マダム・フローレンス! 夢見るふたり (スティーヴン・フリアース監督 / 原題 : Florence Foster Jenkins)

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劇場でこの映画の予告編を見たとき、私は「おぉ、なるほど。この話か」と頷いたのである。というのも、この映画は事実に基づいていて、その事実は結構有名だからである。簡単に言うと、ニューヨーク在住の金満家のマダムが、財力にものを言わせ、世界有数のコンサートホールであるカーネギーホールを借り切って、自らが歌うソプラノ・リサイタルを開催したはよいものの、彼女は残念ながら大の音痴で、世間の笑いものになったという話。私がこの話をよく知っていたのは、クラシック音楽を趣味とする者が必ず興味を持つ録音があって、それがこのマダム、フローレンス・フォスター・ジェンキンス(1868-1944)の歌声なのである。最近の事情は知らないが、私がクラシックを本格的に聴き始めた35年ほど前の入門書には、必ずと言ってよいほど、通常のクラシックの範疇、つまり、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、オペラ、現代音楽、音楽史に加えて、「その他」という分類があった。その「その他」は、例えばパロディ音楽の大家P・D・Q・バッハやスパイク・ジョーンズ、冗談音楽を盛んに取り上げたホフナング音楽祭、当時は未だ最先端の音楽であったシンセサイザーの分野ではワルター(後に性転換してウェンディ)・カーロスや冨田勲のアルバムが並んでいたが、そこに加えて、「F・F・ジェンキンス / 人間の声の栄光????」というアルバムも紹介されていることが多かったからだ。今試みに我が家の書庫をゴソゴソ漁って手元に持ってきたのは、1980年音楽之友社発行の「名曲名盤コレクション2001」という特集雑誌。この「2001」とは、恐らくはキューブリックの映画に因んで、「来るべき21世紀」という意味であったろうかと思われる。因みにこの表紙はザルツブルク祝祭大劇場で、カラヤンとベルリン・フィルによるリヒャルト・シュトラウスの「家庭交響曲」のレコードのジャケット写真を転用したものだろう。
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この中に紹介されているのが、件のアルバムである。
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私は昔からどう転んでも優等生的な音楽ファンではなく、このようなゲテモノには目がないたちなので、「その他」に分類されたレコードも次から次へと購入した。なのでこのレコードも、未だに実家の戸棚に眠っているはずである。確かにこれはなかなかに凄まじい歌声で、夜の女王のアリアなど、聴いていて椅子から転げ落ちそうな音痴ぶりなのである。これが実在のジェンキンスの写真。なかなかに雰囲気のある感じである(笑)。
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さて、そのような予備知識を持って鑑賞したこの映画なのであるが、正直なところ、これまで笑っていたこの女性の音痴ぶりを、もう笑えなくなってしまった。邦題の副題には「夢見るふたり」とあって、カーネギーホールという音楽の殿堂での演奏という夢のような目標に向かって二人三脚で頑張る夫婦という、いわばアメリカン・ドリームの体現者という意味であろうが、とんでもない。ここで描かれている真実は、苛烈この上ないもので、私はのんきに楽しむことができなかった。例によってネタバレを避けるので、映画をご覧になっていない方にはチンプンカンプンかもしれないが、要するに、このフローレンスさんの抱えていた大変な事情と、それを支えた夫の行動には、決してお気楽な人生のBright Sideのものではない。その意味で、誰もが楽しめる夢あふれる映画ではないためか、メジャーなシネコンではもうすぐ上映終了となってしまうのである。

この映画の主演はメリル・ストリープであり、彼女を支える英国出身の夫(ということにしておこう。ややこしい話を避けるために 笑)はヒュー・グラント。この二人の素晴らしい役者が演じているがゆえに、この映画には見る価値があるとは思う。逆に言うと、この二人でなければ、もう陰鬱で見るに耐えない映画になってしまったかもしれないと思わせるのである。
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舞台は第二次世界大戦末期の1944年。フローレンスと、もと一人舞台の俳優である夫のシンクレア・ベイフィールドは、その財力にものを言わせて、ニューヨークの上流階級の人たちを会員とするヴェルディ・クラブなる組織を作り、夫はシェークスピアなどの朗読を行い、妻は様々な衣装を着て舞台に立っている。フローレンスはアマチュアながらかつては歌のリサイタルを行っていたようであるが、年齢的・体力的な問題もあり、最近では歌は披露していない。この二人の財力は当時最高の指揮者、いや歴史を通しても最高の指揮者のひとりであるアルトゥーロ・トスカニーニも無視できず、パトロンとして友好関係を保っている。フローレンスは、そのトスカニーニが伴奏するリリー・ポンス(当時メトロポリタン歌劇場を席巻したコロラトゥーラ・ソプラノ)の歌うラクメの「鐘の歌」を聴いて刺激を受け、メトロポリタンの副指揮者のレッスンを受けて舞台に復帰、ご本人はそれに気をよくして、ついに音楽の殿堂、カーネギーホールを借り切るという暴挙に出る。
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ここでメリル・ストリープが披露する歌声は、実にリアルに音痴である(笑)。ミュージカル映画「マンマ・ミーア!」では見事な歌声を披露していたので、ある意味では、実際に歌える人だからこそこのような音痴ぶりを演じることができるのであろう。最後の方で夢の中でフローレンスが綺麗に歌うシーンがあって、それは見事であったものの、歌い方はクラシックのそれではなかった点は致し方ないだろうか。一方のヒュー・グラントは、妻への深い愛に裏打ちされた献身ぶりが終始描かれているのであるが、実は彼の本心は分からない。真実と虚偽の境目が、本人も分からなくなっているのかもしれない。決して彼の妻への愛に対する疑問を起こさせるような作りにはなっていないものの、ここでのヒュー・グラントの演技は、見る人の解釈を許すものであると見た。また、ピアニスト役のサイモン・ヘルバーグ、もう一人の重要な役柄を演じるレベッカ・ファーガソン(このブログでも、「ミッション・インポッシブル / ローグ・ネーション」や「ガール・オン・ザ・トレイン」の記事でご紹介した)らもいい演技を披露していて、全体の演技のレヴェルは非常に高い。監督のスティーヴン・フリアーズは私にとってはなじみのない名前だが、1941年生まれの経験豊富な英国人で、「マイ・ビューティフル・ランドレット」「危険な関係」「クィーン」などを手掛けた人。手堅い演出手腕である。
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また、1944年当時のニューヨークの様子が活き活きと再現されている点も面白い。その当時の日本の悲惨な状況を考えると、こんな国と戦争をしてしまった我が日本が、なんとも恥ずかしくなってきてしまうのである(実際に、人々が読む新聞の見出しが、「日本、制海権を失う」であったりする)。私が興味深く見たのは、ヴェルディ・クラブの出し物がワーグナーの「ワルキューレ」であったり、ある女性が欧州の戦線で行方不明になったパイロットの息子に捧げる音楽として、ブラームスの子守歌をラジオでリクエストするなど、敵国の文化に対する驚くべき寛容度である。もちろん、移民の国である米国にはドイツからの移民も多くいたわけであり、日本が鬼畜米英などと喚いていた状況とは全く異なるわけだが、要するに確立したヨーロッパの文化への尊敬の念が存在していたということであろう。その一方で、ベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」(身震いするほど大好きな曲だ!!)に人々が踊り狂う享楽的な様子もリアルで、実に大人の雰囲気なのである。

このマダム・フローレンス、カーネギーホールでリサイタルを開いたのが1944年10月25日、76歳のとき。その僅か5日後の10月30日に心臓発作で倒れ、11月26日に死去している。そうしてみると、彼女のリサイタルは本当に、命を振り絞った白鳥の歌だったのである。恐らくは自分が音痴であるという自覚なしに舞台に立ち、愛する夫を信頼しながらこの世を去ったものであろう。そのピュアな精神と、前向きに生きる力に心を動かされることは事実。だが一方で、ここで描かれた真実には、手放しで美談と評価するには多少の躊躇がある。財力の持つ力や人々のへつらい、上流階級の現実感のなさ、偽善・・・等々が婉曲的に描かれたこの作品、見る人をして考えさせる要素を多々もっているのである。これを見てしまったら、もう無邪気に音痴を笑うわけにはいかないというのは、そういうわけなのである。フローレンスさん、次はあなたの歌声を真剣に聴くことにしますよ!
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by yokohama7474 | 2016-12-21 02:07 | 映画 | Comments(2)
Commented by 吉村 at 2017-01-14 20:05 x
ハワイからの帰りの飛行機で観ました。
ご指摘の通り、思ったより重い話でびっくりしました。
ヒュー・グラント扮する旦那さんのモチベーションが今ひとつ説得力ないのが残念でしたが、アマチュア音楽家の痛いところをついてますね。
Commented by yokohama7474 at 2017-01-14 22:11
> 吉村さん
なるほど、アマチュア音楽家としての視点は興味深いです。旦那のモチベーションは確かにはっきりとは描かれていませんでしたが、遺族の意向など、何か理由があるのもかもしれませんね。最近は実話をもとにした映画が多いですが、できれば映画は映画として楽しめるようにできている方がよいと、私は思います。
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