2016年 10月 30日
アントニ・ヴィト指揮 読売日本交響楽団 2016年10月29日
ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
サティ(ドビュッシー編) : ジムノペディ第1番、第3番
ドビュッシー : 交響詩「海」
フォーレ : 組曲「ペレアスとメリザンド」作品80(メゾソプラノ : 鳥木弥生)
ラヴェル : 古風なメヌエット
ラヴェル : ボレロ
マニアックな曲目はほとんどない。だが急な代役でこれらをすべて指揮できる指揮者は、それだけでも大したものである。実演では未知の指揮者、ヴィト。イメージとしては職人的なきっちりした指揮であろうかと思ったが、果たしてその結果やいかに。プラッソンも心配そうに祈っている。ちょっと顔が笑っていますが(笑)。
そして後半。フォーレも同様の繊細な演奏であったが、圧巻はやはり最後のラヴェルの2曲であろう。「古風なメヌエット」は実演で演奏されることはそれほど多くないが、冒頭から不協和音と典雅な音楽の絶妙の組み合わせを音にするのは、実に難しいと思う。だがヴィトと読響は、なんとも余裕ある雰囲気で、この難曲を美しく楽しく聴かせてくれたのだ。そうして、最後の「ボレロ」が始まる頃には、客席も期待感で満々。クールに指揮棒を振り始めたヴィトの指先から光線が発されるような、鳥肌立つ名演であった。全体を通して技術的な傷はほとんどなし。ただ、「ボレロ」の中で難しい箇所として知られるトロンボーンのソロでわずかにほころびがあったものの、私が素晴らしいと思ったのは、そのほころびをものともしない自発的な演奏。日本のオケは往々にして、技術的には高度だが遊びが足りないと言われる。だが今日のこの演奏に見られるように、そのような汚名はそろそろ返上すべきであろう。そして私の思うところ、読響がこのような演奏ができたのは、今回のコンサートマスターを務めた日下紗矢子の力によるところが大きいのではないか。
さて、すべてのプログラムが終了し、客席が大いに沸いているとき、何やらアンコールがありそうな気配。この流れなら、フォーレのパヴァーヌか、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」だろうか。いずれにせよパヴァーヌなのだなと思っていた(笑)。ところが、第1ヴァイオリン奏者を見ていると、何かの曲の途中から弾き始めるようだ。一体何だろうと思うと、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」のあの超絶的に美しい終曲であった!!まさに息を呑むような美しさ。ここで思い出したのは、この曲を得意とした大指揮者セルジュ・チェリビダッケのことだ。彼がこの読響に客演したのは1970年代で、私は聴いていないが、楽団の出来には不満足であったと聞いている。その彼がもし今の読響を聴いたら・・・と、あらぬ夢想を抱いてしまったのである。
終演後にサイン会があった。私はCD(ヤナーチェク)も購入したが、あえてプログラムにサインしてもらった。