愛知県 三河地方の古寺 普門寺、豊川稲荷、三明寺、専長寺、金蓮寺、華蔵寺、浄名寺

オペラとコンサートに疲れた(?)体を少し休めたいと思って、12/3(土)・4(日)と小旅行に出かけることとした。行先として私の頭の中に浮かんだのは、蒲郡。ガマゴオリという濁った響きが何やら神秘的な響きを帯びている上、温泉地として昔から名高い割には、これまでに実際に行ってみる機会はなかったし、周りで行ったという人もほとんど聞いたことがない。東京からはかなり遠くて不便だし、関西からでも同様。唯一中部地区の人たちにとってはそれなりになじみなのかもしれないが、それでも名古屋から50kmくらいはあるだろう。この蒲郡、いや、正確には「蒲郡あたり」に行ってみたいと思ったもうひとつの理由があって、それは、私の頭の中にこびりついた、ある映画のセリフであったのだ。

「次のクラス会なんだがね、どうだい、蒲郡あたりで」

お好きな人にはすぐに分かる、これは小津安二郎映画の中のセリフ。だが、カラー映画であることは覚えていたが、どの映画であるかについては自信がなかったので、後で自宅で調べてみると、それは昭和33年(1958年)制作の「彼岸花」。小津初のカラー作品である。セリフは正確には以下の通り。
 中村伸郎 : 「あ、それからね、また久しぶりにクラス会やろうってんだがね、どうだい」
 佐分利信 : 「なに」
 中村伸郎 : 「クラス会だよー、中学の」
 佐分利信 : 「あー」
 中村伸郎 : 「今度は関西の連中も合同でね、蒲郡あたりでやろうってんだがね、どうだい」

なるほど、関東と関西の中間地点として蒲郡が旧制中学のクラス会の場所に選ばれるという設定であったわけだ。このセリフ(佐分利信の上の空ぶりも含め)とカット割りから小津映画について延々論じたい誘惑にぐっと耐え、そして、その後「蒲郡あたり」の竹島でのクラス会のシーンで、笠智衆が楠正成の最期についての詩吟を披露して、友人たちがしんみりすることについても語りたいのを我慢して、今回の旅行についての記事を書いて行こう。念願の蒲郡あたりでの温泉宿泊はそれなりに快適なものではあったが、このブログで語るべき対象は温泉ではなく、さらに具体的に歴史と文化の宿るところ、つまりは三河地区の古寺の数々なのである。あ、その前に一応その、「彼岸花」における「蒲郡あたり」のクラス会のシーンだけ(笑)。
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さて、お寺に興味のない人もおられるであろうから(笑)、私が名古屋で家族と落ち合ってから蒲郡に向かう前、家人の要請によって名古屋港水族館に行ったという話を披露しておこう。正直なところ、なんだよ、寺回りの前に水族館か、ささっと見て早く移動しよう・・・と思ったものの、入ってみると面白くて面白くて、ヒャーヒャー騒ぎながら、あっという間に2時間を過ごしてしまいました(笑)。イルカやシャチや、珍しいところではベルーガ(シロイルカ)にも芸を仕込んでいて、なんとも心が癒される。それ以外にも見どころ満載の水族館だが、ここではひとつだけ、こういう生き方もあったのか!!と驚愕させられるチンアナゴの写真だけ載せておこう。アナゴの一種だが、水中の砂地に潜り、頭だけ地面から出してプランクトンを食べて生活している。大きな水槽にこんな連中がワサワサいて、その大真面目な姿がなんとも微笑ましく、ついつい水槽に貼りつき、そして写真を撮らずにはいられなかったのである。
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ちなみに「チンアナゴ」の名前の由来は、犬のチンに似ているからということらしい。これはWikiで使われているこの魚のアップ写真。やっぱり可笑しい。生まれ変わったらチンアナゴになりたい、とは思わないが、でも、こういう生活どうでしょう。体を安定させて餌を採る手段を確保し、いざとなれば地中に潜って難を逃れる・・・。なかなか巧妙だ。でも、「オレはこんな守りの生活はイヤだ。もっと自由に海の中を泳ぎ回りたい!!」という気概のあるヤツはいないのだろうか(笑)。いても食われてしまうのか。
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さて、地理的なポイントを整理しておこう。これは愛知県の地図であるが、県庁所在地である名古屋はもちろん昔の尾張の国。この地図の西1/3くらいである。それに対し、東側の2/3が三河地方。赤丸は蒲郡あたりを示している。
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徳川家康は岡崎の生まれ、つまり西三河の人間であり、この地域に寺社が多いのはそのあたりの事情も関係しているが、実は、その歴史を紐解いてみると、なんのなんの、江戸時代どころではなく、古く奈良時代に創建された寺も沢山あるのである。本州の中央あたりで海に面しているこの地方には、恐らくは古代から中央との交流があったのであろう。以下、素晴らしいいくつかの古寺のご紹介で、その歴史に想いを馳せてみたい。尚、通常仏像は撮影禁止の場合が多く、以下の記事においても、風景については基本は私の撮影した写真を掲載するが、仏像だけは外部のサイトから借用または書物からの撮影であること、お含み頂きたい。しかしながら、最後の浄名寺の円空仏だけは例外で、これは私の撮影になるものである。詳細は追って。

「蒲郡あたり」から車を走らせ、まず最初に向かったのは、豊橋市にある普門寺。実は、この寺に重要文化財の仏像が多く存在していることは知っていたものの、その公開は一年でも限られた期間しかない。今回、ちょうど我々が訪れた時期にもみじ祭りなるお祭りが行われていて、ちょうど仏像も公開されていたのである!!おぉ、これは何と運のよい。やはり普段の行いがよいせいでしょうなぁ(笑)。
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この普門寺は、なんと727年、行基菩薩による開基と伝わる古刹。実に古い。その後鎌倉時代には、源頼朝の帰依を受けたという。この寺には、その頼朝の等身大の像と伝わる不動明王とその脇侍が伝わる。愛知県指定文化財である。この不動三尊の前で人々は陶器の上にお灸をすえたものを頭の上にかぶって祈祷を受けている。ほうろく灸というらしい。
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またこの寺の収蔵庫には、貴重な国指定の重要文化財が6体伝わっていて、このような特別な機会にのみ公開される。その仏像とは、釈迦如来、阿弥陀如来と四天王だ。以下の写真で明らかなのは、この二体の如来と四体の天部は、少なくともそれぞれが一具のものであるということ。如来たちの台座は簡素ながら実にユニーク。また四天王は、一応袖がまくれ上がっている等の躍動感の表現は面白いが、むしろその田舎づくりの魅力がよいと思う。
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なんとも古式ゆかしい仏像群で、心が本当に癒されるのである。さて、この後はこの寺で経験した「もみじ祭り」の写真を一気に掲載しよう。嗚呼、なんと美しいことか。このような美しい景色を見るだけで人生、生きるに値する。
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またこの寺の本堂では、ほのかな明かりのもと、現代美術の展示が行われていて、薄暗い中に美的な感覚が満載であった。これはなかなかの工夫である。選ばれた場所の霊性をうまく使った企画であろう。
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普門寺を辞して向かった先は、日本でも有数の霊場、その名も高き豊川稲荷である。実はその正式名称を妙厳寺(みょうごんじ)という立派なお寺なのであるが、恐らくは民間信仰との混淆によるものであろう、日本有数の稲荷神社と認識されて賑わっている。
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ここには過去何度か来ようと思って果たせずにいた。今回念願叶って訪れてみると、仰ぎ見る空の実に広くて青いこと。そこで空気を吸うだけで霊験あらたかな思いである。
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またここには江戸時代に作られた庭があり、名勝に指定されている。決して広くはないが、心の洗濯には充分な広さである。
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実は大岡越前守ゆかりの品や重要文化財の仏像を展示する宝物館を楽しみにしていたが、閉館となると致し方ない。
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さて、この広々とした場所も開放的で素晴らしいのであるが、この豊川稲荷のすぐ近くに、観光客がほとんど訪れない必見の古寺がある。三明寺(さんみょうじ)である。この寺の歴史は気が遠くなるくらい古く、実に702年、大和国、橘寺の僧、覚淵が開基であると伝わっている。この寺はまた、「豊川弁財天」としても知られている。その弁財天は平安時代に三河国司を務めた大江定基という人物の愛人、力寿姫(りきじゅひめ)の死を悼んで彼女の面影を刻んだものであるという哀しい伝説がある。今の本堂の中には重要文化財に指定されている弁財天の宮殿がある。お参りする人も稀な霊場である。
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そしてこの寺には、やはり重要文化財の美しい三重塔がある。1551年の建造とのこと。それぞれの層が異なった表情を持ち、またその反り返った庇に、450年の歴史が降り積もっている。ちょうど紅葉の季節。魂が洗われる風景だ。再び、生きるって素晴らしい。
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この忘れがたい風景を目に焼き付け、次に向かった先は西三河、西尾市の専長寺である。前日から電話で拝観を予約して訪れた。
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後で触れるが、この西尾市はあの、忠臣蔵で悪者として描かれている吉良上野介の領地。由緒ある寺も沢山あり、また、海に面した地域ならではの海運との関係も理解することができる場所だ。何よりこの寺では、私がすべての仏像好きに広くお薦めしたい、驚愕の美仏がおわしますのだ。重要文化財の阿弥陀如来である。実に美麗な仏像なのである。
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あ、念のため。これらの写真は3体の別々の仏様ではなく、皆同じ仏像なのである。向かって右側から自然光が入っているので、時間帯によって、また見る角度によって、その表情は変化するであろう。事前に何冊かの本で仏像の存在は知っていたが、実際に現地を訪れてみると、お寺の方が仏像の由来を詳しく語って下さる。それによるとこの仏像を発願したのは、鎌倉幕府第三代将軍、源実朝の未亡人、出家して本覚尼と名乗った女性である。その本覚尼が、実朝の菩提を弔うため、あの仏師運慶に依頼して制作したのがこの仏像であるという。仏像好きの方にはすぐに分かるであろう。この中品中生の印は、運慶作であることが明確になっている静岡、韮山の願成就院の国宝、阿弥陀如来と共通するもの。しかも、願成就院の本尊の指先が欠けているのに対し、こちらはすべてきれいに残っているのである。私は一目で光背も台座の当時のものであると思ったが、果たして実際にそうらしい。近年、京都の国宝修理所で修復され、江戸時代の補修による派手な金箔が剥がされて、オリジナルのお姿が甦った。ただ、胎内からは運慶作という証拠は見つからなかった由。だが、私はこれを運慶作と信じたい。それほどに素晴らしい仏像であり、51歳になる今日までこの仏像と巡り合わなかった自分自身の不明を恥じたのである。ちなみにこれが、運慶作の願成就院の国宝、阿弥陀如来。是非上の専長寺のご本尊と比べてみて頂きたい。
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なお、この専長寺のご本尊は、明治期まで京都におられたとのこと。それは新京極に今でも現存する誓願寺。どうやら廃仏毀釈によるものらしい。先人が命を削って創り出した貴重な文化遺産を壊すのも人なら、守るのも人なのである。ただこの美しい阿弥陀如来だけが、その歴史の体現者なのである。またこの寺にはもう一体鎌倉時代の阿弥陀如来像があるが、それは立像で、西尾市指定文化財。こちらは快慶風の、やはり美しい仏さまだ。
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さてそれから向かったのは、東海地方に残るたった3棟の国宝建造物のひとつを擁する金蓮寺(こんれんじ)である。件の国宝は弥陀堂と呼ばれる建物。愛知県最古の建造物であり、実に1186年の建立。800年以上もここで命長らえていることは本当に驚きだ。この特徴的な庇は一体何であろうか。
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このお堂の中には県指定文化財の阿弥陀三尊像がおられるのだが、私が訪れたときは、堂の開閉を担当する住職の息子さんが不在であったので、内部の拝観はできなかった。また次の機会を狙うこととしよう。

さて、この西尾市がかつての吉良氏の領土であったことは前述したが、ここで面白い本を紹介しよう。竹村公太郎著になる「日本史の謎は『地形』で解ける」という書物である。
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上にある通り、養老孟司と荒俣宏が絶賛している書物を私が今更どうこう言うのもおこがましいが、この本、滅法面白い!! そしてこの中に、なぜ江戸時代に忠臣蔵が爆発的に流行ったかについての大変興味深い説が載っている。ヒントは、徳川と吉良はともに三河の出身。より河口に近い領土を持った吉良の方が灌漑に有利なのは明らかで、実際に西尾市には、吉良上野介 義央(よしひさ)が一晩にして築いたという黄金堤(こがねつつみ)の一部が現存している。そのような業績から、地元では吉良義央は稀代の名君なのである。次に私が訪れた華蔵寺(けぞうじ)はその吉良氏の菩提寺。現地に到着してみると、西尾市出身のもうひとりの有名人、「人生劇場」の尾崎士郎による碑のある吉良義央の像が。
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吉良家の墓所は、決して大人気で花が絶えないということではないにせよ、地元の人たちには大事にされていることは明らかだ。義央の墓はどちらかというと質素なもの。
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面白いのは、その義央をはじめとする吉良家の殿様たちを祀るお堂である。これがその中の義央の像。50歳のときの肖像で、本人もその出来を気に入って自分で彩色したと言われている。悪役のイメージとは異なる、なんとも穏やかな表情である。現地では未だに「吉良さん」として親しまれているようだ。
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面白いのは、堂内に貼られたこの説明書き。地元の人の思いが伝わってきて、なんとも心が温まる。
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尚、この寺の庭園はその吉良義央の命で作られたもので、まるで京都の寺の庭であるかのように美しい。またこの寺には池大雅筆による襖絵が伝わっているが、残念ながら今回は公開していなかった。
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そして最後に向かったのが、浄名寺というお寺。ここを紹介している書物はあまり多くないかもしれないが、実はここには、東海地方に数多く残された江戸時代の遊行僧、円空の手になる、いわゆる円空仏の中でも最大級の作品がおわすのである。このような簡素な堂の中に鎮座ましましている。
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拝観を乞うと、住職とおぼしき尼さんが出て来られ、堂内は自由に見学できるとのこと。だがこの頃には既に夕闇が迫っており、小雨も降っていたので、ご住職にお堂を開けて頂き、ライトを点灯して頂いて、この仏像の由来をご説明頂いた。また、写真撮影自由とのことで、このユニークな仏さまとの邂逅を楽しんだのである。
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木の塊に彫刻を施したものであるが、うーん、その表情の慈悲深いこと。しばし見入ってしまった。だが実はこの仏さまも、もともとここにいらしたものではなく、伊勢地方から廃仏毀釈の時代に運ばれてきたものであるという。この拓本にある背中の銘によると、「南海峯 白馬寺」とあるが、この白馬寺については、かつて伊勢にあった寺ということ以上に分かっていることはないようであった。
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このように数奇な運命を辿ってこの西尾の地に辿り着いたこの仏像であるが、なんとなんと、つい15年前までは、円空作であることも判明していなかった由。15年前、つまり平成13年に今のお堂が建立されたらしい。
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このように、三河地方には訪れる価値のある古寺が目白押しだ。私としても、まだまだ取りこぼしがある。できうればまた、「蒲郡あたり」で一泊しつつ、三河の古寺巡りを楽しみたい。

by yokohama7474 | 2016-12-15 23:26 | 美術・旅行 | Comments(0)