第九 秋山和慶指揮 東京交響楽団 2016年12月28日 サントリーホール

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このブログで何度も唱えてきた通り、秋山和慶は私が最も敬愛する指揮者のひとり。この人が指揮する第九を聴かずして今年を終えるというのもいかがなものかと思い、公演日の間近になってチケットを購入した。実は、いかに12月の東京のコンサートホールがこのベートーヴェンの第9交響曲に彩られるとはいえ、年も押し詰まった28日と、その翌日、29日になっても未だ第九を演奏する在京オケは、秋山が手塩にかけて育てたこの東京交響楽団(通称「東響」)しかない。これは毎年のことであり、実はその理由もあるので、後述する。
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東響は、秋山が実に40年に亘る音楽監督のポストを2004年に辞したあと、ユベール・スダーン、そして現在のジョナサン・ノットの時代になってからも、年末の第九だけは必ず秋山の指揮であり、そしてタイトルは毎年、上のポスターにあるごとく、「第九と四季」なのである。それは、メインの第九の前に、バロック音楽を代表するヴィヴァルディの「四季」の一部が演奏されるからだ。そして「四季」では必ず秋山自身がチェンバロを弾く。ではここで、このブログオリジナルの「第九チェックシート」を見てみよう。

・第九以外の演奏曲
  ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲「四季」からホ長調「春」、ヘ短調「冬」
・コントラバス本数
  8本
・ヴァイオリン対抗配置
  なし
・譜面使用の有無
  指揮者 : あり
  独唱者 : なし
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  あり
・第 2楽章提示部の反復
  あり
・独唱者たちの入場
  第 2楽章と第 3楽章の間 (オケのチューニングの後)
・独唱者たちの位置
  合唱団の最前列中央 (オケの後ろ)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  あり

実はこれ、昨年の同じコンビの演奏からコピペしたものであるが、昨年からの違いが2点ある。ひとつはコントラバスの本数で、昨年は6本だったはずが(私の数え間違いでなければ)今年は8本。そして今年の独唱者たちは、昨年は外国人ひとりが楽譜を見ながらの歌唱であったところ、今年は全員暗譜であったことである。

前半の「四季」抜粋では毎年若手女流ヴァイオリニストがソロを弾くが、今年のソロは、青木尚佳(なおか)。1992年生まれの24歳で、2014年の名門ロン=ティボーコンクールで2位に入った実績の持主である。
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未だ若手でありながら、上背もあり、そのステージマナーはなかなかに堂々たるもの。非常に丁寧な演奏ぶりであり、例えば「春」では時に笑顔を見せながらの演奏であったにもかかわらず、「冬」に入る箇所ではしばし立ちすくんで集中力を高めていた。クリアな音を持つ優れたヴァイオリニストであることは間違いない。ただ、この若さならもう少し暴走しても許されるようにも思うが、いかがなものであろうか。

そしてメインの第九。上述の通り、昨年よりも弦楽器を増やしての演奏とは意外である。76歳まであと数日(1941年1月2日生まれ)の秋山にして、この破天荒な交響曲の演奏においては未だに試行錯誤の面があるということか(昨年数え間違いまたは記載間違いなら申し訳ありません)。だが、鳴り始めた音楽は確信に満ちたもので、いついかなる状況においても信頼するに足るこの指揮者の本領発揮である。ただ強いて言えばこの演奏、冒頭からクライマックスに向けて、尻上がりによくなって行ったようにも思われる。昨年も似たような感想を書いた記憶があるが、特に第1楽章の力強さには、今一歩の課題があるのではないか。その代わりというべきか、このオケの木管楽器のレヴェルの高さは冒頭から明らかで、先般のN響の演奏よりもこの点だけなら充実していたように思う。さて、尻上がりの熱狂にはひとつの証拠がある。マエストロ秋山は、どんな曲でもスコアを見ながら指揮するのであるが、今回の第九、終楽章の途中でふと気が付くと、もうスコアをめくっていない。それだけ音楽への没入度が深かったということだろう。一見常に冷静に見えるこの指揮者には、内なる熱い炎が燃えていることは以前からよく認識しており、それゆえに私はこの指揮者を深く尊敬するのであるが、今回のような演奏に接すると、やはりこの指揮者の演奏を、これからも可能な限り聴いて行きたいと思うのである。

ソリストについても面白い発見があった。昨年のこの指揮者と楽団の顔合わせでは、4人の独唱者のうち1人だけ、ソプラノが外人であった。そして今回は、テノールだけが外人。しかも、メゾソプラノとバスは昨年と同じ歌手である。詳細は以下の通り。
 ソプラノ : 木村博美
 メゾソプラノ : 清水華澄
 テノール : ロバート・ディーン・スミス
 バス : 妻屋秀和

おぉ、ここでテノールを歌っているロバート・ディーン・スミスは、あの世界一流のワーグナー歌いではないか。
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正直なところ、トルコ行進曲における彼のソロは、うーん、ちょっと年取ったかなぁという印象もあったが、4人の独唱者のアンサンブルはなかなかに素晴らしいものであった。一方、大編成の東響コーラスは、もちろん歌う楽しみに溢れた歌唱であったものの、東京オペラシンガーズの精鋭部隊を聴いた耳には、もう少し声の束としての力が欲しいような気がした。ところで、終楽章の大詰めでは通常独唱者たちは歌わないところ、先にブロムシュテットとN響の演奏では、合唱団と一緒に独唱者たちも歌っていたとご報告したが、今回の演奏では通常通り、その部分は独唱者たちは歌わず、四重唱を歌い終えると、あとはただ最後まで立っているだけ。だが、先のブロムシュテットの演奏を経験してしまうと、この当たり前のことが少し残念に感じられるから不思議である。なぜならこの大団円では、文字通りすべての演奏者が演奏に加わっている(最後にしか現れない打楽器3名、ピッコロ、トロンボーンもすべて含め)からだ。それだけの巨大な盛り上がりの中、独唱の4人だけがだんまりを決め込んでいるのは、それに気づくと何やら不気味ですらある。例えばマーラーの「復活」の大詰めでは、独唱者も音のうねりの中に参加して感動的なのである。第九もやはりそうあるべきではないか。今後の演奏ではこの点をよく注意して聴いてみよう。

熱演のあと、恒例の「蛍の光」が演奏された。例によって合唱団の一部のメンバーが客席に降りて歌い(ソリストも一緒に歌うが、歌詞が日本語なので、ロバート・ディーン・スミスはここだけ譜面と首っ引きだ)、ついで秋山が客席を振り返って、聴衆にも歌うことを促す。そのあとは照明が落ちて、合唱団がペンライトを振りながらのハミングとなる。筋金入りの音痴である私としては、自分で歌うのは恥ずかしいのであるが、小声で歌詞を口ずさむことで、その場に集まった2000人の人たちのご縁を感じることができて、やはり感動的なのである。そして、いつもの通り「ヒットパレード」風のエンディングを聴いて、世界広しと言えども、第九の演奏のあとにこの音楽を指揮できるのはマエストロ秋山だけだと実感するのである。そしてここで気付くことには、この演出を行うには、やはりクリスマスも終えて、本当に暮れも押し詰まってからでないと格好がつかない。このオケがいつも遅い時期に第九を演奏するのは、これが理由であったのだ。

今年は4楽団の第九を5回の演奏会で堪能したが、こうして比べてみると、それぞれのオケの持ち味があって面白い。例えばこの東響は、上述の通り、この12/28、29という押し詰まったタイミングでしか第九を演奏しないのかと思いきや、調べてみると、これに先立つ12/24、25には、長野や富山で、山下一史(以前カラヤンの代役として急きょジーンズでベルリン・フィルを指揮して第九を演奏したという逸話で知られる)の指揮で演奏している。なるほど、このような方法もあるわけだ。ちなみにこのオケ、大みそかでは一部のメンバーが15時から本拠地のミューザ川崎シンフォニーホールでの演奏会に参加し、その後22時から新潟で年越しコンサートに秋山とともに出演する。大忙しなのである。
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さて、私にとってはこれが今年最後のコンサートではなく、もうひとつあるので、今年を振り返っての感慨をここで書き記すことはしないが、よくよく考えてみると、今年2016年は、東京で、いやさらに正確に言うとサントリーホールで、ベルリン・フィルとウィーン・フィルの両方が第九を演奏した年なのである。そんなことがこれまであったであろうか。実に、東京おそるべし。何度も口に出して言っているうちに、もしかして世間一般でもそのことに気付くのではないかと思い、今日もひとりごちてみる。

by yokohama7474 | 2016-12-29 00:44 | 音楽 (Live) | Comments(0)