ガール・オン・ザ・トレイン (テイト・テイラー監督 / 原題 : The Girl on the Train)

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この映画に出てくるのは、すべて弱い人間である。だから私はこの映画を見て全く楽しい気分にはなれなかった。実はこの思い、前項の平野啓一郎作の戯曲「肉声」を見て感じた問題意識とも通じるものがあるので、ここでこの映画を採り上げることに多少の意義はあるだろう。

以前も書いたが、この映画の主演であるエミリー・ブラントは私のお気に入りの女優である。彼女が主演して、しかも上に掲げたポスターに書いてある通り、たまたま電車の車窓から見た光景が殺人事件に発展して行くという設定が、ヒッチコックばりの巻き込まれ型スリラーになっているのではないかと考えたので、この映画に興味を持ったわけである。後で知ったことには、この映画の原作はポーラ・ホーキンズという英国の女流作家による小説で、既に40ヶ国語以上に翻訳されて世界的なベストセラーになっている由。原作はロンドン郊外を舞台にしているが、ここではニューヨーク郊外に変更されている。ただ、英国出身のブラントはここで、"can't"を「カーント」という英国式アクセントで発音するなど、異国からやってきてニューヨーク近郊に住んでいるという設定が分かるようになっている。舞台は、グランド・セントラル駅から北へ向かうメトロノース鉄道のHudson Line沿線(この線が通るウェストチェスター郡には日本人駐在員も多く暮らしている)。まさにハドソン川のすぐ横を鉄道が走っていて、雄大な風景である。これはイメージ。
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さて、この雄大なハドソン川を臨む沿線で、主人公の女性、エミリー・ブラント演じるレイチェルが毎日見ているのは、ハドソン川とは線路を挟んで反対側に並ぶ家のうちの一軒に住む若いカップル。彼女はそこに理想の夫婦像を見出すが、ある日その家に住む女性がほかの男性と不倫しているのを目撃。それが事件の発端になって行くというスリラーだ。どうです、面白そうでしょう(笑)。この映画を見る人が、だがすぐに目にするのは、前作「スノーホワイト/氷の王国」でのお姫様役(今年6月13日付の記事ご参照)とは似ても似つかない、カサカサに荒れた唇のアル中女なのである。
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先に述べておくが、ここでのエミリー・ブラントは大変な熱演である。それは認める。だが、その熱演が上質なスリラーに貢献しているか否かは別問題。ここでの主要な役は、彼女を含めた女性三人なのである。一人は、若い女性メガンを演じるヘイリー・ベネット。なかなかに色気のある危うい役柄であり、濡れた瞳がなんとも生々しいのであるが、後で調べて分かったことには、デンゼル・ワシントン主演の「イコライザー」に出ていたあの女優だ。うん、確かにあまり美形ではないのに、ちょっと気になる若手女優であった。
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対する落ち着いた人妻アナを演じるのは、スウェーデン人のレベッカ・ファーガソン。彼女は「ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション」(今年9月10日付の記事ご参照)に出ていた女優である。
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彼女らが直接間接に演じる、男を巡る愛憎劇が、この映画の本質だ。私の意見では、これはスリラーなどではない。洒脱な社会批判や、背徳的な殺人賛美はここにはない。ただ、すえた男女の関係がウネウネと続いているだけなのだ。関係する男のひとりは、「ドラキュラZERO」「ハイライズ」のルーク・エヴァンス。
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この映画が彼の男っぽい魅力に依拠しているかというと、そうでもない。じゃあなんなんだよこの映画(笑)。人間の弱い面汚い面を、現実よりも誇張して描いているのである。このような映画を面白いと思う人もいるのかもしれないが、でも、私は全然楽しめなかった。様々な社会の危機を生きる必要のある現代、こんな「あーどうしようどうしよう」という映画を見ていても、埒が明くまい。この時代には個々人の強固な信念が試されるし、特に文化の担い手は、人間としての尊厳をこそ描くべきではないか。そうでなければ、退廃に身を委ねて空笑いするか、もしくは知的なエンターテインメントを追求すべきではないか。この映画は、同じハドソン川を舞台としていても、あの「ハドソン川の奇跡」とは全く違った映画なのである。そして、あえて言ってしまえば、昨日見た芝居「肉声」と共通する物足りなさを感じてしまうのだ。

まあ、ひとつ印象に残るシーンがあるとすると、クライマックスで男が殺されるところだろう。なるほど、人を殺すのにこういう手があったかと思うことにはなると思う(笑)。今後はワインを飲むときに思い出してしまうかもしれない血しぶきだ。
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繰り返しだが、これからの時代、個人個人が強く生きなくてはいけない。この映画の題名で、「トレイン」の前についている冠詞は、"the"であって"a"ではない。つまり、主人公の女性が乗っているのは、なんでもよい、いつでもよい列車ではなく、特定の列車。人それぞれに運命づけられた列車というものはあるのかもしれない。それをよく認識しつつ、自由な思いを求めて、この映画の主役のように、時にはせめて列車の反対側に乗るだけの余裕を持ちたい。そうするとまた違った景色が見えてくるのであろう。こんな弱い人たちに乱されることのない平穏が存在する違った景色が。

by yokohama7474 | 2016-11-26 23:50 | 映画 | Comments(0)