シークレット・オブ・モンスター (ブラディ・コーベット監督 / 原題 : The Childhoot of a Leader)

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たまたま近くのTOHOシネマズで上映中の映画を調べていて目についたのが、この映画だ。これまで予告編はおろか、全くこの映画に関する情報を得たことはない。だが、いわく傑作「羊たちの沈黙」のジョナサン・デミ監督が大絶賛したとか、昨年のヴェネツィア映画祭で観客・審査員の多大なる指示を得て、新人監督賞を獲得したとか、なかなかに注意を引く情報が目に入る。そして、原作はジャン=ポール・サルトルの「一指導者の幼年時代」という短編である由。どうやら、第一次大戦後を舞台に、架空の独裁者の幼年時代を描いた映画らしい。このような作品がシネコンにかかっているというのは珍しいこと。これは早めに見ておこうと思い立ち、レイトショーに出掛けることにした。

ストーリーは単純と言えば至って単純。将来独裁者として君臨するひとりの男が、第一次大戦終結直後のパリ(ということは、1919年のヴェルサイユ条約に結実する戦後処理についての講和会議が行われていた場所だ)郊外に住む家族の一人息子として、いかなる少年時代を送ったかということを描いている。プログラムを読むと、サルトルの原作はヒトラーの幼年時代を題材にしているらしいが、この映画にはまた、ムッソリーニの少年時代の逸話なども盛り込まれているとのこと。監督は、「映画のタイトルをサルトルの作品から借りた」という表現をしていて、必ずしも原作であると明言はしていない。ちなみにこの短編、日本では新潮文庫の「水いらず」の中に収録されている。あ、私はこの本を持っているが、この短編については全く記憶がない(笑)。
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さてこの映画、昔のヨーロッパ映画のような陰影の濃い色調だと思ったら、35mmフィルムで撮影されているとのこと。共同脚本及び監督のブラディ・コーベットは1988年アリゾナ州スコッツデール生まれの米国人で、その未だ20代という若さや誕生地(何度か行ったことありますよ。砂漠です)は、とても格調高いヨーロッパ調というイメージとはほど遠いが、尊敬する映画監督として、ミヒャエル・ハネケとラース・フォン・トリアーをはじめ、カール・テホ・ドライヤーやロベール・ブレッソン、ジャン・ヴィゴ、小津安二郎といった芸術系の名前が並ぶ。もともと俳優で、件のラース・フォン・トリアーの「メランコリア」にも出演している。プログラムのモノクロ写真では髭を生やしているが、意外なことに、もともとこんな爽やか系の若者だ。
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それにしても、このような若者が監督した映画とはとても思えない、相当に仮借ない人間描写を含む映画であり、すべてを手放しで大絶賛しないとしても、少なくとも衝撃的な作品であるとは言えよう。その最大の理由は、主役であるプレスコットを演じる、映画初出演の男の子の素晴らしい演技だ。撮影時たったの9歳(!!)、英国人のトム・スウィート。
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ここで彼の見せる千変万化の表情にはつくづく驚かされるし、将来の独裁者の潜在的狂気をこれだけ自然に演じられると、本当にこの子は将来とんでもないことをしでかすのではないかと、心配になるほどだ(笑)。思春期と呼ぶにはまだ早い年頃で、劇中でもまるで少女のような少年という設定であるが、可愛らしい容姿の裏の悪魔的なものが何度も何度も出て来て、見ている者をとてつもなく不安にするのである。まさに空恐ろしいような「モンスター」の天才的な演技である。そして、この映画の中では、この「モンスター」によって最も不安に苛まれるのが母親であり、米国政府の要人としてパリ講和に参加している初老の父親も、立派な公的責務を負いながらも、個人生活ではやはり情けないまでに「モンスター」に翻弄されるのである。一方、彼を心から可愛がるお手伝いさんや、早すぎる少年の性的欲望まで喚起する家庭教師の女性まで、ほかの役者陣もそれぞれに芸達者である。正直、私が知っている名前はなかったのであるが、以下の写真で左上から右回りに、母親役のベレニス・ベジョ、父親の友人役のロバート・パティンソン、家庭教師役のステイシー・マーティン、父親役のリアム・カニンガム。
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この映画の演出は細部まで凝りに凝っていて、映画好きならかなり堪能できると思うが、また音楽好きにも興味深いシーンがいくつかある。例えばプレスコットが風呂に入れられるシーンで口笛で吹いているのは、(たった数秒だが)紛れもなくベートーヴェン7番の第2楽章だ。また、何度も蓄音機から流れる古いSP録音がBGMとなっているが、チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」の「手紙の場」であったり、ショパンのピアノ・ソナタ第2番の第2楽章(葬送行進曲)の中間部の旋律を英語のポピュラーナンバーに編曲したものであったりするのである(なお後者は、イースターのシーンに加え、晩餐会の重要なシーンでも再び登場する)。ただ、映像の凝り方には一部不要なこだわりを感じるときもあって、このあたりは若さゆえの表現意欲の表れかとも思う。一方で映画のオリジナル音楽は、スコット・ウォーカーという作曲家(デイヴィッド・ボウイに影響を与え、レオス・カラックスの「ポーラX」...懐かしい...の音楽も担当していた)によるもので、中規模編成と思われるオーケストラが使われている。この音楽も、まるでホラー映画であるかのように映画の不気味なトーンを本編中のあちこちで盛り上げるのであるが、正直なところ、私にはちょっとうるさかった。特にラスト・シーンは、むしろ静寂をうまく使った方がよほど効果的ではなかったろうか。

このように、優れた面とそうでない面をそれなりに認識することができる映画であり、一般には多くの人の支持は得られないかもしれないが、文化的刺激を求める人には、子役の演技を見るだけでも価値があると申し上げておこう。一方で、現実世界ではどの国の政治も内向きとなり、今後の国際社会がどうなって行くのか分からないこの不安の時代に、このような内容の映画を見ることの意味は、大いにあるだろう。歴史というものの一筋縄でいかないところは、独裁者なら独裁者だけが、戦争の時代に起こったことの何もかもに責任があるという単純なことにはどう転んでもならないところである。独裁者を支持した一般庶民が圧倒的多数であったことこそが、本当に人をして心胆寒からしめるのだ。少年時代の独裁者が美少年ということだけで、既に耽美的要素を帯びた映画ではあるが、ただの後ろ向きな美学ではなく、厳しく時代の現実と切り結ぶだけの覚悟が作り手の方にあることをヒシヒシと感じる。翻って、我が国の文化の担い手は、果たしてこのような厳しさを持っているだろうか・・・と、柄にもなく考え込んでしまった次第である。

過去の姿をした現在が、真剣な眼差しで我々に問いかけてくる。
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by yokohama7474 | 2016-11-30 01:39 | 映画 | Comments(0)