ダリ展 国立新美術館

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毎度おなじみの言い訳から入ると、なかなか記事をアップできないうちに、この展覧会の会期も残り数日になってしまっている(12月12日(月)まで)。だが今回は、あまり罪悪感はないのである。なぜなら、日本でも大人気のサルヴァドール・ダリ(1904-1989)が好きな人はとっくにこの展覧会を見ているであろうし、興味のない人はこの記事を見ても特に新たな心境の変化はないであろうからだ(笑)。そのくらいダリの人気ははっきりしている。かく申す私も若い頃から人並にダリは大好きで、タッシェン(ドイツの美術専門出版社)のダリ全作品集の日本語版を持っているし、私見では彼は西洋美術史の中でも、ダ・ヴィンチやフェルメールやセザンヌと並ぶくらいの、そう何人もいない大巨匠のひとりである。だが、それほどの人気者であるにもかかわらず、東京でダリの展覧会はこれまでにさほど多く開かれていない。今回は約10年ぶりとのことで、会場はかなりの混雑である。彼の最高の作品が目白押しというわけではないにせよ、その画業を辿ることで興味深い発見が多々ある展覧会であった。これがタッシェンのダリ全集。内容に比してその価格は決して高くない。
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会場には多くの初期の作品が並んでいて、これらを見ていると、我々がよく知っているシュールレアリズムの画家ダリが誕生するまでの軌跡を辿ることができて非常に興味深い。これは1918年に描かれた「魔女たちのサルダーナ」。ダリ14歳の作である。
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美術好きなら、当然これを見て連想する絵があるだろう。エルミタージュ美術館の至宝のひとつ、マティスの「ダンス」である。
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正確にはこれは「ダンス II」なのであるが、制作は1910年で、少年ダリの作品のたった8年前である。当時の印刷技術やマスコミの発達具合を思うと、いかにダリが少年の頃から既存の美術に敏感であったかが分かろうというものだ。だがその一方で、栴檀は若葉より芳し。1920年というから、ダリ16歳の作、「チェロ奏者リカール・ピチョットの肖像」。未だ後年のシュールさは出ていないものの、抒情あふれる雰囲気は紛れもなく一流のもの。そして背景にぽっかり空いた窓だけが、迫りくる神秘をそこはかとなく表している。
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窓とは、内部と外部の境界線。人間の心理が揺らぐところでもあろう。やはり1920年頃に描かれた「縫い物をする祖母アナの肖像」でも、やはりポカリと空いた窓が描かれている。こちらはより唐突感のある窓であり、後年のシュルレアリスト、ダリの萌芽が見られると思う。そして、青のきれいなこと!!彼の生まれ故郷、カタルーニャ地方カダケスの海と空の色であろうか。
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これは1921年頃の「ラファエロ風の首をした自画像」。誇張された首の太さや長さに比して、背景の印象派風の抒情性が素晴らしい。ここでは自画像が風景と一体になっているようでもあり、後で見るような地面から生えた首の原点がここにあるのかもしれない。
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印象派風と言えば、やはり1921年頃に描かれたこの「パニ山からのカダケスの眺望」は完全に印象派風であると言ってよいだろう。外光を浴びて試行錯誤する若き芸術家の姿を思わせる作品だ。
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画家の試行錯誤はまだまだ続く。これは1923年の「キュビスム風の自画像」。まさにモダニズムの雰囲気あふれるキュビスム風の肖像画である。後年のスタイルとは違っていても、技術的には非常に高度な咀嚼力を持つ画家であったことがよく分かる。
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これも1923年の「フィゲラスのファンタジー」。やはりキュビスム風であるが、この時代らしく、労働者という主題が扱われていて興味深い。私がこれを見て思い出すのは、シケイロス、オロスコ、リベラといったメキシコの革命絵画運動である。また、この顔はレーニンを思い起こさせるではないか。赤いダリ(?)。
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と思うと同じ1923年にこのような作品も描いている。「アス・リャネーの浴女たち」。なんということ、新印象派風の点描ではないか!!大丈夫かダリ。未だ十代とはいえ、シュールにはまだ遠く、本当にそこに辿り着くのか否か、少し不安になってくる(笑)。
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ところで、若い頃のスペインにおけるダリの盟友と言えば、詩人のガルシア・ロルカと映画監督のルイス・ブニュエルである。私は以前、この特別な才能を持った3人のかかわりを克明に追った大部な書物を読んでいるし、何を隠そう、四方田犬彦による650ページ超のブニュエルの伝記も、最近読み始めたばかり。とにかくブニュエルは私にとっては特別な存在であり、歴史上唯一映画におけるシュルレアリスムの作家として、彼の業績の偉大さには誠に脱帽ものだ。これは1924年の「ルイス・ブニュエルの肖像」。ダリとブニュエルの共同作業と言えば、言わずとしれた「アンダルシアの犬」であるが、その映画の制作は1928年。この肖像画よりも4年あとである。ここでは、四方田の伝記の表紙と、「アンダルシアの犬」の最も有名なシーンの写真も掲げておこう。あぁ、ブニュエルのシュールな映画群を、久しぶりに浴びるほど見たい!!
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これはブラックの作品ではなく、紛れもないダリの作品なのであるが、いやー、それは分からないでしょう。やはり1923年頃の「静物」。画家の試行錯誤は続いていたようだ。
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だがこの頃(20歳前後)から、シュールの片鱗が見えてくる。以下は「裸婦」と「水の中の裸体」。未だタッチは裸婦、いやラフながら、ダリがダリになりつつあることをはっきり認識することができるではないか。
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そして、1926年作の「巻髪の少女」に至って、いよいよダリのスタイルが現れてくる。解説によるとこの作品の霊感のもとは、ドイツの作家ヴィルヘルム・イェンゼンの「グラディーヴァ」という小説(1903年)だそうである。フロイトが精神分析で採り上げ、シュールレアリストたちにも多大な影響を与えた作品らしい。これは私も知らなかった。日本では種村季弘の訳で出ているようだ。今度読んでみよう。
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この1926年にダリは、もうひとつの作品でさらなる一歩を踏み出している。「少女の後ろ姿」。この細密描写はフェルメールばりである。上の「巻髪の少女」と同じく女性の後ろ姿を描いているあたり、ダリの女性観を垣間見ることができるように思うが、過度の精神分析よりも、この写実性から現実を超えて行く画家の大きな飛躍を感じたい。
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だが、未だ曲折がある。同じ1926年に制作された「岩の上の人物」。これは同郷の先輩、ピカソを彷彿とさせる作風ではないか。こらこら、あたかもこの人物のように、ダリは一体どういうつもりで道草食っているのだ!!(笑)
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さて、1929年に至ってこの作品が生まれている。「子ども、女への壮大な記念碑」。これぞまさによく知られているダリの世界。上記の作品群から数年で、大きなジャンプが成し遂げられたのである。うーん、これは正真正銘、どこからどう見ても紛うことなきダリではないか。
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ここから先、私がとやかくコメントするまでもなく、ダリ・ワールドの急速な展開が見られる。まずは「姿の見えない眠る人、馬、獅子」(1930年)。以前放送されたNHKの日曜美術館で、ゲストコメンテーターの横尾忠則がスタッフからこの絵について「何を描いていると思われますか?」と訊かれて、つっけんどんに「なんでもええんちゃいます?」と答えているのを見てゲラゲラ笑ってしまった。まあ一応、手前の不可解な動物は、右が頭とすると獅子に見え、左が頭とすると馬のようでもあり、腕を伸ばして寝ている男のようでもある。
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以下、圧倒的なダリ・ワールド。「皿のない二つの目玉焼きを背に乗せ、ポルトガルパンのかけらを犯そうとしている平凡なフランスパン」(1932年作)、「謎めいた要素のある風景」(1934年作)、「形態学的なこだま」(1936年作)、「パッラーディオのタリア柱廊」(1938年作)。謎が不定形に流れたり漂ったりしている。
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会場には、日本におけるダリ受容を示す雑誌や書物類がいろいろと置いてあって興味深いが、これは、著造修口瀧の「リダ」という書物。あ、違った、瀧口修造著の「ダリ」でした(笑)。瀧口修造は言うまでもなく、日本にシュルレアリスムを紹介した詩人であり、武満徹らが結成した前衛芸術集団、実験工房のメンバーたちのメンターであった人だ。
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そしてダリに運命的転機が訪れる。1929年、当時は詩人ポール・エリュアールの妻であったガラ(1894-1982)との出会いである。ガラはダリよりも10歳年上で、二人は1934年に結婚した。彼女はあらゆる意味でダリのミューズであったと言ってよいであろうし、ダリの作品中に頻繁に描かれるようになる。また、旦那の商売を積極的に後押しし、今日我々の知るサルヴァドール・ダリのイメージは、ダリ自身とガラの合作であると言えるのではないだろうか。これは1936年の「ガラの測地学的肖像」。ここではまたフェルメールばりの精密描写に抜群の手腕を示しつつも、相変わらず人物は後ろ姿を見せている。
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1940年、パリがナチスドイツに占領されたことをきっかけに、ダリとガラは米国に脱出した。ここからが商品としてのサルヴァドール・ダリが出来て行く過程になるのであろう。横浜美術館の平常展示コーナーにいつもは飾られている大作、「幻想的風景」三部作(1942年作)。自信に満ち溢れた画家の意気込みを感じることができる。
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ダリはまた、戦時中の米国で変わった実験を行っている。1942-43年作の「船」。
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実はこの作品、モンタギュー・ドーソンという海洋画家の作品に手を加えたもの。現在なら著作権で裁判になるようなケースであろうが、ダリの深層心理をあれこれ考えることができるような再創造であり、大変興味深い。
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これは1943年頃の「アメリカのクリスマスのアレゴリー」。卵の殻を北米のかたちに突き破って出て来ているのは何だろう。飛行機の一部であろうか。豊かな物量に恵まれた米国での生活への屈折した思いが描かれているのであろうか。
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米国でダリは依頼に応じて肖像画も描いている。これは1953年の「アン・ウッドワードの肖像」。ダリにしてはおとなしい絵であるが、モデルの女性の左横の岩に女のシルエットが浮かび、また、彼女の青いベルトは、あたかも背景の海につながってピーンと伸びているようである。面白い。
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ダリの舞台美術やそのスケッチもあれこれ展示されている。これは、1944年頃の「狂えるトリスタン」のための習作。もちろん、あのワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を題材とし、そのオペラに基づくバレエ音楽で使われた背景幕の下絵である。ダリとトリスタン、ワクワクする組み合わせではないか。
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このブログのごく初期、昨年6月11日の記事で採り上げたダリの著作「私の50の秘伝」の挿絵の原画(1947年作)がいくつか展示されていて興味深い。これは、「真の画家は、果てしもなく繰り広げられる光景を前にしても、ただ一匹の蟻を描写することに自らを限定することができるはずである」。
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これは、詩人ギョーム・アポリネールの「秘密の詩」(1967年)の挿絵から、「泉の裸婦」。どんどん描き飛ばしていったようではあるものの、やはりダリの宇宙がそこにはあるのである。
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これは1969年の「不思議の国のアリス」の挿画から、「タルトをぬすんだのは誰か?」。これ、自由すぎませんか。
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さらに時代は下り、1977年の「ガラの晩餐」から、「ソドム風口直し」。遊びの要素が勝っていて、商品としてのダリの価値に大いに依存しているが、でもこれはこれで、やっぱり楽しいのが癪だ(笑)。
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ダリの芸術は、現実世界の深刻な問題と切り結んでいるとはとても思えない、ファンタジー溢れるものがほとんどだが、既にスペイン内乱に先立つ1936年に代表作のひとつ「茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)」(今回の展覧会には出品されていない)を制作している通り、社会的なメッセージが込められたものも時折ある。この展覧会では、第二次大戦における原爆の使用にショックを受けたダリが、原子力をテーマとして描いた作品もいくつか展示されている。これはまさに終戦の年、原爆投下の年である1945年に描かれた「ウラニウムと原子による憂鬱な牧歌」。恐ろしいイメージが散りばめられている中、下部の真ん中あたりに描かれた野球選手(ベーブ・ルース?)が、野球のないヨーロッパからやって来た画家の米国に対する皮肉のようである。
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これは戦争ではなく、ビキニ環礁での核実験を題材としたもので。「ビキニの3つのスフィンクス」(1947年作)。この記事の上の方で言及した「ラファエロ風の首をした自画像」との共通点はあまりないものの、首が地面から生えるという不思議な情景の萌芽は若い頃にあるのかもしれないと思ったものだ。
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ここで代表作のひとつに数えられる「ポルト・リガトの聖母」(1950年作)を見ることができる。なんと、福岡市美術館の所蔵になるものだ。ガラをモデルにした聖母が宙を浮遊していて、表面上の宗教性とは異なる不思議な空間が面白い。
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これは1956年頃の「素早く動いている静物」。10月15日の久石譲指揮の演奏会に関する記事でも言及した作品であるが、展覧会全体を振り返ってみると、この頃のダリは、その能力のピークを迎えていて、これ以降はさすがに衰えていったようにも思われる。スーパーリアリスムも真っ青な超絶写実技巧が、最後の輝きのようである。素晴らしい作品だ。
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いや、結論を急ぐのは避けよう。晩年の作品が並んだコーナーに、1962年制作の「テトゥアンの大会戦」という大作が展示されている。当時ダリは58歳。未だ老け込む年齢ではなかったと思うが、その前後の作品を見ると、これだけの大作は見当たらず、衰えぬ創作意欲を感じることができる。よく見ると細部はそれほど丁寧に描かれてはいないが、いわゆる典型的なダリのシュールレアリスムとは少し毛色の異なる雰囲気で(画面のガラが妙に浮いた笑顔であるのも不気味)、じっくりと見入ってしまった。
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これは1979年の「ラファエロ的幻覚」。合板に油彩で描かれていて、未完成のようにも見える。枯淡の境地の作品であろうか。
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これは1982年の「無題、エル・エスコリアル宮の中庭にいるヴェラスケスの『セバスティン・モーラ』」。スペイン絶頂期の王、フェリペ2世が建てたエル・アルコリアル宮の遠近法の狂った中庭と、自国の大先輩画家であるヴェラスケスの作品からの借用で成っている。これはコラージュではなく、ヴェラスケスの引用もどうやら手で描いているようで、さすがのデッサン力であるとは言えるが、その発散するファンタジーの強さには往年の力がないように思われる。
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最愛のガラが死去したのは1982年。ダリはその後7年間を生き延びるが、晩年の創作は限定的であったようだ。これは1983年の「チェロに残酷な攻撃を加えるベッドと二つのナイトテーブル」。色彩こそ鮮やかだが、写実性は後退し、例えばラウル・デュフィの作品のようなイメージだが、ダリの作品としては様式の混乱が見られるようで、どこか痛々しい。それもそのはず、この頃ダリは既に寝たきりで、ここで描かれているようなベッドの上でほとんど動けない生活を送っていたらしい。そう思ってよく見ると、ここで描かれた対象の浮遊感は、ダリ自身の夢の世界であったのかと思いたくなってくる。
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不世出の大画家の初期から晩年までを俯瞰することで、そのイメージの源泉について思索を巡らすことができる。次に大規模なダリ展が開かれるのはいつのことか判らないので、当分はこの展覧会を反芻することで、このシュールの巨人についての自分の中での位置づけを決めることにしたい。彼の生まれ故郷、フィゲラスのダリ美術館にも行ってみたいなぁ。この不敵な肖像写真、好きですよ(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-12-07 00:29 | 美術・旅行 | Comments(0)