ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち 国立新美術館

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世界には様々な都市があり、それぞれの顔を持つが、その中でも、ちょっとほかにないだろうという独自性を持つ都市がいくつかある。ニューヨークや香港や、あるいはパリはそのような都市であると言って間違いないだろう。だがそれらはいずれも、現在においても経済活動も盛んで、それゆえの人の往来がある街。だがここに、専らその文化的価値を持って世界で唯一と言える街がある。ヴェネツィアがそれである。かつて東方貿易で栄えたこの街は、陽光がないわけでは決してないが、水の上に築かれた危うさもあって、どこか退廃の気配が漂っており、世界のほかの場所にはない味わいを持っているのだ。
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などと偉そうなことを言っているが(笑)、私はこれまで一度しかヴェネツィアに行ったことがなく、しかも、その観光のひとつの目玉であるべきアカデミア美術館に行こうとしたところ、閉館していたのだ。理由は分からない。ただ閉館していたのであって、イタリアでそんなことがあっても怒ってはいけない。かの地では、閉まっているものは閉まっているのである。なのでこの展覧会の広告を見たとき、これはよいチャンスだと思ったのである。そのヴァネツィアのアカデミア美術館から、ヴェネツィア・ルネサンスの名品がやってくる!! 是非見たい・・・と思っているうちに、気が付くと10月10日。東京でのこの展覧会の最終日である。そんなわけで、いつもながらに後手後手に回ってしまって大変申し訳ないのだが、今から3週間半前に見たこの展覧会を、今頃採り上げることとする。なので、これを見てご興味を抱かれる方も、既に東京六本木の国立新美術館での展覧会は既に終了していることをご承知されたい。だが、ひとつの朗報は、大阪の国立国際美術館では、年明けの1月15日まで開催中なのである。という言い訳をしておいて、私がこの展覧会に行ったときの国立新美術館の写真がこれだ。
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なるほど、ダリ展と同時開催であったわけだ。実際のところ、ダリ展は入場15分待ちであったところ、このヴェネツィア・ルネサンス展は待ち時間なし。会場内はガラガラとは言わないが、それなりに余裕のある状態で、それだけ東京の人は、ヴェネツィア・ルネサンスへの関心が低いということかと思ったものだ。なので、微力ながらこの記事で、その素晴らしさについて少し言及してみることとしたい。

そもそも、イタリアにおけるルネサンスといえば、フィレンツェじゃないんかい、と思う人も多いかもしれない。もちろんフィレンツェも、世界にただひとつの特別な街。イタリアの場合、それぞれの都市が覇を競っていた頃、経済の隆盛に応じて文化も発達したという点では、フィレンツェもヴェネツィアも変わりはない。だが、それぞれの都市の原動力となった経済の様相同様、それぞれの都市が生み出した美術には、かなりの違いがあると言ってもよい。フィレンツェの華麗さに比してヴェネツィアの場合は、色合いは少しくすみ、楽天性も少ないが、時に凄まじい劇性を持っていると言ってしまってもよいのではないか。

いわゆるヴェネツィア・ルネサンスの画家として歴史上最初に出てくる一派は、ベッリーニ家である。ヴェネツィア派の創始者といわれるヤーコポ・ベッリーニと、その息子たち(近年では諸説あるようだが、一般にはそう理解されている)、ジェンティーレ・ベッリーニとジョヴァンニ・ベッリーニらがそれだ。この展覧会も、ジョヴァンニ・ベッリーニ(1424/28? - 1516)の作品から始まる。聖母子(1485-90年作)である。
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制作年を調べると、フィレンツェではちょうどボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やダ・ヴィンチの「岩窟の聖母」「最後の晩餐」の頃ということになる (ラファエロやミケランジェロは未だ子供である)。それらフィレンツェ絵画の人間性や明るい色彩に比べると、やや地味な印象はぬぐえないが、それでもこの母と子の深い感情をたたえた表情はどうだ。全体に静けさが支配している。そして、少し毛色は異なるが、このような作品にも同様の静けさが見られる。
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その生涯については判明していないことが多い、だがヴェネツィアに大きな工房を持っていたと考えられているラッザロ・バスティアーニという画家の「聖ヒエロニムスの葬儀」(1470-80年)。面白いのは、線の硬さに現代性を感じることができることで、特に、真ん中の修道士たちのマンガ的な顔は印象に残る。
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この硬い線と、抑制されながらある意味で装飾的な色使いには、どこかに見覚えがある。そうだ、私の大好きな画家で、世界の美術館でその作品を見てはいつも狂喜乱舞している、カルロ・クリヴェッリ(1430/35頃 - 1495)である。彼はヴェネツィア出身ではあるが、姦通の罪で同地を追放されたという。なるほど、怪しい美しさを放つ彼の作風は、同時代のヴェネツィアがはらんでいた何かから来ているわけか。これは「聖セバスティアヌス」と「福者ヤコポ・デッラ・マルカ」(1480-90年)。クリヴェッリらしい静謐で神秘的な絵だ。
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クリヴェッリは日本ではさほど知られた画家ではなく、関連書籍も多くないが、私の手元にはトレヴィルの画集(このシリーズの高い趣味性には本当に心躍るものがあった)と、石井 曉子という研究者の著した評伝がある。前者は既に絶版になっているのかもしれないが、中古市場ではそれほど高くない値段で手に入る。ただ美しいだけのルネサンス絵画に飽き足らない方には、強烈にお薦めしておこう。尚、この画集の表紙に使われているクリヴェッリの作品、創元推理文庫に入っているサラ・ウォーターズのミステリー小説「半身」の表紙にも使われている。
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さて、展覧会に戻ろう。これはヴィットーレ・カルパッチョ(1460頃 - 1526)の手になる「聖母マリアのエリザベト訪問」(1504-08年作)。カルパッチョといえば、「聖ウルズラの生涯」の連作が有名で、このヴェネツィアのアカデミア美術館の至宝とされている。この作品はそれに比べると面白みを欠くが、注目したいのはこの赤だ。生の肉や魚を薄切りにしたカルパッチョという料理は、この画家の赤に因んで名づけられたそうである。なるほど。
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展覧会にはその他いくつかの15世紀末頃の宗教画が並んでいるが、正直なところ、フィレンツェの絵画ほどの躍動感はない。だがこの街独特のくすんだ色合いの絵画の全盛期は16世紀に入ってから訪れる。ジョルジョーネ(1477/78頃 - 1510)、ティツィアーノ(1488/90頃 - 1576)、そしてヤコポ・バッサーノ(1515頃 - 1592)、ヤコポ・ティントレット(1519-1594)、パウロ・ヴェロネーゼ(1528-1588)らの輩出によるものだ。これはボニファーチョ・ヴェロネーゼ(1487頃 - 1553、パウロ・ヴェロネーゼとは別人)の「嬰児虐殺」(1537年頃作)。ここでは色彩は鮮やかで、激しい動きはルネサンスというよりもマニエリスム風だが、人体を誇張して長く伸ばすという手法は取っていない。
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これも同じ画家の晩年の作、「父なる神のサン・マルコ広場への顕現」(1543-53年作)。今も全く変わらない聖マルコ寺院と鐘楼の姿が描かれているが、カナレットらによってヴェネツィアの風景が盛んに描かれたのは18世紀のことで、これはそれに200年も先立つ貴重な例であるとのこと。
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この展覧会にはジョルジョーネの作品は展示されていないが、彼の「テンペスタ」は、謎めいた風景画として、やはりアカデミア美術館の至宝となっている。その代わりと言うべきか、ヴェネツィア絵画黄金期を築いたもうひとりの雄、ティツィアーノ・ヴェチェッリオと彼の工房による作品が3点、展示されている。これは「聖母子」(1560年頃作)。深い感情をたたえた素晴らしい作品だ。
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そして今回の展覧会の目玉である「受胎告知」(1563-65年作)。これはアカデミア美術館の所有ではなく、ヴェネツィアのサン・サルヴァドール聖堂というところに飾られている祭壇画である。幅240cm、高さ410cmの大作で、ティツィアーノ晩年の傑作だ。
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現役の教会の祭壇画が日本まで運ばれてくるというのは珍しく、その経緯についての説明はないが、恐らくは修復のために祭壇から降ろしたというような事情でもあったものだろうか。ただ、会場ではライティングがあまりよくなく、反射で画面がよく見えないもどかしさがあった。大阪での展示ではその点が改善されているとよいのだが。こうして見ると、素晴らしい劇性が表現されているのが分かる。
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次の巨匠は、ティントレットである。本名はヤコポ・ロブステイといい、この通称は、父親が染色職人(ティントーレ)であったことに由来するとのこと。このティントレット、ヴェネツィアの政治の中心、パラッツォ・ドゥカーレの大壁画「天国」や、サン・ロッコ同信会館の天井画など、劇的で壮大な作品で知られる。この展覧会で展示されている「聖母被昇天」(1550年頃作)も、複雑な空間構成を見事にまとめた素晴らしい作品。
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私はこの画家が好きなので、えこひいきであと2枚ご紹介する。「動物の創造」と、「アベルを殺害するカイン」(ともに1550-53年頃作)。創世記に材を取った連作である。うーん、ヴェネツィアらしい影のある色彩ながら、そのドラマ性には胸躍るものがある。
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ちなみにここでも、上のクリヴェッリ同様、トレヴィルの画集シリーズで以前出ていたティントレットの巻をご紹介する。内容は、上にも言及した、サン・ロッコ同信会館の壮絶な天井画である。現地に行ってみると、天井を見上げてばかりいると首が疲れるので、鏡で天井画を見ることができるようになっていたと記憶する。
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次にパオロ・ヴェロネーゼの作品をご紹介する。「レパントの海戦の寓意」(1572-73年頃)。史上有名なレパントの海戦は、1571年、オスマン・トルコをローマ教皇・スペイン・ヴェネツィア連合軍が破った戦いで、その後ヨーロッパのキリスト教国が地中海の制海権を奪回するきっかけとなったとされるものである。この作品は海戦の勝利を記念して教会に寄進されたものらしいが、制作年を見ると、まさに海戦の勝利直後ということになる。その時代、ヨーロッパ側がいかにこの勝利を喜んだかということが分かる。細部もまた、非常に手の込んだリアリティが追求されている。
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尚、またまた余談であるが、先日仕事でバルセロナを訪れた際、海洋博物館というところでレセプションが開かれたのだが、その博物館には、このレパントの海戦でスペインが使用したという戦艦の実物大模型が展示されていた。やはり今でもこの海戦はヨーロッパ人にとって大きな意味を持つものなのだと実感した次第。
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さて、得意の寄り道はこのくらいにして(笑)、先を急ごう。ヴェロネーゼだが、このような迫力ある戦闘場面だけではなく、宗教的な内面性の表現にも長けている。これは「改悛する聖ヒエロニムス」(1580年頃作)。細部のリアリティは海戦の絵と通じるが、左腕の筋や、握りしめた右手に、聖人の内面がにじみ出ていると思う。
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この作品は、ヤコポ・ティントレットの次男であるドメニコ・ティントレット(1560-1635)の、「キリストの復活」(1580-90年頃作)。父ティントレットより時代が下るだけあって、その表現の多彩さは顕著である。ただ、やはり父の壮大なヴィジョンよりも少し平明なものになっている点は否めまい。
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最後に、ヴェネツィア絵画のひとつの伝統である肖像画を一点ご紹介しよう。これもドメニコ・ティントレットによる「サン・マルコ財務官の肖像」(1600年頃)。人間の内面を感じさせる作品であるが、この都市では、要職に就いた人たちのこのような肖像画が今でも数多く残っており、昔日の栄光を無言で語っている。ゴンドラから響く舟歌を耳に、夥しい死者の群像とともにあるヴェネツィアの歴史に思いを馳せる日を、また近く持ちたいものだと思う。
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ところで、このドメニコ・ティントレットであるが、最近発見されて話題になった、あの天正遣欧使節団の伊東マンショの肖像画の作者でもある。この展覧会に展示されているわけではないが、せっかくなのでその作品の写真も掲載しておこう。私は天正遣欧使節団には多大なる興味を抱いているのだが、今年東京国立博物館でこの絵が展示されたのを見に行くことはできず、その後、宮崎や長崎での展示があったことも知っているが、残念ながら見ることはできていない。いつかどこかで、実物を拝めることを切に希望する。
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そんなわけで、いつも通り寄り道三昧の展覧会案内でした。

by yokohama7474 | 2016-11-03 12:33 | 美術・旅行 | Comments(8)
Commented by desire_san at 2016-11-25 12:27
こんにちたは。
私もヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち展を見てきましたので詳しい鑑賞レポートを読ませていただき、ダリの作品みたときの感動を追体験することができました。ジョヴァンニ・ベッリーニの作品が日本に来るのは初めてではないかと思いますが、「聖母子」の美しさには魅了されました。ティツィアーノの大作「受胎告知」と「聖母子」の美しさにも感激しました。

私も「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち展」を見た感想と魅力等について、10月5日のブログで考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。ダリ展についても本日ブログにレポートいたしましたので、覗いていただけると感謝いたします。コメント、トラックバックは大歓迎でてすので、よろしくお願いいたします。

Commented by yokohama7474 at 2016-11-25 23:35
> desire_sanさん
コメントありがとうございます。ダリとヴェネツィア・ルネサンスが並んでいた東京の美術館は、本当に文化度が高いと思います(笑)。ブログを拝見しましたが、いつもの通り美術への愛が伝わって参りました。また是非お立ち寄り下さい。
Commented by mokonotabibito at 2017-01-14 21:44
はじめまして、旅ライターをしております模糊と申します。
実は、11~12月にドイツ・オランダ・ベルギー方面を旅し、アムステルダム国立美術館でクリヴェッリの「マグダラのマリア」を見まして衝撃を受け、魅せられました。
その経過は、拙ブログの、1月12日のページに書いております。

それから、帰国後、クリヴェッリとヴェネツィア派で、ネット検索してこちらのページに辿り着きました。
とても参考になる内容でしたので、コメントさせていただいた次第です。

私は大阪在住なので、先日、「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展に行って、クリヴェッリの作品も見て、その神秘性に改めて感動しました。
やはり、クリヴェッリのファンでいらっしゃるとのことで、大変うれしく思います。良いですよね、クリヴェッリ!

ジョヴァンニ・ベッリーニの聖母子も良かったです。
また、いろいろと教えてください。

来週後半くらいには、この展覧会の感想を書こうと思っていますので、読んでいただければ幸いです。

それから、こちらのブログをリンクさせていただいて良いでしょうか?

以上、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
Commented by yokohama7474 at 2017-01-14 22:22
> mokonotabibitoさん
コメントありがとうございます。正直なところ私は、クリヴェッリのことを考えるだけで全身の血が逆流するほど興奮致します (笑)。ブログを拝見しましたが、アムスでのご経験は、むべなるかなと思います。本当にすごい画家であると思います。リンクはもちろんどうぞご自由になさって下さい。このブログは、話題があっちに行ったりこっちに行ったりと、まさにラプソディックに気ままに書いているものですが、様々な文化を愛する人たちに、それぞれのご興味に応じてお読み頂ければ幸いだと思っておりますので、また是非お立ち寄り下さい。
Commented by mokonotabibito at 2017-01-15 09:54
拙ブログをお読みいただき、共感いただき、ありがとうございます。
さっそく、リンクもさせていただきました。
今はまだマイナーな画家とはいえ、クリヴェッリが再評価される日も、そう遠くないような気がします。結構、超大好きというファンが多いようですから・・・

あ、そうそう、もうすぐ大阪では、クラーナハ展が開かれます。こちらのブログ記事で予習させていただきました。
私の方も、いずれ記事にしたいと思っています。

クリヴェッリが好きな人は、クラナーハも好きな人が多いようで、私もその一人です。

それから春に森美術館では、クラナーハの『林檎の木の聖母子』が来日するそうですね。この絵は、私がエルミタージュ美術館で実物を見て、感動した絵なので、再会したいものです。
「たびねす」という旅行サイトに関連記事を書くつもりにしています。

以上、どうぞよろしくお願いいたします。
私はクラナーハ
Commented by yokohama7474 at 2017-01-16 00:57
>模糊さん
再度のコメントありがとうございます。いろいろ趣味が合いそうですね(笑)。またブログを拝見致します。今後ともよろしくお願いします。
Commented by desire_san at 2017-03-24 22:19
こんにちは、
私も『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』を見てきましたので、美しい画像と鑑賞レポートを読ませていただき、この美術展で作品を見た感動を再体験することができました。それについては以前鑑賞レポートを書きましたが、今回は現在東京都美術館で開催されている『ティツィアーノとヴェネツィア派展』を見てきました。ティツィアーノの繊細な色彩の諧調と光の表現と色彩感覚に力強さと抑揚が加わり、新しい絵画の可能性を切り開言っていったことを作品から体験できて良かったと思います。『フローラ』では、つややかな肌の質感が、柔らかい光に照らされて浮かび上がってくる美しさに感激しました。

私もこの美術展を見て、代表的な作品の魅力とヴェネツィア派絵画とフィレンツェやローマのイタリアルネサンスとの違いを考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。内容に対してご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。
Commented by yokohama7474 at 2017-03-26 22:02
> desire_sanさん
コメントありがとうございます。私も東京都美術館でのティツィアーノとヴェネツィア派展を見ましたので、追って記事をアップ致します。今後ともよろしくお願い申し上げます。
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