マイケル・ティルソン・トーマス指揮 サンフランシスコ交響楽団 (ピアノ : ユジャ・ワン) 2016年11月21日 サントリーホール

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東京は全く油断ならないところで、このサントリーホールでは、2日前の大野和士と庄司紗矢香の共演に心躍り、前日のティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンのワーグナーに圧倒され、やれやれと思っていたら、今度はこのコンサートである。あたかも、ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan の演奏会の合間を縫うように入っているこの演奏会、誠に侮りがたい。いや、正確に言うと、このホールの小ホールであるブルーローズではこの日、その音楽祭の一環として、シュターツカペレ・ドレスデンの首席奏者たちによる室内楽が演奏されていたのである。それと同時並行で開催された、マイケル・ティルソン・トーマス指揮のサンフランシスコ交響楽団の演奏会だ。この指揮者はロサンゼルス出身で、1995年から20年以上の長きに亘ってサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務める。愛称はMTT。
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私など、この人は青年指揮者だという印象が強いのだが、1944年生まれだから、既に今年72歳と知って驚く。なんたること、MTTが70を超えているとは!!この人はアメリカ音楽を含む近代の作品を中心レパートリーとしているが(両親がハリウッドの音楽家で、確かガーシュウィンが自宅に遊びに来たと語っているのを読んだ記憶がある)、随分早い時期に室内管弦楽団編成でベートーヴェンの交響曲全集を録音しているという実績もある。実は私は、この人の指揮するマーラーで、対照的な経験をしたことがある。一度は、既に20年前の話だが、ニューヨークで、ニューヨーク・フィルを指揮する5番を聴いてガッカリしたのだ(そんな演奏にヒーヒー叫んで総立ちのスタンディング・オベーションを送る聴衆にびっくりしたが、そのときはまだニューヨークのしきたりを知らなかった 笑)。もう一度は、それから数年後、当時手兵であったロンドン交響楽団を率いた来日公演での6番。これはすごい演奏であった。それ以外でも、初回のパシフィック・ミュージック・フェスティバルとか、前回のサンフランシスコ響との来日などで実演に接しているが、ロンドン響とのマーラー6番にまさる演奏は経験していない。実は、最近までニューヨーク在住であった音楽ファンの知人によると、米国で今最も高く評価されている指揮者とオケのコンビは、このMTTとサンフランシスコ響なのだそうである。確かに最近の録音も世評が高い。そんなわけで、夢をもう一度?、マーラーの演奏会を選んだのであった。曲目は以下の通り。
 ブライト・シェン : 「紅楼夢」序曲(日本初演)
 ショスタコーヴィチ : ピアノ協奏曲第1番ハ短調作品35 (ピアノ : ユジャ・ワン)
 マーラー : 交響曲第1番ニ長調「巨人」

上のチラシは一風変わっていて、大阪でのコンサートと東京でのコンサートが1枚に両方記載されている。このクラスの演奏家、ましてやソリストがユジャ・ワンとなると、普通は東京公演が何度か行われてしかるべきだが、実は今回は、この演奏会と、NHK音楽祭の一環として翌日NHKホールで開かれるコンサートの、合計2回のみ。NHK音楽祭は別の範疇のコンサートになるので、このチラシでは大阪公演も一緒に記載してヴァラエティを出したかったということか。実は今回のツァーは日本がメインでなく、韓国・中国・台湾を回って日本が最後の目的地だ。プログラムによると、11/9から11/22までの14日間に10回の演奏会が開かれるという強行軍。きっと指揮者もオケもお疲れでしょうが(あ、ソリストはまだ若いからきっと元気だと思います 笑)、ともあれ、期待のコンビ、どのようなコンサートになったのかレポートしよう。

最初の曲は、1955年中国生まれ、現在では米国に移住している作曲家ブライト・シェンの手になる、中国古典小説「紅楼夢」をテーマにした6分ほどの序曲で、今回が日本初演となる。これは、今年の9月にサンフランシスコ歌劇場で世界初演されたオペラ「紅楼夢」のテーマをもとに、別の曲として作曲されたもの。非常に耳に馴染みやすい、まるでミュージカルかとすら思える曲で、打楽器などに中国風の響きがある。だが、最後の部分では突然、バルトークの「中国の不思議な役人」のクライマックスそっくりの激しいリズムが刻まれて、なかなか迫力もある。なるほど、MTTの指揮によって出て来る音はどれもクリアで、米国での高い評価を納得させる。因みに18世紀、清代に書かれた「紅楼夢」は男女の情を描いた小説であることくらいは知っているが、私は読んだことがなく、「金瓶梅」のようなエロティックなものかと思ったら、こちらはプラトニックな恋愛ものである由(笑)。
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そして2曲目は、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番。この曲はオケの編成が変わっていて、弦楽合奏とトランペット・ソロだけだ。そもそもショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は、ヴァイオリン協奏曲と同様、2曲あるのだが、ヴァイオリン協奏曲がどちらも陰鬱であるのに対し、ピアノ協奏曲はどちらも軽妙な要素が強い。もともとこの作曲者はピアノの名手であり、楽器に対する親しみがそのような特色を生んだものだろうか。ともあれ、お待たせしました。ユジャ・ワンです。
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彼女が9月に行ったリサイタルについては2度に亘って記事にしたので、もうあまりユジャユジャ言う気はないが、いや、グジャグジャ言う気はないが、まあ相変わらずスーパーなピアノで、考えられないくらいの表現力の幅である。例えば、上に軽妙と書いたが、実はこの曲は洒脱一辺倒ではなく、第2楽章には影のある情緒がひたひたと漂っているのだ、ということを再認識した。チェロの合奏との掛け合いなど、絶妙なものがあり、陶然としてしまう音でしたよ。もちろん疾走する部分は、もう誰か止めてくれーという感じ(笑)。因みにトランペット独奏は、このオケの首席であるマーク・イノウエ。その名の通り日系人で、名門エンパイア・ブラスに所属した経歴もある。輝かしくモダンな響きを堪能した。そして、ユジャ・ワンが登場するところ、アンコールが演奏されないわけはない。まず最初は、トランペットとの共演で、「二人でお茶を (Tea for Two)」。コントラバス、というかこの場合はベースと言うべきか、の伴奏つきでジャズ風の楽しい演奏であった。このポピュラーナンバーを演奏したのは当然、ショスタコーヴィチがこの曲をオーケストラ編曲しているからだろう。まだ若い頃に、ある指揮者に「君は天才だそうだから、今聴いたこの曲を思い出して、何も見ずに1時間で編曲版を作りなさい」と言われて、難なく編曲したという有名なエピソードのある、あれだ。そして2曲目は、チャイコフスキーの「白鳥の湖」の「小さな白鳥の踊り」であったが、即興的にアレンジされていた。実はこのユジャ・ワンは、2012年にもMTTとサンフランシスコ響のソリストとして来日しており、楽員とも息の合った仲なのであろう。ちなみに今年のハロウィンには、サンフランシスコで共演していたらしく、同地のジャイアンツのユニフォームを来たMTTとユジャの写真を発見。
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そしてメインのマーラー「巨人」である。休憩後の舞台を見て気づくのは、まず指揮台が、非常にガッチリした木製の枠がついたものであり、指揮者の右手あたりには、桝状の容器に収まったコップに水が入っている。それを見て、MTTも既に70を超えて、演奏中に水分補給が必要なのかと複雑な思いだ。また、より興味深いのは弦楽器の配置で、コンサート前半では昔ながらの配置、つまり向かって左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、そして向かって指揮者右横にチェロ、その奥がコントラバスであったところ、後半のマーラーでは、ヴァイオリンの左右対抗配置を取り、指揮者正面の向かって左奥にチェロ、右奥にヴィオラで、コントラバスは左手の奥、第1ヴァイオリンの後ろであった。つまり、コントラバスは前半とは全く逆の位置で演奏することになったのだ。これはレパートリーごとに違った配置で適正な音響を引き出すという工夫であろうか?楽団紹介のこの写真では、今回の演奏会の前半の配置になっている。
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このマーラーの演奏、一言で言うと、大変にきれいに磨き抜かれた音で鳴っており、さすがに長年のコンビだけあって、息の合った演奏であったといえるだろう。木管も金管も技術は抜群で、左右に振り分けられたヴァイオリンの共鳴も説得力が大きい。また、大詰めではスコアの指定通りホルンを起立させていて、きっとそう来るだろうという事前の予想通り(これ、盛り上がるので私は好きなのです 笑)。テンポは基本的には大きく変えないものの、クライマックスでは少しためを作ることで、大きな流れが生まれていた。だが、全体として振り返ったときに思うのは、少し爽やか過ぎはしないか?ということ。若いマーラーが意気込んで、これから始まる艱難辛苦の作曲生活を知ってか知らでか、様々なアイデアを盛り込んだこの曲は、でもやはり、狂気に近いなりふり構わぬ表現によってこそ、本当に強い説得力が生まれるものではないか。好みの問題もあると思うが、MTTの音楽はマーラーにはちょっとピュア過ぎるような気がした。

尚、MTTは第1楽章と第2楽章の間で水を飲んでいた(第3・第4楽章は続けて演奏されるので水を飲むことはできないのだ)。その様子を見ながら聴いているうちに私が感じたのは、今回のツァーで彼は既に相当消耗しているのではないか、ということであった。永遠の音楽青年と思っていたが、やはり既に老齢。少し痛々しい。だが指揮者としては、年齢的にはこれからが面白くなるところだろう。明日NHK音楽祭で演奏するブルックナー7番は、彼としては異色のレパートリーであるが、このツァーの締めくくりとして熱演が期待されよう。追ってNHKで放送されるであろうから、楽しみにしたい。

最後に蛇足。この演奏会と同時並行で、小ホールであるブルーローズでは、シュターツカペレ・ドレスデンの首席奏者たちの室内楽が行われていたと書いたが、もしかして、指揮者ティーレマンが客席にいないだろうかと、休憩時間にロビーをほっつき歩いてみた。残念ながらティーレマンはいないようだったが、やはり指揮者の鈴木雅明・優人父子と、それから下野竜也が、Gパンの外人と四人で何やら談笑している。会話はドイツ語だったので、もしかして、ドレスデンの楽員か?さすがですね。でも、ユジャ・ワンの弾くショスタコーヴィチを聴く鈴木父子って面白い。バッハ・コレギウム・ジャパンのスペシャル・ゲストとしてユジャ・ワンを迎え、バッハの鍵盤のための協奏曲を演奏するなんていうのはいかがなものでしょうか。侮れない東京のこと、そんな企画もいずれ実現するとよいと、勝手に思っております。

by yokohama7474 | 2016-11-21 22:13 | 音楽 (Live) | Comments(0)