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クラーナハ展 500年後の誘惑 国立西洋美術館

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ドイツ・ルネサンスの画家、ルーカス・クラナッハ(1472-1553)は、その独特の怪しい作風によって、随分以前から私にとっては特別に魅力ある名前なのであるが、一般にはイタリア・ルネサンスの画家たちや、同じドイツでもデューラーやホルバインに比べると知名度が低いせいか、今回が日本で初の個展なのである。「500年後の誘惑」とある副題は言いえて妙であり、宗教改革時代のドイツでこのような絵画が人気を得ていたと思うと、実に興味深く、ヨーロッパの歴史、あるいは信仰と美の関係、さらには男性の女性への欲望の在り方といった面から、一筋縄では行かない様々な要素が浮かび上がる。どのような活動をした画家であったのか、以下で見て行くことにする。尚、この画家の名前は、今回の展覧会の表記ではクラーナハとなっていて、その方がオリジナルの発音に近いのかもしれないが、どうもその名前にはなじめないので、通常通り「クラナッハ」という表記を採用する。尚、同名の息子も画家として名を成したが、ここではいわゆるクラナッハ父の作品が主として集められている(展覧会の英文表記でも、"Lucas Cranach The Elder"とある)。

クラナッハの時代性を理解するためにその他の画家の生年を調べると、デューラーは1471年、ミケランジェロは1475年生まれなので彼らと同世代。ちなみにホルバイン(この場合は有名な息子の方)は1497年生まれで、クラナッハの一世代下。ラファエロは1483年生まれで、その中間ということになる。クラナッハが画家として活動を始めたのは、ベルリンの60km南東に位置するヴィッテンベルクという街。以下は宗教革命期の地図であるが、ヴィッテンベルクは青く塗った部分、つまりザクセン選帝侯の領土に存在する(ちなみに、緑の部分は神聖ローマ帝国=ハプスブルク家の領土)。
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ザクセンと言えば、もちろん現在の州都はドレスデンだが、14世紀から選帝侯、つまり神聖ローマ皇帝に対する選挙権を持つ領主が、このヴィッテンベルクに宮廷を置いていた。正直なところドイツの歴史は非常に複雑で分かりにくいのだが、このヴィッテンベルクの重要度は同国の歴史においても際立っている。なぜなら、この地の大学で教鞭を取っていた宗教家が、1517年に宗教改革を起こしたからである。言うまでもなく彼の名は、マルティン・ルター。画家クラナッハの活動はこのルターの宗教改革と密接な関係を持っているのである。ルターが活躍したヴィッテンベルク大学を創設し、またクラナッハをウィーンから呼び寄せて宮廷画家に任命したのは、ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公。これがクラナッハによる1515年頃の彼の肖像である。真面目そうな人である。
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今日我々が知るクラナッハの作風がいつどのように出来上がったものであるのか定かではないが、ひとつ確実なことは、クラナッハは32歳の1504年以降数十年に亘ってこのヴィッテンベルクで宮廷画家として活躍し、工房を率いて高い社会的地位も得た、成功者であったということだ。そのきっかけを作ったのがこのフリードリヒ賢明公であったわけだが、クラナッハはまたこの「聖母を礼拝するザクセン選帝侯フリードリヒ賢明公」という木版版画(1512/15年頃)も制作している。よほどこの選帝侯に気に入られていたということだろうか。でもこのタッチは独特の陰影感があり、クラナッハというよりも、あたかも遥か後年のフジタの宗教画すら思わせる近代的なものではないか。
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上述の通り、クラナッハより11歳年下のマルティン・ルター(1483-1546)が1517年に宗教改革を起こしたのはこのヴィッテンベルクであり、クラナッハの創作活動は、まさにこのプロテスタント発祥の地で展開されて行く。いやそれどころかクラナッハはルターと親しく、彼の工房はこの信念の宗教家の肖像画を繰り返し描いて、宗教改革運動に「顔」を与えるという重要な役割を果たしたのである。これは1525年の作品であるが、まるで近代の肖像画のように、簡潔でありながら、モデルとなった人物の意志の強さを描き出している。偉大な宗教家と異色の画家は、一体いかなる会話を交わしたものであろうか。
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また、ルターがドイツ語に訳した「新約聖書」の挿絵をクラナッハが描いている。これは1522年9月発行のもの。ドイツにおける印刷術の発展が宗教改革の大きな原動力になったことは周知の事実であるが、その印刷された聖書は、クラナッハの挿絵とともに流布されたものなのである。
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さて、クラナッハがこのようにルターと近い関係であったことを確認して、ここで宗教改革に先立つ頃、彼の初期の作品をいくつか見てみたい。まず、1509-10年頃の「ブドウを持った聖母」。イタリア風ではあるが、かの地の絵画の流麗さや洗練を欠いていて、既にどこか不気味さすら漂う聖母子像であるが、それでも、赤と緑の補色を使っているあたりには、後年にはない鮮やかさを感じることができる。
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これは、1515年頃の「聖母子」。こちらのマリアはより優しい表情をしていて、親しみやすい。だがその表情には虚ろなところもあり、後年この画家が描いた人物たちの一部がたたえている表情との共通点を感じさせる。
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これは1515-20年頃の「幼児キリストを礼拝する幼き洗礼者聖ヨハネ」。ここでも、顔の成分が中央に集まった感じなど、どこかぎこちないクラナッハ流である。この作品では、この画家特有の背景の漆黒も、この頃始まっていることが分かる。
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このような油彩の宗教画以外にも、宮廷画家として彼は、君主や聖人の騎馬像の版画もあれこれ作成している。これは1509年頃の「サムソンのタピスリーのある馬上槍試合(第2トーナメント)」。決して超絶技巧というわけではないが、複雑な群像の構図に真面目に取り組んでいる新進画家の姿を想像することができる。
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かと思うと、当時の宗教画としてはかなり大胆な表現を見ることもできる。やはり初期の頃から尋常ではない表現力を志向したということなのであろう。1508-09年頃の「聖カタリナの殉教」。ここで描かれている聖カタリナとは、ローマ皇帝の愛を拒んだために車輪に縛り付けて八つ裂きの刑に処せられるところ、神の加護で一旦は救われるが、その後斬首された女性。ここで空から降り注ぐ火花の迫力は凄まじい。後年にはない、クラナッハとしては異色の劇的な表現であるが、いかなる経緯でこのような強烈なヴィジョンを自らのものにしたのであろうか。
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また、クラナッハについての同時代の興味深い発言が残っている。ヴィッテンベルクの教授を務めていた人文主義者クリストフ・ショイルルという人の言葉。「わが同郷人である唯一無比のアルブレヒト・デューラー、この紛うことなき天才を別にすれば、(中略) 絵画という技芸において、クラナッハこそがわれらの時代に第一の座を占めるとわたしは考える」というもの。そのショイルルの蔵書に使われていたというクラナッハ作の蔵書票が残されている。1510年頃の作。画家と学者の交流もあったのであろう。この女性は両手に紋章を持っているが、左はグリフォンだろう。そして右は、なぜか黒人なのである。
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展覧会はこの先、クラナッハの描いた肖像画の数々が続く。これは1534年と円熟期の作品で、「ザクセン公女マリア」。この抑えた表情と堅く組み合わせた両手から、この女性は決して見る者に落ち着きを与えるものではないが、不思議と冷たさもあまりない。装飾性の高い服装も手が込んでいて、画家がここで発揮した高度な技術が、全体をきっちりとした構図の中にまとめあげているのは見事である。ピカソはこの絵を愛好し、ポストカードを所持していたそうだ。
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次は男性の肖像を見てみよう。これは1524年以降(1532年?)の作、「ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミール」。これも人物の堅実な性格を偲ばせる見事なものだ。但し、やはりある種の虚ろな表情が彼の顔に張り付いている点は、ほかの多くのクラナッハ作品と共通する。
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興味深いことに、神聖ローマ皇帝として絶頂期を築いたハプスブルクのカール5世(スペイン王としてはカルロス1世)の肖像も描いている。1533年の作。神聖ローマ帝国はカトリックであり、プロテスタントの街ヴィッテンベルクを本拠地とするクラナッハが彼の肖像を描いているのは奇異に思われる。これはハプスブルク家からの依頼ではなく、ザクセン選帝侯による依頼によって描かれたとされているようだ。当時の神聖ローマ帝国はオスマン帝国という巨大な敵と戦う用意のために、一時期プロテスタントの弾圧を断念していたという背景があるらしい。
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さてここからはいよいよ、クラナッハをクラナッハたらしめている、一連の裸婦像を見て行こう。まずこれは、1532年の「ヴィーナス」。
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もちろん神話に材を取った裸体画はイタリアでも多く描かれたが、そのほとんどは豊満な肉体を持つもの。だがクラナッハ描くところの裸婦はいずれも痩身で、肉感的な要素はほとんど持っていない。だが、このように背景を真っ黒に塗り、しかも覆っているのは透明のヴェールであるヴィーナスとは、一体なんなのだ。怪しいことこの上ない。こんなものはもちろん教会には置けないし、個人の邸宅にあっても目のやり場に困ってしまう。図録の解説によると、本作がいかなる目的のために描かれたのか明確でないとのこと。宗教改革の地で貴人や王族を描く一方で、一体どのような需要に応えて描かれたものなのであろうか、想像が掻きたてられるのである。次は1537年以降の作、「泉のニンフ」。
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上の写真では切れてしまっているが、左上にラテン語の銘文が記されており、「われは聖なる泉のニンフ。われは憩う。わが眠りを妨げることなかれ」とあるらしい。これは画家の人文主義的知性を表しているとのこと。つまり裸体画によって惹起される欲望の抑止を訴えているからである。・・・いや、でもそれは言い訳ではないのか。この絵は別にポルノグラフィではないが、肉感的ではないがゆえにそこにある「肉」の生々しさには逆に、強い表現力がある。当時としては非常に煽情的なものではなかったか。

次は時代がかなり遡って、1510/13年頃の「ルクレツィア」。初期の作品である。こうして比べると、上の方に掲載した聖母子像に近く、円熟期のエロティシズムとはかなり違うものであることがよく分かる。だが、恍惚感なしにルクレツィアが剣を押し当てた肌からは、実際に血が滴っていて、豊潤なロマン性を持つイタリア的感性からは既に「一線を超えた」違いのある表現になっていると思う。
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そして円熟期、1532年の「ルクレツィア」はこれだ。表情は少し感情的だが、漆黒の背景に浮かび上がる細身のからだに透明のヴェールは、完成された彼のスタイル。そしてここでも剣の切っ先はルクレツィアの肌をわずかに切り裂き、血を滴らせているのだ。
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これは1537年の「正義の寓意(ユスティティア)」。こちらは透明のヴェールを全身にまとっているが、こらこら、全然隠していないだろ(笑)。「正義」がそんなことでよいのであろうかと、21世紀の謹厳な人間である(?)私としては、500年間前のこの大胆な表現に戸惑ってしまうのである。
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クラナッハはまた、うんざりするような不道徳な男女の絵をいくつも描いている。プロテスタント地域においてこのような作品群は、道徳的な意味を込めて描かれたのであろうが、それにしてもこの「不釣り合いなカップル」(1530/40年頃)における醜い男を得意げに見つめる若い女の表情はどうだ。
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これは「ヘラクレスとオンファレ」(1537年)。あーあー、勇者ヘラクレスが女どもの策略にかかって、鼻の下を伸ばしてしまっている。だらしないのぅ。
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恐ろしい女どもの肖像はまだまだある。これは「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」(1530年代)。19世紀末のサロメブームを待たずとも、聖書に描かれたこの退廃の少女は、クラナッハの手によって、恐ろしくも無邪気な微笑みを16世紀に既に浮かべていたのである。また、このヨハネの首の切断面の生々しさも、一度見たら忘れない。こんな絵画、人目に触れるところに置いておいてはいけない。
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そして今回の展覧会のポスターにもなっている代表作、「ホロフェルネスの首を持つユディト」(1525/30年頃)。今回の展覧会に10点あまりのクラナッハ父子の作品を出展しているウィーン美術史美術館の所蔵になるもので、近年の修復を経て細部の鮮烈な色彩が甦った。西洋美術史上、これほど怪しげかつ優美なユディットはほかにあるまい。まさに傑作である。
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まだまだほかにも多くの作品が展示されていて、日本初のこの画家の展覧会としては大変な規模である。数十年来のクラナッハ・ファンとしては誠にありがたい機会なのである。展覧会には本人の作品以外に、後世のアーティストたちがクラナッハからの影響によって制作した作品も相当数展示されていて、興味深い。だが私にとっては、カトリックの腐敗を攻撃したルターによる宗教改革の勃興に視覚面で積極的に加わった画家が、同時に怪しさをいっぱいに湛えた不道徳な作品も多く手掛けたことにこそ、強い興味の対象だ。この展覧会を見てもその謎めいた制作活動の明確なイメージが得られるわけではないが、ただ単に上品なもの、知的なもの、美麗なもの、模範的なものにはない、時に怪しく時に醜い人間の真実こそが、この画家が描こうとしたものであったのだろうということは、改めて理解できたような気がする。上品で知的で美麗で模範的なものを好む人にはお薦めしないが、ちょっと闇の部分を覗きたい方には、是非にとお薦めしておこう。

by yokohama7474 | 2016-12-20 00:23 | 美術・旅行