大野和士指揮 東京都交響楽団 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香) 2016年11月19日 サントリーホール

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今月の東京都交響楽団(通称「都響」)の指揮台には、音楽監督の大野和士が登る。既に一週間前、11月12日(土)には、サントリーホール開場30周年を記念して、英国の作曲家マーク=アンソニー・ターネジの「Hibiki」という委嘱作世界初演があったのだが、通常なら当然何を置いても聴きに行くべきこのコンサートを、私は断腸の思いで諦めたのだ。なぜなら、その日にウィーン国立歌劇場来日公演の「ワルキューレ」のチケットを買っていたからだ。これは致し方ない、と自分に言い聞かせ、そして心待ちにしたのがこのコンサートだ。まずは曲目をご紹介する。
 フォーレ : 組曲「ペレアスとメリザンド」
 デュティユー : ヴァイオリン協奏曲「夢の樹」(ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 シェーンベルク : 交響詩「ペレアスとメリザンド」作品5

クラシック音楽を聴く人なら、この曲目を見て期待するなと言う方が無理というもの。大野らしく知的でいて大胆な組み合わせだ。この3曲、いずれもそれぞれに共通点があるのだ。すなわち、
(1) 1曲目と3曲目は、同じ題名(これは誰でも分かりますね 笑)
(2) 1曲目と2曲目は、フランス音楽(これもさほど難しくない)
(3) 2曲目と3曲目は、全曲切れ目なく演奏されるEmotionalな曲
ということだ。しかもここでソロを弾くのは庄司紗矢香である。この指揮者とソリストの組み合わせは、間違いなく現代日本(もっとも、二人とも海外在住者ではあるが)を代表する高い芸術性を保証するものだ。特に、音楽バカではなく、ほかの芸術分野に対する造詣や新たなことに対する挑戦という意味で、この二人の芸術家の相乗効果には素晴らしいものが期待できるであろう。私の記憶ではこの二人、最初に共演が決まったのは2003年7月。オケは同じ都響で、曲目はマックス・レーガーの大作、ヴァイオリン協奏曲(日本初演!!)であった。このときにはあいにく大野が体調不良でキャンセルとなり、大野の盟友である広上淳一が代わりに指揮を執った。そして初共演がなったのは、私の記憶が正しければ、実に9年後の2012年6月、オケはやはり都響、曲はシマノフスキの1番の協奏曲であった。そして2013年のウィーン交響楽団の来日公演でのブラームスを経て、今回は、今年生誕100年を迎えるデュティユーのコンチェルトである。これらはいずれも(大野がキャンセルしたレーガーを含めて)、このコンビであればチャイコフスキーやシベリウスではなく、まさにこのような曲が聴きたいという、そんな選曲なのである。
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勢いで、このコンチェルトについて先に書いてしまおう。アンリ・デュティユー(1916-2013)は、3年前に実に97歳の高齢で世を去ったフランスの作曲家である。今年は生誕100年ということで、代表作のひとつ、チェロ協奏曲「遥かなる遠い国へ」が、先に読売日本交響楽団によって演奏されたし(6月24日の記事ご参照)、来月には東京交響楽団でも演奏される。デュティユーの作風は、いわゆる耳の痛くなる現代音楽という雰囲気でもないので、さほど敬遠されないとも思うが、だがどの作品もシリアスであるので、一定水準以上にポピュラーになることはない。私の記憶では、この「夢の樹」というコンチェルトは、以前デュトワとN響の伴奏で、シャンタル・ジュイユというヴァイオリニストが演奏していた。実はこのジュイユは当時(今も?)デュトワの伴侶であったのだが、まあそれはこの際どうでもよい(笑)。1983年から85年にかけて書かれ、アイザック・スターンとマゼール指揮のフランス国立管弦楽団によって初演されたこの曲、25分ほどの手頃な長さであるが、夢幻的要素のある美しい作品である。4楽章から成ってはいるものの、連続して演奏されるので、聴いていても、楽章間の違いはそれほど分からないようにできている。打楽器が多く使われていて幻想的な音を繰り出すが、中でもハンガリーの民族楽器ツィンバロンの活躍がユニークだ。
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庄司のヴァイオリンは相変わらず強い集中力を持つもので、時々刻々と変化する音楽的情景を、美麗に描き出した。この人には本当に特別なものがあって、演奏中はどこか高いところに昇って行ってしまっているようだ。音楽の持つ日常を超えた力を聴衆に伝える術を知っている、世界でも稀な音楽家なのである。一方の大野はこの日、この曲だけが眼鏡をかけて譜面を見ながらの指揮であったが、もともと現代音楽への適性の高い人であり、流れがよくクリアな伴奏を繰り広げた。プログラムに載っている彼の言葉を引用しよう。上記の私の感想は、まさに大野が目指す音楽であったことが分かる。

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デュティユー作品は、楽想が目に見えるように変わりますので、聴きやすいと思います。響きに透明感があり、何ともいえない香りがある。私たちの意識に、すっと垂直方向の光を当てるような・・・。
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これは壮年期のデュティユー。
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強い集中力による演奏の後、庄司はアンコールを演奏しなかったが、それは正しかったと思うし、聴衆も納得していたと思う。ところで今回の後半の曲目、シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」であるが、きっとこの演奏を庄司は客席で聴くに違いないと思ったら、やはり1階席後方で聴いていた。このあたりの芸術的好奇心が並の音楽家とは違うのである。ニューヨークやロンドンでは、内田光子が前半でコンチェルトを弾くと、後半は聴衆として客席に入るのを何度も見かけたが、やはり同じような芸術的好奇心のなせるわざだろう。

そして、庄司も客席で傾聴したであろう、シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」。今回の1曲目も同じ題名だが、これはベルギー象徴派の詩人で劇作家のモーリス・メーテルリンクによる1892年の作品。まさに世紀末の象徴主義の雰囲気を一杯にたたえた作品で、現在知られているだけでも4人の錚々たる作曲家がこの戯曲をもとに曲を作った。最も有名なものはドビュッシーのオペラであり、ついでフォーレの劇付随音楽、そしてシェーンベルクの交響詩、最も知名度が低いのが、シベリウスの劇付随音楽であろう。その中でこのシェーンベルクの作品は、後年12音技法を発明して現代音楽の元祖となるこの作曲家の初期のもので、マーラーやシュトラウスから続く後期ロマン派の濃厚な音楽だ。決して秘曲というほど珍しい作品ではないが、実演ではあまり演奏されない。もちろん録音では、カラヤンがあの画期的な新ウィーン楽派集のひとつとして録音していたが、そのカラヤンにしても、録音した1974年にはベルリンやルツェルンで演奏しているようだが、それ以前もそれ以降も、ほとんど生演奏しなかったレパートリーである。そして、ほかのメジャーな指揮者は、この「ペレアス」をあまりレパートリーにして来なかったきらいがある。と書いていて思い出したが、ウィーン・フィルのアンソロジーで、珍しくもカール・ベームがこの曲を指揮したライヴ録音があったが、それはかなりのレア物なのである。
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実際、これだけの演奏会の数を誇る日本においても、この曲の実演は多くない。やはりシェーンベルク初期の作品で、後期ロマン主義スタイルで書かれた合唱と巨大なオーケストラのための超大作「グレの歌」の方が、むしろこの曲より演奏頻度が高いくらいだ。1927年から1981年までの日本のオケの定期演奏会記録を調べてみると、1972年に若杉弘と日フィル(日本初演だろう)、1980年にグシュルバウアーとN響、この2回しか演奏されていない。私自身、この「ペレアス」を実演で聴いた記憶は、遥か30年以上も昔の、小泉和裕(奇しくも都響の終身名誉指揮者であり、今月やはり同楽団を指揮した)が、当時の手兵であった新日本フィルを振ったものくらいしかない。そのときの小泉は暗譜で、素晴らしく集中力の高い音楽を聴かせたのをよく覚えている。彼のカラヤンコンクール優勝は1973年。このコンクールの優勝者はベルリン・フィルで研鑽を積むことができるシステムであり、これは想像だが、ちょうど彼のベルリンでの修業は、カラヤンがこの曲をベルリン・フィルと録音・生演奏していた頃であったのではないか。もしそうなら、そのような機会にみっちり習得したレパートリーであったのかもしれない。換言すると、そのようなきっかけでもないと、なかなかこの曲を暗譜するまで自家薬籠中のものにすることはできないように思う。
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さて、高い知性とマニアックな趣味性を併せ持つ大野は今回、やはり暗譜でこの「ペレアス」を指揮したのだ!! そして、耳に入って来た音楽は実に壮絶なもの。数々のマーラー演奏で鍛えられた都響のズシリと芯のある音が、いつものように多彩な音楽を紡ぎ出すのを耳にするのは大変壮観であったし、各セクションの自発性溢れる表現力にも強く動かされることとなった。この曲にはドロドロした情念が渦巻いており、生ぬるい演奏ではその真価は発揮されない。ただその一方で、マーラーやシュトラウスほど気の利いた音楽にもなっていないので、各主題を分離よく描き分けながら、しかも強い表現力を維持することは簡単ではないはず。そんな中、これだけ確信をもってエネルギッシュに40分を駆け抜けた指揮者とオーケストラは、この成果を世界に誇るべきではないか。この演奏会はたったの1回だけで、録音もされていない。これはいかにももったいないことではないか!!墓の下のシェーンベルクも、極東の地の日本でのこの成果を喜んでいると思う。
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これら2曲の演奏に比べると、最初のフォーレの「ペレアス」は、もちろん凡庸な演奏ではなかったが、ちょっと真面目過ぎたきらいがないでもない。ここでは、厚みのある音ではなく、洒脱な音を聴きたいものだと思った。これから大野と都響がどんどん進化することで、このようなレパートリーも面白くなって行くだろうと思う。最後に、大野自身の語る都響の現在の状況についての引用をしてみよう。

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都響は、近年とみに音の圧力が増しています。まず、物理的なヴォリュームが以前とは違う。さらにもう一つの側面として、私たちの身体に浸透してくるような、持続力のある、人の心を揺り動かす力のある音圧。それがこのオーケストラの特徴だと思うのです。その個性が生きるプログラムを、今後も作っていきたいですね。
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まさに私が普段感じていることそのままではないか。来シーズンの都響のプログラムを眺めていると、今回のシェーンベルク作品と時代精神を共有するツェムリンスキーの「人魚姫」(随分以前に大野はN響でも指揮しているはず)や、スクリャービンの3番、あるいはメシアンのトゥーランガリラ交響曲など、必聴のプログラムがいくつもある。東京でしか聴けない内容の音楽で、世界を羨望させてやりたいものだ。高まる期待を、抑えられません!!
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by yokohama7474 | 2016-11-20 01:32 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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