マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 2016年11月27日 サントリーホール

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ミュンヘンに本拠地を置く世界一流のオーケストラ、バイエルン放送交響楽団とその首席指揮者、ラトヴィア出身のマリス・ヤンソンスの演奏会、前日のミューザ川崎に続き、今度はサントリーホールに足を運んだ。これは、オーケストラファンならば誰もが聴いてみたいと思うような内容で、曲目はただ1曲、マーラーの交響曲第9番ニ長調なのである。この曲は演奏に1時間半を要する文字通り晩年のマーラーによる畢生の大作で、生と死のはざまで葛藤する芸術家の姿を浮き彫りにする深遠な作品。聴く方もそうおいそれとは聴くことはできないし、演奏する方はまた、相当な覚悟がないと取り組むことができないだろう。このブログでも、この曲に関する記事は未だ書いていないと記憶する。上のチラシにも、「歴史的名演の予感。究極のシンフォニー!」とあって、その謳い文句は必ずしも誇張ではないのである。

会場は超満員ではなかったものの、集まったクラシックファンの熱気に満ちている。休憩なしの演奏会ということで、開演前にトイレに長蛇の列ができていたが、それを見て改めて男性比率の高いコンサートだなと思いました(笑)。私のようなオッサンたちも涙するマーラー9番。果たして歴史的名演なるか。マーラーのデスマスクも何かを語り出しそうだ。
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ここで少し歴史的事実を振り返ってみよう。この曲の日本初演は、1967年、キリル・コンドラシン指揮モスクワ・フィルによるもの。また、バイエルン放送響の来日時のこの曲の演奏としては、1975年のラファエル・クーベリックによるものが知られている。後者は、演奏終了後にコンサートマスターが感動のあまり泣きじゃくっていたと、どこかで読んだことがある。実はこの2つの演奏とも、今ではCDで聴くことができて、前者も、それから伝説の後者にしても、今の耳で聴くと、それほど驚くほどの超名演とも思えない。だが面白いのは、コンドラシンは旧ソ連ではもちろんヤンソンスの大先輩にあたる指揮者であったわけだが、西側に亡命してからはアムステルダムのコンセルトヘボウ管弦楽団と親密な関係を築き、また、他でもないこのバイエルン放送響の首席指揮者に内定していたのだ。惜しくも急逝したためにその人事は実現しなかったわけだが、ヤンソンスにとっては、コンセルトヘボウとバイエルンという2つのオケで接点のある指揮者であるわけだ。これも何かのご縁だろう。

もちろん、音楽が始まってしまえば過去の事実も何かのご縁も関係ない。虚心坦懐に耳を傾けてみよう。もともとこのヤンソンスという指揮者は、決して感傷的なタイプではなく、とにかく明快な推進力を持って音楽を解き放つタイプ。今回は、持ち味の明快さを充分に保ちつつも、弦の中音域が極めて充実した深い内容であり、過度な感傷を排した音のドラマとして、大変高い次元に達した名演であったと思う。中でも、一貫して第2ヴァイオリンの積極性が印象的であり、全身で音楽への没入を示す奏者たちから、あたかもメラメラと炎が立ち昇っているようにすら感じた。奏者をしてここまで燃えさせるのが、ヤンソンスの持つ音楽家としての並外れた力なのだということを、改めて実感した次第である。解釈に奇をてらったところは全くないが、例えば第2楽章の終結部、ピッコロを中心とする弱音が2度繰り返される箇所は、そこだけ少しテンポを速めたように聴き取られ、細部の彫琢を感じさせた。第3楽章でも、目まぐるしく移り変わる音楽的情景を巧みにコントロールしていた。もちろん第1楽章で絶叫、諦観、憧憬、絶望、恐怖という感情のカケラの数々が渦を巻いて次々現れる点、終楽章で深々とした呼吸が引き継がれて途絶えない旋律が歌われる点、いずれも見事であり、まさに真っ向勝負でのマーラー演奏であった。繰り返しだが、ここには過度の感傷はない。ひたすら純度の高い音のドラマが展開していたのである。オーケストラ演奏の醍醐味が満載であり、恐らくは世界でも最もマーラーに対する耳が肥えていると思われる東京の聴衆も、この熱演に惜しみない大きな拍手を送っていた。思うに今回のコンサートマスターは、演奏後に泣きじゃくることはなく、きっと胸を張ったことだろう。これは、例えばバーンスタインがベルリン・フィルとのただ一度の顔合わせでこの曲を採り上げて達成したような「歴史的名演」という範疇ではないだろうが、オーケストラ音楽のひとつの極致に迫る名演として、長く語り継がれるであろう。

もちろん、こんな演奏のあとにアンコールなどあるわけはない。だがその代わり(?)、なんとヤンソンスのサイン会があったのだ。基本的にCDの購入者のみ参加可能ということであったので、前日にアルプス交響曲の新譜を購入した私は、一瞬躊躇した。私と同じように前日CDを購入したという男性は、なぜ昨日サイン会をやらなかったのかと、激しい口調で係の人につっかかっていたが、「マエストロが、今日だけサインしようとおっしゃったので・・・」とのこと。そういうことなら仕方ない。私は、ヤンソンスとバイエルンの、幻想交響曲のCDを購入した。実はこれ、カップリングがエドガー・ヴァレーズの「イオニザシオン」という、ヤンソンスとしては異色のレパートリーであったことから選択したものだ。終演後には大変に長い列ができたが、マエストロはきっちりと背広にネクタイといういで立ちで登場し、丁寧にサインをしてくれた。
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前回の記事で披露したものから、実に30年を経て再び手にしたヤンソンスのサイン。相変わらずきっちりしたもので、ちゃんと名前が読めますよ(笑)。バイエルンとの契約は確か2021年までだったと思う。ということは、このコンビでの来日はまた期待できるということだろう。次はどんな曲目を採り上げてくれるのか、楽しみに待っていることとしたい。

Commented by やすぷんた at 2016-11-28 11:56 x
過度な感傷はなかったですね。でも各パートの組織力で淡々と響きを形成されるうちに何故か涙が出て来ました。
ヤンソンスはオケから引き出すタイプなんですね。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-28 20:19
> やすぷんたさん
おっしゃる通りだと思います。彼は静かな音楽が終わっても、あまりもったいぶらずに指揮棒をパタッと下ろすケースが多くて、今回の演奏も、むしろ客席の方がもっと終演後の余韻に浸っていたいような感じでしたね(笑)。アバドとベルリン・フィルがこのホールで同じ曲を演奏した後の、永遠のような静寂とは対照的でした。でも、これは忘れがたい公演になるでしょう。
Commented by 吉村 at 2016-11-28 21:14 x
火の鳥のプログラム、まあまあ入りも良く安心しました。ギルシャハムのバイオリン、技巧が冴えてましたし、火の鳥もバッチリ決まってました。アンコールの前にヤンソンスが舞台に戻る途中で転んでヒヤヒヤしましたが、二曲も演奏してくれて、盛り上がりました。でも、やっぱり足元がちょっとおぼつかない感じです。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-28 21:19
> 吉村さん
早速のレポートありがとうございます。演奏会の盛り上がり自体は嬉しいことですが、マエストロは相当お疲れでしょうね。是非ご自愛頂きたいものだと思います。
Commented by 山村 at 2016-11-29 00:39 x
CD購入者だけサインしたかのように書かれていますが、
実際はCD売り場の前で「サイン会はCD購入関係なしに参加できます」と言ってたじゃないですか。
ウソを書くのは止めてください。
あなたのようなウソを書かれるとヤンソンスがCD購入者にしかサインしない人のような悪い印象を与えてします。
実際はゼンゼン違いますからね。
ウソを書くのは止めてください。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-29 08:05
>山村さん
ヤンソンスへの愛情溢れるコメントありがとうございます。私が CD 売場の人に、CD 購入者だけサイン会に参加できるのかと尋ねたときには、はっきりと「そうです」という返事でした。もしかすると、前日にアルプス交響曲の CD を買ったファンの人たちからのクレームが多かったので主催者側が方針を変えたのかもしれないし、あるいはただ単に、私が訊いた人が間違っていたのかもしれません。実際、経験上分かるのですが、CD 購入者のみと言っていても、現場でチェックするのは普通は無理だし(ベルリン・フィルのときのように、特定の CD だけ対象とするのでなければ)、私自身も、CD を購入してもプログラムにサインしてもらうこともあります。アーティストへの敬意として、CD の 1枚くらい買うのが礼儀かとも思います。いずれにせよ、命を掛けて音楽をしているアーティスト自身が、CD 購入者にしかサインしないなどという狭量なことを言うとは思えず、ひとえに主催者側の事情によるものでしょう。だから、私の書いたことからヤンソンスに悪い印象を持たれた方には、それは誤解であると、ここで申し上げておきます。山村さんも、これに懲りず、またお立ち寄り下さい。よろしくお願いします。
Commented by 山村 at 2016-11-29 11:25 x
あなたがCD売場に行った時はそうだったのかもしれないけど、
私がCD売場へ行った時は「サイン会はCD購入関係なしに参加できます」と言ってたのも紛れもない事実です。
あなたがCDを購入された時には整理券みたいなものでも配布していたのですか?
最近はCD購入者限定でサイン会をやる時は整理券を配布するのが通常となってきています。
それは他で買ったCDを持ち込んでサイン会に紛れて参加しようとする人をシャットアウトするためです。
あなたが行った時と私が行った時で言う事が全く違っていて、
私が行った時は「サイン会はCD購入関係なしに参加できます」と言って整理券みたいなものは配布していませんでした。
最初の告知を簡単に変更して結局は誰でもサイン会に参加できるようになったというのなら、CDを販売していた業者はとんでもない大馬鹿者と言わざるを得ません。
こんな客をバカにした迷惑極まりない業者は今後出入禁止にするべきです。
CD購入者限定のサイン会だと思って無理してCDを購入した人がいい面の皮となってしまいます。
Commented by やすぷんた at 2016-11-29 11:45 x
私もヤンソンスにどうしても会いたくなり、当日席を確保して行ってしまいました。

ギルシャハムは冒頭から恍惚とした表情で共演を本当に楽しんでいたようです。テクニックを持て余すかのように余裕で弾いていたようにも見えました。諏訪内バンベルクの演奏とは好対照でした。カデンツァはクライスラーだったのでアンコールは美しきロスマリンという整合性がありましたが、なるほどギルシャハムもクライスラー的な存在かもしれないなと感じました。

昨日はたっぷりアンコールを愉しませていただきましたら。グリーグの過ぎにし春、エルガーの野生の熊たちという作品でした。
サイン会のアナウンスはなかったように思います。
マーラーの9番の後はさすがにアンコールはやりにくいから、ファンサービスの為にヤンソンスがサイン会を急遽催したのかなと思っていましたが…

真意は定かではないですがヤンソンスの愛情に溢れた演奏会であったのは間違いないですね。




Commented by 山村 at 2016-11-29 12:02 x
追記、

>、命を掛けて音楽をしているアーティスト自身が、CD 購入者にしかサインしないなどという狭量なことを言うとは思えず、ひとえに主催者側の事情によるものでしょう。

このように書かれていますが過去に二度ばかり私は特定のCD購入者限定のみでのサイン会というのをやった指揮者を知っています。

(1), 2007年ベルリン国立と来日した時のバレンボイム
オーケストラコンサートでマーラー9を演奏した時にマーラー9のCDを買った人にマーラー9のCDへのみサインするというサイン会でした。
実際マーラー9のCDだけにしかサインせず、CD買ったけどCDではなくてにプログラムサインをと頼んだ人もいましたがマーラー9のCD以外には一切サインしないというサイン会でした。

(2), 2016年 シカゴ交響楽団と来日した時のムーティ
シカゴ交響楽団自主製作レーベルのCDを買った人へそのCDへのみサインするというサイン会でした。
この時も代わりにプログラムへのサインを頼んだ人もいましたがシカゴ交響楽団自主製作レーベルのCD以外には一切サインしていませんでした。

Commented by yokohama7474 at 2016-11-29 19:24
> やすぷんたさん
なるほど、ヤンソンスお得意の小品2曲がアンコールだったわけですね。ギル・シャハムは最近生で聴いていませんが、きっと円熟味を増してきているものと想像します。皆様から頂いたコメントで、ヤンソンスの人気は大変なものだと再認識しました。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-29 19:36
> 山村さん
なるほど、サインに関して、そのようなトラウマをお持ちだったわけですね。特定の CD 購入者にしかサインしないということは、確かにあまり嬉しいことではない点、全く同感です。ただ、挙げて頂いた例でも、それが本当にバレンボイムやムーティ自身の意向であるか否かは分からないように思います。何の制約もなくサイン会を開くと、大変な数の人たちが群がってくるので、少しでもアーティストの負担を減らそうというマネジメント側の気遣いという可能性もあるかもしれません。私の場合は、時間がたっぷりあった30年前の学生時代には、終演後に楽屋出口に張り付いてサインをもらったりしていましたが(バレンボイムもムーティも、その頃ゲリラでサインをもらいました)、社会人になってからはとんとその習慣がなくなり、長いブランク期間を経て、つい1年半前にこのブログを開設してから、話題作りに(笑)サイン会にまた時々参加し始めたのが実情です。ただ、サイン会が開かれると、マイサイン帖にいろんな演奏家のサインをもらっている人、古いレコードを持ってきてサインをもらっている人等、様々で、アーティスト側も楽しそうです。サイン会はアーティストとファンの交流の場でもあることを思うと、主催者側には、なるべくそのような楽しい雰囲気を壊すようなことは避けて欲しいですよね。もっとも、マーラー9番という大曲を指揮したあと、何百人ものファンにサインをしたヤンソンスのような指揮者には本当に頭が下がる思いですし、それゆえに彼は愛されるのだなと分かりました。

Commented by 山村 at 2016-11-30 01:38 x
バレンボイムに関してはその時はバレンボイムの意思でした。
もう一度再記しますがマーラー9のCD以外には一切サインしないというサイン会でした。
マーラー9のCDを購入してCD持っている人がバレンボイムにCDじゃなくてプログラムへのサインを直接頼んでもバレンボイムがダメと言ってました。
マーラー9を演奏したコンサートでしたが終演後にマーラー9のCD購入者限定で急遽サイン会を開くことになったのです。

こういう例は最近もありましたよね。
ラトルがベートーヴェン交響曲全集を会場で購入した購入者限定のみでサインしたサイン会も急遽開かれたサイン会でしたよね。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-30 12:19
>山村さん
そうでしたか。アーティストも人間だし、いろんなタイプがいますね。でも、そのような出来事もまた、音楽を聴く楽しみのひとつととらえて、またコンサートに足を運びたいと思います。
Commented by エマスケ at 2016-11-30 12:32 x
こんにちは。
久しぶりにこちらのサイトを拝見いたしましたら、コメントが多くて驚きました。
マリス・ヤンソンス氏は皆さんにとって特別な存在なのだと改めて認識しました。

サイン会云々ありますが、今回開催したのは主催者サイドの興行的な意向もあったのだと思います。
「間近割」の案内もありましたし、28日の公演はジャパンアーツの会員向けのチケットプレゼントの対象にもなっていたので、実は少々心配しておりました。
ヤンソンス&バイエルン放送響なのに。
それでも、川崎はわかりませんが、東京公演は1階席から見る限りほぼ埋まっていて安心しました。
海外遠征のかなわないドメスティックなファンとしては、日本のクラシック市場を作ってきた団塊世代より上の人たちが退場した時に、市場が崩壊するのではないかと割と真剣に危惧しています。
(昨夜も都民劇場のドイツカンマー・フィルに行きましたが、あそこの会員は高齢化率・杖の使用率が特に高いと思います)
クラシックファンは、ともすると「狭量で壁を作りがち」と言われるので、同僚や友人で関心のある人がいれば、できるだけコンサートへお誘いするといったささやかな布教活動(?)を続けています。
多少なりとも功を奏するとよいのですが。
Commented by yokohama7474 at 2016-11-30 15:33
>エマスケさん
このブログで、私があれこれ喚くだけでなく、いろんな方がコメントして頂くことで、読まれる方がに多面的な考察が少しでもして頂けるなら、大変結構なことだと思います。ポスト団塊の世代の危機感は、私も全く同感です。それでも日本はまだ、若い世代のクラシックの聴衆が多いと言われていますし、それは正しいと思います(カーネギーホールや MET の聴衆を思えば‼)。私は音楽の記事を書くときには、知識のない方にもなるべく分かって頂けるようにしているつもりですし、常に常識ある、開かれた聴衆の一人でありたいと願っています。同好の士の皆様にこの場をご活用頂けるなら有り難いです。
by yokohama7474 | 2016-11-28 00:27 | 音楽 (Live) | Comments(15)