長崎旅行 その1 平戸市 / 田平教会、鄭成功出生地、宝亀教会、紐差教会、切支丹資料館、平戸城、平戸ザビエル教会、最教寺、オランダ商館跡

ある週末、長崎に遊ぶこととなった。その理由は、その土曜日が家人の誕生日であったことである。このブログで散々書き連ねている通り、私の週末は大抵の場合、オペラやコンサートや美術館通いで予定が埋まっており、特に秋のシーズンには文化行事が多い。だが、やはり家庭円満は社会人としての生活の基本である。ということで、この週末は家族サービスに充てようと決意。どこに行きたいかと家人に尋ねると、軍艦島だという。おぉ、つい先ごろ近代産業遺産としてユネスコの世界遺産に登録されたとはいえ、もともと廃墟好きの私にとっては、もちろん行先として異論があるはずもない。であれば、日帰りでなく一泊して、これも私の長年の強い興味の対象であるかの地の教会を巡りたい。実は長崎には30年ほども前に一度行ったことがあるのだが、既に記憶が曖昧であるし、そもそも島原・天草には行ったが平戸には行っていない。そんなわけで、土曜の早朝に羽田を発って長崎に向かったのである。我が家の旅行はのんびりゆったりという雰囲気とは縁遠く、いつも時間と体力の限界に挑戦するような鬼の観光スケジュールとなるのだが、今回もしかり。見どころ、考えどころ満載で、実に感慨深い旅となった。文化に興味を持つ人たちには何らかの参考になろうかと思うので、以下、記憶を辿りながら旅を再現してみよう。

まず、長崎県の地図(壱岐、五島列島、対馬は除く)は以下の通り。今回は初日に北の端の平戸市(赤丸の地点)に行き、翌日には南の端、長崎半島の突端近く(青丸の地点)まで行くことになった。ほとんど長崎県縦断旅行というわけである。実際に踏破してみると、結構な距離であった。尚、以下の文章においては、教会の外見は私が撮影した写真を使うが、内部は原則として撮影禁止なので、内部の写真は出版物等からの借用である。
e0345320_11491746.jpg
長崎空港は、県の南北の中心あたりにある大村市に位置しており、レンタカーを借りて北上すると、天気にも恵まれてなかなかに気持ちよい。高速と一般道を走ること1時15分ほどで、最初の目的地である田平(たびら)天主堂に到着。
e0345320_11554367.jpg
e0345320_11542927.jpg
e0345320_11561883.jpg
一見して分かる通り、この教会は煉瓦作り。五島生まれの名棟梁で数々の教会を設計した鉄川与助によって、1918年に建てられた。このような神々しい内部を見ると、とても日本の教会とは思われないほどである。
e0345320_12054178.jpg
周知の通り、長崎・平戸地域には、哀しい隠れキリスタンの逸話が数多く残っている。明治維新後はこのような教会も各地に建てられるようになったものの、現地を訪れて改めて感じるのは、キリスト教に篤い信仰心を抱き、脈々とその信仰を受け継いできた名もなき人々の思いが、このようなかたちで結実したことの意味するところは、いかに天国への遥かな憧れがこの地に存在してきたかということだ。これから順に見て行くが、ひとつひとつの教会は驚くほど異なる個性を持っていて、建物の建設や維持、あるいは教団の活動維持には、計り知れない苦労があることだろう。ただ単に美しい教会建築に酔いしれるのではなく、現実にこれらを可能にした、あるいはこうせざるを得なかった人間の思いにこそ、学ぶべきものはあるはずだ。古くからの日本人のひとつの特性は、外来のものでもうまく取り込むことである。この田平天主堂の横には墓地があって、墓石自体は純日本風であるにもかかわらず、なんとその上に十字架が設置されているのだ。大変興味深い光景ではないか。
e0345320_13132663.jpg
さてこの田平天主堂は平戸市ではあるが、平戸島ではない。九州本土から平戸島には、平戸大橋という巨大な赤い吊り橋が架かっていて、スムーズに行き来できるようになっている。
e0345320_13183910.jpg
平戸島に入り、海沿いに南に向かっていると、なにやら記念像が海の方を向いて立っている。旅で少しでも有意義な体験をしたかったら、目に入ったものに興味を惹かれたときにそれが何であるかを確認することだ。というわけで、車を停めて行ってみると、それは鄭成功(ていせいこう)の彫像であった。
e0345320_13205393.jpg
鄭成功と言っても、最近の若者は知らないであろうし、私とても、歴史の授業で習った範囲、つまり、中国の明王朝滅亡の際に、中国人の父と日本人の母を持つこの人物が明朝復興のために力を尽くし、後世「国姓爺(こくせんや)」として歌舞伎などで英雄視されているということしか知らない。そういえば彼は平戸の生まれであると読んだことがあったのだが、まさかキリスト教会探訪の旅の途上、ここで鄭成功の事績に触れることになろうとは。ここには、いくつか彼にゆかりの場所がある。まず、海の中(潮が引くと地上に出てくるのだろうか)に、「鄭成功誕生石」というものがある。潮干狩りに来ていた彼の母がこの場所で産気づき、この石にもたれてて鄭成功を生んだという伝承がある由。
e0345320_13274549.jpg
それから、彼を祀る廟。これは比較的最近のものであるようだ。
e0345320_13293595.jpg
さらに行くと、海側から住宅街に入った、鄭成功の生家跡と言われる場所に、小さな記念館が建っている。もちろん、当時の建物がいかなるものであったのかは分からないので、想像による復元だ。また、母である田川マツと少年鄭成功の彫刻が立っている。
e0345320_13311168.jpg
鄭成功の父は鄭芝龍(ていしりゅう)という復権省出身の貿易商人(但し自衛のために武力を所持した海賊的側面もあり)で、平戸藩主、松浦隆信の信任厚く、この平戸の地に駐留。田川マツを娶ったという。鄭成功は長じて、清朝に滅ぼされる明朝のために力を尽くし、一時は台湾からオランダ人を駆逐する活躍を見せた。それがゆえにこの人物は、中国本土、台湾の双方から英雄視されており、いわば東アジア地区全体で尊敬されているのである。記念館には中国・台湾から贈られた展示品も多く、また地元の方が説明をして下さったところでは、よく中国・台湾の人たちが、英雄のふるさとを見たいということでこの地を訪れるとのこと。また、「彼らは皆日本人の能力に期待していて、日本が国際社会で活躍して欲しいと願っていますよ。日本、もっと頑張れって言われますよ」との興味深い説明もあった。鄭成功は東アジア共栄のシンボル。このような民間の国際交流が活発であることは、大変よいことだと思う。

教会巡りに戻ろう。次に訪れたのは、宝亀(ほうき)教会堂。
e0345320_13485153.jpg
e0345320_13490577.jpg
e0345320_13491739.jpg
この教会は1898年の建立で、平戸最古の教会。マタラ神父という人の指導で、地元の棟梁たちによって建てられた。一見煉瓦作り風に見えるが、それは正面の壁と玄関部分だけで、主体構造は木造。上の写真にもある通り、側面にテラスがあって、さながらコロニアル建築(17-18世紀頃にヨーロッパ諸国の植民地に建てられた建築)のようだ。内部はこのように柱に色が塗られていて、美しい。
e0345320_13543035.jpg
続いて向かったのは、紐差(ひもさし)教会。
e0345320_13575287.jpg
e0345320_13581003.jpg
e0345320_13584328.jpg
e0345320_13590499.jpg
鉄川与助の設計により1929年に完成したもので、鉄筋コンクリート作りだ。これは、関東大震災で多くの煉瓦作りの建物が倒壊したのを見た鉄川の考案によるものとのことで、規模もかなり大きい。長崎市の旧浦上天主堂が原爆で倒壊した後、再建されるまでの期間は、日本で最大の教会であったとのこと。上の写真の通り、シンプルなデザインのステンドグラスが時々刻々美しい表情を堂内に与えている。内部の全体像はこんな感じで、舟底天井もシンプルながらなんとも美麗である。
e0345320_14033988.jpg
この近く、平戸島のちょうど真ん中あたりなのだが、平戸市切支丹資料館がある。少し古いが、この土地の持つ独特な風土を知るには貴重な場所である。様々な隠れキリシタンについての資料が展示されているが、珍しいのは、この地区の人々が信仰を隠すために神棚や仏壇も併設した納戸(「納戸神」と呼ばれる)が復元、展示されていること。
e0345320_14081308.jpg
e0345320_14073634.jpg
館の受付をやっている初老の女性が、問わず語りに説明して下さったことには、古い習慣もかなり減って来ていて、先祖代々の貴重な遺品も散逸しそうであったのでこの資料館が出来たが、近年まで続いてきた隠れキリシタンの維持組織も、後継者不足によって1992年に解散したとのこと。時代の流れは致し方ないものの、せめてこれからも、ここを訪れる人たちが、かつてそのように必死で信仰を守ろうとした人たちがいたことに思いを馳せることができる場所であって欲しい。ところでこの資料館、「おろくにん様」(六人の殉教者たち)が祀られる、ウシワキの森という場所のすぐ横に存在しているのであるが、その森に行ってみると、何やら未だに霊気漂う不思議な場所である。年老いた男女が一心不乱に塚に手を合わせていて、こちらも襟を正したくなったものである。尚この日訪れた教会のうちのいくつかでも、若者であったり老人であったりが祈りを捧げるところも何度か目にした。やはり信仰は未だに生き続けているのである。
e0345320_15593642.jpg
e0345320_14230863.jpg
e0345320_14232020.jpg
ここからまた平戸島の北部に戻る道を取り、訪れたのは平戸城。この地を治めた松浦(まつら)氏の居城で、現在の天守閣は戦後の再建だが、海を臨む岬の突端に建っていて、平戸の街中から見ると大変絵になる。
e0345320_14253782.jpg
城からの眺めも、なかなかだ。平戸大橋も見えるが、私がなぜか興味を惹かれたのは、眼下に見える無人島とおぼしき島に祀られた神社である。以下、2枚目の写真の左側に見える亀の甲羅のような島で、3枚目はそこの神社を望遠で撮ったもの。
e0345320_14293734.jpg
e0345320_14295219.jpg
e0345320_14301427.jpg
それから、平戸ザビエル記念教会に向かった。1931年完成で、高い丘の上に建つ姿は美しいが、よく見ると、正面向かって左側にある塔が、右側にはない。これは資金難によるものである由。本当に信者たちの浄財によってできた教会なのである。教会の後ろの雲は、まるでオランダの風景画のような風情で、何か不思議な気がする。
e0345320_14353468.jpg
e0345320_14355341.jpg
e0345320_14365682.jpg
内部はマーブル模様の柱が立ち並び、清々しい美しさである。
e0345320_14383638.jpg
さてこの教会の裏側を左手に行くと、いくつか仏教のお寺が並んでおり、なんとも風情のある石段を下りる道がある。これは、「寺院と教会の見える道」と名付けられていて、振り返れば寺院の屋根越しに教会の尖塔が見えるという、いかにも平戸らしい風景を満喫することができる。うーん、この文化の混淆、いろんな意味で均一性の高い日本という国においては面白い風景ではあるが、この場所でその意義を大いに実感する必要があるだろう。
e0345320_14420443.jpg
e0345320_14450552.jpg
e0345320_14444823.jpg
e0345320_16020892.jpg
また、光明寺・瑞雲寺というお寺の境内からは海が見え、つい先刻登ってきた平戸城の天守閣も、なかなか見事な姿を見せている。
e0345320_14455591.jpg
さて平戸の街中には、まだまだ面白いものがいろいろある。実に1702年に建造された石の橋、幸橋は重要文化財だが、未だに歩行者が通っている。
e0345320_14501908.jpg
吉田松陰も平戸に滞在したことがあって、その宿、紙屋の跡地には石碑が立っている。でもなぜアンパンマン???
e0345320_14511565.jpg
e0345320_14524905.jpg
さて、普通の人ならこのあたりでかなりバテていると思うが(笑)、我々の観光旅行は貪欲だ。ちゃんと各施設の閉館時刻を調べ、あと2ヶ所を訪れることとした。最初は、最教寺。実に弘法大師空海が806年、唐から帰朝後に最初に日本で密教の護摩を焚いたところと言われる聖地で、西の高野山と呼ばれているらしい。古い建物は残っていないが、霊宝館にある重要文化財の涅槃図のほか、近年建てられたらしい三重大塔が興味を惹く。天気は晴れたり曇ったりだが、時折西日が差すと、石仏が神々しく輝いて神秘的だ。
e0345320_14594075.jpg
e0345320_15000879.jpg
e0345320_15013987.jpg
また、三重大塔の地下では、胎蔵界めぐりを行うことができる。これは、真の暗闇の中、壁に沿って手探りで歩き、一周すると仏が現れるというもので、長野の善光寺等、時折お寺にはあるものだ。なかなか面白い体験だったが、寺のパンフレットにあるこのキッチュな絵を見て、さらに気分は高揚する(笑)。
e0345320_15042549.jpg
最教寺を辞し、最後の目的地である旧オランダ商館へ。ここは港のすぐ横であり、長崎の出島にできる前に、最初にオランダ商館が置かれた場所であるという。行ってみると、オランダ人たちが住んだ地域の塀や、商館の跡地、井戸など、生活の痕跡が残っていて楽しい。
e0345320_15091449.jpg
e0345320_15095268.jpg
e0345320_15101015.jpg
そしてこのあたりからもすぐ、平戸城が見える。あ、それから、城から見ていて気になっていた神社のある無人島は、港のすぐ近く。もしかすると航海の神、金毘羅さんを祀っていたりするのだろうか。日本の神様は親切だから、異国人であってもご利益があったのかもしれない(笑)。
e0345320_15114697.jpg
e0345320_15120906.jpg
この場所には、1637年に築造された倉庫が復元されている。但し、資料が少ないため、多分に想像によって復元しているらしい。それにしても、またこの空はオランダ絵画のようではないか。かつてここに暮らしたオランダ人たちも、このような光景を見て、遥か彼方の母国を思ったものであろうか。
e0345320_15162476.jpg
e0345320_15164904.jpg
ここには大変興味深い展示物があれこれ並んでいる。例えばこれは聖書であるが、日本で禁制とされたポルトガルの旧教(カトリック)ではなく、新教(プロテスタント)であることを幕府に訴えたらしい。本当にその違いを幕府が理解したか否か疑わしいが、江戸時代を通じてオランダとの通商は維持されたということは、ちゃんと違いが認識されたということだろう。もちろん、布教活動をせずに貿易だけやっていたという事実こそが何より大事であったろうが。
e0345320_15364107.jpg
これは、反射で少し分かりにくいが、船首飾りである。なんとも素朴。
e0345320_15371150.jpg
これは南蛮甲冑。日本の甲冑をもとに、1630年代にオランダで作られたという。このような独特な文化の混淆に、私は限りない興味をそそられるのである。
e0345320_15411350.jpg
そしてこの場所は倉庫の復元なので、このような滑車も取り付けられていて、往時を偲ぶことができる。
e0345320_15241410.jpg
このように長崎での一日目は、平戸における東西文明の混淆、融合、衝突と破壊という様々な局面を体験することとなった。見上げると、丘の上のザビエル教会の尖塔が夕日を浴びている。信じる神は違えども、この地球で過ぎて行く一日一日の時間の貴重さを、このような光景から感じることができるのが人間だ。
e0345320_15332356.jpg
その日は長崎市の中心地で一泊し、いよいよ翌日は軍艦島、そして長崎市内観光だ。乞うご期待。

by yokohama7474 | 2016-11-13 16:03 | 美術・旅行 | Comments(0)
<< 長崎旅行 その2 軍艦島、観音... ウィーン国立歌劇場来日公演 ワ... >>