第九 アヌ・タリ指揮 東京フィル 2016年12月18日 サントリーホール

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さて、今年もついに残り二週間。かくして東京の、いや東京だけでなく日本中のコンサートホールは、ただ一曲の長大な交響曲によって席巻される。それは、ベートーヴェン作曲、交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付」。いわゆるダイクである。今年も各楽団それぞれの指揮者の選択になっており、私が出かけるのはそのうちのほんの一部ではあるが、この時期に一体いかなる音楽イヴェントが東京で起こっているかの記録にはなると思うので、いつもの通り思いつきのまま書き記して行くこととしたい。

まず私が今年の年末の第九として初めて体験したのは、東京フィル(通称「東フィル」)による演奏。上のチラシで明らかな通り、指揮者は女性で、その名をアヌ・タリという。1972年生まれのエストニア人。私は彼女の実演にも録音にも接したことはないが、その名はどこかで耳にしたことがある。もちろん、音楽を聴く上で女性であるとかどこの国の人であるとかいうことはさほど本質的なことではなく、その人の音楽に真実味と説得力があるか否かだけ聴ければよいのであるが、音楽家の中でも指揮者という職業は、未だ女性の進出があまり進んでいない分野。そんな中で名を成しているというだけで、きっと何か素晴らしい能力を備えているに違いないと思い、強い関心をもって出かけることとした。今試みに、2010年に音楽之友社が発行した「世界の指揮者名鑑866」という本を見てみると、彼女もちゃんと掲載されている。これは、専門の指揮者という職業が確立した頃から、録音を残した最初の世代の人たち(だからニキシュやシュトラウスはもちろん、ピアノロールを残したマーラーも載っているが、ビューローは載っていない)以降のあらゆる指揮者たちを網羅しているのであるが、歴史上866人に入るというのは大変なこと。ちなみにそこでの彼女の紹介の一部を抜粋しよう。

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国内盤のディスクの帯に"エストニアの華"という惹句が記されており、美貌を売り物にした指揮者と勘違いした方もいらっしゃるかもしれないが、お国物の20世紀音楽をはじめ、ロシアや北欧の作品など、個性的なレパートリーと確固たる音楽的な主張を備えた実力派である。
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まあ確かに、顔の美醜で音楽できるわけではないから(笑)、その能力の高さに期待が募る。今回が日本デビューかというとさにあらず、既にこの東フィルをはじめ、札幌響や京都市響、広島響の指揮台にも登場している。もちろんその活躍は国際的で、バイエルン放送響、ベルリン・ドイツ響、フランス国立管、スウェーデン放送響、ヒューストン響等の名門オケとも共演しているほか、双子の姉カドリとともに創設したノルディック交響楽団の首席指揮者や、フロリダのサラソータ管弦楽団の音楽監督も務めている。
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さて、私は昨年末の一連の第九の記事において、オリジナルの「第九チェックシート」というものを作り、それぞれの演奏の客観的な事実を記録したのであるが、実は自分としても、これがあると後で見返したときに便利なので、今年もそれを使用することとしたい。今回の演奏については以下の通り。

・第九以外の演奏曲
  ヘイノ・エッレル(1887-1970) : 夜明け
・コントラバス本数
  6本
・ヴァイオリン対抗配置
  なし
・譜面使用の有無
  指揮者 : あり
  独唱者 : なし
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  あり、但し第3楽章のみなし
・第 2楽章提示部の反復
  あり
・独唱者たちの入場
  第2楽章と第3楽章の間(オケのチューニング中)
・独唱者たちの位置
  合唱団の前
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  あり

まず最初のエッレルという作曲家であるが、生没年で分かる通り、決して前衛の時代の現代作曲家というわけではない。その作風は後期ロマン派風のメロディアスかつ色彩感覚豊かなもの。実はこの人、「現代エストニア音楽の父」と呼ばれる作曲家で、首都タリンの音楽院の教授としてエドゥアルド・トゥビンやアルヴォ・ペルトという、後に同国を代表することになる後進作曲家たちを育てた人。
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この「夜明け」という作品は 1918年の作品で、演奏時間は約9分の交響詩である。文字通り薄暮から太陽が昇って行くところを描写した音楽であるが、プログラムの解説によると、当時独立を宣言したばかりのエストニアの民族意識にも訴えかけるものであるとのこと。確かに北欧的な澄んだ響きの中に力強さもあって、なかなか表現力豊かな曲である(ちょっと佐藤勝あたりの昭和な映画音楽を思わせるところもあったが・・・笑)。東フィルもタリの指揮に従って、非常に丁寧に、そして美しい演奏をした。日本初演かと思いきや、既に2003年というから13年も前に、この東フィルを指揮して日本デビューした際にこの曲を振っている。それにしてもこのタリは本当に小柄な人で、見た目は金髪碧眼の典型的な北欧美人ではあるが、無駄な愛想笑いのないその指揮ぶりは、職人性を感じさせる堅実なもの。最初の10分弱の曲にしてその高い能力の片鱗を見せることとなった。
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メインの第九の演奏を要約するなら、若干速めのテンポで駆け抜けながら、各セクションの分離もクリアで、大変に流れのよい演奏であったと思う。その指揮ぶりは決して器用なものとは言い難く、右手に握った指揮棒はほとんど単純に上下のビートを刻んでおり、左手を駆使して表情づけを行っていたが、大げさな身振りはほとんどなし(上の写真はそのイメージを多少なりとも伝えるものだろう)。また視線はかなりスコアに注がれていて、楽員とのアイコンタクトはさほど頻繁であったとは見えなかった。だがそれでも、オケの微妙なニュアンスは充分に発揮されていたし、書物から引用した上の言葉にある通り、「確固たる音楽的な主張を備えた実力派」であることは明らかな演奏であったのである。もちろんこのオケが(ほかの東京のメジャーオケ同様)このシンフォニーを、欧米ではありえないくらいの頻度で演奏している実績を持っていることも関係しているであろうが、一見単調な指揮ぶりから、大変広がりのある音楽が勢いよく流れてくるのを聴くのは、なんとも爽快な体験であった。実は彼女の髪は、束ねて後ろに流してはいるものの大変長く、肩と腰の間くらいまであるのだが、第3楽章あたりになるとその長い髪の先が左右ともに首の前に出て来て、まるでマフラーを巻いているかのように見えたのは貴重な経験だったが(笑)、それとても熱演の証として好感の持てるものであった。

今回の合唱団は東京オペラシンガーズ。いつもながらに力強い合唱で、終演後も合唱指揮者は挨拶に登場せず、プログラムにもその立場の人の記載がないので、歌いなれた第九であれば、メンバーたちだけで全部出来てしまうのだろうか。また独唱者は、以下の日本の歌手たち。
 ソプラノ : 小川 里美
 アルト : 向野 由美子
 テノール : 宮里 直樹
 バリトン : 上江 隼人
かつて井上道義指揮によるマスカーニの「イリス」の主役で強く印象づけられた小川里美以外にはあまりなじみのない若手歌手たちだが、それぞれに素晴らしい経歴を持ち、今後の活躍が期待される人たちばかりであろう。

そんなわけで、私にとっての今年の年末最初の第九は、新鮮さ溢れるものとなった。ちなみにこれが双子の姉、カドリとのツーショット。うーん、どっちがどっちだ(笑)。向かって左がアヌ。右がカドリ。こういうフレッシュな顔ぶれが、クラシック界に新風を吹き込んでくれることを期待しよう。
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by yokohama7474 | 2016-12-18 23:57 | 音楽 (Live) | Comments(0)