禅 心をかたちに 東京国立博物館

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これは、東京国立博物館で11/27(日)まで開催されている展覧会。なかなか記事をアップできずにいたが、とにかく会期内に書こうと思い、ギリギリながらここで皆様にご紹介することとした。というのも、これは大変に網羅的に禅に観点する貴重な文化財を取り揃えた展覧会で、これだけの規模と内容での展示は、今後もそうそうあるものではないからだ。日本人の精神世界に深く関わる禅を知ることは、自分たちが何者であり、過去に何をやってきたか、将来何をして行くべきなのか、そのような厳しい問いに直面することでもある。分かったような分からないような、人を食った物の言い方を禅問答のようだと言うが、ロジックでない何かに崇高な価値を求める東洋の発想自体に、我々の住む地域の特性が出ているということだろう。この展覧会は、今年の春に約1ヶ月京都で開催され、秋に東京でやはり約1ヶ月開催されるもの。合計しても2ヶ月しか開催期間がなく、期間中に展示替えもあるので、すべての作品を目にすることはもともと難しい。だがそれもまた一期一会。もし残る期間に現地に赴かれ、そのときの展示品を相対すれば、必ずや何か考えるヒントが得られるものであろうと考え、及ばずながらここに拙文を披露しようとするものである。

まずこの展覧会であるが、臨済禅師没後(仏教用語では「遠諱」(おんき)というらしい)1150年、白隠禅師没後250年を記念して開かれるもの。これらの高僧がどんな人たちであるかについては以下で言及されるが、ではそもそも禅とは何なのであろうか。展覧会における主催者側の冒頭挨拶から引用してみよう。

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およそ千五百年前、達磨大師(だるまだいし)によってインドから中国へ伝えられたとされる禅宗は、唐代の中国において臨済禅師義玄(りんざいぜんじぎげん)によって広がり、我が国には鎌倉時代にもたらされました。禅は武家のみならず、天皇家や公家にまで広く支持され、日本の社会と文化に大きな影響を与えました。
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禅は、釈尊の坐禅による悟り、即ち仏心を言葉や文字によらず、心から心へと伝えていくことを宗旨としております。体得したものは文字言句では説明し尽くせないからです。
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ここで既に本質的なことが明らかになっている。つまり禅とは、ほとけの悟りの極意を、視覚聴覚で認知できる方法ではなく、心をもって伝えて行く仏教の一派であるということだ。それゆえ、この展覧会の副題は「心をかたちに」となっているのであろう。また、その禅の日本における広がりは、武家政権確立とともに始まり、広く社会に受け入れられて行ったということなのである。それから、もうひとつここで認識すべきなのは、この展覧会は、日本における3派の禅宗のうち2派、つまり臨済宗と黄檗宗(おうばくしゅう)の文化財の展示に限られ、もうひとつの宗派である曹洞宗(そうとうしゅう)は対象から外れていることだ。武家の支持を受けて鎌倉や京都で盛んとなった栄西を開祖とする臨済宗に対し、曹洞宗の開祖道元は、山奥に籠って修行することを是とした(福井の永平寺が総本山であることを想起すれば理解できるはず)。一方の黄檗宗は、江戸時代になって入ってきた中国風の禅で、全国規模で見ればマイナーな存在だ。従って、京都の華やかな禅寺の多くは臨済宗であり、この展覧会にはその臨済宗の寺院からの出展が多いと整理できる。ご覧頂ける通り、多くが高僧とその事績にまつわる遺品である。

では出品作を見て行こう。禅宗の高僧の名前には今日使われていない漢字も多く、ちゃんと漢字変換できない可能性もあるが、その点は何卒ご容赦を。まず最初は、禅の開祖である達磨を描いた作品。山梨県の向嶽寺の所蔵する国宝だ。
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日本でもおなじみのダルマさんはこの人であるが、壁に向かって9年間坐禅したために手足が腐ってしまったという伝承が日本のダルマの形態のいわれである。なんとも壮絶な修行の様子を可愛らしいキャラクターにしてしまう感性が、昔から日本人にあったということではないだろうか。この達磨の絵は、人間的な凄みを感じさせるもので、賛(絵の上の部分の文字)を書いているのは、鎌倉建長寺の開祖、蘭渓道隆だ。彼についてはまた後ほど触れるが、彼の賛が入っていることで、この絵が日本に禅宗が導入された最初期のものと判明するので、非常に貴重な遺品なのである。

仏教の流派はよく、始祖からの正統的な継承を重要視するが、臨済禅はとりわけその要素が強く、六大祖師なる存在が崇敬された。これは最初のふたり、達磨と、その弟子である慧可(えか。日本では雪舟の「慧可断臂図」で知られる)である。京都の妙心寺所蔵になる鎌倉時代の作品で、日本における六大祖師像の現存する最古の例であり、重要文化財だ。
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そして、臨済宗の名前の由来となっている中国の高僧、臨済義玄。彼の没年は867年。来年が没後1150年ということだ。温和な肖像画もあるが、これはまるで鬼のような怖い形相で、「怒目奮拳(どもくふんけん)」と呼ばれる様式。裂帛の気合ということだろう。これも日本の気合と根性文化のひとつの源流であろうか(笑)。興味深い。尚、ここで賛を書いているのはあの一休宗純。京都真珠庵所蔵の重文である。
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さて、禅宗の開祖達磨、臨済宗の開祖臨済義玄とくれば、次は臨済宗を日本に伝えた明珍栄西である。この人の名前は、歴史の教科書にも載っているのでおなじみであるが、字面から「えいさい」とつい読んでしまうのだが、正しくは「ようさい」と読むらしい。昨年岡山の吉備津神社を訪れた際に彼の生誕地の案内が出ていたが、父親はその神社の神官であったとのこと。臨済禅のみならず、喫茶の習慣も日本に伝えたことで知られる。これは現存する彼の最古の肖像画で、京都の両足院所蔵。この人の場合、後世の肖像彫刻も沢山あるが、いずれもこの四角いユニークな頭のかたちをしているのですぐ分かる(笑)。実際に頭が良すぎて、こんな格好に発達していたのだろう。
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これは、それほど有名な方ではないが、無準師範(ぶじゅんしばん)。京都東福寺の所蔵する国宝である。東福寺の開山である聖一国師円爾が宋に渡って弟子入りしたのがこの高僧で、賛は無準師範自身のもの。皇帝にも近い高僧で、弟子の中には、日本にやってきた無学祖元や、伝説的絵師である牧谿がいる。穏やかな表情に厳しさもたたえた、素晴らしい肖像画ではないか。
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そしてこれが、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)の肖像だ。彼が開いた鎌倉、建長寺の開山堂に安置されているが、最近の修理によって江戸時代の塗装を剥がし、面目を一新したとのこと。瞳には水晶が入っていて、まさに生けるがごとき風貌。私のもと上司の副社長を彷彿とさせる(笑)。それだけリアルだということで、鎌倉時代の肖像彫刻の傑作だ。重文である。
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一方こちらは、やはり建長寺が蔵する蘭渓道隆の画像。自ら賛を書いている由緒正しいもので、国宝。面長であるが、きっと上の彫刻よりは若い頃の肖像なのであろう。そのように、画一的なものでない複数の肖像から、実際にこの高僧が日本で活動していたという750年も前の歴史的事実を如実に表している点、そのリアリティに圧倒される思いである。会場にはまた、この蘭渓道隆の書(「法語規則」)も展示されている。やはり建長寺の所蔵する国宝だ。
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鎌倉を代表するもうひとつの禅寺、円覚寺を開いたのは、無準師範の弟子である無学祖元(むがくそげん)。その円覚寺が所蔵する自賛の肖像画(重文)と、相国寺所蔵の彼の書である「与長楽寺一翁偈」(国宝)。さすが、いい字書きますねぇ。
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この展覧会の主催者あいさつからの抜粋で、禅が武家だけでなく天皇家や公家にも支持されたとあったが、その事実を体現する人がいる。鎌倉時代の亀山法皇だ。彼はなんとあの京都の大寺院、南禅寺の開基であるのだ。そのやんごとなき由緒ゆえに、南禅寺は京都五山、鎌倉五山双方の別格という位置づけに置かれたのである。これは南禅寺の所蔵する亀山法皇の彫像で、重文。崩御まもなく制作されたものであろうと見られる由。確かにリアルで人間的である。Wikiを見ると、「禅宗に帰依し、亀山法皇の出家で公家の間にも禅宗が徐々に浸透していく。その一方で、好色ぶりでも知られ、出家後も様々な女性と関係をもって多くの子供を儲けている」とある。なるほど、広く人生の機微を探訪された方であったようだ(笑)。だが江戸時代になると、狩野探幽の画像(やはり南禅寺蔵)のように、威厳をもって描かれるようになる。
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その一方、私の好きな高僧の肖像画がある。やはり京都有数の禅寺である大徳寺の開祖、大燈国師 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)の自賛つきの画像。その大徳寺所蔵の国宝だ。何か不愉快なことでもあったのだろうか、横目できっと睨み付けるようなこの面構えには、美化のかけらもない。きっと厳しい人だったのでしょうね(笑)。この妙超が弟子に与えた書、「徹翁」(てっとう)の豪快さはどうだ。大徳寺所蔵になる重文である。ちなみに今回確認して知ったことには、この大徳寺、あれだけの名刹でありながら、京都五山には入っていない。理由は、室町幕府が五山制度を整備した際に、もともと後醍醐天皇に近かったこの寺を足利尊氏が排除したからだとのこと。今日、五山制度(ちなみに対象寺院はすべて臨済宗)は禅寺の格式そのものかという誤解を招きやすいが、なんのことはない、政治的な要素も多分にある中で制定されたものであるわけだ。妙超の「徹翁」の字を見ていると、そんなことはどうでもよくなってくる。
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そしてもう一人、有名な高僧をご紹介する。夢窓疎石(むそうそせき)である。彼は庭園の設計でも知られ、自ら初代住職となった天龍寺以外にも、京都なら西芳寺(あの苔寺だ)、鎌倉の瑞泉寺、そして私も先般訪れた岐阜の永保寺などに、彼の庭園が残っている。京都の嵐山ある天龍寺は足利尊氏の開基になるもので、それゆえにもちろん、京都五山第一位の高い寺格を持つ。上記の通り、人間のやっていることであるから、五山制度は足利氏の思惑によって整備されたものであることを再認識しよう。だが私は天龍寺の庭は大好きで、もう何度でも行きたくなるほど素晴らしい(今頃は紅葉がきれいだろうなぁ・・・)。そんな庭を造った夢想疎石を私は心から慕うし、このような自賛の肖像画(妙智院所蔵の重文)を見ても、きっと心の澄んだ人だったのだろうと思う。彼の書として展示されている「天龍寺臨幸私記」(鹿王院所蔵、重文)は、実務的な内容でありながら、涼やかな字とお見受けする。そういえば武満徹も、彼の名を題名とした曲を書いている。
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次は私が今回初めて知った、広島三原市の佛通寺というお寺にある2体の彫刻をご紹介する。即休契了(しっきゅうけいりょう)とその弟子、佛通寺開山の愚中周及(ぐちゅうしゅうきゅう)である。室町時代の制作で、県の文化財指定であるが、中央から離れた三原において長らく守られてきたことに感動する。佛通寺はそれなりに知名度のある寺院であり、開山のこの僧たちの念が未だに続いていると思わせるような、生けるかごとき肖像である。
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室町時代の禅僧で最も有名な人はもちろん一休宗純であろう。私も以前このブログの記事で、彼が晩年を過ごした京田辺市の酬恩庵をご紹介したが、とんちの一休さんという姿ではない、狂気をはらんだ天才僧としての姿こそ、後世の人たちに何かを訴えかける。展覧会には、自賛入りの若い肖像画(奈良国立博物館蔵)が展示されているが、これは現存する最も早い時期の一休の肖像画であるそうだ。後ろに長い朱色の太刀が見えるが、これにはいわれがある。一休が堺の街中を木製の剣を持って歩き回ったとき、そのわけを訊かれて、「世の偽坊主はこの木剣のようなもの。室の中にあれば真剣に見えるが、いざ室を出るとただの木片で、人を殺すことも活かすこともできない」と答えたとか。いやはや、一休自身はきっと真剣のような人であったのだろう。
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それから、インゲン豆で有名な隠元隆琦(いんげんりゅうき)もユニークな僧であった。江戸時代に京都・宇治に黄檗山萬福寺を開き、新たな中国風禅宗である黄檗宗の開祖となった。これはその萬福寺が所有する自賛入りの肖像画。これまで見てみた通り、禅僧の肖像画、いわゆる頂相(ちんぞう)にはそれまで正面から描かれたものはなく、これは新機軸であったようだ。ここで彼の持つ長い杖は行脚用のもので、実際に萬福寺には隠元が使ったと言われる長い長い杖が残っていて、この展覧会にも展示されている。力強い「黄檗山」の字にも、この人の生きざまが表れていると感じる。
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さてそれから展覧会は、戦国武将と禅僧との関連のコーナーに入る。ここでは、展示されている戦国武将の肖像をいくつかご紹介する。まず、これは誰でしょう。答えは、九州の有力大名、大友宗麟である。宗麟といえば、キリシタン大名であったはず。このような僧の格好での肖像とは意外である。これは自身が菩提寺として開いた京都、大徳寺塔頭の瑞峯院に伝来したもので、百か日法要のために制作された可能性があるという。つまり、生前の姿をかなり忠実に伝えるものだろう。キリスト教に改宗しても、仏教寺院に葬られて僧の装束で肖像画が描かれるとは、日本の習慣は面白い。
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これは狩野永徳の手になる織田信長像。死の2年後、1584年の作とされる。つまり、三回忌のために作成された可能性が高いとのこと。現在では大徳寺の所有である。通常のイメージよりも少し弱々しくも思われるが、神経質そうなところはイメージに合う面もある。
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そしてこれは、豊臣秀吉の没後数ヶ月を経た1599年、狩野光信(永徳の長男)によって描かれたもの。遺言によって、豊国大明神という神の姿で描かれた最初の例であろうとのこと。現在では宇和島伊達文化保存会が所有する重文。
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江戸時代に入り、将軍家と近かった禅僧たちも多い。代表例として、金地院の以心崇伝像(狩野探幽筆)、自賛のある、たくあんで有名な沢庵和尚像(大阪、祥雲寺像の重文)を挙げておく。
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さて、禅画といえば白隠だ。これはその白隠慧鶴(はくいんえかく)の自画像。静岡県の松蔭寺の所蔵。白隠の自画像のうち最も古い例のひとつらしいが、時に白隠、既に71歳。年を経て迫力が出てこないと、こんな絵を描くことはできないでしょうな。
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これはやはり白隠の手になる達磨像(永青文庫蔵)だが、字が書いてあって、「どふ見ても」と読むらしい。どう見ても一体なんだというのか、大変気になる(笑)。この禅画の雰囲気は、不条理漫画にも通じるものがあるが、果たして不条理漫画なるもの、日本以外にあるのだろうか。もしかすると世界でも独特のものなのでは?
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これも白隠の面白い作品で、「乞食大師像」。やはり永青文庫の蔵である。描かれているのは、上で不機嫌な肖像画をご紹介した、大燈国師 宗峰妙超。彼が乞食の群れの中に身をやつしていたとき、探し出そうとした後醍醐天皇の使者は、妙超が「まくわ瓜」が好物であることを知っていて、高札でまくわ瓜をただで与えると布告。やって来た乞食の群れに対して、「足なしで取りに来い」と言うと、「手なしで渡せ」と答える者があって、妙超であるとばれたという逸話。この狂気をはらんだ表情が、禅の精神のひとつの表れであろう。
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仙厓(この展覧会では「僊厓」となっているが、ここでは通常の漢字を使用する)も様々なユーモラスな禅画で有名だ。この展覧会にも彼の作品が多く並んでいるが、これは福岡県の聖福寺所蔵になる「南泉斬猫図」(なんせんざんみょうず)。これは、いわゆる公案(禅のケーススタディ?)のひとつで、僧たちが一匹の猫をめぐって争いを起こしているのを見た南泉という名僧が、「わしの意に叶ったことを言えば猫は助ける。そうでなければ斬って捨てる」と僧たちに迫った。ところが僧たちはその生死を分ける場で何も言えず、猫は斬り殺されてしまった。その夜、外出から帰ってきた趙州(じょうしゅう)という門下の僧に南泉がその話をすると、趙州は何も言わず、草鞋を脱いで頭に乗せ、部屋を出て行ってしまった。それを見た南泉は、「あのときアイツがいたら子猫を斬らずにすんだのに。かわいそうなことをした」と言ったという話。なんともシュールであるが、これが禅の極意なのであろう。いやそれにしても仙厓、自由すぎる。こんな人がいれば、南泉はやはり猫を斬ることを思いとどまっただろう(笑)。
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その後彫刻のコーナーがある。禅独特の彫刻というものがあって面白い。これは建長寺の伽藍神(重文)。中国風であるが、民間信仰の神のような雰囲気もあるではないか。
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こちらは奈良国立博物館所蔵の同じ伽藍神であるが、こちらは走っておられる(笑)。
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国宝・重文居並ぶ中で、今回特に私の興味を惹いたのは、京都・鹿王院所蔵の十大弟子像。国の文化財指定は受けていないようだが、ほかにないユニークな十大弟子だ。鎌倉時代の制作だが、何体かは江戸時代に補修されている由。高さ40-50cm程度の小さなものであるが、その姿勢・表情の活き活きとしたことは、まるで近代彫刻のようだ。十体すべてご紹介したいところだが、ここでは三体だけにしよう。仏教彫刻を見慣れた人ほど、その造形のユニークさに驚くことだろう。特に三体目の須菩提は、かがんで靴をチェック(?)している!!これら十体は円形にずらりと並んで展示してあるので、面白くて何周も回って見入ってしまった。
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黄檗山萬福寺の十八羅漢から何体か展示されているが、この蘇賓陀尊者(すびんだそんじゃ)は、極めてユニーク。ほとけはおのが心の中にありという意味か。
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萬福寺からはやはり、中国伝来の韋駄天(いだてん)像も出品されていて、やはり楽しい。俊足で知られる、あの神だが、仏教寺院では庫裏(僧侶の生活場所)に置かれることが多い。萬福寺では、弥勒菩薩の化身である布袋像と背中合わせに安置されている。
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最後に、私がこの展覧会の最後のコーナー、「禅文化の広がり」の中で目にした飛び切りの逸品をふたつご紹介する。まず、大阪の東洋陶磁美術館所蔵にな国宝、油滴天目茶碗。素晴らしい名品であるとしか言いようがない。
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それから、会場である東京国立博物館が所蔵するやはり国宝の、雪舟筆による「秋冬山水図」。過去に何度か実物を見ているが、何度見ても空気感を味わうことができる絶品である。
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さて、ここまで充分長く書いてきたが、図録に載っている作品数307の中の、ほんの一部である(難しい漢字の変換もなんとかクリアした 笑)。いかに本展の規模と内容が図抜けているか、お分かり頂けよう。これを見たからと言って、禅について何かがすぐに分かるものではないだろうが、この記事の中で触れたように、武家や天皇家の思惑、高僧の人となり、茶の湯文化とのかかわり、等々の側面での多様な切り口から、日本人の考え方そのものや現代の文化にも、禅は大きな影響を与えていることは、分かってくるであろう。そうすると今度は、ここに出展しているような禅寺を実際に訪れてみたくなるに違いない。この展覧会の後にお寺を訪れることで、必ず何か発見があるだろう。私としては、この展覧会を大いに楽しんだことは事実だが、上の方でも書いた通り、一方ではこの展覧会の対象にはなっていない禅のもう一派である曹洞宗についても、知りたい気持ちが強くなってきた。曹洞宗の開祖、道元の代表作は正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)だが、その解説書を何分の一かまで読んで、もう何年もほったらかしてあることを思い出した・・・。心して再読したいと思います。

by yokohama7474 | 2016-11-23 22:53 | 美術・旅行 | Comments(0)
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