ヤクブ・フルシャ指揮 東京都交響楽団 (ヴァイオリン : ヨゼフ・シュパチェク) 2016年12月14日 サントリーホール

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このブログを始めて1年半の間に、東京のメジャーオーケストラに登場する多彩な指揮者たちをそれなりの人数、ご紹介できたと思っているのであるが、それでも、東京のオケでポストを持っている優れた指揮者でありながら、未だ紹介できていない人がいる。その名はヤクブ・フルシャ。彼は現在東京都交響楽団(通称「都響」)の首席客演指揮者。以前この都響で実演に接したときに、すぐに「これは大物だ」と実感した。これは通常の人と人のめぐり合わせでもある程度言えることだと思うが、音楽家との出会いにおいて、第一印象は大事にすべきであると思う。未だ34歳の若手チェコ人指揮者であるフルシャの演奏に私の五感が反応して以来、彼の次の演奏を今か今かと待っていたのである。このブログを続けている1年半の間、私が彼の紹介を怠っていたわけではない。なぜならこのコンサートのプログラムに、以下のような楽団との質疑応答が掲載されているからだ。

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Q : 久しぶりに都響を指揮するに当たって、お気持ちをお聞かせください。
A : 待ちきれません。本当に楽しみにしています。2年はあまりに長かったです。
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そうなのだ。首席客演指揮者フルシャが都響の指揮台に戻ってくるのは2年ぶり。あーよかった、私が責務を怠っていたということでなくて(笑)。
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フルシャがなかなか都響の指揮に戻って来られなかったには明確な理由がある。忙しすぎるのだ。まず、周知の通り、今年の9月からジョナサン・ノット(東京交響楽団音楽監督)の後任として、名門バンベルク交響楽団の首席指揮者に就任した。それ以外に、2015/16年シーズンの活動には以下のようなものがある。
・アムステルダムの王立コンセルトヘボウ管弦楽団へのデビュー
・ウィーン国立歌劇場へのデビュー(指揮したのはヤナーチェクの「マクロプロス事件」で、これはウィーン国立歌劇場での初の上演演目)
・ジュネーヴのスイス・ロマンド管弦楽団へのデビュー
・ミラノ・スカラ座フィルへのデビュー
・ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団への客演
・チェコ・フィル(常任客演指揮者を務める)との演奏
・オーストラリア(シドニーとメルボルン)での指揮
・アメリカ(シアトルとロサンゼルス)での指揮
・その他ドイツを中心としたヨーロッパでの指揮
・英国グラインドボーン音楽祭での指揮(ヤナーチェク「利口な女狐の物語」とブリテン「夏の夜の夢」)
この活動は、どう見ても世界一流の指揮者のものである。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの若手指揮者が、共演を「待ちきれません」とまで言う都響は、堂々と世界に胸を張ることができるのだ。

さてそのフルシャが指揮した今回の演目は以下の通り。
 ドヴォルザーク : ヴァイオリン協奏曲イ短調作品53(ヴァイオリン : ヨゼフ・シュパチェク)
 マーラー : 交響曲第1番ニ長調「巨人」

曲目・演奏者ともに、これはオール・チェコ・プログラムなのである。作曲者でいうと、ドヴォルザークはもちろん名実ともにチェコ音楽の代表中の代表だし、マーラーはユダヤ人であるが、生まれはカリシュトという寒村で、これは当時オーストリア帝国の領土ではあったが、ボヘミア地方で、現在はチェコ共和国の領土である。指揮者は上述の通りチェコ人、そして独奏ヴァイオリンを弾くシュパチェクは、今年未だ30歳の若手であるが、2011年から2015年まで、チェコを代表するオーケストラ、チェコ・フィルのコンサートマスターを務めた。このようになかなか精悍な人だ。
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今試みに2009年と2015年のチェコ・フィルの来日公演のプログラムを持って来て確認すると、2009年の際には彼の名前はないが、2015年には最上部に載っている。いや、別に経歴を疑っているわけではないのだが(笑)。
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今回のドヴォルザーク、なかなかに鮮やかな演奏であり、土俗性、抒情性からスピード感までラインナップ豊富で、安心して聴くことができた。ここでは都響の弦も、音楽監督大野和士の言う通りの音の圧力を感じさせるもので、フルシャの指揮のもと、がっちりとした伴奏を聴かせてくれ、迫力充分だ。私がこれまで接したこの曲の実演では、弦楽器はコントラバス4本という比較的小編成ばかりであり、今回もそうであったが、各パートがこれだけ鳴れば言うことなしだ。さてここで私が考えたいのは、チェコの音楽家のチェコ音楽との関わりである。私もプラハは2度訪れたことがあり、そのうち1度はこのブログでも記事を書いた。残念ながらかの地でチェコ・フィルなど本格的なオケを聴いたことはないのであるが、ひとつ確実なことは、チェコ人は本当に音楽が好きなのだということ。だがそうであればこそ、彼らはドヴォルザークを聴いたり演奏しているだけで満足するだろうか、いつも疑問に思うのである。私はいつもチェコの音楽家のドイツ音楽やフランス音楽を聴きたいと思っているし、その意味でチェコの音楽家たちにはドヴォルザークの存在はなんとも複雑な、ある場合には厄介なものではないだろうか。もっとも、フィンランドの場合はシベリウス一辺倒であるところ、チェコにはスメタナもヤナーチェクも、またちょっと渋いがマルティヌーとかスークなどの作曲家がいるので、多少のヴァラエティはある。とはいえ、どう転んでもチェコの演奏家は、チェコ音楽の演奏というある意味でのレッテル貼りから逃れられない面は、どうしようもなくあると思う。このような演奏会での曲目が別にドヴォルザークでなくてはならない法はなく、例えばブラームスでもよかったし、あるいはサン・サーンスでもラヴェルでもよかったと、私は思う。その証拠にシュパチェクはアンコールとして、ドヴォルザークの「ユーモレスク」ではなくて(笑)、ベルギーの作曲家イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番の第4楽章を弾いたのである。ここではグレゴリオ聖歌のディエス・イレエ(怒りの日)が使われていて、悪魔的な雰囲気が満載なのであるが、チェコ音楽(ヤナーチェクのみは除いておこう)と悪魔性ほど遠いものがあるだろうか。いやもちろん、プラハは魔術的都市であるが、ことチェコの音楽に関しては、どうしても中庸性が耳についてしまうのだ。シュパチェクの志向はきっと、中庸なものではないのであろう。これは私が昨年撮ったプラハのカレル橋の写真。絵になりますなぁ。
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この中庸性への思いは、実はチェコの指揮者についても同様で、この国からはこれまでにも十指に余る世界的名指揮者が輩出しているが、本当の意味でデーモンを感じさせる凄絶な演奏を残したのは、ひとりラファエル・クーベリックくらいではないか(カレル・アンチェルを数えてもよいかもしれないが、クーベリックの格にはやはり劣るだろう)。それゆえ私は、このフルシャには、そのようなチェコのくびきを超えた悪魔的なレヴェルの凄みある活躍を望みたいのである!! その意味で今回の「巨人」には大きな期待をかけたのであるが、第1楽章は正直、どうも安全運転に終始したような気がした。やはり都響の弦はゴリッとした実体のある音を繰り出していたものの、肝心の指揮者がそれを縦横無尽に操るというイメージではなかったのである。第2楽章には勢いが必要なので、推進力はかなり発揮されたが、続く第3楽章はむしろちょっとおとなしめに戻ったか。中間部で葬列が踊り出すようなイメージの箇所ではかなりデフォルメを強調していたものの、デモーニッシュなものまでは感じなかった。第4楽章は長い長いクライマックスへの道のりなのであるが、時折金管楽器の演奏にごく僅かな傷があったりなどして、完璧な出来と言うには若干の躊躇を覚える。さすがにホルンが起立する大団円ではオケのパワー全開で、かなり充実感のある演奏にはなったものの、全体を振り返ってみると、フルシャならもっともっとできる演奏であったように思う。かつてこのオケで聴いたエリアフ・インバルの同じ曲の演奏では、最後のホルンの起立の場面では、もう何がどうなるのか分からないくらいの興奮(笑)が自分の中に沸き起こったことを思い出していた。

終演後には指揮者とソリストのサイン会が行われたので参加した。やはり若い演奏家というのは華やかでよいものだ。
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上記は少し厳しい意見かもしれないが、フルシャへの期待が大きいがゆえの個人的見解と免じて頂きたい。今回彼は、ショスタコーヴィチ10番をメインとしたプログラムを来週振るが、これはチェコ音楽ではないので、きっと何か新境地が聴けるのではないか。残念ながら私は忘年会のためにその演奏会は泣く泣く諦めたが、まだチャンスはあるのだ。そう、年末の第九をこのフルシャが振る。そこに次の期待を込めることとしよう。

Commented by 透溜 at 2016-12-15 08:38 x
アンチェルをクーベリックより劣ると思っているようですが無知そのものではないでしょうか。
あなたがアンチェルの演奏をあまり聴いたことが無い方であることがよく分かります。
アンチェルの残した数多くの演奏の録音を虚心坦懐に聴くことを強くお勧めします。
アンチェルの人となりも研究されることもお勧めします。
ユダヤ人だったためナチスによってテレジン収容所に入れられ後にアウシュビッツに移送され奇跡的に生き残ったのがアンチェルです。
クーベリックも大戦中に苦労していますが、その後の亡命を含めてもアンチェルに比べたらまだいい方です。
クーベリックは1991年に来日して素晴らしい演奏を聴かせてくれたので生の実演を体験しているのなら思い入れが違うのも理解できます。
私も1991年のクーベリック来日公演の実演を生で聴きました。
アンチェルは1973年に亡くなっていますので私は生の実演を聴いたことはありません。
しかし残された録音を数多く聴くと大変な名匠だと分かります。
クーベリック以上の指揮者ではないかと思わせるものがあります。
アンチェルの数多くの録音を聴いてみてください、最近では壮絶としか言いようのないライブ録音も多く発掘されて発売されています。
Commented by yokohama7474 at 2016-12-15 09:14
>透溜さん
早速のコメントありがとうございます。沢山の人がご覧になるブログですから、皆さんに音楽の奥深さを実感頂くためにも、このようなご意見は有り難いです。もちろん私も人並みにアンチェルのスプラフォンの一連の録音を聴いて参りましたし、当然アウシュビッツのことも、知識としては知っています。「戦争レクイエム」のライヴも持っていますし、Tahraレーベルや、市販されていない録音もそれなりに手元にあります。それだけ私もアンチェルに思い入れがあるがゆえに、本文中で言及したのだという点は、何卒ご理解下さい。クーベリックとの比較をしてしまったのがお気に召さなかったのですね。失礼致しました。そもそもはフルシャの演奏会についての記事なので(笑)、ここでこれ以上のコメントは差し控えますが、いずれにせよ、我々には過去の偉大な演奏家たちの遺産が沢山残されているので、現役の演奏家とともに、過去の演奏家についても、虚心に接して行きたいと思っています。またお立ち寄り下さい。
Commented by tokio5353 at 2016-12-16 13:06 x
こんにちわ
わたしもサントリーホール(Bシリーズ)を聴きました。前日のCシリーズを聴かれた方と若干印象が違うようです。
ご指摘の様に、わたしもやや安全運転気味であったと思います。また、都響の演奏は決して最高レベルのものではなかったとも思います。終楽章の金管群の瑕疵(?)について控えめに言及していらっしゃいますが、トランペット、ホルンは肝心なところでミスをしていて、いつもの都響らしくなかった印象です。もちろん、多少のミスがあっても感動する演奏もあります。けれど、この演奏会では感動を得ることはできませんでした。なぜでしょう。
Commented by yokohama7474 at 2016-12-17 00:13
> tokio5353さん
コメントありがとうございます。なるほど、前日の東京文化会館での演奏はまた違ったものだったのでしょうか。もちろん音楽の感じ方は人それぞれですが、このサントリーホールでの演奏に関して、私と同じ「安全運転」という感想を持たれたことは興味深いですね。私自身は、未だフルシャという指揮者を体験した回数も限られているので、今後彼と都響の共演を聴いて行くにつれて、また何等かのイメージが沸いてくるのかなと思っております。またお立ち寄り下さい。
by yokohama7474 | 2016-12-15 00:29 | 音楽 (Live) | Comments(4)