鈴木大拙著 : 日本的霊性

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よく、日本人ほど自分たちの特殊性を気にする国民はいないと言われる。いわゆる日本論、日本人論という言説は歴史・文化芸術から政治経済、生活習慣、果てはサラリーマン社会の成り立ちにまで及んでおり、ベストセラー本には、その種の内容を扱ったものがしばしばある。かく申す私自身も、その手の本には以前からかなり興味があり、それなりに読んで来ている。但し、「その手の本」と一口に言っても硬軟様々であり、サブカルチャーを論じたものからマスコミ論、企業文化論、はたまた神道、仏教、天皇制に関する本格的な考察や、あるいはドナルド・キーンのような外からやってきた人の慧眼による分析まで、実に多様である。今回私が読み終えたこの本は、既に歴史的な位置づけを持つものであって、現代の我々誰もが手に取って話題にするようなものではないかもしれないが、日本人のメンタリティについて考えるには、未だに大きな価値を持つものである。

著者鈴木大拙 (すずき だいせつ、1870 - 1966) は日本を代表する仏教学者。96歳近くまでの長い人生を生きた仏教界の碩学であったが、このような猫を抱いた写真を見ると、まさに好々爺という感じに見える。
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彼は戦後間もない 1949年に文化勲章を受賞しているが、その大きな歴史的な業績は、禅の思想を海外に紹介したことにあると言われている。経歴を調べると、明治初期に金沢の藩医の家系に生まれ、若い頃は英語教師をしていたが、鎌倉の円覚寺に参禅して禅の思想に目覚め、27歳のときに渡米して仏教関係の書物を英訳・出版する。39歳で帰国して後、学習院や東京帝大でまた英語講師となる。だがその後は仏教研究に邁進し、戦後、79歳の 1949年から約 10年間は、主として米国の諸大学で、あるいはヨーロッパやメキシコでも、仏教に関する講義・講演を行ったという。そうすると、もともと彼には英語の素養があったにせよ、Daisetz Suzuki という名前が欧米に知られるようになったのは戦後のことで、鈴木自身はその頃既に 80歳前後という高齢であったということだ。現代音楽ファンには、米国の名門、ニューヨークのコロンビア大学での鈴木の講義を、あの 20世紀音楽の風雲児ジョン・ケージが聴講して大きな啓示 (シャレではありません)を受けたことは、よく知られている。ケージは既成の西洋音楽の枠組を破壊した、ある意味で過激な思想な持主ではあったが、鈴木と対話 (というよりも、茶碗の実在性を通して世界のありかたについての講義を傾聴?) しているこの表情を見ると、なんと柔和であることか。
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さて、鈴木大拙はそのような偉大な仏教学者であるが、今日でも多くの著作が出版されていおり、この「日本的霊性」も、岩波文庫で手軽に手に入る。書かれたのは 1944年、すなわち太平洋戦争末期である。本書の解説によると、鈴木は戦争勃発当時から日本の敗戦を確信しており、戦争に負けてしまうと日本は、霊性的自覚の世界的意義を宣揚し、世界の精神文化に貢献することで、国際的使命を果たすしかないと考えていたらしい。というのも、それ以前に「日本的霊性」なる語は彼の著作には登場しておらず、ここで初めて使われた言葉であるからだ。つまりここで鈴木は、敗戦によって悲惨な運命に見舞われるであろう日本人に対し、自らの文化の独自性を自覚することによって、我々は戦後の世界平和に貢献できるのだという、ひそかなメッセージを託したということであろうか。興味深いのはその視点が、日本文化の独自性といっても、いわゆる戦意発揚のための国粋主義的な発想 (それは当然、国家神道の称賛に結びつくであろう) とは全く異なるものである点だ。実際この書物においては「神道は日本的霊性という点において充分なものでない」という趣旨の発言が、暗に明に、繰り返しなされているのだ。これは戦時中の発言としてはかなり危険なことであり、もちろん軍部の検閲などもあったであろうが、末端の役人や軍人には、鈴木がここで言わんとしていることの真意が理解できなかったということであろうか。また上記の通り、鈴木の今日的な位置づけは禅の思想の紹介者であるが、この著作における記述の中心は禅ではなく、浄土宗の系統、つまりは法然・親鸞である。私なりに勝手に解釈してみると、禅には多かれ少なかれ高踏的な要素がつきまとい、庶民が誰でもその思想に共感するというわけにはいかないが、浄土系であれば、誰でも念仏を唱えることで極楽往生できるという平易さによって、庶民性においては優れたものがある。そのような題材の選択においても、鈴木の真意を垣間見ることができる。

ここでの鈴木の趣旨は、真に「日本的霊性」と呼びうるものは、万葉集や平安時代の文化には未だ表れておらず、法然・親鸞によって浄土系思想が発達することで、初めて発生したということである。すなわち、師である法然に導かれ、戦乱の鎌倉期に「大地のうえに親しく起臥する」ことによって親鸞が到達した境地、「弥陀の五劫思惟 (ごこうしゆい) の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人 (いちにん) がためなりけり」という発想こそが、日本的霊性の目覚めであるという。この親鸞の言葉は、「歎異抄」の中に弟子によって記録されている言葉であるらしく、要するに、阿弥陀如来が長い長い時間をかけて思考された結果の誓いをよくよく考えてみれば、このわたし一人の救済についてのものであった、という意味なのであるが、これだけ読むと、まだその真意が分からない。これは、自分ひとり救済されればよいと言っているのではなく (もしそうであれば、後世にまで尊敬される宗教人にはなりませんよね! 笑)、多くの罪を重ねてきた凡人である自分には、現在・過去・未来のあらゆる人間たちの命が集約されている、このような私まで救済されるということは、全人類が救済されるのだ、という意味であるらしい。まあ私も別に親鸞の教義をきちんと勉強したことはないので、実感を持って語ることができるわけではないが、宗教人としての親鸞の厳しい姿勢と高い知性ゆえの、逆説的なものの言い方の奥深さを感じることはできる。有名な悪人正機説 (善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや) も、同様の発想によるものであろう。ふと思い立って、2011年に東京国立博物館で開催された、「法然と親鸞 ゆかりの名宝」展の分厚い図録を手元に引っ張り出してきた。2012年は法然没後 800年、そしてその弟子であった親鸞の没後 750年であったので、それを記念して開かれた大展覧会であった。日本の文化史は、汲めども尽きぬ豊かな泉なのである。
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鈴木の著作に戻ろう。彼は本書の最後の章で、「妙好人」(みょうこうにん) と呼ばれる人たちの例にいくつか言及している。この言葉はなじみがないが、浄土真宗の在家の熱心な信者のことを指すらしい。特に島根県の下駄職人であった浅原才市 (あさはら さいち、1850 - 1932) についての記述が面白い。こんな人であったようだ。私は読んでいないが、彼をモデルにした水上勉の小説もあるらしい。
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この人は、とにかくなんでもかんでも、なむあみだぶつという語を入れた歌を沢山詠んだらしく (下駄をつくるときにできるカンナくずに書きつけたという)、その素朴な作品を、偉大なる仏教学の泰斗が細かく分析している。例えば以下のようないくつかの歌。

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わしのりん十 (臨終)、あなたにとられ。
りん十すんで、葬式すんで、
あとのよろこび、なむあみだぶつ。

りん十まだこの (来ぬ)、このはずよ、すんでをるもの。
りん十すんで、なむあみだぶつ。

今がりん十。わしがりん十、あなたのもので、
これがたのしみ、なむあみだぶつ。
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これについての鈴木の解説は以下の通り。

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(才市の歌で) 最も特殊と見られる一事は、才市の考えが未だ曾て死後の往生に及ばぬことである。(中略) 普通に念仏宗と言えば、娑婆は苦しみ、極楽はその名の如く楽しいところ、両者は対峙して相容れない。それゆえ此の世では忍順・随順など言う訓練をやって、静かに臨終をまつことにする。弥陀の本願さえ信じておれば、極楽往生疑いなしだから南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と言って日々を送る、それにこしたことはないというが普通である。(中略) 然るに才市の歌には、死んでからどうのこうのということがない。親から貰うた六字の名号 (注 : 南無阿弥陀仏のこと) で、その心は一杯になっていて、そのほかの事を容れる余地がないように見える。
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面白いのは、歴史上の偉人の高邁な思考のみならず、このような市井の「詩人」の創作にまで仏教の本質を見ようとした鈴木大拙の視野の広さである。ナントカ大学卒だとか、ナントカ会社勤務だとか、そんな些末なことに拘っていては一生見えないような、幅広く奥深い世界を、鈴木のような人から学びたいと思う。それからもうひとつ興味深い事実をひとつ。鈴木の伴侶は、ベアトリス・レイン (Beatrice Lane) という米国人女性であった。彼女は神智学者であり、禅の研究のために日本に来ていて、鈴木とも若き日に円覚寺で出会ったが、結婚したのは 1911年、鈴木 41歳のとき。これは 1925年頃の写真で、左に見えるのは養子のヴィクターである。尚、二人の間にはポールという実子もいる由。
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これは老年のベアトリス。品のよいおばあさんであるが、日本生活が長かったせいだろう、どこか日本的な風貌にも見える。
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このベアトリスについて、日本語でネット検索してもあまり情報は出てこないが、英文サイトならいろいろと情報を得ることができる。1878年ニュージャージー生まれだから、鈴木よりも 8歳下。あのガートルード・スタインと大学で同級生であったらしい。彼女らが学んでいたのはラドクリフ・カレッジというところで、講師は心理学者のウィリアム・ジェイムズ。この人の名前は知らなかったが、調べてみると、「意識の流れ」理論を提唱したという。なに、意識の流れ??? それは私の偏愛する「ねじの回転」を書いた作家ヘンリー・ジェイムズの手法ではないか・・・。と思ったら、なんとこのウィリアム・ジェイムズは、ヘンリー・ジェイムズの実兄であるらしい!! 彼の理論は、20世紀文学のもうひとりの巨星であるアイルランド人のジェイムズ・ジョイスにも影響を与えており、また、日本の著述家でも、西田幾多郎や夏目漱石に影響を与えている。おおぉ、ここで出て来た名前、西田幾多郎 (にしだ きたろう) こそ、鈴木大拙と同郷同年生まれ、同じ金沢の石川県専門学校 (後の旧制第四高等学校) で机を並べて勉強した、あの大哲学者ではないか!! ここで見えない糸が突然に見え始めた。鈴木にとってのベアトリスは、まあ、ダンテにとっての同名の女性 (イタリア語でベアトリーチェ) と同じくらいだったか否かは分からないが、運命的な愛を抱く相手であるとともに、20世紀文化の大きな潮流につながる精神的な窓口であったのではないだろうか。彼女は 1939年、61歳で逝去してしまう。これは鈴木が海外で仏教について積極的に講義するようになるより前の話。そうすると彼の海外での活動においては、亡きベアトリスが背中を押していたということなのであろうか。ひとりの人間である鈴木大拙が、その活動によって永遠の精神史の一部となるに際し、彼女の啓示が大きかったということなのであろう。冒頭に、本書を日本人論のカテゴリーで言及したが、本当に大切なことは、日本人の思想に関する考察が、実はさらに普遍的な要素、国際的にも受け入れられる要素を持っているということを認識することではないだろうか。

調べてみると、鈴木大拙も西田幾多郎も、金沢に記念館ができている。できれば近日中に訪れて、今私を包んでいる上記のような「意識の流れ」を、そこにつなげて行きたい。アイルランド文学についても、最近ちょっと思うところあり、また記事を書ければよいなと思っております。


by yokohama7474 | 2017-01-22 12:49 | 書物 | Comments(0)