東京二期会公演 リヒャルト・シュトラウス : 楽劇「ナクソス島のアリアドネ」(シモーネ・ヤング指揮 / カロリーネ・グルーバー演出) 2016年11月23日 日生劇場

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つい先日、ウィーン国立歌劇場の来日公演で鑑賞したばかりの、R・シュトラウスの傑作「ナクソス島のアリアドネ」を、全く異なる上演で鑑賞することとなった。これは日本のオペラ団体である東京二期会による公演で、上のチラシにある通り、ライプツィヒ歌劇場との提携公演。二期会は9月にもワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を、やはりライプツィヒ歌劇場との提携によって上演したが、この2作は大変に意欲的な取り組みとして、高く評価したい。そもそもオペラなどという大掛かりな芸術は非常な金食い虫であり、チケットの売り上げだけで費用を賄えるはずもなく、世界の多くの歌劇場は、国や地方自治体のサポートや企業からの寄付によって成り立っている。その点この二期会は、藤原歌劇団と並んで、常打ちのオペラハウスや専属のオーケストラなしに積極的なオペラ上演を継続している団体として、非常にユニークである。新国立劇場でのオペラ公演以外に日本にはこのような団体があることで、多様な演奏に親しむことができるわけであって、大変意義のあることだと思う。海外でオペラに出かけると観光客以外は大概老人の聴衆であることが多いが、日本では若い人の姿もそれなりの割合で入っていて、その点も大変結構だと思っている。もちろん、長い伝統を持つヨーロッパ人にとってのオペラと日本人にとってのオペラとの間には様々な点で差があるのは致し方ないが、純粋に音楽を主体とした舞台芸術として楽しめる上演を継続して行けば、日本の文化度はさらに上がって行くものと思うのである。

もちろんそんな私とて、ただ日本のオペラを応援するために会場に足を運ぶのではない。期待できそうな音楽家や演出家が関わっているから、出かけるのである。先の「トリスタンとイゾルデ」は、スペイン人のヘスス・ロペス=コボスが指揮を執ったが、今回登場するのは、シモーネ・ヤングだ。
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既に今年11月3日に東京交響楽団(通称「東響」)を指揮したコンサートを記事として採り上げたこの女性指揮者、今度はオペラで同じ東響を率いる(その間、大阪フィルにも客演した模様)。もともとハンブルク州立歌劇場で長らく音楽監督を務めた人であり、その実績は、ことさら女性云々と言う必要のない立派なもの。「ナクソス島のアリアドネ」は、オケの編成こそ小さいものの、めまぐるしく劇が進行して、音楽も複雑である。その手腕が楽しみである。今回演出を担当するのは、オーストリア出身のやはり女流演出家、カロリーネ・グルーバー。今回のプロダクションは、既に2008年にライプツィヒで上演しているとのこと。これは記者会見の様子。
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東京二期会によるこの上演、2組のキャストによる4回の公演が予定されていて、私が見たのはその初日にあたるもの。ふと気づいてみると、上演中ステージにいる人たちは、歌手の全員とオケの(恐らく)ほぼ全員が同じ国民、つまり日本人で、指揮者のみが外国人。そんな環境でのオペラ上演は、日本以外にはあるのだろうか。いずれにせよ、かなり強力に見えるこの指揮と演出のコンビ。
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この舞台、私としては結構楽しむことができた。ただ、演出は歌手にかなり細かい演技を要求するものであり、中にはちょっと動きがうるさいと思える箇所もあったと思う。プロローグはこのような、現在のビルの地下で展開し、ガラスの向こうには駐車場が見える。もともとの設定がオペラ上演前の楽屋なので、現代への読み替えとはいえ、これはそれほど違和感のないところ。
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だが、原作にはないキューピッドが、演技だけの役として出て来て、少々凝りすぎの感なきにしもあらず。
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オペラ本編の舞台設定は、もともとはナクソス島であるが、ここでは円卓の並ぶパーティ会場のような場所。豪華客船の中のようにも見える。
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この演出のひとつの特徴は、通常ならプロローグにしか登場しない役の人たちも皆、オペラ本体でも姿を見せていることだ。先に上演されたウィーン国立歌劇場によるスヴェン=エリック・ベヒトルフの演出では、作曲家がツェルビネッタとの恋を継続するためにオペラ本体でも登場したが、この演出は、文字通り全員である。演出家グルーバーは以下のように語る。

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私は、アリアドネだけではなく、2幕に登場するすべての人物が「新しい愛をみつけ」、最後は全員が、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』のように、幸せになるのだ、と考えています。このアリアドネの物語のように、新しい愛をみつけることで人は絶望から再生できるだろうかという問題は、私にとっても大変重要なテーマとなっています
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なるほど、大詰めではバッカスとアリアドネの二重唱の後ろで、あらゆる人たちがゆっくりと愛を演じたり迷いを示したりしていたが、「夏の夜の夢」のイメージであったか。セットの奥にある縦長の大きな扉は開かれ、窓かと思われた円形の物体は月と化し、天井と下手の壁からは巨大な植物が姿を現した。なかなかに幻想的ではあった。
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さてここで考えたいのは、台本作家のホフマンスタールが凝りに凝ったセリフ回しを駆使している作品において、ここまで多様な動きを歌手に課す必要があったかということではないか。先に見たウィーンの上演では、シンプルな演出によって音楽の力が最大限発揮されていた。どうしてもそれと比較してしまうと、演じた歌手の皆さん方は本当にご苦労様であったが(特にツェルビネッタは、何度も体中を触られて大変だったろう 笑)、もう少し音楽に集中したかったという思いを禁じ得ない。

一方の音楽であるが、まずヤングの指揮は期待通りに音楽の流麗な流れを作り出す達者なもので、丁寧な指揮ぶりに好感が持てた。このような作品になると、小細工の施しようもないが、やはり美しく響くべき箇所を美しく演奏するということが、なかなか難しいものと思う。その点では、特に木管が好調な最近の東響をヤングがよくリードしていた。プログラムを読んでいて気付いたが、この作品でシュトラウスは、古いモーツァルトの時代作品並みの30数名の小編成のオケを使って、そのクライマックスでは前作である「ばらの騎士」に匹敵するドラマティックな音楽を書いたわけだ。確かにこの曲のクライマックスは、ちゃんとした演奏で聴けば、情感に不足することなく、感動的である。今回の演奏ではそのあたりも万全で、安心して聴いていることができた。

歌手陣も、個別にばらつきはあったものの、総じて大健闘だったと思う。語り役の執事長を演じた多田羅廸夫(たたら みちお)は、昔小澤征爾がベルクの「ヴォツェック」を新日本フィルと演奏したときの主役だし、作曲家役の白土`理香(しらつち りか)も、昔よく若杉弘の演奏会で聴いた名前だ。そのような二期会の伝統に、例えばツェルビネッタを演じた高橋維(ゆい)のような昨年二期会にデビューしたという初々しい若手も交え、日本のオペラ界にも既に歴史が刻まれて行っているのだという思いを新たにする。そんな中、いちばんの熱演は、アリアドネを演じた林正子であったろう。
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これだけの難易度のオペラを日本人歌手だけで歌い切るということを、しかも、ほぼ全員入れ替わってのダブル・キャストで演じることを、指揮者や演出家はどのように思ったであろうか。ヨーロッパから遠く離れた日本でそんなことが起こっていることをドイツの人たちは多分ほとんど知らないであろうから、やはり日本人側から世界に向けてアピールして行くべきであろうと思うが、いかがなものであろうか。

余談だが、随分以前、やはりこの曲の日本人だけによる上演を見たことを思い出した。それは、ほかならぬ日本のオペラ/オーケストラ史に多大なる貢献を残した若杉弘の指揮によるもの。正直なところ、私はその上演前には、「新国立劇場ができたら達成できるレヴェルの予行演習だな」と思って聴きに行き、期待が大きかっただけに、その残念な出来にかなり意気消沈した記憶がある。今手元にその上演のプログラムを持って来てみると、それは1995年、東京オペラ・プロデュースと日本リヒャルト・シュトラウス協会の合同企画で、「邦人による原語初演」とある。会場は、なかのZEROホールというところであった。
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残念な出来とは書いたが、当時もコロラトゥーラソプラノとしてツェルビネッタ役を得意にした釜洞祐子の出演などもあった(上の「けいこ場スナップ」にも写っている)が、オケのパートがうまく流れを作り出せておらず、それによって舞台には活気がなかったような気がする。それを思うと、この20年間の日本のオペラ上演のレヴェル上昇には、大変なものがあると思うのだ。・・・と思ってプログラムを懐かしく見ていると、な、なんと、その時の上演にも出演していた歌手で、ひとりだけ今回の上演でも同じ役で歌っている人がいるのだ!!作曲家役の白土`理香だ。これが21年前のプログラムの写真。
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そしてこれが今回、ツェルビネッタ役の高橋維とのツーショット。後ろで立っているのが彼女である。
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もちろん衣装の問題もあるし、この比較はフェアではないかもしれないが、20年前の若手のホープが、今やベテランとして健在ぶりを示し、そこに現在の若手が絡むという図式には、何やら胸躍るものがある。日本のオペラの歴史は、今まさに作られつつあるのである。是非またこのような一流の指揮者を呼んで、日本独自の鍛錬の成果を積み上げて行って欲しい。

by yokohama7474 | 2016-11-24 01:17 | 音楽 (Live) | Comments(0)