没後20年 武満徹の映画音楽 渡辺香津美/coba/鈴木大介/ヤヒロトモヒロ 2016年12月21日 オーチャードホール

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このブログではもう何度も触れてきた通り、今年2016年は、武満徹(たけみつ とおる、1930-1996)の没後20周年。数日に亘って彼の創作活動を俯瞰するような大々的な催しこそなかったものの、それでもさすが20世紀日本を代表する芸術音楽の作曲家である。様々な演奏会において、没後20周年を記念して彼へのオマージュが捧げられた。そんな中、既にコンサートホールでは第九ばかりが鳴り響くこの年末に、渋谷のBunkamuraオーチャードホールにおいて、武満ファン必聴のコンサートが開かれた。それは、彼の映画音楽を採り上げて演奏するというもの。その内容を以下にご紹介する。

よく知られている通り、武満は大の映画好きであった。武満作品の熱心な紹介者でもあった指揮者の岩城宏之が何かのインタビューで、「武満さんに『最近映画はご覧になっていますか』と訊くと、『最近減っちゃってねー。年に100本くらいしか見てないよ』と答えたんですよ」と笑って語っていたのを覚えている。私は武満が亡くなったとき、作曲界というよりも、日本の文化シーンにおける大きな存在がなくなってしまったという空虚感を味わったものだが、彼のように自由な感性であらゆる文化から影響を受け、またあらゆる文化に影響を与えた芸術家は、日本にはそう多くないのである。そんな武満の創作活動にとって、映画音楽はひとつの柱になるものであった。生涯で100本ほどの映画音楽を手掛けたらしい。いわゆる現代音楽の作曲家でこれほど映画音楽を作曲した人は珍しい。私の知るところでは、もちろん日本の伊福部昭は特殊な例であろうが、例えばギリシャのミキス・テオドラキスとか、変わったところではポーランドのヴィトルド・ルトスワフスキなども別名で映画音楽を書いている。だが、誰も武満ほどの多様性と積極性をもって映画音楽を作曲してはいないだろう。ひとつの証拠を挙げよう。小学館による武満徹全集は、断片のみ残された舞台音楽などもすべて網羅した、まさにこの作曲家の全業績を音で辿ることのできる文字通り空前絶後の内容なのであるが、作曲分野によってセットが5つに分かれている。実にそのうちの2セットが映画音楽なのである。CDの枚数でいうと、全55枚中21枚!!我が家のCD棚のカオスの中からこの2セットを引っ張り出してみた。上に乗っている絵はなぜかマティス(笑)。
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それから、ビクターから出ていた「武満徹 映画音楽」というサントラを集めた6枚のシリーズ(監督別)や、その他の映画音楽だけのアンソロジーや、「乱」「燃える秋」と言った作品のサントラ全曲盤も手元にあって、要するに私は武満の映画音楽の大ファンなのである。これが、和田誠の手掛けた「武満徹 映画音楽」のジャケットだ。
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そんな私が今回の演奏会を必聴と考えたのは、もちろん演奏曲目もひとつの理由だが、何よりも登場する演奏者たちである。ギターが渡辺香津美と鈴木大介、アコーディオンのcoba、そしてパーカッションのヤヒロトモヒロ。実はこの4人は、2008年に武満の娘であるプロデューサーの武満眞樹からの呼びかけによって集められ、ワシントンDCで初めて武満の映画音楽を演奏した。以来ニューヨークやカリフォルニアのオレンジ・カウンティ、北京、上海、また国内では八ヶ岳、松本等で共演してきたが、実は東京での公演は今回が初めてとのこと。実に貴重な公演なのである。これは兵庫芸術センターでの公演の写真。
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ここで武満眞樹の言葉を引用しよう。

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最初の公演は2008年2月、米国ケネディ・センターで開催された「日本」がテーマの音楽祭で。この音楽祭のプロデューサーから連絡をもらい“タケミツの映画音楽を紹介したい。ただし日本から呼べるミュージシャンは4人くらい”と言われた。アコーディオン、パーカッション、ギター×2の4人というのは編成としてどうなのか、なんてことは深く考えず、私は即この4人に連絡をした。彼らが父の敬愛する音楽家だったから、そして父の音楽で自由に遊んでくれそうだったから。何より彼らの素晴らしさをワシントンDCの人々に知ってほしかったから。4人とも快諾してくれて、それから何度かプログラム選びのミーティング、編曲の割り当て、そして香津美さん宅でのリハーサルを経て、ワシントンDCでの本番。タケミツのことも4人のアーティストのことも殆ど知らなかった聴衆が、コンサートが進むにつれ、手拍子を打ったり、身体でリズムをとったり、歓声を上げたり。最後には全員がスタンディング・オベーション。遠い異国から来た4人の素晴らしい音楽家たちに惜しみない拍手を送っていた。作曲家の肉体は滅びても、その音楽は生き続ける、それどころか新しく生まれ変わることができる、ということを改めて感じた夜だった。
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会場には武満が音楽を手掛けた映画のポスターや、この演奏会のポスターに奏者たちがサインしたものが展示されている。いかにもこの特別な演奏会の雰囲気が感じられて楽しい。
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今回はこの4人の演奏者のうち、ヤヒロを除く3名がそれぞれ編曲を手掛けて、この編成で武満の映画音楽の数々を演奏できるようにしたもの。この3名はまた、コンサートの進行の中で順番に曲の紹介をしたり、武満とのエピソードや、また自分の最近の活動について語ったのであるが、皆話が上手で、客席を沸かせていた。曲目は以下の通り。尚、*を付した曲は映画音楽以外。
 「フォリオス」より第1曲*
 不良少年
 伊豆の踊子
 どですかでん
 日本の青春
 太平洋ひとりぼっち
 = 休憩 =
 Tribute to Toru (渡辺とヤヒロによる武満徹に捧げる即興)*
 死んだ男の残したものは (ゲストヴォーカル : カルメン・マキ)*
 ホゼー・トレス
 狂った果実
 最後の審判 (三月のうた)
 他人の顔
 写楽
アンコール : 小さな空*

原曲をよく知っているものとそうでないものがあったし、原曲からはかなり違った雰囲気になっている曲もあったので、武満ファンにとってすべてが驚愕の演奏ということではなかったかもしれないが、だがここに集まったミュージシャンたちの熱意と技術とカリスマによって、何か本当に大切なものを思い出させてもらったような気がする。この編成では、アコースティックな音だけで広いオーチャードホールを満たすわけにはいかないため、PAを使用していたが、そこでスピーカーを通して聴かれる渡辺や鈴木のギター、cobaのアコーディオン、ヤヒロのパーカッション(ロックバンドのようなドラムではなく、ダブラのような太鼓を手で叩いたり、鈴やあるいは鳥の鳴き声のような音のする楽器を駆使していた)、それぞれが素晴らしい表現力で、なんとも惚れ惚れするものであった。それから、特別ゲストとして登場したカルメン・マキのヴォーカルはなんとも情念溢れるもので、ここだけエレキギターで伴奏した渡辺も、「リハーサルを重ねたけれど、本番がいちばんすごくて、身震いした」と絶賛であった。もちろん私も初めてのカルメン・マキ体験であったが、彼女の長い舞台経験から来る凄みに圧倒された。これが1969年の彼女のデビュー作。おぉそうだ、作詞はあの寺山修司なのである。
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まあそういった意味では、昭和へのタイムトリップという感覚もあるコンサートであったが、なんとも言えないノスタルジーとともに、これら一流のミュージシャンの手になる音楽の説得力は、ただのノスタルジーで済むものではない。その意味では、この音楽を我々は若い世代につなぎ、また世界にも発信して行かなくてはならない。満席とはならなかったオーチャードホールには大人の雰囲気が漂っていたが、それは要するに聴衆の年齢層が高かったということでもある(笑)。若い聴衆をもっと集める必要がある。ところでこれら映画音楽の中で私が最も好きなのは、勅使河原宏監督の「他人の顔」なのだが、この退廃的なドイツ・ワルツは何度聴いても素晴らしい。これはもちろん有名な阿部公房の小説の映画化で、私も昔名画座で見て痛く感動したものであるが、面白いのは、酒場のシーンの後ろの方に、エキストラとして武満が出ており、確か煙草を吸いながらだと思ったが、何やら喋っている映像が出てくる。このようなシーン。若い人たちはこのような映画を面白く思わないのかなぁ・・・。昭和は遠くなりにけり。
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最後にもうひとつ、私が以前体験した、やはり武満の映画音楽のコンサートについて少し触れてみたい。それは、今を去ること20年前。サントリーホールオープン10周年を記念するコンサートのひとつ。演奏は、あの小澤征爾指揮新日本フィルによるもので、当時のポスターはこれだ。
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この日付に注目して頂きたい。武満の逝去は1996年2月20日。このコンサートは同じ年の10月27日。作曲者の死後8ヶ月というタイミングだが、当然、作曲者が世を去るということを想定せずに企画されたものであろう。奇しくも、そのときのコンサートも今回のコンサートも、最後の曲に選ばれたのは、篠田正浩監督の「写楽」である。これは武満が生涯最後に手掛けた映画音楽であるが、陰鬱さはかけらもない、洒脱なディキシーランド・ジャズだ。20年前のコンサートでも小澤が楽しそうに指揮していたのをよく覚えている。また、コンサートの途中には小澤へのステージ上でのインタビューがあった。並ぶ者のない率直さで世界の頂点に登りつめた小澤は、このときも正直に、「いやー、ボクは不勉強でね、今日演奏する音楽のついた映画、一本も見たことないんだよ!!」と言っていた。あぁ、あれは楽しいコンサートだったなぁ。FMで放送されたのだが、エアチェックを忘れてしまい、今でも後悔しているのである。なんとかCD化してもらえないものだろうか・・・。そういえば武満が亡くなった1996年2月は私はニューヨークに長期出張中で、現地で訃報を知ったのだが、その直後に小澤はウィーン・フィルとカーネギーホールで一連のコンサートを行っていたのである。マーラーの「復活」の前に、武満を偲んで「弦楽のためのレクイエム」が急遽演奏されたが、大抵の場合は現場でチケットを入手できるニューヨークであるが、あの時ばかりは大変な人気のためにそれが叶わず、ホールの入り口に流れるモニター用の会場内の「音響」を聴きながら、極寒の中で悔しさを噛みしめていたのである。今確認すると、それは1996年2月29日のこと。
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ニューヨークと言えば、かの地の名門オケ、ニューヨーク・フィルが創立125周年を記念して委嘱した「ノヴェンバー・ステップス」が、世界における武満の出世作であり、1967年にその初演を指揮したのがもちろん小澤であった。その後の小澤はもちろん、武満作品の世界的権威と見做されて今日に至っているのである。
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「ノヴェンバー・ステップス」の初演からもうすぐ半世紀。既に歴史になった出来事である。20年前のコンサートにおける私の思いも、もはや歴史になりかかっているのかもしれないが(笑)、歴史とは常に作られ続けるもの。今回のような素晴らしい演奏会によってこそ、歴史が続いて行く。これからも新鮮な思いでそれを目撃して行きたいものだ。

by yokohama7474 | 2016-12-22 01:44 | 音楽 (Live) | Comments(0)