クリス・デフォート : 歌劇「眠れる美女」日本初演 (指揮 : パトリック・ダヴァン / 演出 : ギー・カシアス) 2016年12月10日 東京文化会館

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ベルギーの首都ブリュッセルの王立モネ劇場(2008年まで大野和士が音楽監督を務めた)で2009年に世界初演された作品の日本初演である。上のチラシにある通り、これはあの川端康成の「眠れる美女」を原作としたオペラなのである。日本の文学作品の海外でのオペラ化というと、以前このブログでも採り上げた黛敏郎の「金閣寺」や、ハンス=ヴェルナー・ヘンツェの「午後の曳航」を思い浮かべるが、いずれも三島由紀夫の原作をドイツ語でオペラ化したもの。川端はもちろんノーベル賞作家であり、海外でも知られた名前であるゆえに、彼の小説がオペラの題材になっていてもおかしくないようにも思うが、まあ考えてみれば、「伊豆の踊子」でも「雪国」でもよい、オペラになるだろうか。うーん(笑)。映画はともかく、オペラともなると、やはり難しいだろう。それらに引き替え、この「眠れる美女」はストーリーよりも心理描写に重点のある作品であり、設定がいささか突飛であるゆえ、現代オペラの題材になるのは理解できる。

この川端の原作は1961年の発表。老人が隠れ家で若い女性と添い寝するという設定であり、間違っても文部省特選になるタイプの小説ではない(笑)。私の周りにも、中学生のときにこの小説のエロティシズムに陶酔する早熟なクラスメイトがいたが、彼がその内容を本当に理解できていたか否かは分からない。原田芳雄と大西結花が出演した映画は1995年の制作で、やはり川端の「山の音」という作品と組み合わせた内容であった。冬の大気と老人の諦観を感じさせる印象的なシーンはいくつかあったが、全体としては、現実感がファンタジーを阻害していて、あまり感銘を受けなかった記憶がある。今回、会場で原作を販売していたので、念のためと思って購入して帰宅して書棚を調べたところ、しっかり手元にも1995年(ということは上記の映画の制作年だ)発行の新潮文庫第46刷を既に所有しておりました(笑)。ちなみに私が今日買ってきたのは、同じ新潮文庫で昨年発行の第76刷だ。売れているのである。ちなみに装丁は東山魁夷かと思いきや、平山郁夫なのである。
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上記の通り、いささか不道徳な内容の原作ではあるが、今パラパラと原作を見てみると、ここに流れる耽美的な雰囲気はやはり、川端文学独特のものであると再認識する。この種の小説を映画にすると、往々にしてポルノ調になってしまう(これは、川端もさることながら、谷崎潤一郎の場合に顕著である)と思う。その点において、オペラの場合はまだ、音楽と舞台上の演出でストーリーそのもの以外の要素を出すことができるので、原作の持ち味を映画とは違った面で援用できるのではないか。だがその取り組みは容易ではないだろう。その容易でない作業に取り組んだのは二人のベルギー人だ。まず作曲を担当したのは、ジャズ・ピアニストでもあるクリス・デフォート。
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そして演出を担当したのが、ギー・カシアス。ミラノ・スカラ座であのダニエル・バレンボイム指揮の「ニーベルングの指環」の演出をしたという輝かしい実績を持つ演出家である。
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この二人はともに台本執筆にも参加している。今回の日本初演は、東京文化会館の開館55周年とともに、日本・ベルギー友好150周年を記念して行われたもの。祝典的な出来事にふさわしい題材とも思えないが、まあともあれ、エロスを芸術の域にまで高められるかという点に、作り手の手腕が問われるのである。そもそもブリュッセルのモネ劇場は、時にかなりハードな現代作品も上演しているようで、私の手元にも、ボスマンスという作曲家の「ジュリー」という現代オペラを大野和士が指揮したDVD(ただ、本拠地を離れたエクサン・プロヴァンス音楽祭での収録だが)がある。そんなわけで、この「眠れる美女」にも期待が集まるのである。

このオペラは休憩なしで演じられ、会場での発表では演奏時間90分とのことであったが、実際には100分くらいであったと思う。幕間はないものの、ストーリーは3夜仕立てになっている。ソリストの歌手は男と女がひとりずつ(バリトンのオマール・エイブライムとソプラノのカトリン・バルツ)であるが、4人の女声陣が全編に亘ってストーリーを補完する役割を果たす(歌唱は英語)。それに加えて、主人公の老人と、少女との添い寝を斡旋する宿の女主人が出て来て、歌ではなく芝居を演じる。ここで演じているのは、長塚京三と原田美枝子だ。youtubeに二人のこの作品へのメッセージがアップされている。
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また、会場にはこの二人向けの花輪があれこれ並べられている。
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実際この二人の名優はここで非常に充実した演技を見せて、オペラ全体を引き立てることに大きく貢献した。二人とも当然マイクを使っての日本語での演技ということになったが、男の落ち着きと冷めた態度の裏にある好奇心や欲望を、長塚は抑えた演技で巧みに表現したし、原田もまた、原作の女主人のイメージにぴったりだ。ただ難を言えば、この二人の演技時間、ちょっと長すぎないか。原作にかなり忠実にストーリーを作っていることによる苦肉の策かもしれないが、オペラであればもう少し演技の部分を縮め、音楽に表現を委ねるべきではなかったか。加えて、原田は女主人のセリフのみならず、原作の地の文章を朗読するような語りを行う場面があり、役柄の希薄化という観点から、これはあまり賛同しがたいものであった。

舞台の奥には大きな二段構えのセットがあり、下の段や枠の部分には映像が投影され、上の段は襖のように左右に開いて、奥でダンサーが踊る。なかなか強烈な視覚的な刺激ではあったと思う。ダンサーは伊藤郁女(かおり)。だが私には、正直このダンスも、場合によっては少しうるさく感じる瞬間があった。
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音楽は小編成のオーケストラによって奏でられ、現代音楽としてはかなり聴きやすい方であろう。もちろん明るく爽やかな音楽という箇所はごく限られていて、ほとんどはベルク調の影を帯びた音であったが、心理劇としてはこの語法は適正なものであったと思う。ただ、再度演技との関係に戻ると、役者二人の演技の間はオケではなく録音によるピアノ音楽が流れていたようであり、このあたりも、オペラとしては少し邪道である上、ちょっと長いように思った。オケの演奏はパトリック・ダヴァン指揮の東京藝大シンフォニエッタ。指揮者のダヴァンは、ブーレーズやエトヴェシュに学んだ経歴もあって現代音楽を得意にしているようだが、国際的な活躍において、通常のオケも指揮している。1964年生まれの、やはりベルギー人だ。手堅い手腕を持つ人と見た。
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今回のメンバーによって行われた上演は、総合すれば非常に意欲的なものであったと思う。情念の世界の表現において、いくつも感心する点があったことは事実。その一方で、やはり文学の持つ自在な時間の伸縮と心理描写の多様性に比べると、音楽にはどうしても単純化の要素が必要であることも、再認識することになった。いっそ原作を忘れてさらに単純化・抽象化した方が凝縮力が出て来たかもしれない。まあ、とはいえ、日本文学がこのようなかたちで国境を越えて芸術家たちに刺激を与えることは素直に喜びたいと思うし、過去に凝り固まったレパートリーだけではなく、東京で時折行われるこのような新しい活動にも極力アンテナを張り続けたいと思う。今回私が鑑賞したのは、東京文化会館でお気に入りの5階のサイド席で、チケットはたったの3,000円。このような低廉な価格であるので、さらに多くの人々にこのような上演を見てもらいたいと願う次第である。川端先生はどのようにお考えだろうか。
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by yokohama7474 | 2016-12-11 01:23 | 音楽 (Live) | Comments(0)