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エヴォリューション (ルシール・アザリロヴィック監督 / 原題 : Evolution)

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この映画の評判を耳にしたのはごく最近のこと。初期のデヴィッド・リンチを思い出させる作風と聞いて興味を持った。予告編も見ることができたが、なるほど怪しい雰囲気だ。なんでも、女性と子供しか暮らしていない島で起こる神秘的な出来事を描いているとのこと。調べてみると、渋谷のアップリンクという芸術系ミニシアターで既に1ヶ月以上上映している。危ない危ない。こういう映画を見落としては文化ブロガーの名がすたる。そう思って実際に足を運んでみると、年の暮れも近いというのに、60名ほど収容の劇場が満員の盛況だ。皆さん年末の大掃除もしないで、こんな妙な映画を見ていてもよいのでしょうか。あ、もちろん自分のことは棚に上げています(笑)。

これは81分と比較的短い映画であるが、上映回によっては同じ監督の18分の短編「ネクター」(2014年制作)が併映されることもあり、お得と言えばお得。この「ネクター」はフランス映画であるが全くセリフがない。「女王蜂とメイド蜂たちの密やかな儀式を艶めかしく幻想的なタッチで描いた作品」との説明をサイトで見ていたが、まさにその通りで、あまり家族揃ってニコニコ見るようなタイプの映画ではない(笑)。印象に残るシーンもいくつかあって、芸術性は高いが、ただ若干個々の画面のイメージに依存しすぎで、流れが悪いような気がしないでもない。以下はこの「ネクター」から。
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本編の「エヴォリューション」について語ろう。これは、短編「ネクター」よりも洗練度が高いと言えるだろう。もちろん同じ作家の手になる映画であるから、共通するイメージもあるにはあるが、こちらはなかなかに手の込んだ作りになっている。作風がデヴィッド・リンチに似ているかと訊かれれば、まあ確かに「イレイザーヘッド」を思わせるシーンはある。ご存知の方はそれだけでなんとなく分かってしまうかもしれないが、なんというかその、ウネウネ、ピチピチ感が・・・。プログラムに掲載されている監督のインタビューを見ると、実際にその映画から影響を受けたと語っている。もちろんリンチだけではなく多くの映画や文学からの影響があるようだが、中でも面白いのは、この作品を撮るときの参考として撮影監督に見せた映画は、中川信夫の「地獄」であったということ。あの毒々しい色彩感覚とこの映画の耽美性はちょっと違っていると思うが、でもまあ、あのようなキッチュでグロテスクな映像がイメージの原点にあったと想像すると面白い。また、島で起こる物語であるゆえ、陸地の映像には大変な閉塞感がある点が顕著な特色である。室内の撮影においては、ほとんど照明を使っていないと思われるし、また、例えば茶色いシーツに茶色いシャツとか、緑色の壁に緑色の食べ物とか、あえて同系色を組み合わせることで、余計逃げ場のない息苦しい雰囲気を作り出している。一方、海のシーンは美しいのだが、ストーリーを追って行くうちに、何か水が生きて意思を持っているかのような不気味さも感じることとなった。
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撮影は5週間に亘り、スペインのカナリア諸島のランサローテ島という場所で行われ、多くのキャストを現地で見つけなくてはならなかったとのこと。全体的にセリフ(フランス語)は少ないとはいえ、そのような現地でのキャスト探しの苦労を思わせないような統一感のある耽美性は充分で、その点は称賛に価する。大人の女性と男の子たちしかいないという異様な光景は、それだけで確かに奇妙な怪しさを帯びていて、ここで少年たちが出会う運命には、何か本能的な恐怖を感じるような作りになっている。従って、登場する女性たちが素人っぽければ雰囲気が壊れてしまうだろう。その点でのこの作品の作りは非常に丁寧だ。
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主役のニコラを演じるのは、2001年ベルギー生まれのマックス・ブラバン。映画初出演だが、なかなか初々しくてよい。ベルギー出身のブラバン(フランス語発音で最後の"t"を発音しないとすると)ということは、あのブラバント公の子孫なのだろうか。気になるところである。ブラバント公とは、今のベルギーとオランダにまたがる地域を治めた公爵家のことで、音楽好きにとってはワーグナーの「ローエングリン」でおなじみである。
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監督の語るところによると、前作(未見だが「エコール」という、これは少女たちについての映画らしい。写真を見るとこれも大変に怪しそう 笑)から10年の間、この作品の資金集めに奔走したが、内容が理解できないとコメントされることが多く、難航したとのこと(まあそれはそうでしょうな・・・)。だが最終的にフランス、スペイン、ベルギーからの資金を取り付けて制作されたらしい。10年間の資金集めの間にも、監督のイメージが凝縮して行ったような、怪我の功名という面があるのかも、と想像したくなる。これだけ趣味性の高い映画を、多くの人々を巻き込んで制作するのは大変なことで、強い信念と、転んでもただでは起きない逞しさが必要であろう。

ここで監督監督と何度も繰り返しているが、どのような人であるのか。ルシール・アザリロヴィック。1961年生まれの55歳の女性。フランス人だがモロッコで育ったという。こんな普通な感じの人で、とてもこのような怪しい映画を撮る女性とは思えない!!
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そして、興味深いのは、このルシールさんは、1998年の「カノン」という個性的な作品で日本でも話題になった映画監督、ギャスパー・ノエと結婚しているのだ。彼もフランスで活動しているが、もともとはアルゼンチンの人らしい。最近あまり名前を聞かないと思ったら、あぁ、そうか、今公開されている「LOVE 3D」というのが彼の新作だ。夫婦の新作が同時に日本で公開されているという珍しいパターンだ。
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もう一度この「エヴォリューション」に戻ると、この題名は生物学上の「進化」の意味と解釈しよう。ネタバレは避けるが、この映画をご覧になると、その意味が明確になるはず。だがここで描かれた進化は、果たして本当に進化なのか。一風変わったラストシーンでは、説明も語りもセリフも何もなく、静止画のようでいて静止画ではない、変化のない映像が流れ続ける。それは何の変哲もない夜景であり、そには確かになんらかの生命体がいて、文明があり、近代的な経済活動を行っているはずだが、遠くから響いてくる人間(なのかそうでないのか知らないが 笑)の営みを示す効果音のリアルさが、それまでの夢幻的な風景とは打って変わって、現実的で冷たい感覚を見る者に与える。驚愕のラストという言葉は似合わないが、一度見たらなかなか忘れることはないだろう。

最後に音楽について少し。ここでは、フランスで1920年代に発明された電子楽器、オンド・マルトノが頻繁に使用されている。空間を漂うような不思議な音を出すので、夢幻的な雰囲気を表すにはうってつけの楽器だ。この楽器を使用したクラシック音楽というと、なんといってもメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」が有名で、オネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」でも効果的に使われている。
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プログラムに掲載されている監督のインタビューによると、メシアンの "Oraison" (1937年)という曲を映画の中で使いたかったが、著作権の問題で難しかったので、よく似た曲を作ったとある。この曲は聴いたことがないので、早速手元にあるメシアン作品全集(全32CD)を取り出して来て調べてみたが、どういうわけか採録されていない。そこでネット検索したところ、日本語では「祈祷」と訳される、オンド・マルトノのアンサンブル(!)のための曲らしい。またこの曲の旋律を、第二次大戦中の捕虜として悲惨な状況にあったメシアンが書いた傑作「世の終わりのための四重奏曲」でも使っていることが判明。なるほど、このアザリロヴィックのこだわりが理解できるような曲である。

このように、大変趣味性の高い映画であり、見終ったあとのカタルシスもないので、この手の映画が感覚的に好きだという人にしかお薦めできないが、既に上映1ヶ月を経ても細々ながら観客動員が続いているようなので、もしかするとこの手の映画を好む人は案外多いのかもしれない。こんな映画を見る選択肢を与えられている我々はラッキーだと考えることにしよう。

by yokohama7474 | 2016-12-31 00:59 | 映画