第九 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 NHK交響楽団 2016年12月27日 サントリーホール

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つい2日前、12/25(日)にNHKホールで聴いたばかりの、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団(通称「N響」)によるベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125「合唱つき」の演奏を、今度は会場を変えて、サントリーホールで再度楽しんだ。先の記事でご紹介の通り、NHKホールでの4回の演奏会のチラシと、1回だけのサントリーホールでの演奏会のチラシは違うものである。どうやらこの最後の1回は、簡易生命保険誕生100周年も兼ねた催しで、かんぽ生命がスポンサーとなっている。だが、会場でかんぽへの勧誘があるでなし(笑)、ごく通常のコンサートである。もちろん、N響の名誉桂冠指揮者である巨匠ブロムシュテットの指揮であるから、その内容が「ごく通常」であるわけもない。この指揮者は長年に亘り東京の音楽シーンの充実に大きな貢献を果たしてきた。決して奇をてらうことはないが、その音楽の説得力には、本当に心からの敬意を表するに値しよう。

今回は恒例の第九チェックシートを使うのはやめよう。なぜなら、ただひとつの項目を除いては、前回のコンサートとすべて同じ内容になるからだ。唯一違うのは、「第九以外の演奏曲目」であり、今回は以下の4曲のオルガン・ソロでの演奏があった。合計演奏時間は20分程度。
 バッハ(デュプレ編) : カンタータ「神よ、あなたに感謝をささげます」BWV.29からシンフォニア
 フロール・ペーテルス(1903-1986) : コラール前奏曲「輝く暁の星の麗しさよ」作品68-7
 シャルル・マリー・ヴィドール(1844-1937) : バッハの思い出から「夜警の行進」
 シャルル・マリー・ヴィドール : オルガンのための交響曲ヘ短調作品42-1 「トッカータ」
オルガン独奏は、若手オルガニストの勝山雅世。
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この4曲、まあヴィドールのオルガン交響曲はそれなりに知名度はあるが、題名を見る限り、それ以外は結構渋い。だが、聴いてみて安心。最初の曲は無伴奏ヴァイオリン・パルティータ3番の有名な冒頭部分と同じだし、3曲目はやはり有名な「目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ」の編曲である。オルガンという楽器は演奏する人間に比べてあまりに巨大なので、演奏によってEmotionの入り込む余地があまりなく、とにかく流れのよい、また時には迫力ある音が鳴ってくれれば満足できるのであるが、この4曲のダイナミックレンジは大したもので、楽しむことができた。ただ、それぞれの曲ごとに拍手が起きて、勝山は律儀に毎回毎回、長い椅子の上を滑って移動しては一旦客席に向けて丁寧にお辞儀をし、また座り直すということを繰り返していた。ここは拍手を無視して、そのまま演奏を継続してもよかったようにも思う。いずれにせよ、第九の前座ではあったものの、落ち着いて聴くことのできたオルガンであった。

さて、メインの第九。通して聴いてみると、2日前のNHKホールでの演奏と細部の印象までぴったり同じである。ただ、やはりホールの音響の違いはいかんともしがたい要素として存在し、NHKホールでの演奏が、多分に想像力で補って「こういう音が鳴っているのだろう」と思った、その通りの音が、サントリーホールでは素晴らしい美感とともにストレートに耳に入ってくる。いやもちろん、NHKホールでも上質な音楽体験はできるものの、サントリーホールはその点において別格だと言いたいのである。特にこの曲の第1楽章。私は前回の記事で、迫力において今一歩という内容を書いたが、今回の演奏では、弦楽器の燃焼度がストレートに耳に入る分、前回よりも迫力のある音に聴こえたと思う。その一方、前回の記事には書かなかったが、なぜか木管楽器の緊密さに今一歩の課題があるように感じたのは、前回も今回も同じ。なにせ音楽とは目に見えないものだけに、その時々の印象が時間とともに変わってしまうことは往々にしてあるが、ただ、聴いている者が素直に感じることには、なにか理由なり背景があることも、一方で多いのである。ともあれ今回のブロムシュテットの演奏は、総合的に見て、やはりそう滅多に経験できるものではない素晴らしいものであったことは間違いないと思う。
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プログラムには、ブロムシュテットの第九の解釈が記載されているので、その要約をここでご紹介する。
・第1楽章は創造の喜びを表現。決然とした第1主題は神を象徴。一方の第2主題は人間味あふれるもの。
・第2楽章は意図的に、はじけるばかりの喜びを描く。中間部は一転して滑らかで美しい。すばらしいコントラスト。
・第3楽章は歌心あふれ抒情的。第1楽章冒頭と同じ音程を利用していて、いわば同じレンガで全く違う建造物を構築している。
・第4楽章は、第3楽章終結部の平穏がら一転しておぞましい不協和音で始まり、人生には過酷なことが起こることを思い出させる。それから意外にも心なごむメロディが出てくる。この楽章でも神を象徴する主題と人間を表す主題を組み合わせている。つまりこれは神と人間の共存が可能ということ。
・ベートーヴェン自身によるメトロノーム記号は速すぎると考えられてきたが(ここでフルトヴェングラーに言及)、長年の研究の結果、自分としては作曲者の指示は適切で自然なテンポと思えるようになった。

彼の発言で私が面白いと感じるのは、どの楽章もなんらかの喜びや安らぎを表現しているという解釈だ。なるほど、神は劇的な試練を人に与えるけれども、人間が喜びや安らぎを求める心情は、それと共存するべきものである、ということだろう。稀有壮大な作曲理念に向き合うには、テンポひとつ採っても相当な確信がないといけないということか。何十年もの経験が生きるのが、指揮者という音楽家の不思議なところである。今回、5回の第九を矍鑠として振り終えたマエストロに対し、終演後には楽員からの花束も贈られ、会場はまさに人間的な喜びに満ちたのであった。
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今回、89歳のブロムシュテットの指揮を体験して、これはもしかすると11年後、人類は史上初めて100歳の現役指揮者を持つことになるのではないかと考えてしまった。レオポルド・ストコフスキーや朝比奈隆が果たせなかったその目標は、もしかすると易々と達成されてしまうのではないかと思ってしまう。もっとも、上には上がいて、現在93歳のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキも現役で活動しており、来年はまた読売日本交響楽団を振りにやって来る。彼らに共通するのは、感傷性のなさである。純粋な音楽への献身こそ、長い現役音楽家としての最大の資質なのであろう。ギネスブックに載るような活躍を、これらのマエストロには期待しよう。

Commented by 今里雄 at 2016-12-28 06:08 x
>現在93歳のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキも現役で活動しており、来年はまた読売日本交響楽団を振りにやって来る。

と書かれていますが、スクロヴァチェフスキの来年5月の再来日は厳しい状況にあるようです。
ミネソタ在住のスクロヴァチェフスキは10月下旬のミネソタ交響楽団のコンサートを指揮した数日後の11月に脳卒中を発症し手術をしました。
現在は快復に向けてリハビリ中です。
超人的なスクロヴァチェフスキなら快復することも夢ではないと思いますが既に93歳の御老体です。
普通に生きてるだけでも大変なお歳なのでスクロヴァチェフスキが快復したとしても再び遠路はるばる日本へ再び来ることはかなり厳しい状況にあると思います。
スクロヴァチェフスキは今年1月の読響とのブルックナー8番が期待以上に素晴らしい内容の演奏だっただけに、
私も来年5月の再来日を楽しみにしていたのですが、今は無理して日本に来なくていいと思っています。
スクロヴァチェフスキの快復を願うのみです。
Commented by yokohama7474 at 2016-12-28 10:12
> 今里雄さん
えっ、そうなのですか。それは心配です。スクロヴァチェフキの音楽を定期的に生で聴くことができるのは東京の聴衆の特権で、我々はそのことを肝に銘じるべきでしょうが、そのような状況では、おっしゃる通り無理は禁物だと思います。頑張って回復して欲しいものですね。
by yokohama7474 | 2016-12-28 00:54 | 音楽 (Live) | Comments(2)