ジャック・リーチャー NEVER GO BACK (エドワード・ズウィック監督 / 原題 : Jack Reacher NEVER GO BACK)

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このブログも記事を重ねるごとに、「もう聞いたよその話」という話題が増えてきていることは私も分かっている。だが、毎日のブログアクセスをチェックしていると、ある特定の記事でたまたまこのブログに遭遇する方々も日々おられるようであり、私があっちを向いたりこっちを向いたりして、これまで書きつらねてきたことに対するイメージのない方もおられるはずだ。そんなわけで、すみません、以前の言の繰り返しですが、私は封切間もない映画を見に行くことは、ほとんどないのである。だが、この映画は先週の金曜日、11月11日に公開されたばかりの最新作だ。そんな映画を今見るとは、一体どういう風の吹き回しかというと、昨夜、「ジェイソン・ボーン」の記事を書いていて、その映画の上映規模が早々に縮小された理由は、もしかしたらこの映画の公開にあるのかもしれない、と適当なことを言ってしまったときに、はたと気づいたのである。そうだ、「ジェイソン・ボーン」の記事に続いて、この映画の記事を書けば、その比較もできるし、後で振り返って、2016年11月時点でどのような映画が劇場にかかっていたかを振り返ることができるのも楽しいかもしれないと。実は、既に鑑賞したにもかかわらず未だ記事をアップできていない美術の展覧会は五指に余っていて、それらについての焦りもあるのだが、そこはそれ、気ままでラプソディックな文化逍遥を楽しむのがモットーのこのブログ。早速劇場に走ってこの映画を見てきたので、以下勝手気ままな感想を書きつらねます。あー、前置きが長い(笑)。

この映画の予告編を見たとき、もちろん私には、これが以前の作品の続編であることが分かった。「ジャック・リーチャー」はその第1作の原題であり、トム・クルーズ演じる主人公の役名であったはずだ。でも、その邦題が思い出せない。ええっと、「モーゲージ」、「プレッジ」、「コラテラル」・・・これらはすべて、国際金融に縁のある人ならおなじみの言葉であろうが(笑)、どれも違う。「コラテラル・ダメージ」でもないし、「ダメージ」でもないなぁ。ところでこれらは、「モーゲージ」以外は実際の映画の題名で、しかもそのうちひとつは同じトム・クルーズ主演である。だが、「ジャック・リーチャー」を原題とする映画は上記のいずれでもなく、調べてみて思い出したことには、2012年の「アウトロー」という映画であった。これが私の手元にあるその映画のプログラム。
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な、なんだよこれ。「ジャック・リーチャー」という題名じゃないの。どこが「アウトロー」ですか。シリーズ化するのが分かっていたのなら、最初から主人公の名前である「ジャック・リーチャー」を邦題にすればよかったのに(笑)。このブログで映画を題材に採り上げる際には、必ず原題を併記しているが、それはこのようなケースに有用だと思うからである。実はこの「アウトロー」という題名は、リー・チャイルドによる原作の邦題であることも知っているので、あまり深追いすることはしないが、やはり邦題だけ見ていると、何年も経ってからどのような映画であったかを覚えているのは難しいことの、ひとつの例であると思う。ところで、この主人公の左ほほの傷、本作でもずっと存在していたので、トレードマークなのであろうか。

さてこの映画、大変面白いひとつの特徴がある。それは、予告編が、本編の冒頭部分ほぼそのままになっている点だ。コーヒーショップで暴力沙汰を起こして逮捕される主人公が、すぐに立場を逆転させ、保安官が逮捕されるというエピソード。
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正直、このエピソードが、その後展開するリーチャーと女性少佐スーザン・ターナーの逃避行とどう関わるのか、映画を見ているだけでは判然としない点もあるが、導入部分としてはなかなかに鮮やかだし印象的である。映画の持ち味を最初の数分で設定してしまうのは、かなり巧みな手法であると思う。スーザン・ターナー役を演じるのはコビー・スマルダーズ。「アベンジャー」シリーズのマリア・ヒル役で知られる。
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この女優は、スタイルもよく、なかなかに精悍な感じなのであるが、ちょっと男勝りを表面に出し過ぎるキャラクター設定ではないか。男女の逃避行であるにも関わらず、ロマンティックなシーンは皆無。自立した女としてリーチャーを誘惑しているように見えるシーンもあるが、爽やかなまでに色気がない(笑)。今日の女性軍人像は、こんな感じにするしかないのでしょうかね。それから、ロマンティックな設定がないもうひとつの理由は、逃避行に若い女の子が一緒であることにもよる。15歳という設定のこの女性サマンサを演じるのは、ダニカ・ヤロシュという若い女優で、もともとダンサーからミュージカル女優という経歴の持ち主らしい。だが、うーん、正直、ここでも守ってあげたくなるキャラクターにはあまりなっていないのが、残念と言えば残念。ところでこの三人は疑似家族のようであり、それがこの巨悪を描く映画の寒々とした設定を、多少なりとも和らげている。いわば、昔の「妖怪人間ベム」みたいなものか???
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ここで「ジェイソン・ボーン」と少し比較してみよう。トム・クルーズはマット・デイモンよりも8歳年上の、今年54歳。だが、「ミッション・インポッシブル」シリーズでもハードな演技を自ら行っている。ここでも体を張った演技をしていて、さすがである。「ジェイソン・ボーン」でのマット・デイモンと同様、ここでのトム・クルーズも、上半身裸のシーンを何度も披露していて、女性ファン必見であるが(笑)、だがマット・デイモンの硬派なイメージに対してトム・クルーズは二枚目キャラであり、それゆえのユーモアのセンスもあるように思う。また、ここでも銃撃戦、カーチェイス、そして肉弾戦と、お定まりのアクションシーンがあれこれ出て来るが、敵がITを駆使して追跡してくる手法は、携帯電話の発信とか盗難クレジットカードの使用くらいで、「ジェイソン・ボーン」よりは古典的である。それ、走って逃げろ!!
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それにしても、「ジェイソン・ボーン」とこの映画の重要な共通点は、米国の巨大な権力が他国を巻き込んだ大きな不正に関与しており、邪魔者はどんどん消すという設定である。個人の力でそれに立ち向かうという設定も共通で、もちろんそれなりにカタルシスを感じる要素はあるものの、何か救いのなさが常につきまとうような気もする。もし高い地位にある者が不正を働いている場合、その部下としての自分は、一体いかに振舞えるのか。映画のように本当に殺人が頻繁に起こる極端なケースではなくとも、社会の中に生きていれば、日常にそれに似た性質のケースがないとはいえない。絶対的な悪を描くことが難しい時代だとは言えるであろう。

この映画の監督はエドワード・ズウィックという人で、フィルモグラフィーには本作を入れて11作品が並んでいるが、代表作は「ラスト・サムライ」だろう。トム・クルーズとは気が合うのだろうか。素晴らしい才能とまで言えるか否かは分からないが、手堅い手腕の持ち主ではあろうと思う。これは本作のプロモーションで来日したときのツー・ショット。
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ところで、本作もいずれ飛行機の中で見ることができるかもしれないが、その場合、恐らくカットされてしまうであろうシーンがある。だがそれは、飛行機の墜落シーンではなく、乗客に真似されては困ることなのだ。一体どんなシーンか、これからご覧になる方は是非ご注意を。あんなことすると、走って逃げるなんて無理だと思うけどなぁ・・・(笑)。だが、カットされてしまうときっと、映画としてのつながりが破綻してしまうので、やはり映画は劇場で見るべきであると改めて思います。

by yokohama7474 | 2016-11-18 01:13 | 映画 | Comments(0)
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