ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿 (ルカ・ルチーニ監督 / 英題 : Teatro alla Scala : The Temple of Wonders)

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誰もが知る世界に冠たるイタリアオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座。この映画はその魅惑のオペラハウスに関するドキュメンタリーである。2014年12月 7日、当時の音楽監督であったダニエル・バレンボイムの指揮によりベートーヴェンの「フィデリオ」でシーズンを開幕する準備を軸に、このオペラハウスの歴史を縦横無尽に辿り、歴代音楽監督のインタビューやリハーサル映像、錚々たる歌手やバレエダンサーたち、そして芸術監督から裏方に至るまで、様々な人々が、この場所がいかに特別であるかを語る。そしていくつかのシーンでは、役者が過去の人物に扮して過去の事柄をリアルタイムで語るという演技もある。オペラが好きな人には必見のフィルムと言ってよい。以下の出演者紹介は、この映画の公式サイトからコピペさせてもらったもの。いや実に豪華豪華 (但し私はバレエには疎いので、ここに含まれる 2人のダンサーについての知識はありません)。

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カルラ・フラッチ

ヨナス・カウフマン

アルトゥーロ・トスカニーニ

ルチアーノ・パヴァロッティ

グレース・ケリー

クラウディオ・アバド

ダニエル・バレンボイム

ヘルベルト・フォン・カラヤン

ロベルト・ボッレ

リッカルド・ムーティ

プラシド・ドミンゴ

レナータ・テバルディ

アーカイヴ映像・写真での出演を含みます。
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あ、あれ? なんかちょっと変だぞ。明らかに同じ人物が 2回 (撮影時点はかなり違うようだが) 写っていて、しかもそのうちひとつは、明らかに名前が違っていますねー(笑)。公式サイトであるからには、やはり間違いは訂正した方がよいと思います。もし関係者の方がご覧になっていれば、よろしくお願いします。どの表記が間違っているかは常識の範囲なのであえてここでは指摘しませんが、本来なら上で載っているべき人の写真をここに掲げておきます。

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この映画、音楽ファンにとっては実に見ごたえ充分なのであるが、それは言葉を換えて言えば、オペラに関心のない人たちにとっては、残念ながら見ても内容がよく分からない可能性大であるということだ。それゆえか、全国的にも限られた数の劇場でしか上映されていない。東京では、私の見た渋谷の Bunkamura ル・シネマは満員の盛況であったが、もう 1軒の上映館である昭島のシネコンでは、どのくらいの動員が見込まれるだろうか。と書きながらも私は、是非この映画を、クラシックに未だなじみのない人たちにも見て欲しいと思っているのである。というのも、このブログで東京のクラシック音楽シーンを熱く語っている私は、実はヨーロッパの一流オペラハウスの持つ極め付けの価値をよく知っていて、そこには日本人がいくら逆立ちしても獲得できない歴史の積み重なりがあることを実感しているからだ。一方で、西洋音楽の懐の深さに鑑みて、ヨーロッパ人にはできないがむしろ日本人にはできることというものも、きっとあると信じている。すなわち、西洋音楽に敬意を表するなら、いわゆる本場の一流がいかなるものかを知る必要あり、だがそれを盲信または過剰に崇拝することなく、冷静に日本人のできる音楽の可能性を考えることができるはずだと考えている。

ところで、上に掲げたこの映画のポスターでデカデカとその写真が使われている人物は、マリア・カラスである。なるほど、ここでトスカニーニの写真を使うと、怖くて敬遠されてしまうかもしれない (笑)。カラスこそは、オペラ歌手として最も一般的に知られた名前であることは確かだろう。だがこの映画の中ではカラスについての言及は過剰にならずにほどよいバランスに留まっており、その点は大衆に迎合しない姿勢が窺われて好感が持てる。そして、未だ存命の歌手たち、例えばライナ・カバイヴァンスカ (1934年生まれ)、フィオレンツァ・コッソット (1935年生まれ)、ミレッラ・フレーニ (1935年生まれ) らがあれこれ語る内容が滅法面白い。特にフレーニは最近まで活躍していたわりには、ここでの映像を見ると大変太ってしまって (もともと痩せた人ではなかったものの) ちょっと複雑な思いだが、いわばイタリアの人間国宝のような人だから、画面に出てくるだけで感動してしまう。もちろんコッソットもそうだし、カバイヴァンスカはちょっと知名度は落ちるが、ドミンゴともパヴァロッティとも「トスカ」を共演した映像を見たことがあり、やはり大ソプラノなのである。ドミンゴと言えば、ここで少しだけ出てくる当たり役「オテロ」の歌唱に本当に鳥肌が立つし、やはりインタビューで語る現在の彼の姿を見ると、老いたりとはいえ、そこで喋っているだけで心が躍るのである。今年のルネ・フレミングとの来日ジョイント・コンサートには行かないつもりであったが、うーん。心が動くなぁ・・・。

指揮者に関しては、当時の音楽監督バレンボイムがイタリア語で (ただこの人は、どの言語でも滑舌が悪いのは困ったものだが・・・) スカラ座がいかに特別であるかを語り、その後次代音楽監督に指名されたリッカルド・シャイーの物静かなインタビューもある。そしてもちろん、クラウディオ・アバドとリッカルド・ムーティの登場シーンにもそれぞれ興味深いものがあるのだ。中でも、1981年にスカラ座が初めて来日したときの模様が、ミラノの放送局制作らしいニュース映像で出てくるのは、本当に嬉しい。「Tokyo」と書いた T シャツを着たクライバーや、ここでも「オテロ」を演じるためにメイクするドミンゴ、ギャウロフその他の歌手と、ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」のピアノリハーサルをするアバド。このときには全 4演目と合唱指揮者ロマーノ・ガンドルフィの指揮するロッシーニの小荘厳ミサ曲はすべて FM で生放送され、当時未だオペラは未知の分野であった高校生の私も、その生放送を聴き、テレビでの放映を見ては、興奮し驚愕し感激していたのだ。これはまさに日本の文化史に残る一大イヴェントであった。


それから、ヴェルディやプッチーニという大作曲家たちのこの劇場との関わりとともに、大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ (1867 - 1957) の紹介も当然出てくる。彼こそはオペラにおける指揮者の役割を飛躍的に向上させた超人であり、そのヨーロッパにおける主たる活躍の場は、ほかならぬこのミラノ・スカラ座であった。
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彼は戦時中、ムッソリーニの独裁政権を嫌ってヨーロッパを離れ、もっぱら米国で指揮活動を行ったが、戦争中の爆撃によって破壊されたスカラ座が早くも 1946年に再建されたとき、そのオープニングを指揮するためにイタリアに戻って来た。この映画ではその時の到着の際の空港での映像が出てくるが、肝心の指揮のシーンは、これはどう見ても戦時中アメリカで撮影されたヴェルディの「諸国民の賛歌」のものではないだろうか。因みにそのスカラ座復帰演奏会では、ロッシーニ、ヴェルディ、プッチーニの作品が演奏され、締めくくりはアリゴ・ボーイトの歌劇「メフィストフェーレ」のプロローグであった (昨年ムーティが東京・春・音楽祭で演奏した曲)。これがその演奏会のポスターだ (John Hunt によるトスカニーニのディスコグラフィから撮影)。
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尚この演奏会のライヴ録音は CD 化されているので、私の手元にあるその CD からジャケット写真と、解説に載っている当時の新聞記事、そしてやはりイタリアの大指揮者で、当時のスカラ座の音楽監督、ヴィクトル・デ・サバタ (1892 - 1967) と客席で話しているトスカニーニ。
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さてこうなってくると、もう映画そっちのけで (笑)、新春特別企画。手元の資料から珍しい写真をご紹介して、音楽ファンの方々にサービスしよう。私が書棚の奥から採り出したのは、以前スカラ座を訪れた際にそこの売店で購入した、イタリアの Umberto Allemandi & C. という出版社の出しているカラヤンの写真集。2008年のカラヤン生誕100年を記念して出版されたものらしい。私はイタリア語は解さないが、"Lo stile di un Mestro" とは、「あるマエストロの流儀」とでもいう意味なのであろうか。あるいは「マエストロの品格」というニュアンスか。カラヤンは 1950-60 年代に様々な足跡をこの歌劇場に残したが、この写真集には、ミラノでの写真だけでなく、幼少時から晩年までの彼の貴重な写真が満載だ。
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この本の中から、カラヤンとスカラ座に関係する珍しい写真を幾つかご紹介しよう。まずこれは、上でトスカニーニと談笑している指揮者デ・サバタとカラヤン。そして左端は、なんとあのグィド・カンテルリではないか。彼についてはまた追って触れるが、1956年に死去しているので、撮られたのはその前。もしかすると、カンテルリの死に近い時期の写真かもしれない。
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次の写真でカラヤンの後ろに写っている痩身の眼鏡の音は、ドイツの作曲家カール・オルフ (1895 - 1982)。1953年 2月14日、スカラ座でカラヤンが演奏した彼の三部作、つまり、有名な「カルミナ・ブラーナ」に加え、「カトゥーリ・カルミナ」「アフロディーテの勝利」の際の写真である。このうち「アフロディーテの勝利」はこのときが世界初演である。カラヤンのオルフと言えば、1973年に珍しくケルン放送響を指揮してやはり世界初演、録音した「時の終わりの劇」が知られているが、私の知る限りこの三部作の録音はない。せめて「カルミナ・ブラーナ」だけでも後年録音して欲しかったものだと思うが・・・。カーテンコールから引き上げるところと見られるこの写真のカラヤンの表情には、充実感が漲っている。
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これは言わずと知れたマリア・カラス。1954年 1月、ドニゼッティの「ランメルモールのルチア」の、恐らくはゲネプロの時のものだろうか。
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これはイタリアの後年の巨匠指揮者、カルロ・マリア・ジュリーニ (1914 - 2005) と。撮影は 1955年 1月18日という日付で、調べてみるとその日カラヤンはビゼーの「カルメン」の抜粋をスカラ座で指揮している。カラヤンとジュリーニの接点はあまり思いつかないが、実は彼はこの頃 (1953年から 56年まで)、デ・サバタの後任としてちょうどスカラ座の音楽監督であったのである。ただこのジュリーニの厳しい表情はどうだろう。このほんの 1ヶ月前、1954年 12月にベルリン・フィルの終身音楽監督の地位を得たばかりのカラヤンを前にしての緊張か、それとも生涯ワーグナーを演奏しなかったという潔癖症のジュリーニには、戦時中ナチ党員であったカラヤンに対する複雑な思いでもあったのだろうか。ところで左端のくわえ煙草の人物は、ニノ・サンツォーニョというイタリアの指揮者 (1911 - 1983)。イタリア・マフィアではありません。
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これはまた極め付きの珍しい写真。戦後、一時期活動停止を余儀なくされたフルトヴェングラーの穴を埋め、ベルリン・フィルの実質的な音楽監督として積極的な活動を展開した、ルーマニア出身の、後の巨匠セルジュ・チェリビダッケ (1912 - 1996) とのツー・ショット。1954年10月23日の日付である。フルトヴェングラーの死去はこの 1ヶ月ほど後の 11月30日。なのでこれは 20世紀後半に、世界最高のオーケストラが誰の手に委ねられるか分からない時の運命的なショットである。因みにこの日、カラヤンがスカラ座で指揮したのはオペラではなく、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団を指揮してのオーケストラコンサート。ケルビーニの「アナクレオン」序曲、ブリテンの「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」、R・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、そしてベートーヴェン 5番というなかなかハードなプログラム。
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このように、カラヤンという指揮者にとってもミラノ・スカラ座での活動がいかに重要であったかは、一連の写真からも明らかだ。ではここで、スカラ座を離れて、昔のカラヤンの昔の写真をもう少しご紹介する。この 2枚の写真をご覧頂こう。
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上の写真は、あのフランスの詩人ジャン・コクトーと。1958年 6月にウィーンでウィーン・フィルとストラヴィンスキーの「エディプス王」(もちろん台本を書いたのはコクトーだ) を上演したときのもの。そして下の写真は、1959年のザルツブルク音楽祭にて、ギリシャの巨匠ディミトリ・ミトロプーロスと、その弟子筋にあたる、後年カラヤン最大の好敵手とみなされた、あの偉大なるレナード・バーンスタインだ。この 2枚、大変に面白い。というのも、ここに写っているカラヤン以外の 3名の芸術家は、皆ゲイ (またはバイ?) で知られているからだ。だがその彼らに対するカラヤンの仕草の親密なこと!! コクトーとのツー・ショットは、思わず「近い近い近い!!!」と叫びたくなるし、ミトロプーロスにはしっかり手をかけて、しかもその右手がミトロプーロスの右手とシンクロしている。前の記事でご紹介したニューヨークでのストーンウォールの乱の勃発はこの 10年後。もしかして、世界は LGBT に向かって大きく胎動していたのかも、と思いたくなる。

さて、最後に触れるのは夭折の天才指揮者、グィド・カンテルリ (1920 - 1956) だ。
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私は彼の音楽を熱狂的に愛する者であり、残された正規録音や放送録音を、可能な限り集めている。彼の故郷はミラノ郊外のノヴァーラという街。私は数年前にここを訪れ、街を歩いていてたまたま彼の生家前を通りかかり、狂喜したこともある。1956年11月24日に大西洋横断中に飛行機が墜落し、36歳でこの世を去ってしまった。もしその後も生き永らえていれば、音楽史を塗り替えていたであろう天才なのである。今回、この映画の中で、上に掲げたカラヤン、カンテルリ、デ・サバタの 3人の指揮者の写真と違う角度で撮られた写真が登場するが、1956年に、ジュリーニの次のスカラ座の音楽監督の座を継ぐことになったのがこのカンテルリであったのだ。このカンテルリ、生涯最後の演奏会は、スカラ座管弦楽団を指揮したもの。1956年11月17日。実はその前日に音楽監督就任が発表されたばかりであった。演奏会の場所はミラノではなく、カンテルリの出身地ノヴァーラ。これがそのときのポスターである。まさかこれが最後のコンサートになるとは、本人も楽員も夢にも思っていなかったであろうから、これから始まる新時代への期待感が込められたはずのポスターが、何やら物悲しい。
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いかに豊かな才能を持つ天才鬼才でも、様々な運命の糸に動かされている面は必ずある。ミラノ・スカラ座が今日でも世界のオペラハウスの最高峰のひとつとみなされるのは、上で見たようなダイナミックな歴史と、現在活躍する音楽家たち、そしてそれを支える大勢のスタッフやパトロン、聴衆のおかげである。この奥深さは、そう簡単に味わい尽くせるものではない。日本にいながらにして見ることのできるこのような映画を堪能しながら、またかの地でオペラを見る日に向けて、感性を磨いておきたいものだと思う。

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by yokohama7474 | 2017-01-09 22:56 | 映画 | Comments(0)
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