長崎旅行 その2 軍艦島、観音寺(脇岬町)

まずはこの写真を見て頂こう。
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灯台が立っているから海に近いところであろうが、この峩々たる岩山の上に見える建造物は、何かの遺跡のようである。古代のものだろうか。あるいはギリシャにあるという、孤絶した山の上の中世の修道院だろうか。次に、この写真はいかがであろうか。
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これも何かの遺跡であろう。ローマにある古代ローマ帝国時代の公共建築の遺跡、フォロ・ロマーノでこのような光景を見たように思う。いずれにせよ、どこかの地中海の遺跡であると見える。・・・などと書いているが、これらはいずれも私が最近長崎県で撮影した写真。そう、近代産業遺産として今やユネスコの世界遺産にも登録された、かつての炭鉱の島である端島(はしま)、通常「軍艦島」である。このポスターが分かりやすいであろうか。
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この軍艦島、私が初めてその名を知ったのはいつのことだったろうか。この島は要するに、炭鉱の閉鎖とともに打ち捨てられた海上の廃墟であり、つまりは近代の遺構なのである。だが冒頭に書いたように、この場所はまるで古代や中世の遺跡を思わせるところから、美的な観点からの関心の対象となる。そもそも古代の遺跡というものは、ほぼことごとくが廃墟なのであって、それゆえに神秘的なのだ。人がこの島に抱く言い知れぬ神秘感は、あたかもそれら古代の遺跡に感じる神秘感と近いものがあるのだと思う。だが、それだけでは充分ではないだろう。人が本能的に廃墟に感じる興味の根幹にあるものはまた、巨大工場の夜景を楽しむ感性にも似ている。つまり、何か巨大であり、明らかに人為の結果でありながら、人の姿の見えない建造物。そこには人を畏怖させると同時に、何か怖いもの見たさで気になって仕方ない、そんな感覚を覚えるものだ。その神秘感を言葉で説明するのは難しい。だが、美術好きなら、例えばカスパール・ダヴィット・フリードリヒや、もっとマニアックなところではモンス・デジデリオ、また、ジョセフ・ガンディの名前が挙がるだろうか。廃墟はひとつの美的テーマなのである。私の書棚には、これらの画家の画集が並んでいるのはもちろんのこと、廃墟自体をテーマにした本という意味では、1997年に発行された谷川渥(たにがわ あつし)監修になる「廃墟大全」がある。その中では様々な廃墟的美術が論じられていて楽しいのであるが、今確認したところ、軍艦島への言及はなさそうだ。ところがもう1冊、2002年発行の栗原亨 (くりはら とおる)監修になる「廃墟の歩き方 探索篇」になると、もう表紙からして軍艦島なのである(笑)。
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この本は本当に実践的な(?)書物であり、廃墟に入るときの注意事項や守るべきマナーが詳細に書いてある。さすがに私は、この本を読んだときにそこまでやる勇気も大胆さもなかったし、今もないが、このような本が出るということは、要するに世に廃墟好きは意外と多く存在しているということであろう。軍艦島とは、そのような廃墟の中でも、まさしくとびきりの王者的存在であったのだ。確か、別の本だと思ったが、どうやって地元の船にお願いしてこの島に上陸できるかを書いてある文章を読んだ記憶もある。だが、さすがに一般公開されておらず、崩壊の危険のある場所に出向くような大胆な行動は想定外であり、その後の私は、軍艦島だけの写真集とか、ワンダーJAPANという奇妙な雑誌を時々購入したりして渇を癒しながら、この廃墟に対する愛慕の念(?)を育んできたのだ。映画でも、「007 スカイフォール」や「進撃の巨人」でここがロケ地として使われているのを、複雑な思いで見ていたものだ。ところがである。昨年、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」のひとつとして世界遺産に登録。これを受けて、ついに一般の人々にも公開されるようになったのだ。いつか行きたいとは思っていたが、前の記事に書いた通り、思わぬところで家人と意気投合。早速軍艦島上陸ツアーをネット検索してみた。ところが、予定日の1ヶ月くらい前であるにもかかわらず、周辺の週末はすべて満員。改めて軍艦島人気を実感したのだが、さて、どうしたものか。思いを持って出かけた場所に悔いを残さないためには、とにかくあきらめずに手段を探すことである。キャンセルが出ないか、あるいはオークションの対象にでもなっていないかと、何度も何度も軍艦島ツアーを調べているうちに、ふとしたことで、ほかとは違って少人数で運航しているツアーがあるのを発見。ガイドブックとかメジャーなサイトには出ていない会社であるが、ダメモトで問い合わせてみると、土曜は一杯だが、日曜の午前の便なら未だ空きがあるとのこと。その回答に、PCの前でひとりガッツポーズだ。これは執念の勝利である。本当に何後も諦めずにトライすれば、道は拓けるのである。

ツアーの内容に入る前に、この軍艦島の概要について記しておこう。正式名称を端島ということは上にも書いたが、もともと無人島で、最初に1810年に石炭が発見され、佐賀藩が小規模な採掘を江戸時代から行っていたが、1890年に三菱合資会社の経営となり、何度も埋め立てを繰り返して、徐々に拡大して行った。以下が軍艦島ツアーのパンフレットに載っている埋め立ての歴史と、海底炭鉱のトンネルの様子。要するに、この島が開発される途上で、ここに人々は暮らし始めたが、炭鉱は海底にあることから、島の内部を掘るのでなく、島から一旦地下に潜っては、周辺に海底坑道を掘り進んだということである。常に危険の伴う仕事であり、島の挨拶は「ご安全に」であったそうだ。
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「軍艦島」という異名は、三菱の長崎造船所で建造していた軍艦「土佐」に似ているところからつけられたらしい。この「土佐」について調べてみると、「長門」の拡大改良型とのことだが、ワシントン海軍軍縮条約によって建造中止となり、1921年に自沈処分となったとのこと。なるほど、勇ましい軍艦の進む姿ではなく、哀れに煙を吐いているところがこの炭鉱の島との共通点と見做されたのもしれない。
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この軍艦島、今からちょうど100年前の1916年に日本最初の鉄筋コンクリート作りのマンションができるなど、未来の島と言われていたらしい。その後最盛期には5,000人を超える人々が暮らし、頻繁な上映会が催される映画館あり、本土にも未だ珍しい時代にスーパーマーケットもあり、神社やスナックもあって、ないのは墓だけだと言われたらしい。だが、エネルギー政策の転換により石炭産業が斜陽化したことで徐々に衰退。1974年に炭鉱が閉鎖され、多くの人々の生活の痕跡を残したまま無人島に還ってしまった(石炭を取りつくしたということではないらしい)。日本人がこの軍艦島に惹かれるのは、ただの廃墟だから興味深いということではなく、日本全体に活気があった高度成長期へのノスタルジーもあるのだと思う。

さて、その憧れの軍艦島ツアー。私が乗船したのは「アイランド号」という船であるが、ほかの大規模ツアーが長崎港から出るのに対し、この船は長崎半島を市内から20km弱南下した場所、軍艦島のすぐ近くから出る。なので、海を見ながらの乗船所までのドライブとなったのだが、これが返って気持ちよい。海沿いの国道の小高いところから、遠くに軍艦島がその姿を現したときには、「あぁっ!!」と叫んでしまいましたよ。左が軍艦島、右が中ノ島。軍艦島には墓がないと書いたが、実は島で亡くなった人たちはこの隣の中ノ島で荼毘に付されたらしい。
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しばらく行くと、夫婦岩がある。国道沿いに車を停めるスペースも設けられており、写真を撮るには最適だ。岩の間に見える軍艦島が、ひときわ神秘的に見えるではないか。
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そうして到着したのは、野母崎という場所にあるAlega軍艦島という施設。温泉もあり、ここに泊まることもできるようだ。中の売店で軍艦島グッズなどの土産物も買えるし、乗船前のトイレも済ませることができて便利。それから、昔の新聞記事の拡大コピーがあれこれ貼ってあって、その中には災害に関するものもある。この島に住めば上質な暮らしが保証されていたとはいえ、やはり炭鉱の仕事の危険性に加え、台風等の被害も何度もあったようである。今の軍艦島が廃墟として美しいのは、このような苦難の歴史を経てきていることも一因かもしれない。
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そして海の方に降りて行くと、ありましたありました。アイランド号が我々を待っています。ツアー客12名という小さい規模である。
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私たちが乗った船は10時に出航し、10分後くらいには島の沿岸に到着。だが、別の船がその時間帯には停泊し、ツアー客が上陸しているので、同時には上陸できない。従って、上陸準備が整う10時半までの間を利用して、島の回りをぐるっと一周してもらえるという。実はこの軍艦島、人々が退去した際には一連の建物は全く壊さずに出て行ったため、その後の風雨にさらされ放題で、以前見た映像では、アパートの各部屋には、さまざまな電化製品や家具がずっと放置されているのだ。それがまた廃墟好きの心を刺激するのであるが、その状態の意味するところは、住居エリアは崩壊の可能性が常にあって、人の立ち入りは危険だということだ。以下はまた乗船時にもらったパンフレット記載の見取り図だが、上陸できるのは、図の下側と左側の赤線の引いてある部分だけで、多くの建物が存在している中央部から右側は、立ち入り禁止なのである。そうであればこそ、立ち入ることのできない島の反対側を、船の上から眺めることができるだけでも貴重なのだ。
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さあ、船は快調に飛ばし、どんどん島に近づいて行く。案内の海の男たち。煙草など吸って、カッコいいですねぇ。そういえば、秋以降は海が荒れることも多く、上陸できないケースもかなりあるとのこと。これだけの晴天に恵まれた我々は実にラッキーだ。やはり日ごろの行いがよいせいですな(笑)。
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そして、ついに近くに見えてきた軍艦島。やはり、遂に来た!!という感動が体を駆け巡る。冒頭に掲げた写真の通り、まるで岩山の上の古代神殿のようだ。また、神社の本殿(これは本物の宗教施設)は、高いところに築かれているので、長い足が危なっかしく、よく残っているなぁと感嘆する。
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そして船は居住区の横を通って左に旋回して行く。この凄まじい荒れようは、想像していた通りである。
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すると、あ、なにやらへりの部分から釣り糸を垂れる人が数名。船の人に、「あそこには入ってはいけなんですよね」と訊くと、「よかと」との返事。なんでも、このツアー船の主催者は釣りのアレンジもしていて、事前の許可を取得して軍艦島で釣りを楽しむ人たちもいるらしい。へぇー、何か特別な魚でも釣れるのでしょうか。
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そして我々の乗った船は、ついに軍艦島がその名を持つに至ったその姿を、我々に見せてくれる。本当に軍艦のようだ。
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ちなみにこれが、他社のツアー船。なんでも、200名規模とか。正直なところ、そんな規模ではゆっくり説明も聞けないし、質問もできない。また、あとで分かったことには、我々の船のガイドの方は、もとこの島の住民であったそうで、貴重な話を沢山聞くことができて、大変有意義であった。このあたり、たまたま大規模ツアーが軒並み満員だったことによる怪我の功名、結果オーライ。好きな言葉である(笑)。
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さて、いよいよ上陸だ。ワクワクする。桟橋から砦のような遺構の中を通って入ってみると、なにやらコンクリートの棒が立ち並んでいて、ギリシャの古代神殿かと思うが、これはボタ(捨て石)を運ぶベルトコンベアーの跡。この上をボタが運ばれ、海に廃棄されていたのだ。
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これは確か炭鉱へ降りるケージを吊ったロープの巻き上げを行う場所の壁。クノッソス宮殿かと思ってしまいました。
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これは食堂や風呂場などがあった施設の階段。炭鉱は24時間稼働していて、8時間ずつの3交代であったので、風呂も常に沸いていて、作業服ごと石炭を落とす場所、体を洗う場所、湯船など、何段階かに分かれていたとのこと。当時の写真を使った説明がリアルだ。
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電気は海底からこの隙間を通して送電線を引いている。今でも使えると聞いた。
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通路を進むと、左手にコンクリートで床を固めた場所が出てくるが、これは25mプール。海水を入れて泳いでいたらしい。
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これが、築100年(笑)の、日本最初の鉄筋コンクリート作りのマンション。この建物の前が目抜き通りであったらしい。
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ここで行き止まりなので、また桟橋の方に向かう。これは事務員の住居で、労働者の部屋と違って部屋に風呂、トイレがあるという当時としては珍しい高級住宅であった由。だが、今ではベランダが崩落寸前だ。この建物の下の壁面に緑色が塗ってあるが、これは、当初植物が全くない島であったので、そのように塗っていたものとか。
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これは学校。かつての学びの屋は、建物の向こうの空の青が透けて見えるほどがらんどうだ。
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予想はしていたが、実際に目にしてみると、まさに凄まじい廃墟である。この島は台風になると大きな被害を受けるそうで、このような大きなコンクリートの塊が飛んだり倒れたりすることもあるという。今や世界遺産。一体どのように保存して行くのか、大きな課題であろう。
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軍艦島の写真集を見ていると、住居内に様々なものが残されているのが大変不思議であった。何も災害で急に避難したわけでなし、なぜに身の回りのものを整理して島から出なかったのか。その疑問に対する答えは、意外に単純なものであった。実際に閉山までここで働いていたというガイドさんによると、退職金が非常に恵まれていたので、家電品などをわざわざ持ち出す経済的必要がなかったのだそうだ。なるほど、それゆえに、人々の日常の暮らしの断片があちこちにリアルに残ったまま朽ちて行くという、軍艦島独特の風情が生まれたわけである。廃墟に対する美的な意味での興味と、近代の産業化時代の世相、また、特殊な環境下で暮らした人々の悲喜こもごもに思いを馳せながら、軍艦島をあとにした。陸に戻ってきたのは11時半頃。1時間半のタイムトラベルでした。
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さて、私の参加したツアーは、長崎港ではなくかなり南の方から出航すると上で書いたが、そこまで足を延ばすメリットがいくつかある。ひとつは、最近できたばかりの軍艦島資料館が近いこと。展示物はさほど多くないものの、地元の人たちの軍艦島を大事にする思いが伝わってくる。石炭採掘当時のジオラマもあって、往時の活気を偲ぶことができる。
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尚、この資料館の向かいにある喫茶店では、軍艦島カレーなる限定食が食べられる。午前の便に乗られた方、下船後のランチにお薦めです。
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さて、もうひとつある。実は事前に長崎の文化財を調べたところ、観音寺というお寺に重要文化財に指定された平安時代の千手観音があることを知ったのだが、寺院の名称としてはありふれたものだし、場所も調べる時間がなかった。ところがである。このお寺、長崎半島の南端近く、ツアーの乗船/下船場所のすぐ近くであったのだ!!ただ、ご本尊の千手観音は秘仏と書いてあったので、まあ行くだけ行ってみようと思ったら、なんとなんと、本堂は開いていて、御簾越しとはいえ拝観できたし、江戸時代の洋画家、川原慶賀の描いた本堂の天井画も見ることができたのである。これも何かのご縁である。以下、お寺の風景と、ネットで見つけてきたご本尊(なかなか堂々たる仏様だ)と天井画(保存状態が悪いのが残念)の写真を掲載する。
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アイランド号で軍艦島ツアーに参加される方、是非この由緒正しい古寺に足を運んでみて下さい。その土地の歴史について、何か発見があるものと思います。

さて、この日は軍艦島から戻って、観音寺にお参りしても、まだ正午過ぎ。午後は長崎の中心地へ移動のこととした。海沿いの、じゃなかった、川沿いのラプソディ長崎編、まだ続きます。

by yokohama7474 | 2016-11-14 01:39 | 美術・旅行 | Comments(0)
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