シモーネ・ヤング指揮 東京交響楽団 (チェロ : アリサ・ワイラースタイン) 2016年11月3日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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東京交響楽団(通称「東響」)は、今年楽団創立70周年を迎え、先頃ヨーロッパ5都市での演奏旅行を音楽監督ジョナサン・ノットのもとで成功裏に終了した。楽団のSNSで各地の模様を見ることができ、それぞれに非常な盛況であった様子が伺える。楽員の方々にとっても、より一層励みになったことであろう。お疲れ様です。これはウィーンの楽友協会でのリハーサルの様子。
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その欧州楽旅から戻った東響が最初の演奏会で指揮を委ねるのはこの人、シモーネ・ヤングである。
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人類には(主として?)二種類あって、それぞれ男性と女性と呼ばれる。ヤングはその分類では、実は後者に属する人。そんなことは見れば分かるとお思いかもしれないが(笑)、私がここで揶揄しているのは、以下のようなことだ。つまり、音楽家の中で、歌手はもちろん、ピアニストやヴァイオリニストでも、女性演奏家は数多い。だが指揮者に限ってみると、未だに女性の数は非常に少ないのが現状だ。指揮者が自分では音を出さない音楽家であればこそ、別に物理的な力においてハンディのある女性でもこなせそうなものだが、実態はその逆なのである。これは一体どういうわけか。ここでその考察を始めるときりがないのでやめておくが、事実として、指揮界においては女性の進出は者は未だに課題だということは言える。だが日本には優秀な女性指揮者が何人もいるし、世界的に見ても、片手くらいは信頼できそうな女性指揮者の名を挙げることができる。その中でも、世間一般の評価において、このシモーネ・ヤングこそが世界最高の女性指揮者と見做されていることは、ほぼ確実と言えるだろう。なにせ、名門ハンブルク州立歌劇場とその専属オーケストラであるハンブルク・フィルの音楽監督を去年まで10年間務めていたのだ(後任はケント・ナガノ)。また、これまでにベルリン・フィルとウィーン・フィル双方の指揮台に立っており、これは女性指揮者としては恐らく唯一の例ではないだろうか。1961年、オーストラリア生まれの55歳(女性に対して年齢は失礼という考えはやめておこう。指揮者にとって年齢や経験は、ある場合には有用な情報になる)。経歴を見ると、コンクールでの優勝歴は見当たらず、主としてオペラハウスでたたき上げのキャリアを築いて来た人のようである。これまで日本ではNHK交響楽団を指揮したことはあるようだが、東響とは初共演ではないだろうか。曲目は以下の通り。
 ドヴォルザーク : チェロ協奏曲ロ短調作品104 (チェロ : アリサ・ワイラースタイン)
 ブラームス : 交響曲第4番ホ短調作品98

うわぁ、これ、秋にぴったりの組み合わせですねぇ。もっとも、既に11月に入り、最近は寒くなってきたとはいえ、この日の気候はかなりよい天気で、会場のミューザ川崎では、Tシャツ1枚で来ている人の姿も見られ、錦秋というイメージのこれらの曲も、あまりこの季節にふさわしいという感じではなくなってしまっている。余談だが、私は日本人の美意識を育んだのは、明確な四季(これがある国は意外と多くないのだ)であると思っているのだが、最近、秋が存在していないように感じることがあり、我々の美意識も変容を余儀なくされるのでは、と思うことがある。と嘆いていると、おっと、リハーサルを指揮するヤングも、半袖である(笑)。
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ともあれ、最初のドヴォルザークである。これはチェロ協奏曲としては音楽史上最も有名な曲で、ドラマティックでかつロマンティック、どこか郷愁をそそるメロディは、万人に愛される要素を持っている。ソロを務めるのは米国人のアリサ・ワイラースタイン。
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ええっと、彼女も人類の分類でいうと、女性ということになろう(笑)。ダニエル・バレンボイムの秘蔵っ子などというコピーで最近宣伝されているが、うーん、それが本人にとってよいコピーなのかどうか。私は2001年に初めて彼女の生演奏を聴いているが、そのときは未だコロンビア大学で学びながら、ジュリアード音楽院でも教師についている(同時にできるのか否か分からないが、当時のプログラムにそう書いてある)、弱冠19歳の若者であったのだ。この時彼女が弾いたのは、エルガーの協奏曲で、伴奏はやはり東響、指揮は当時の音楽監督、秋山和慶であった。
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その後2010年にバレンボイムとベルリン・フィルの伴奏でもエルガーを演奏(私は、確かオックスフォードでのいわゆる「ヨーロッパ・コンサート」の演奏が放送されたのを見た記憶がある)。2014年に同じバレンボイム指揮で同曲を録音、それが彼女の名声を高めた模様。ここでも余談だが、バレンボイムが伴奏するエルガーのチェロ協奏曲と言えば、昔の彼の夫人であり、難病で若くして世を去った不世出のチェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレのことを連想しないわけにはいかない。そうなると、ワイラースタインはデュ・プレの再来かということになる。久しぶりにこのワイラースタインを聴いて、確かに情感豊かな素晴らしい演奏だとは思った。だが、申し訳ないが、まだ何かが欠けているような気がして仕方がない。情感表現はよいのだが、力強さには物足りないものを感じたと申し上げておこう。28歳の若さで引退したデュ・プレは、今聴いても異常なほどの集中力を持った演奏の数々を残していて、それはちょっとほかに例のないほどのものだ。ワイラースタインは既にその年を越えてしまっているが、演奏家とは年とともに変貌するもの。彼女の場合、キャリアを築いて行くのはまだまだこれからではないかと思う。一方でこのドヴォルザークの協奏曲でのヤングと東響の伴奏は、それはそれは丁寧なもの。特に最近好調である東響の木管の表現力は、演奏全体をきりっと引き締めていた。ワイラースタインは、チェロのアンコールの定番である、バッハの無伴奏組曲第3番のサラバンドを弾いたが、これは内省的なしみじみとした演奏で、秋の雰囲気をたたえたコンサートにはぴったりの選曲ではあった。

そして後半のブラームス。ヤングが音楽監督を務めたハンブルクは、この作曲家の生誕地。私も一度だけ出張で行ったことがあるが、確かにどんよりとした気候の港町だ。この作曲家独特の重厚さを、そのハンブルクで活躍した指揮者がどのように表現するか、誠に楽しみであったのだが、なかなかに充実した演奏になった。驚いたのは、これは実はドヴォルザークでもそうだったのだが、情感が高まるとどんどんテンポを上げるという、最近珍しいタイプの指揮者であるということ。このブラームスの第1楽章大詰めでは、フルトヴェングラーかと思うくらい、急速にテンポを上げた後にまたブレーキをかけて大見得を切る。そのストレートな表現意欲には圧倒的なものを感じた。また、このブログでも過去に書いたことがあると思うが、ブラームスの交響曲はどれも、最高の音質で一貫しないと素晴らしく響かない難物なのであるが、今の東響は、完璧とは言わないが、かなりいいところまで行っていると思う。何度も、「お、これは美しい」「音が深い」「先へ進む力がある」と思わせてくれたものだ。ヤングの指揮は一貫して自由な感性を発揮したもので、第2楽章は冒頭のホルンとその直後の木管合奏の比重が同じで、過度の感傷が避けられていたし、第3楽章はかなりの急速で駆け抜ると思うと、第4楽章の冒頭の荘重さは目を見張るものであった。曲が進むほど弦楽器も練れて来て、最後は全員懸命の貢献によって音楽は天に昇って行ったのである。なるほど、この指揮者は個性的で面白いし、女性だの男性だのということは、音楽を聴く上では全く関係ないことを改めて実感した。今回は未だオケと指揮者の間に隙間のある点があるように思ったが、共演を重ねれば、また新たな名演を聴くことができるのではないか。

このヤングと東響、この曲目であと2回の演奏会をこなした後、大仕事に入る。東京二期会の上演で、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」である。先にウィーン国立歌劇場の来日公演をご紹介したが、このヤングと東響が一体どこまで肉薄できるか、今から楽しみである。あ、そうだ。今回の曲目は秋のイメージと言ったが、今回演奏された両曲の共通点は、打楽器が、ティンパニ以外にはトライアングルしか使われていなかったこと。シュトラウスのオペラではその点、小編成とはいえ、さらに多彩な音響を聴くことができるので楽しみだ。もちろんトライアングルも、いいんですけどね(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-11-04 00:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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