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聖杯たちの騎士 (テレンス・マリック監督 / 原題 : Knight of Cups)

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この映画の予告編を見て、これは見るべきものという内なる声を聞いた。それは、テレンス・マリックの脚本監督、クリスチャン・ベイル主演、ケイト・ブランシェットとナタリー・ポートマン共演という名前の羅列でも充分であるが、気になったのはその題名だ。「聖杯たちの騎士」・・・なんだかあまり語呂がよくない。それを言うなら、「聖杯の騎士たち」ではないのか。もちろんこれは、音楽好きならワーグナーの最後の作品、舞台神聖祝典劇と名付けられた「パルシファル」を思い浮かべる言葉であり、そうでない人も、アーサー王伝説やモンティ・パイソンによるそのパロディ映画、あるいは小説や映画の「ダ・ヴィンチ・コード」などが頭に浮かぶことであろう。原題を見てみると、"Knight of Cups"とある。Cupとはまた、なんとも普通の英語である(笑)。確かにゴルフなら、○○カップのことは○○杯というので、"Cup"が「杯」であることは間違いないが、「聖」の字はどこに行った?「聖杯」を指すのなら、まさにモンティ・パイソンの映画の題名にあるごとく、"Holy Grail"というべきではないのか。それから、百歩譲って"Cup"を「聖杯」と訳すとしても、その複数形"Cups"を「聖杯たち」と訳すのはどういうことだろう。「たち」がつくのは普通は人である。なので、「聖杯の騎士たち」とは言うが、「聖杯たちの騎士」とは、日本語では言わないだろう。・・・予告編で流れる美しい映像を見ながらも私は、まずは邦題へのハテナマークで頭の中が一杯になってしまったのである。

この映画のプログラムを見ても、題名の意味は書いていないが、チラシには一応解説がある。なんでもこれはタロットカードのうちの一枚で、「カードが正位置に出ると"ロマンチスト、心優しい、優雅、積極的、成功"、逆位置に出ると"口が達者、女たらし、嘘つき、失敗、挫折"といったイメージを表すと言われる」とのこと。これがそのカード。
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ただ、ネット検索してみると、このカードの呼び名は「カップの騎士」「杯のナイト」等であって、Cupのことを「聖杯」と訳している例は見当たらなかった。従ってまず私は、この邦題への強い違和感を表明せざるを得ないのである。

この映画は普通の劇映画とは違っていて、ストーリーが分かりやすく展開されることはない。クリスチャン・ベイル演じるところのリックという男が、過去の様々な女性との巡り合いを回想するという設定なのであるが、記憶の断片が行き交うような作りであり、起承転結がない。主人公がどうやらハリウッドに関係して成功している男であることだけは分かるが、その職業や、過去に彼の弟にいかなる悲劇があったのか、父親との関係はどうなのか、そして、それぞれの女性とはいつ関係があったのか、いずれも明確に描かれることはないのである。
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プログラムの解説によると、リックはサンタモニカに暮らすコメディ作家であるらしい。だが、チラシによると脚本家とある。後者の方がよりもっともらしいが、劇中で明確に示されない以上、どちらでもよいのかもしれない。それから、やはりチラシには、「迷える脚本家が巡り会う、6人の美しい女たち」とあって、ケイト・ブランシェットもナタリー・ポートマンもその6人の一部なのであるが、主人公はニヒル(死語?)に振舞いながらも多くの女性と関係を持つので(時にはあろうことか、同時に複数を相手にしたり)、はたして誰と誰が6人であるか、特定は若干難しいのだ(笑)。とはいえ、私は最初から主要な女性を数えていったので、終盤でかなり深刻な状況を作り出すナタリー・ポートマンに至ってもまだ5人目あるのに焦ったのであるが、最後の6人目は、ラスト近くに登場する、顔が映らない女性であるとの確信に至り、これでめでたく6人と相成ったのである。
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さあそんな映画なので、評価をするとなると正直難しい。映画を映像と音響のアマルガムと認識していて、いかなる映画の評価においてもストーリーの果たす優先順位がかなり低いこの私でも、手を叩いてこの映画を絶賛する気には正直なところ、なれないのである。もちろん題名の意味が分かってしまうと、主人公があっちを向いたりこっちを向いたりする(?)生活の中で、優しく優雅な成功者である場合と、女たらしで惨めな落伍者になる場合があることは理解できる。だが、残念ながらそれが人間の生き様として強く訴えかけてくることはなかった。もちろん、映像は時に息を呑むほど美しく、明らかに即興性を持って演出されていると見て取れる名優たちの演技も素晴らしい。ほかの美点を挙げれば、音楽だろう。例えば映画の冒頭で雄大な景色の中を主人公が歩くときに流れるのは、ヴォーン・ウィリアムズの名曲「タリスの主題による幻想曲」だ。この曲の叙情性をこよなく愛する人間としては、この導入部には痺れるような魅力を感じる。この曲はその後も何度も現れ、グリークの「ペール・ギュント」の「オーセの死」や「ソルヴェイグの歌」など、よりポピュラーなメロディとともに、透明な抒情性を画面に与えている。度々現れる水の映像(朝に夕に、水面の上から下から、泳ぐのも人あり犬あり)もそれぞれに美しいかと思うと、しばしば手持ちカメラで慌ただしい運動性が立ち現れる。なかなかに凝った作りである。だが、それらの映像と音楽の総合体として、私の人生にこの映画が何か新しいものを加えてくれたかというと、残念ながらそうは思えない。マリックはゴダールではないのだ。もう少し人間像の具体性を見せて欲しいものだと思ったのである。

脚本・監督を手掛けたテレンス・マリックは1943年生まれの73歳。寡作家であるが、しばしば巨匠と呼ばれることもある、非常に個性的な監督だ。伝説的な「天国の日々」を監督したあと20年間沈黙し、1998年に「シン・レッド・ライン」で監督復帰。当時は大きな話題となったものだ。その後「ツリー・オブ・ライフ」や「トゥー・ザ・ワンダー」という作品を世に問うているが、マスコミでの露出度は低く、世間一般に知られた名前というよりも、通好みの映画作家と言ってよいだろう。
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私がこれまでに見た彼の作品は、「シン・レッド・ライン」と「ツリー・オブ・ライフ」だけであるが、今回の「聖杯たちの騎士」を見て、それら過去の作品の作風を思い出すとともに、さらに作風の抽象化が進んでいるなと思った。上に思い付きでゴダールとの比較をしてしまったが、実際、強いて近い作風の映画作家を探すとすれば、ゴダールになってしまうのではないか。だが、決定的な違いもある。永遠の前衛作家ゴダールの場合には、作品の中で教訓じみた言説はまず弄さないところ、この映画には最初から最後まで語りが入っており、それは、真珠を求めてエジプトに向かった王子が、現地に到着して接待を受けるうちに自らの役割も自分自身のことも忘れて深い眠りに落ちるという内容なのである。つまり見ている人は、クリスチャン・ベイル演じる主人公がこの王子であると認識し、彼の「堕落」を批判的に見るし、王である父との間の確執を想起し、何やら道徳的なにおいを感じてしまう。だから、マリックは本当の意味での尖がった前衛作家ではないのであると私は思う。ただ、彼の名前があるからこそ、このような特殊な映画でもこれだけの俳優が集まったのであろう。ここには実はアントニオ・バンデラスも出演しているし、また、不可解なことにプログラムにもチラシにも一切記載ないが、私がエンドタイトルでのみ確認できたことには、上記のような王子の物語を語っているのは、あのベン・キングズレーなのである!!ゴダールの映画ではこれだけの顔ぶれにはならないでしょう(笑)。

このように書きながら、でもこの映画の美しいシーンの数々が思い出されて、否定的なことも書きながら、結構私の脳にはこの映画の体験が残ってしまっているようだ。そんな中の思い付きだが、冒頭で文句を垂れた邦題について。ここで「聖杯たち」と複数形になっているのは、もしかして、"Cup"とはここに出て来る女性たちを指しているからなのかもしれない。あ、もちろん、カップと言ってもブラジャーのことを言っているのではありませんよ(笑)。もう少し高尚です。つまり、西洋の文化的コンテクストでは、キリストの血を受け止めた聖杯は女性、キリストの肉を切り裂いた聖槍は男性を象徴する。「ダ・ヴィンチ・コード」のテーマもそうであった。なのでこの映画の題名においては、ただの杯ではなく聖杯というイメージがあてはまるという解釈である。この邦題を考えた配給会社の人は、そのような教養の持ち主であったのかもしれない。あ、それから、クリスチャン・ベイルがバットマンを演じた素晴らしい作品のひとつは「ダークナイト」、つまりDark Knightである。この役者のイメージに、"Knight"があることも、題名のニュアンスには関係しているかもしれない。・・・などと勝手な思いは尽きないが、ともあれ、聖杯の神秘的なイメージは素晴らしいもの。これは、スペインのレオンというところにある、もしかしたら本物の聖杯ではないかと言われているらしい杯。優雅で女性的ではないか!!
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テレンス・マリックはこの作品の後、"Voyage of Time"という、宇宙の誕生と死を追求するという壮大なドキュメンタリーを制作したらしいし、2017年には"Weightless"なる作品が予定されているようだ。さて、一体どのような作品「たち」なのか、大変気になるところである。やはり、無視することはできない監督なのである。

by yokohama7474 | 2016-12-27 02:11 | 映画