ウィーン国立歌劇場来日公演 モーツァルト : 歌劇「フィガロの結婚」(指揮 : リッカルド・ムーティ / 演出 : ジャン=ピエール・ポネル) 2016年11月10日 神奈川県民ホール

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= 頂いたコメントを受けて、若干改訂しています。=

現在9度目の来日公演中の世界最高峰のオペラハウス、ウィーン国立歌劇場は、先にご紹介したリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」のあと、11月に入ってからは6日(日)と9日(水)にワーグナーの「ワルキューレ」を上野の東京文化会館で上演し、そして10日(木)には会場を横浜の神奈川県民ホールに移して、モーツァルトの名作「フィガロの結婚」の初回上演を行った。この作品は1786年にウィーンのブルク劇場(現在も同名の劇場は存在するし、若き日のクリムトの壁画などもあるが、演劇専門劇場になっている)で初演されたもの。当時この作品が初めて大人気を得たのはプラハでの上演であった(それが続く「ドン・ジョヴァンニ」初演につながる)とはいえ、ウィーンの歌劇場にとってはまさに看板に当たる曲目。指揮を執るのは現代指揮界のこれまた最高峰、今年75歳になるイタリアの巨匠リッカルド・ムーティである。
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この上演、どこから話を始めようか。ウィーン国立歌劇場の過去の「フィガロ」の上演についての記述からにしようか。手元で分かる限り、このオペラハウスの来日公演でこの作品が演奏されるのは今回が実に6回目。9回の来日で6回だから、来日機会の2/3はこのオペラを演奏していることになる。これまで演奏されたのは、以下のようなプロダクションだ。
 1980年 カール・ベーム、ハイリヒ・ホルライザー指揮、ヘルゲ・トーマ演出
 1986年 シルヴィオ・ヴァルヴィーゾ指揮 ウォルフガンク・ウェーバー演出
 1994年 クラウディオ・アバド指揮 ジョナサン・ミラー演出
 2004年 小澤征爾指揮 ジャン=ピエール・ポネル演出
 2012年 ペーター・シュナイダー指揮 ジャン=ピエール・ポネル演出
 2016年 リッカルド・ムーティ指揮 ジャン=ピエール・ポネル演出

なるほど。今回は2004年、2012年に続くポネル演出の舞台ということだ。同じオペラハウスが数年ごとに違うプロダクションを制作することはさほど驚かないものの、それにしても、途中3つの違う演出のあと、古いポネルの演出を連続して上演するというのは興味深い。それだけ人気のあるプロダクションということだろう。また面白いことに、この演出家ポネルは、このオペラハウスの1980年の初来日時に指揮を取った当時のオーストリアの人間国宝的存在、カール・ベームが、その4年前の1976年にウィーン・フィルを指揮して演奏した映画版の「フィガロ」における演出を担当しているのだ。帰宅してから手元で映像を確認してみたところ、映画版なので少しアレンジはあるが、基本的に今回の舞台と同じ演出だ。もし現在ウィーンでこのオペラを見ると、どの演出が採用されているのだろうか。あるいは複数の演出が入れ替わりで上演されているようなこともあるのであろうか。尚、1980年の上演においても、ポネルは衣装担当に名を連ねている。

演出家ジャン=ピエール・ポネルは、上記の通り40年前に既に大活躍していた人で、今となっては懐かしい名前である。1932年生まれのフランス人で、1988年に亡くなっている。私がオペラなるものに接するようになった1980年代半ばは、まさに彼の活動の全盛期であって、天才演出家としての名前を欲しいままにしていた。アーノンクールと組んだモンテヴェルディや、バイロイトでのバレンボイム指揮の「トリスタン」の素晴らしさは当時耳にしたし、私自身がザルツブルクやウィーンで実演に接した彼の演出は、過激な内容のシェーンベルクの「モーゼとアロン」や、抱腹絶倒の「アルジェのイタリア女」であった。ドミンゴらが出演したドキュメンタリーも面白かった。そんな、いわば伝説の天才の舞台を今日本で見ることができるとは、嬉しい驚きである。
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だがその一方で、これはオペラにとってよいことなのか悪いことなのか、少し考えてしまう面もある。オペラという特殊な芸術が生き残って行くためには、古いものを大事にしているより、常に演劇面で最新のものを取り込む必要があるのではないか。それとも、質の高い演出は、これから先まだ何十年も、あるいは百年も上演され続けて行くのであろうか。こんなことを書いているのは、この演出が時代遅れだからではない。実際にはその正反対で、大変に面白く、作品の意図を素晴らしく舞台化していると高く評価されるのだ。この「フィガロ」というオペラは大変にポピュラーではあるのだが、実は小ネタが満載で結構複雑な作品なのである。それはストーリーの展開においてもそうだし、登場人物の歌う内容にも、あれこれ細かい心理的ニュアンスが込められていて、それらをつぶさに舞台で表現することは相当困難なことだと思う。それをこのポネル演出は細部に至るまで見事に描き切っているのだ。今回指揮を執ったムーティはもともと、オペラにおける主役は指揮者であるという明確な信念の持主で、歌手の横暴を毛嫌いする人であるが、同時に演出に関しても厳しい目を持っているに違いない。このポネル版の「フィガロ」、ウィーンで現在舞台にかかることがあるのかのか否かは分からないが、ムーティも納得の演出なのであろうと思う。これはポネル版の映画から、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウのアルマヴィーヴァ伯爵とミレッラ・フレーニのスザンナ(す、すごい組み合わせだ!!)。
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そのような優れた演出に恵まれた今回の公演、音楽面での成果を一言で感想を述べるならば、さすがムーティの統率力ということになろうか。実は冒頭の序曲と、最初のシーンでのフィガロとスザンナのやりとりくらいまでは、絶妙な演奏というところまでには至っておらず、少し不安であったのだが、曲が進むにつれて充実感が増して行き、客席の高揚感も上がっていたのである。「もう飛ぶまいぞこの蝶々」「恋とはどんなものかしら」といった有名アリアの伴奏で、ムーティの指揮は生き物のように柔軟に歌手の声を包むかと思うと、ある場合には低弦が、またあるときにはファゴットが、素晴らしい自発性を発揮して舞台自体をリードした。伯爵夫人の2つのアリアは非常に美しくまた深いものであるが、ここでのムーティの伴奏は実に念の入った鳴り方をしており、これまでに接したこの作品の数々の実演においてもちょっとないほどの充実したオーケストラパートの響きであったと思う。私にとってのムーティは、以前の記事にも書いた通りだが、「若獅子」などというキャッチフレーズで華々しく登場してきた40歳前後の頃の華やかな印象が未だに鮮やかなのであるが、これまでミラノやローマのオペラハウスとの来日で聴くことのできたイタリアオペラの数々とは異なる、このような古典的レパートリーにおける充実の指揮ぶりに、改めて75歳という円熟の年齢を感じることとなった。

歌手陣も、総じて優れた出来だったとは思うが、いわゆる名の知れた歌手といえば、アルマヴィーヴァ伯爵を歌ったイルデブラント・ダルカンジェロくらいか。彼は昨年の英国ロイヤル・オペラの来日公演で、同じモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の主役を歌っていた。
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その他、フィガロ役のアレッサンドロ・ルオンゴ、スザンナ役のローザ・フェオーラ、ケルビーノ役のマルガリータ・グリシュコヴァ(昨年のザルツブルク音楽祭でのダン・エッティンガー指揮ウィーン・フィルの「フィガロ」でも同じ役を歌っている)、いずれも若い歌手で見た目もよく、歌唱も安定していて素晴らしい。
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・・・だが。だがである。上に書いたベームの映画版においては、フィッシャー=ディースカウとフレーニに加えて、ヘルマン・プライやキリ・テ・カナワという綺羅星のごとき面々が出演しており、それに比べると、いかんせん今回の歌手たちは小粒であることは否めない。またさらに遡って、この曲の名盤の誉れ高いエーリヒ・クライバー指揮のウィーン・フィルのディスクにおける、リーザ・デラ・カーザやヒルデ・ギューデン、チェーザレ・シエピといった伝説のアンサンブルを考えると、現代の歌手陣は皆、おしなべてお利口さんのような気もして来てしまうのである。オペラの大詰めで、「狂乱の一日」が終わって徐々に朝の光が差してくるという細かい演出に感心しながらも、圧倒的なスター歌手を懐かしいと思う気持ちを抑えることができなかったのもまた、事実である。

ひとつ付記しておきたいのは、この演奏の第4幕で、これまで接した演奏では聴いた記憶がない曲が2曲あった。ひとつはこの幕の冒頭近く、親子と分かったフィガロとマルチェリーナのやりとりの後にマルチェリーナが歌う「牝山羊と牡山羊は決して喧嘩なんてしません」というアリア。もうひとつは、フィガロが仲間たちに「口笛を吹いたら集まって下さい」と言ったあと、バジーリオとバルトロがその場に残って会話し、その後バジーリオが危機管理について(?)歌うアリアだ。早速帰宅して、音楽之友社のオペラ対訳シリーズ(昭和38年第1刷発行)を開いてみると、あ、ちゃんと歌詞として載っている(それぞれ第24曲と第25曲)。なので、最近の研究で追加されたわけではなく、古くから作品の一部に認定されている箇所なのである。そこで興味を持って調べてみると、上記のベームの映画版や、昨年のザルツブルクでのエッティンガー指揮の上演では両曲ともカットされている。慣習的なカットなのであろう。一方、2014年にアーノンクールがアン・デア・ウィーン劇場で演奏した際の映像では、両曲とも含まれている。ということは、原典主義の指揮者の場合はこれらの曲をカットせずに演奏するのであろう。そう思って上述のエーリヒ・クライバーの昔の録音(1955年)を調べると、そんなに古い録音なのできっとカットしているだろうとの予想に反し、両曲とも演奏されている!!こういうところからもそれぞれの指揮者の美学が分かるのであるが、ある意味で極端な原典主義者とも言えるムーティがこれらの曲をカットせずに演奏しているのは当然であろうとも思われる。偉大なる父クライバーの録音のジャケットはこれだ。
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さて、これまで何度もこのオペラを見てきたにも関わらず、今回改めて思ったことは、本当によくできた作品であるということである。フランス人のボーマルシェの原作、イタリア人のダ・ポンテの脚本、オーストリア人のモーツァルトの作曲、そして舞台はスペインと、この作品の出自はヨーロッパ各地にあるわけであるが、初演は1786年、つまりヨーロッパを震撼させ、新たな時代に入るきっかけとなったフランス革命の、たった3年前だ。原作よりはオペラの方が貴族制への批判が和らげられているそうだが、それでもなかなかに刺激的な内容だ。なので、その刺激を嫌がるムードは当時あったに違いない。だがそのような作品が時代を超えて今日まで残ったのは、やはりなんといってもモーツァルトの音楽の素晴らしさであろう。実際ここでモーツァルトは、登場人物たちそれぞれの人間性を巧まずして表現しているのみならず、絶えず流れて行く音楽の中に、聴衆の感情の深いところに訴えかけるものを散りばめている。いわば、時代の制約を振りほどこうとする表現力が横溢していると言えるのではないか。例えば第4幕冒頭でバルバリーナがピンを探している場面の音楽に、私はいつも、遥か後年のチャイコフスキーを想起させるほどの抒情性を感じる。この音楽は貴族の娯楽のために書かれてはいない。激動の時代の中で、音楽の持つ表現力をひたすら追求したモーツァルトは、その短い生涯において本当に恐ろしいほどの熱意をもってその才能を昇華させたのだなと、改めて思ったものである。曲の本当の意義を認識させるのが音楽家の本懐であろうから、ムーティは今回、そのような次元に達した音楽家であることを見事に証明して見せたのであった。2019年には手兵シカゴ交響楽団と来日してオハコのヴェルディのレクイエムを演奏することが発表されているが、それ以外の機会にも、是非日本でその円熟の音楽を聴かせてほしいものだ。
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by yokohama7474 | 2016-11-11 00:51 | 音楽 (Live) | Comments(2)
Commented by 今里雄 at 2016-11-12 01:58 x
「フィガロの結婚」は12年ぶりなんかじゃないですよ。
前回 2012年にもペーター・シュナイダー指揮で上演しています。
会場は今回と同じ神奈川県民ホールでした。
貴方様も聴きに行かれているのではないかと思ってしまいますが、、、。

それから1980年の時は指揮者が二人体制でカール・ベーム指揮が4回で、その他はハインリヒ・ホルライザー指揮での上演でした。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-12 09:08
> 今里雄さん
毎度コメントありがとうございます。2012年の来日公演のプログラムを取り出してみると、確かにそうですね。私は聴いていませんが、同じポネル演出版がシュナイダーの指揮で上演されていました。失礼しました。1980年のホルライザーの指揮と合わせ、本文を訂正します。またお立ち寄り下さい!!
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