鈴木其一 江戸琳派の旗手 サントリー美術館

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もう恒例になっているような気もするが、まず最初にお断りしておく。私がこれから採り上げるこの展覧会、東京での会期は既に終了してしまっている。だが、この素晴らしい展覧会をどうしても見たいという方は、12月15日までなら姫路で見ることができ、年明けになれば京都の細見美術館で見ることができるのだ。なかなかタイムリーに記事をアップできないことは私としても忸怩たる思いなのだが、せめてこの展覧会の意義をこの記事で広く訴えたいと考える次第。

そもそも家人から、「キイツの展覧会やってるよ」と聞いたとき、私の頭に浮かんだのは、25歳で世を去った英国ロマン派の夭折の詩人、ジョン・キーツ(1795-1821)であった。ロンドンではハムステッドにある彼の旧居に行ったこともある。彼の詩集も今手元にあるが、「エンディミオン」という作品の冒頭、"A thing of beauty is a joy for ever." (美しきものはとこしえに歓びである)に心震える思いである。だが、そんな私の妄想を打ち砕く家人の声。「琳派だよね」・・・むむむ、キーツはリンパ炎で亡くなったのだろうか・・・などとあらぬことを考えているうちに気付いたのだ。おお、これは琳派の鈴木其一(すずき きいつ)の展覧会だったのだ。

そのような私の思いをギャグだと思われる方には、以下の事実を申し上げよう。詩人キーツの生年は上記の通り1795年だが、江戸琳派を酒井抱一とともに代表する鈴木其一の生年は1796年(没年は幕末の1858年)。なんと、西洋のキーツと東洋のキイツは、1歳違いの、ほぼ同い年なのだ。事実は小説より奇なり。夭折の天才キーツの死後まもなく描かれた肖像画はこれだ。
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一方で日本のキイツの方は肖像画は残っていないようである。だが、きっと彼も「美しきものはとこしえに歓びである」とつぶやいたことがあったかもしれない。そのような其一を生んだ環境と、近代性溢れる彼の作品を見て行くこととしよう。まずおさらいであるが、琳派とは、江戸初期に京都で活躍した尾形光琳、乾山兄弟と、それに先立つこと恐らく百年くらい(限定できないのは生没年不詳であるからだが)前に活躍した俵屋宗達に代表される美学のことで、光琳よりもさらに百年くらい後に活躍した抱一、其一師弟の活躍の舞台は江戸であった。ゆえに、この抱一、其一ら一派のことを江戸琳派と呼んでいるのである。展覧会は、其一の師匠であった抱一の作品から始まる。
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これは抱一の「桜に小禽図」(右)と「雪中檜に小禽図」(左)。なんともきっちりした絵ではないか。右の絵では木の幹がぼやっとしていて、花曇りの感じが出ているのに対して、左の絵では木の輪郭がきりっとしていて、雪の中の空気感まで描かれている。こんな素晴らしい作品を残した師匠の肖像を、其一が残している。酒井抱一は姫路藩主の家柄で(あ、だからこの展覧会は今姫路で開かれているのか!!)、なかなかに高貴な血の人なのであるが、この肖像を見るとまるで商人のような佇まいである。
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この作品はその師弟が共演したもの。つまり、其一が絵を描き、抱一が賛(上部の書き込み)をした「有掛絵ふ字尽くし図(うけえふじずくしず)」(1822年、つまり英国でキーツが天に召された翌年だ)。有掛(うけ)とは、十二年ごとに巡ってくる幸運な時期のことで、誰かが有掛に入るときには「ふ」の字のつくものを七種類贈る習慣があったらしい。ここでは、富士、湖面の逆さ富士、船、「ふ」の字をなした鳥三羽、船人で七つだそうだ。なんとも粋ではないですか。
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それから、これも面白い。抱一と其一のほか、谷文晁や渡辺崋山ら、合計72名の絵師や書家の作品を集めた、文政三年諸家寄合描図(1820年)。当時の文化人の間を回覧して作成されたものらしく、一説には抱一の還暦祝いとも言われている。其一は真ん中左の蟹を描いている。当時の文化度の高さを思い知らされる作品だが、この中には抱一が吉原から身請けした遊女の漢詩なるものもあるという。うーん、遊女も漢詩を書くことができたとは、やはり文化度が高かったということだろう。
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その他、抱一、其一近辺の画家の作品の展示もあるが、やはりここから先は其一の作品が見たい。その筆致は千変万化の鮮やかなもので、驚くべき作品に出会うことができる。まずこの「雪月花三美人図」のうちの一幅においては、手堅い美人画の手腕を発揮している。
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この活き活きとした群像図は、吉原大門図。この粋な遊びも文化ですなぁ。本当に楽しそうだ。
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そして、見る人誰もが圧倒されるに違いない、根津美術館所蔵の「夏秋渓流図屏風」。色使いが異常なまでに鮮やかである上、いかにも琳派を継承する様式的な川の流れは、実に大胆だ。
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大胆な構図は、とても江戸時代のものとは思われない近代性をまとっている。いつまでもその前に佇んで眺めていたい逸品だ。
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そして、琳派と言えば風神・雷神。其一もそれを描いているが、雲の描き方が奔放で、伝統に新たな息吹を与えることを自負しているかのような描き方ではないか。見ていて楽しくなってくる。
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かと思うとこの「松島図小襖」の、様式化された波の模様も素晴らしい。これぞまさに琳派的装飾性であろう。
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これも装飾性が高いと言ってもよいだろうが、毛色が全く違う。乾山描くところの茶碗の模様のようではないか。「芒野図屏風」である。装飾的でいて、漂う霧の雰囲気がリアルに出てもいる。
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其一の作品にはまた、若冲かと見紛うばかりの精緻な動植物も多い。この「蔬菜群虫図」に描かれた、動きさえ感じさせる蔓は、西洋画を思わせる。
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もちろんなんでもできる其一のことだから、当然水墨画も描いている。この「昇龍図」は、力強くもまたユーモラス。垂直に登る龍をこんな風に背中から描いた画家は、ほかにいないのではないか。
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そしてこれは、メトロポリタン美術館が所蔵する其一の代表作のひとつ、「朝顔図屏風」。ほんの一部分の写真だが、双幅の屏風全体を並べてみると、風神・雷神の構図を模倣しているとも言われる理由が分かる。それだけ生命力に満ち、動きさえ感じさせる朝顔なのだ。
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これは「林檎図」。この写実性にはなんとも気品があり、花も実も、いやみにならない範囲での存在感をたたえている。これも近代的だ。
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この「雪中竹梅小禽図」は、積もった雪の重さまでリアル感じさせる一方で、自らの重みに耐えかね地面に落ちる雪は様式化されており、美しい。
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これも面白いのだが、集まった人々の非日常的な瞬間が活き活きと伝わってくる。「大原雑魚寝図」と題されており、節分の夜、京都・大原の江文(えふみ)神社で行われた雑魚寝の風習を描いたもの。いわゆる無礼講であるようで、真ん中の若者は、あろうことか、男性、女性、双方から誘惑されて困っているようだ(笑)。
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これはまたユニークな美の表現。「富士千鳥筑波白鷺図屏風」から富士山の方(もうひとつは筑波山を描いている)。うーん。近代の日本画のようではないか。モダンな感覚に痺れる思いだ。
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この「達磨図凧」は、江戸時代の凧がそのまま残っている貴重な例であるらしく、糸も残っているので実際に使われていたらしい。其一は仏画もよくしたが、この太い線で描かれた達磨の絵には、繊細さと力強さが同居しているように思う。消耗品の凧にまで貪欲に活動範囲を広げた其一の制作意欲には恐れ入る。
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かと思うと、神社に奉納された絵馬もある。これは、「神功皇后図絵馬」(1845年)。埼玉県行田市(私も訪れ、今年の6月26日に記事を書いた)の行田八幡神社に奉納されたもので、1989年まで実際に拝殿に掲げられていたものらしい。絵馬なので多少荒い作風になるのは致し方ないが、背景の波の様子など、いかにも琳派の継承者であると思わせる。
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ご紹介した以外にもまだまだ沢山の素晴らしい作品が展示され、思わず唸ってしまう瞬間も多く訪れる。「美しきものはとこしえに歓びである」・・・西洋のキーツの言葉が、日本のキイツの作品には本当にふさわしいと思う。この地上に生きているときには顔を合わせることがなかった同世代の二人が、今やあの世で言葉の壁を乗り越えて話しているのではないかと想像するのも楽しいものだ。鈴木其一、江戸琳派とまとめてしまうのはもったいない、素晴らしい手腕を持った画家であった。

Commented by 吉村 at 2016-11-12 20:36 x
朝顔は、メトロポリタンで観た記憶がなく、多分初めて観たんですが、まるでマチスのダンスの画のようでびっくりしました。動いているようにしか見えないですね。こういう作品が海外に流失したのは残念ですね。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-12 23:12
> 吉村さん
うーん、そうですねぇ。悔しいのですが、世界基準を知ったメトロポリタン美術館の学芸員の審美眼を逃れることができなかったのでしょうか・・・。ほかにも、例えばボストン美術館にある数々の日本美術も、それはまぁ、素晴らしいものですよね。ただ、地上に存在している以上は見る手段があるということで、グローバルな見地で見たいと思います。
Commented by コロコロ at 2017-05-26 08:25 x
はじめまして
鈴木其一展、興味深く拝見しました。キイツと同名の詩人がいた。しかも一つ違い。一つ違いで同時代を生きた人にシーボルトもいて、妙なつながりを感じました。

http://korokoroblog.hatenablog.com/entry/sashiehon-no-tanoshimi-_Natural_history

上記の後半に追記をさせていただきました。
Commented by yokohama7474 at 2017-05-26 22:15
> コロコロさん
コメントありがとうございます。ブログも大変興味深く拝見致しました。まぁ、私の其一とキイツネタは、強引なものですが (笑)、シーボルトになってくると、これは笑いごとではない何かがありますね。私も昨年 11月19日の記事でシーボルトについて書いておりますので、よろしければご覧下さい。脈絡のない文化逍遥を旨とするブログですので、またお気軽にお立ち寄り下さい。
Commented by コロココロ at 2017-05-27 10:09 x
其一が描いた抱一の図。かすかな記憶がよみがえってきました。そういえば、抱一は気品のある人、なのにこれなの? って心のずっと奥の方でかすめていた記憶が・・・

先日、光琳と其一に関する講演会に参加して、其一と抱一の関係について、これまで受けていた印象とは全く違うことを知りました。

5/14のトリビアの記事で、ここでは言及しなかったのですが、「抱一は下手」という講師のお話。あんなに洗練された品のある絵を描いているのに・・・「それは、其一だけでなく弟子たちが優秀で、無名の弟子もいっぱいいて、その人たちが描いていたもの多い。そのためどこまで抱一が描いたものなのかという問題が今、浮上している」そうです。 

個人的には其一は抱一を超えていて、さらには光琳も超えていると思っていました。「抱一は、其一が上であることをわかっていたのでしょうか」 当然、わかっていましたが、しかし手元に置いて自分の絵も描いてもらったり・・・ という駆け引き(?)のようなものがあったらしく。

「なぜ、其一は風神雷神の絵を手伝わなかったのか」そしたらあのような抱一の風神雷神にはならなかったはず・・・・と。そこで思いました。其一はいろいろ思うところを抱えつつも奉公していた。しかしいつかは自分が、師匠だけでなく先達も超える風神雷神を描く! そんなことを思っていたから、なんだかんだ理由をつけて手伝わなかったのでは?(笑)

そういう其一と抱一の関係を考えるとあの抱一像は、抱一の知られざる本質を表しており、2人の関係を表していると思った次第です。以上、あくまで私の推察でした(笑)
Commented by yokohama7474 at 2017-05-28 01:39
> コロココロさん
興味深いご意見ありがとうございます。なるほど、抱一と其一との知られざる緊張関係ですね (笑)。タイムマシンがあれば見てみたいですね。
by yokohama7474 | 2016-11-12 01:28 | 美術・旅行 | Comments(6)