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第九 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 NHK交響楽団 2016年12月25日 NHKホール

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1927年生まれ、現在実に89歳という高齢のスウェーデン人指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットが、先月のバンベルク交響楽団との来日公演に続いて今月も東京でその音楽を聴かせてくれる。年末恒例の第九、指揮をするのはもちろん、彼が桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団(通称「N響」)である。これはN響の創立90周年を記念する特別演奏会も兼ねており、日程は、12/21・23・24・25の4日間をNHKホールで、また12/27にはサントリーホールで1回と、合計5回である。会場のNHKホールにはこのような飾りつけが。
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それにしてもブロムシュテットの年齢を思うと、この大曲をこれだけの回数指揮することはまさに信じられない思いであるが、私が聴いたこの日の、つまり4回目の演奏では、いつもの通り全曲を立ったまま指揮する様子には全く危なげがなく、時に大きく息を吸い込んでオケ、独唱、合唱をリードすることによって、まさに巨匠の芸を聴かせてくれた。ではまずいつもの通り、「川沿いのラプソディ」オリジナルの第九チェックシートから始めよう。

・第九以外の演奏曲
  なし
・コントラバス本数
  8本
・ヴァイオリン対抗配置
  あり
・譜面使用の有無
  指揮者 : なし(但しスコアは演奏中一度も開かれることなく指揮台にあり)
  独唱者 : あり
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  なし
・第 2楽章提示部の反復
  あり
・独唱者たちの入場
  冒頭
・独唱者たちの位置
  合唱団の最前列の真ん中
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  あり

ブロムシュテットはかなり以前からヴァイオリンの左右対抗配置を取っており、指揮棒を使わないのも通例になっているが、それはいわゆる古典派音楽に対する古楽的アプローチという教条的なものではなく、ひたすら音楽に奉仕するための方策を求めた結果であり、曲の性質に応じて柔軟な姿勢を取っていると思われる。例えばコントラバスを、6本ではなく近代オーケストラの標準である8本にしている点にも、この曲の破天荒な巨大さを表現しようという意欲が感じられる。この指揮者の美点は、決して感情に溺れることなく、常にいわば楷書のきっちりした演奏をすることであり、第九であっても曲の破天荒さを直接に強調することはない。だがその一方で、今時珍しく独唱者まで全員冒頭からステージに出していることからも、全員で音楽するための献身を歌手たちにも求めているように思われる。清々しい音楽を紡ぎ出すための厳しい要求が、当然オケにも歌手にも出されたものであると理解した。第1楽章は激しい闘争の音楽であり、迫力という点ではこの演奏が最高の出来だったというには若干の躊躇を覚えるが、だがそれでも、随所に音の線の絡まりがチリチリと燃えているように聴こえる箇所があり、アンサンブルとして見事に曲の本質を突いていたものと思う。何より、年齢による指揮ぶりの鈍化は全く見受けられず、テンポもむしろ早めであって、いつに変わらぬブロムシュテット節である。第2楽章では疾走感もあって、楽器間の連携も見事。ここで音楽が少し熱してきた感があった。そして第3楽章で、私はひとつの発見をした。この緩徐楽章アダージョは、ベートーヴェン晩年の深い境地を表す清澄な音楽なのであるが、実はオケが全員で深々と旋律を歌う箇所はほとんどない。というのも、水の流れのように延々と続く旋律は基本的に第1ヴァイオリンだけが担っていて、ヴィオラやチェロはもちろん、普通なら一緒にハモって歌うはずの第2ヴァイオリンまでが、短い音型を弾いたりピツィカートを奏でたりして伴奏に回っているのだ。そんな点にも時代を超えたベートーヴェンの破天荒な試みが表れているのであるが、実は第4楽章に入って「歓喜の歌」が最初に奏でられるときには、今度は腰を据えて、すべての弦楽器が声を合わせてひとつの歌を歌うのである。それゆえに、緩徐楽章から最終楽章に移ってから目まぐるしい音楽的な情景の変化(過去の楽章の回顧を含め)を経て、この「歓喜の歌」が弱音で始まって徐々に盛り上がる箇所が、かくも感動的に響くのである。ヴァイオリンの対抗配置を取る指揮者は多いが、今回のブロムシュテットの演奏では、その意義が明確に表されていて感嘆した。もちろん、指揮者の意図をよく理解して充実した音で応じるN響の弦楽器群あっての成果であったであろう。
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この終楽章は本当に様々な要素が絡み合った狂騒の音楽であるが、その強いメッセージ性ゆえに、形式をぶち破った作曲者の思いが後世の我々の心を打つのである。89歳にしてこれだけきびきびとオケと合唱をリードし、その作曲者の思いを現代に呼び覚ますことができるとは、まさに巨匠の業。フェルマータのついた "vor Gott" の部分の合唱も、最近の多くの演奏よりは長く伸ばされるものであったが、上記の通り決して教条的にならないブロムシュテットの誠実さが表れた箇所であったろう。ところでN響による年末の第九の合唱と言えば、これまで必ず国立音楽大学の学生が出演していたはず(昨年の自分の記事で確認したところ、1928年以来!!)であるが、今回はなんと東京オペラシンガーズだ。このあたりの事情については楽団側からなんらの説明もされていないが、プロの合唱団を求める指揮者の厳しい要請によるものであったのだろうか、それとも何か別の理由があるのであろうか。この合唱団は、既にご紹介した通り、アヌ・タリ指揮の東京フィルでも第九を歌っていて、私がそれを聴いたのは一週間ほど前なので、東フィルと歌う日とN響と歌う日で分けているのかと思って調べると、東フィルの第九は、12/17・18・22と、ここまではN響と日程の重なりはないので案の定そうかと思ったら、なんと私が聴いたこの12/25だけは、N響の演奏会と全く同じ15時から、東フィルはオーチャードホールで第九を演奏している。つまり、東京オペラシンガーズは、メンバーを分けてそれぞれに出場したということであろう。今回のN響の演奏会の合唱の規模は、東フィルの演奏会における規模よりは大きいように思ったが、それにしても大変な人数を抱える合唱団であり、しかもその力強い歌唱には世界の巨匠も満足だろう。そして、東フィルのときと同様、今回も終演後には合唱指揮者の登場はなかったので、メンバーだけで技を磨いているということだろうか。

ところで、今回の独唱者は実に国際的。ソプラノのシモーナ・シャトゥロヴァはスロヴァキア人であるようだし、メゾのエリザベート・クールマンはオーストリア人、テノールのホエル・プリエトはスペイン人、バスのパク・ジョンミンは韓国人。いずれも世界的な活躍をしている若手の歌手たちであり、テノールだけは少し声が細いと思ったが、全体として高水準な独唱陣であった。いずれ世界の若手歌手にとって、「東京で年末に第九を歌う」ことがステイタス・シンボルになると面白いと思うのだが(笑)。ところで通常の第九の演奏では、コーダ手前の四重唱を歌い終えた後は合唱だけが大詰めの熱狂の箇所を歌うものと理解するが、今回の演奏では、独唱者たちも合唱に混じって最後まで歌っていた。壮大な人類の融和(もちろん、飽くまでキリスト教思想に基づくものではあるが)を歌い上げるこの曲には、それはふさわしいことであると思うし、この大団円に大変に感動したものである。

そんなわけで、過ぎ行く今年に思いを馳せつつ楽しんだ第九であった。今年はあと2回、第九の演奏を聴きに行く予定であるので(どれに行くかは内緒です。笑)、また徒然なる感想など書かせて頂きます。


by yokohama7474 | 2016-12-26 00:39 | 音楽 (Live)