作品を歌うとなると、それは最高のものができるはずだ。演出家ステパニュクによると、チャイコフスキーはこの作品の初演に、音楽院の学生を希望したらしい。それは、若さゆえの傲慢さや未熟さがもたらす悲劇を表現したかったからだという。なるほど、そうすると、このような若いキャストは作曲者の意図にもかなっているわけだ。

いずれの歌手も見事な出来栄えであり(レンスキー役だけはちょっと声が細かったが、抒情的ではあった)、有名な「手紙の場」や「レンスキーのアリア」は、ぐっと胸に来るものがあった。歌手陣の中では例外的に国際的な知名度を持つグレーミン役のバスのミハイル・ペトレンコ(本当はこの日は出番でなかったはずが変更になった)は、「ドン・カルロ」の宗教裁判官役もよかったが、この日のグレーミン役、出番は少なくとも重要な役だけに、そのいぶし銀の声は素晴らしかった。
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そしてオーケストラ!!いやはや、その表現力には唸りましたよ。例えば「手紙の場」の後の夜が明けて行く部分など、ワーグナーかと思うほどの迫力。これは、自国作品のみならず、ヴェルディやワーグナーも沢山こなすという経験を日常から積んでいるからこそ出る音であろう。もちろん、有名なポロネーズも万全の出来であったが、部分部分がどうのこうのではなく、最初から最後まで、すべての箇所で歌手たちとともに笑い、踊り、怒り、悲しみ、そして悲劇を巻き起こすという、いわばドラマの進行役をオケが果たしたと言ってもよいと思う。あ、それから、この日も「ドン・カルロ」の日も、演奏前のオケ・ピットでの音出しで、トランペットがリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲を練習していたのはなぜだろう(笑)。この秋東京では、この曲のすごい演奏が2回あるはずなので、聴ければ追ってご報告します。

演出は、今回も「ドン・カルロ」同様、簡潔な舞台装置でありながら、色とりどりのリンゴや舞台奥のブランコという限られた小道具を効果的に使い、各場の最後は、緞帳がクローズアップのように登場人物の回りの空間を狭めて行くことで、心理の綾をよく描いていた。以下は「手紙の場」と、第3幕の舞踏会でオネーギンとタチアナが再会する場面。
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この作品の抒情性は卓越していて、ただの男女のすれ違いというメロドラマではない。狂言回しや合唱の活用など、細部も本当によくできていて、私は聴く度に感動してしまうのだが、今回ほど胸にぐっと来たことはちょっとない。やはり、上記のような様々な要素が、作品本来の強い表現力を引き出したからであろう。忘れられない経験となった。

ところでこの演奏、珍しく正午からの上演であったのだが、その理由は、ゲルギエフとマリインスキーのオケは、この上演終了(16時頃)後、19時からまた、オール・チャイコフスキー(幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ピアノ協奏曲第1番(ピアノは14歳の天才少年)、交響曲第5番) を同じ東京文化会館で演奏するからであった。相変わらず底抜けのスタミナのゲルギエフ、恐るべし。因みに私はこのオペラ鑑賞後、そのマリインスキーのコンサートではなく、別のコンサートに行き、その途中で1軒美術館に立ち寄っている。こちらはこちらで、多少のスタミナのいるスケジュールではあったが、でも、ただ見たり聴いたりしているだけですからね。演奏家のスタミナに比べれば屁のようなもの。それぞれ、追ってアップします。ただ、ブログを書くのは少しはスタミナの要る作業なので(笑)、ちょっと時間がかかるかもしれませんが。

ここで蛇足をひとつ。プーシキンによってこのオペラの原作「エフゲニー・オネーギン」が書かれたのは1830年。前項で採り上げた映画「高慢と偏見とゾンビ」のもともとの原型であるジェイン・オースティンの「高慢と偏見」は1813年の作。その間17年しか離れていない。オペラの冒頭でタチアナが文学好きの夢見がちな少女であることを説明する歌詞に、「英国の恋愛小説を読んで」という表現が出てくるが、もしかすると、タチアナが読んでいるのは「高慢と偏見」ではないだろうか!!そう思うと面白い。まさか「オネーギン」にはゾンビは出てこないし、この舞台にそんなものを入れる演出をすると、客席からブーが出ること必至だが(笑)、活性化した脳でちょっと想像してみるのも一興かも。実は私は何年か前、モルドヴァ共和国の首都キシニョフ(あるいはキシナウとも)という街に出張したことがある。恐らくほとんどの人はその国の名前も聞いたことがないだろうが、英国王室に献上していたワインで有名なところなのだが、その街に、「プーシキンが『エフゲニー・オネーギン』を執筆した家」というのがあって、内部には入れなかったが、外から覗いたことがある。調べてみると、急進的な作風を政府に疎んじられ、その地に送られたとのこと。今でこそロシアのまさに国民的詩人・作家として広く尊敬されているプーシキンだが、そんな時代もあったのだ。
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ちなみにプーシキンは1799年生まれ、1837年死去。「高慢と偏見」のジェイン・オースティンは、1775年生まれ、1817年死去。オースティンの方が一世代上だが、フランス革命からナポレオン戦争と、ヨーロッパ全体で貴族性が揺れ、戦争に次ぐ戦争に入って行った時代である。実は、この日私が見た美術展とは、江戸琳派の鈴木其一の展覧会であるが、其一は1796年生まれの1858年死去。プーシキンの生涯を完全に包含する。そうすると、同時代の日本の豊かな文化を育んだ平和は、ヨーロッパ人には想像もできなかったであろう。まぁそんな関係ないもの同士を想像の中で結び付けて遊んでいる、秋の夜長でした。

Commented by エマスケ at 2016-10-17 12:46 x
先般は、重複投稿を大変失礼いたしました。

「エフゲニー・オネーギン」、私は16日の公演に行きました。
さすがマリインスキー劇場の十八番、おっしゃるとおり、すばらしい舞台でした。プロジェクション・マッピングを駆使した「ドン・カルロ」とは全く趣向が異なり、細部まで作り込んであって、1シーン、1シーンが絵画のようでした。

私の年間観劇数はわずかなのですが、また立ち寄らせていただ
きます。

Commented by yokohama7474 at 2016-10-17 20:33
>エマスケさん
またのお立ち寄りありがとうございます。重複投稿はよくあることなので、全く問題ありません。この「オネーギン」は、思い返しても素晴らしい舞台でしたね。最終幕は緞帳の降りた前での二人のやりとりで、真っ向から歌手の演技力が試され、そして最後の瞬間に幕が開いて、オネーギンが虚空に投げ出される絶望感が素晴らしかったです。忘れなれない舞台になりました。またお立ち寄り下さい。
by yokohama7474 | 2016-10-16 01:26 | 音楽 (Live) | Comments(2)