ゴッホとゴーギャン展 東京都美術館

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前項に引き続き、今東京で開かれているメジャーな西洋の画家の展覧会を採り上げる。オランダ出身のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(1853-1890)と、フランス人ポール・ゴーギャン(1848-1903)。南仏アルルで共同生活を営んだことで知られる彼らの、互いへの尊敬と芸術家としての資質の共通点や相違点を、様々な角度から知ることできる展覧会である。12/18(日)まで上野の東京都美術館で開かれた後、年明けには名古屋に巡回する。

ゴッホとゴーギャン。同じ「ゴ」で始まる名前で紛らわしいが(笑)、彼らの個性は、それぞれに美術史上に燦然と輝くような素晴らしいものなのである。何がどう素晴らしいか、この展覧会に沿って見て行こう。会場には彼らに影響を与えたほかの画家たちの作品も並んでいるが、ここでは主役二人の作品に限って話を進めて行く。以下の写真は、上がゴッホ、下がゴーギャン。
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まずゴッホについて最初にひとつ注記しておくこととする。彼の名前を本国オランダ風に発音すると、フィンセント・ファン・ゴッホ。それをヴィンセント・ヴァン・ゴッホと読むのは英語風なのである。この展覧会では、タイトルこそ日本で一般的に知られた「ゴッホ」になっているが、会場の説明においても図録においても、「ファン・ゴッホ」という表記で一貫している。欧米ではこの呼び方が一般的なので、いわゆるグローバル・スタンダードに従っていると言えるだろう。これは一見識だ。だがこの記事では、一般的な呼称に従い、「ゴッホ」と呼ぶようにしよう。

ゴッホは絵画の専門教育を受けておらず、画家になる決心をしたのは、1880年、27歳のときだったと言われている。彼が自ら命を絶った(最近では異説もあるらしいが)のは1890年。つまり彼の画業はわずかに10年であったことになる。人間の持つ凄まじい潜在能力を実感させる話ではないか。だが彼の初期の作品は、いわゆる巧い絵画にはなっていないのである。展覧会の最初に展示されている「泥炭船と二人の人物」。1883年の作品である。よく知られた「ひまわり」や「星月夜」とは程遠い薄暗い画面であるが、画家が貧乏で充分な絵の具を買えなかったこともその一因であるようだ。だがここには、ゴッホらしい労働者へのシンパシーもあり、彼自身が生まれ育った環境であるオランダのどんよりした暗い空を美化せず描いている点にも、絵画を内面の吐露ととらえる真摯な姿勢が感じられる。
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これは1885年の「古い教会の塔、ニューネン」(農民の墓地)。これを見るとゴッホが決して内面性だけを重視していたわけではなく、対象物の形態を自己のフィルターを通して再構築しようという意図で絵画に取り組んでいたことが分かる。もちろん、この存在感のある塔が暗示しているのは、時を経ても変わらぬ人間の生活だという解釈もできるとは思うが。
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一方のゴーギャンであるが、彼もまた絵画の専門教育を受けておらず、株式仲買人として生計を立てていた。余暇に描いていた絵画を本業にする決意をしたのは1883年頃と言われている。つまり、ゴッホとゴーギャンの共通性は、ともに絵画の専門教育を受けていないにも関わらず、なんらかの強い情熱に突き動かされて、1880年前後に絵画の道に入って行くという点である。この頃のヨーロッパは、帝国主義、植民地主義が台頭し、ヨーロッパ内の戦争は落ち着きを見せる一方で、アジアやアフリカでの戦争が盛んになって行く時代である。大都市の発達とは裏腹に貧富の格差が生まれ、文化的には各地で退廃的な要素が増していた時代でもある。そんな中、この二人の芸術家は1887年にパリで出会い、その翌年、南仏アルルで共同生活を営むことになり、その強すぎる個性同士のぶつかりあいが、なんらかの化学反応を起こすのであるが、その前に、今度はゴーギャンの作風を見てみよう。これは1881年の「夢を見る子供」。自分の娘を描いているらしいが、既にしてその点がゴッホと異なる。ゴッホは一生独身で子供はいなかったし、もしいたとしても、このような作品は描かなかったろう。つまり、顔を壁の方に向けて寝ている子供の回りに、壁の模様の鳥たちや枕元の人形が、なにやら不気味な雰囲気を与えている。ここで描かれる個人的な幻想こそ、後年のタヒチにおける活動の原点なのではないか。
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1885年のゴーギャンの「自画像」。屋根裏部屋で創作に励む株式仲買人。この頃彼は精神的に相当追い詰められていたらしいが、ここで見られるのは、暗さとともに、控えめながら色彩への渇望が感じられる貪欲な作風であると言えるのではないだろうか。
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一方こちらはゴッホの1886年の作品、「パイプをくわえた自画像」。彼の自画像は非常に数多いが、この作品の暗いタッチでの劇的な描写は、後年の典型的な自画像とは異なる。情熱が感じられる点は、上のゴーギャンの自画像と共通するが、よりストレートで不器用と言えばそれなりに当たっているのではないか。
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そんなゴッホの個性を如実に表す「靴」(1886年作)。シュールの画家ルネ・マグリットに、やはり靴を描いた「赤いモデル」という謎めいた作品があるが、そちらは靴の先が人間の足になっている。そのひねくれ具合(?)に対して、この作品におけるストレートな人間性の表出はどうだろう。この靴の持ち主であろう労働者の、「不在による存在感」という意味では、既にシュールのなんたるかを知っている我々としては、これとてもシュールと呼べるかもしれないが、もちろんゴッホ自身の中にはリアリストしかいないのである。
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1887年の「自画像」。これこそが典型的なゴッホの自画像である。上に掲げた前年の作品との違いに感銘を受ける。ゴーギャンとの邂逅前夜、既にしてゴッホは我々の知るゴッホになっていたわけである。表現主義的と言ってもよいであろうが、そこに退廃はなく、前に進もうとする強い決心が感じられる。
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やはり同じ頃に描かれた「石膏トルソ(女)」。これはゴッホにしては珍しい題材だが、アマチュア画家として活動を始めた頃に比べると技術的には格段の進歩であり、神がこの男に与えた、充実した、しかし過酷な運命を、無言で表現しているようにも見える。ゴッホの作品としてはあまりほかに記憶のないような鮮やかな青も、その鮮やかさゆえに哀しみを感じさせる。
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かと思うと、やはり同じ頃の作品、「モンマルトル、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの裏」は全く違う作風を持つ。そもそもモンマルトルにあるこの場所は、ルノワールの有名な作品にある通り、当時の文化人を含むパリの人々が集まってくる賑やかな場所であって、普通はトレードマークの風車か、あるいは集まってきた人々を描くものである。ゴッホ自身も別の作品では風車を描いているが、この絵では、「裏」を描いているのである点、ユニークである。だが、裏を描きながらもその色彩は印象派風に明るい。激しい情熱だけがゴッホの本質ではないことに思い当たるのだ。
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その頃のゴーギャンはいかなる作品を描いていたか。これは1886年、「ポン=タヴェンの木陰の母と子」。ポン=タヴェン(ポン=タヴァンともいい、私はそちらの呼び方の方になじみがあるが)とは、ブルターニュ地方の小村であり、1880年代に多くの風景画家がここで制作し、その作風はポン=タヴェン派と呼ばれたが、その中心人物がゴーギャンであったのだ。その後、1890年代に、やはりゴーギャンの影響のもとに制作された絵画の一派にナビ派があるが、そこから世紀末象徴主義はすぐ近くなのである。つまりゴーギャンのファンタジーは、ただ単に目に見えるものを美しく描くという印象派的な制作態度とは異なる次元を模索していたわけである。そう思ってこの絵を見ると、一見印象派風ではあるものの(実際に当時ゴーギャンは印象派展に何度か出展している)、色彩の多様性を捨てている点からも、外光の鮮やかさよりは、人の感情を反映したような風景を描いていることが分かると思う。
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そしていよいよこの二人は、南仏アルルで共同生活を始める。世の中には、男が二人で共同生活というだけで、同性愛ではないかと疑う風潮があるかもしれない。だが私はこの二人の画家の作品をこれまでにあれこれ見てきて、そのようなことは全く感じられないと思っている。今回、ネット検索で少し調べてみたが、ゴッホに多少同性愛的な要素を見る意見もあるが、概してこの二人の画家の共同生活に同性愛を想定する意見は少ない。例えばこれは、1888年にゴッホがアルルで制作した「レモンの籠と瓶」。ここに見られるのは、同性愛者のウェットな心情ではなく、ひたすら真摯に対象に迫ろうとする画家の心意気ではないだろうか。
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そしてこれは、同じ頃に描かれた「ズアーヴ兵」。ここではゴッホの研ぎ澄まされた感性が、赤と緑という強烈な補色関係にもとに発散されているように思う。描かれているズアーヴとは、アルジェリア兵人のフランス歩兵のこと。モデルの確保に苦しんでいたゴッホが見つけた恰好のモデルであったようだ。
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そしてやはり1888年に描かれた「ゴーギャンの椅子」。この展覧会のポスターにも使われている作品だ。上の作品と同系の緑を背景にしているが、ここでは人物は描かれておらず、ゴーギャンが座っているべき場所には蝋燭や書物が置かれている。これは、ゴッホがゴーギャンのことを「詩人」と称したように、書物や思想から来るイマジネーションに依拠するゴーギャンの芸術を表しているとのことである。ちなみにゴッホはこれと並んで「ファン・ゴッホの椅子」という作品も描いているが、ロンドンのナショナル・ギャラリーの所蔵するその作品は今回出展されていない。ちょっと惜しいことだと思う。
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一方のゴーギャンであるが、アルルに移る前にポン=タヴェンで描いた1888年の作品、「鵞鳥の戯れ」がこれである。なるほど外の景色を描いている点では印象派風ではあるものの、手前の方の水の描き方は実に象徴派的だ。ゴッホとの作風の違いは一目瞭然である。だが、使われている色彩は、実は上のゴッホの作品との共通点があるのである。
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やはりポン=タヴェンで1888年に描かれた「木靴職人」。労働者の姿ではあるものの、そこに座って作業している人物よりも、何か遠い世界の幻想的な雰囲気を思わせる。これこそが、この後突き詰められて行くゴーギャンのスタイルの萌芽であろう。
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同じ1888年、これはアルルで制作した「アリスカンの並木路、アルル」。うーん、美しい光景だが、現実を超えた毒々しさもあるのではないか。つまり、ただ単に美しい光景を描くことは、ゴーギャンの意識にはないのである。
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これもいかにもゴーギャンだ。同じ1888年の「ブドウの収穫、人間の悲惨」。赤と黒の対比が強い印象を与える。中央の女性の衣装はブルターニュのもので、アルルとブルターニュの融合が意図されているらしいが、その点はちょっとイメージが沸かないのが正直なところ。それよりも注目されるのは、ゴーギャンの描く人物は、決して人生を謳歌する楽し気な表情はしていないということであり、この女性も、角度や肘のつき方は異なるものの、デューラーの「メランコリア」を思わせる姿勢だ。
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アルルでのこの二人の天才の共同生活は、たったの2ヶ月しか続かなかった。1888年12月23日、ゴーギャンは自らの左耳の一部を切り落とし、その騒動の後、ゴーギャンは12月25日にはパリに帰ってしまう。その間の経緯については様々なことが言われているが、ともに絵画制作の高揚を迎えて発生した激しい個性のぶつかりあいに、生身の人間としての彼らが耐えることができなかったのであろうか。だがこの共同生活は、お互いの画家に重要なものを与えたことはまず間違いないだろう。

その後のゴッホとゴーギャンの軌跡を見てみよう。これは1889年にゴッホが描いた「ジョゼフ・ルーランの肖像」。駅で郵便物を管理する仕事をしていた彼をゴッホは何度か描いている。この背景は壁紙であろうか、それとも絵画自体の装飾なのであろうか。描かれた人物の優しい面も感じさせるが、やはり精神のヴォルテージが上がった状態を経ている危ない感覚もあるように思う。
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そして、これぞゴッホというべき、同じ1889年の「刈り入れをする人のいる麦畑」。上の絵では髭に表れていたウネウネ感は、ここでは麦に表れている!! 結局ゴッホはこの翌年、1890年の7月27日にオーヴェール=シュル=オワーズという場所の麦畑で自らをピストルで撃ち、2日後に亡くなっている。最近では自殺説に異論が唱えられていることもあるようだが、いずれにせよ精神の限界まで創作活動に打ち込んでいたことは事実であろう。まさに強い燃焼力を持った10年間の画業であった。
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ゴッホの死の翌年、1891年の4月1日にゴーギャンは初のタヒチ行きに出ている。結局彼はその後1903年まで生き永らえるのであるが、「ここではないどこか」を切実に希求する彼の魂は、比類ない芸術に結実する。1892年、タヒチで描かれた「小屋の前の犬、タヒチ」。ここには未だ呪術的な要素は見受けられないが、その色彩の強烈さに、描かれた風景の写実性を超えて圧倒される。
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我々の知るいわゆるゴーギャン的な作品、1899年作の「タヒチの3人」。さらに写実性はなくなっており、背景の色の帯は抽象的ですらある。そして描かれた人物たちは相変わらず虚ろな表情だ。ゴーギャンは、南洋の強い光の下でも、楽園からの追放を夢想していたのであろうか。
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最後に、ゴーギャンの死の2年前、1901年の作品である「肘掛け椅子のひまわり」をご紹介する。もちろんひまわりはゴッホの畢生のモチーフだ。ゴーギャンは、タヒチには自生していないひまわりの種をフランスから取り寄せたという。故郷を遠く離れた南国タヒチで、彼が思い出していたゴッホとは、一体いかなる芸術家であったのだろうか。強い生命力を感じさせながら、どこかもの哀し気に見えるひまわりである。
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西洋美術史の中でも、第一級の画家が二人、共同生活をして制作に励んだという例は、ほとんどないであろう。この展覧会から見えてくるものは、命を燃やしてそれぞれの個性を作品に叩きつけた彼らの、生の軌跡であるのである。

Commented by desire_san at 2016-12-19 22:54
こんにちは、
私も「ゴッホとゴーギャン展」を見てきましたので、詳しい鑑賞レポートを読ませていただき、ゴッホとゴーギャンの作品みたときの感動を追体験することができました。ゴッホとゴーギャンの共同生活はふたりの天才画家が強烈な個性がぶつかり合う絵画の実験場だったようです。ゴッホとゴーギャンの絵を比べながら見ていくと、ゴッホの色彩は今描いたばかりで、絵具の匂いがするほどの生々し筆使いを感じますが、それに比べるとゴーギャンの色彩や筆使いは何か渇いたような感じを感じました。

私はゴッホとゴーギャンの共同生活が生み出した成果と共同生活の破たんの原因についてレポートしてみました。 そこからゴッホ絵画の凄さを改めて考察してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。
Commented by yokohama7474 at 2016-12-21 00:27
> desire_sanさん
毎度コメントありがとうございます。この2人の画家の共同生活は、美術史上の奇跡ですよね。ブログ拝見致します。
by yokohama7474 | 2016-12-10 01:16 | 美術・旅行 | Comments(2)