ウィーン国立歌劇場来日公演 ワーグナー : 楽劇「ワルキューレ」(指揮 : アダム・フィッシャー / 演出 : スヴェン=エリック・ベヒトルフ) 2016年11月12日 東京文化会館

e0345320_23154335.jpg
現在来日中のウィーン国立歌劇場、3つの演目のうち2つまでこのブログで採り上げたが、これが最後の演目。とは言っても、3回の公演のうち私が見たのは最後のもの。別項で採り上げた「フィガロの結婚」よりも早く始まっていた演目である。ワーグナーの超大作「ニーゲルングの指環」4部作のうちの2作目、「ワルキューレ」である。この作品、知らぬ者とてない第3幕への前奏曲、「ワルキューレの騎行」だけではなく、極めてドラマティックな音楽の連続であり、「指環」全4作の中でも、世界的に見て最も演奏頻度が高いものであろうと思う。

と言いながら、かつて日本にやってきたオペラハウスにおいては、あの最強のワーグナー指揮者であるダニエル・バレンボイムを擁するベルリン州立歌劇場や、かつて「指環」のツィクルス日本初演を行い、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのクリスティアン・ティーレマンを一時期擁したベルリン・ドイツ・オペラ、そして、ウォルフガンク・サヴァリッシュやズービン・メータを過去の音楽監督に持つバイエルン州立歌劇場が、数々のワーグナー作品を演奏して来た。さてそんな中、もちろんワーグナー作品を中核に持つウィーン国立歌劇場が過去に日本でワーグナーを演奏した記憶は、意外にもそれほど多くない。今、手元で調べがついた限りでは、1986年の「トリスタンとイゾルデ」、1989年の「パルシファル」(いずれも指揮はハインリヒ・ホルライザー) くらいではないか(ほかにご存知の方、教えて下さい。私も「日本オペラ史」という2分冊の本をアマゾンでちょうど注文したばかりで、それが届けばもっと正確な情報を書けるのですが...)。そういう意味では、ウィーンの「指環」を東京にいながらにして聴くことのできる特権に、改めて思い至る。余談ながら、先般新国立劇場でこの作品を指揮したばかりの(私は聴けなかったが)飯守泰次郎も客席に姿を見せていた。

単刀直入に私の感想を一言でまとめると、これだけの高水準のワーグナーを極東の日本で聴くことができるとは、まさに素晴らしいこととしか言いようがない、ということ。この日の演奏の最大の立役者は、私の見るところ、指揮のアダム・フィッシャーだ。1949年生まれのハンガリーの指揮者。2歳年下のイヴァン・フィッシャーも指揮者であり、それぞれに充実した活躍をしている。
e0345320_23484689.jpg
私は寡聞にして彼の指揮ぶりをつぶさに知るものではないが、それでも彼の労作、ハイドンの交響曲全集のCD 33枚組(!!)を持っている。このウィーン国立歌劇場とは長い付き合いのはずだし、70歳を間近に迎えて、指揮者として脂の乗った活動を展開しているようだ。いやそれにしても、これほどとは思わなかった。作曲者であり台本作者でもあるワーグナー自身が「楽劇」と呼んだ一連の作品においては、オーケストラが雄弁に語ることが必然的に求められているが、今回の演奏ほどの出来であれば、作曲者の真意も想像できようというものだ。このオペラの冒頭は、何度聴いても凄まじい嵐の表現なのであるが、いきなりフィッシャーの指揮のもと迸る熱い音。これはきっと楽団員も燃える音楽ではないだろうか。こうして始まった5時間のオペラ体験(休憩を含む)は、本当に忘れがたいものとなったのである。このアダム・フィッシャー、過去にN響を振ったことはあるようではあるが、これまでのところ、あまり日本に来る機会がないように思う。是非日本でオーケストラコンサートも開いて欲しいものだ。

この上演の演出は、先にご紹介したリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」と同じスヴェン=エリック・ベヒトルフである。現在ザルツブルク音楽祭の総監督である彼は、一時期ドイツで流行ったような、衣装や舞台装置を現代や未来に置き換えるようなことはせず、概してオーソドックスに、またシンプルな装置を使って、効率的な舞台を作り出している。音楽の持つ力を邪魔しない演出と言ってよいと思う。何せ、この作品の1幕でジークムントが魔術を持つ剣、ノートゥングを引き抜く場面では、今時珍しいことに、ちゃんと台本通りトネリコの幹に刺さっているのである(笑)。
e0345320_00352679.jpg
e0345320_00392471.jpg
ただ、全体を通して非常にスタティックな舞台であったと思う。多くの演出において激しい動きが見られる「ワルキューレの騎行」のシーンでは、もちろん8人のワルキューレたち(主役の一人であるブリュンヒルデを除く)は慌ただしく舞台を駆け巡るが、背後に置かれた9頭の馬の彫像が、揺るぎない安定感を示していた。
e0345320_00424200.jpg
それから面白かったのは第2幕冒頭で、通常なら天空を駆け巡っているはずのブリュンヒルデが、その後の炎に囲まれる事態の先取りよろしく、上部を平らにした岩の上に横たわっているのである。そして岩の上には、遠目にはよく見えなかったものの、何やら人の顔の仮面のようなものが。これはヴォータンとその妻フリッカ。
e0345320_00465380.jpg
思い返してみると、これは非常に演劇的な演出であったと思う。その演劇性に加え、アダム・フィッシャーの非凡な指揮によって、進行する劇の時々において、様々な登場人物の心理が抉り出されていたのである。歌手陣もそれぞれ熱演であったが、私が最も感心したのは、ヴォータン役のポーランド人歌手、トマス・コニエチュニー。
e0345320_00520772.jpg
この作品におけるヴォータンは、本当に長丁場をこなす必要のある大変な役なのであるが、彼はその出番のところどころで、極めて演劇的な歌唱を聴かせたのであった。例えば、第2幕でブリュンヒルデにその出自を語る場面では、歌というよりは朗誦のような表現であった。今、ワーグナー自身の台本を手元に持ってきて確かめると、ここにはト書きでまず「非常に声を落として」とあり、その後は「完全に声をひそめて」とある。なるほど。その通りの歌唱であり演技であった。もちろん、第3幕の大詰めも大変素晴らしい説得力であった(ただ、せっかくの聴かせどころで誰かの携帯電話が鳴ってしまったのは本当に残念であった)。

それから、現代最高のブリュンヒルデ歌いである、スウェーデン人のニーナ・シュテンメ。
e0345320_01004207.jpg
先日仕事の関係でスウェーデン人と話した際、同国が輩出した名歌手として、もちろんビルギッテ・ニルソンが最初に出たが(あ、実のところ、それより前に出た名前はアバだったのであるが...。はい、私も大好きです。アバ。笑)、それからアンネ・ゾフィー・フォン・オッターに続いて出た名前が、このシュテンメであった。「有名になってしまって、ストックホルムで歌う機会が最近ではほとんどない」と嘆いていたものだ。それだけ世界で活躍しているということだが、少し厳しく言ってしまうと、今回の演奏では多少不安定な箇所も何度かあったように思う。まぁそれだけ難しい役なのであろう。その他、ジークムント役のクリストファー・ヴェントリス(英国人で、パルシファルを当たり役にしている)、フンディング役のアイン・アンガー(エストニア人で、ウィーンでは実に様々なバスの役を歌っている)、ジークリンデ役のペトラ・ラング(バイロイトでは随分以前から歌っているはず)、フリッカ役のミヒャエラ・シュースター(ドイツ系の劇場で様々なドラマティックな役柄を歌っている)、いずれも声量充分、さすがウィーンの引っ越し公演だと聴衆を唸らせた。

さて、そのように素晴らしい公演であればこそ、私の心はウィーンに飛ぶのである。東京にいてこれを聴ける特権は絶対に貴重なものなのであるが、年間300回もの公演をこなしているこのウィーンのオペラハウス、本当に世界でも稀有な場所なのだ。私の心のふるさと、ウィーンにまた還れる日を夢見て、頑張って日々を生きて行きたいと思う。
e0345320_01200466.jpg

Commented by 吉村 at 2016-11-20 15:31 x
この演出、ウィーンで二回観ましたが、ワルキューレ達の扱いのモダンさなど、気が効いてますよね。
今からティーレマンのラインの黄金です!
Commented by yokohama7474 at 2016-11-20 22:20
> 吉村さん
そういえば、ウィーンでご覧になるとおっしゃっていましたよね!! 私も「ラインの黄金」、観て来ましたので、追って記事をアップします。
by yokohama7474 | 2016-11-13 01:22 | 音楽 (Live) | Comments(2)