アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場 (ギャヴィン・フッド監督 / 原題 : Eye in the Sky)

e0345320_22463181.jpg
この映画の本質は、上のポスターにある通り、「現代の戦争 その衝撃の実態」ということに尽きる。ストーリーは至ってシンプル。ケニアの首都ナイロビのある家において、イスラム過激派が自爆テロの準備を進めている。米軍のミサイルを積んだ無人ドローン機 ("Eye in the Sky" である) や、鳥型やさらに小さな虫型と言った飛行する動物のかたちをした隠しカメラ、また現地の協力スタッフの手によって、その情報をつぶさにつかんだ英国諜報機関が、自爆テロを未然に防ぐためにテロリストたちのアジトにミサイルの標的を定める。だがその時、隣家の貧しい少女がそのアジトの塀に沿った路上に机を置いて、パンを売り始めた。このままテロリストたちを放置すれば、ほどなく数十人規模の死傷者が出ることは確実。だが今ミサイルで攻撃すれば、無実の少女の命は明らかに危険にさらされる・・・。さあ、いかなる決断がくだされるのか。この子は、普段の通りの生活をしているのであろうが、まさかこの日、遠く遠く離れたロンドンのオフィス及び諜報機関の司令部、米国の空軍基地やホワイトハウスから自分が見られており、また自分の命が危険にさらされていることを夢にも知るわけがない。
e0345320_23155155.jpg
これは決して甘い内容の理想主義的な反戦映画ではなく、見る者全員、今この瞬間にはいかなる意味でも戦争に無縁の者たちに対してすら、当事者さながらの決断を迫る、実に実に厳しい内容の映画なのである。昨今は戦争を極めてリアルなドキュメンタリータッチで描く映画が多くなっており、問題作は数多い。だが本作は、ドキュメンタリー風ではないにも関わらず、容赦なく観客の心に深く入ってくる仮借ないもので、極限状態における人間の尊厳を描いたフィクション映画として、ほかの作品にはない高い価値を持つものである。それ以上私には綴る言葉もないが、願わくば自分が何か重要な決断を迫られる状況に置かれたとき、誰か他人の責任で自分は関係ないとか、組織の命令でしょうがないとか、そういったことを考えることのない人間、いわば思考を停止することのない人間でありたいと、切に思う。この映画に「パイロット」として出てくる兵士 (演じるのはアーロン・ポールという俳優) は、パイロットと言っても空中で航空機を操縦するのではなく、要するにナイロビ上空を飛んでいるドローン兵器を遠く離れた米国ネヴァダ州で操縦しているのであるが、息の詰まるような極限状態においても、思考する人間であることをやめなかった。なんという素晴らしいことか。もちろん、そのことがすぐに少女の命を救うか否かは、誠に痛々しいことに、別問題であるのであるが。
e0345320_23112730.jpg
この映画の製作者のひとりは、英国の名優コリン・ファース。彼が出演した近作ではなんといっても、このブログでも絶賛した「キングスマン」が素晴らしいが、あの映画にあふれる自由に羽ばたく遊び心だけではなく、極めてリアルな問題意識を世の中に問うだけの度量がある人であると実感する。
e0345320_23231175.jpg
そして、この作戦を英国諜報部で指揮するキャサリン・パウエル大佐を演じるのは、これも英国を代表する名女優、ヘレン・ミレン。ここでの彼女は、いつも通り素晴らしいとしか言いようがない。決断力と正義感と合理性と、そして強引な手腕を持ちながらも、人間的な面を維持している、このような軍人がもし多ければ、世界はまだ少しは信頼できるような気がする。
e0345320_23272500.jpg
そして、ロンドンの国家緊急事態対策委員会で画面を見ながらパウエル大佐に指示を出すフランク・ベンソン中将を演じるのは、69歳にして昨年膵臓癌で亡くなった名優、アラン・リックマンである。以前も書いたが、ハリー・ポッターシリーズのみならず、「ラブ・アクチュアリー」などの作品でも渋い味を出していた。この作品は、声の出演だけであった「アリス・イン・ワンダーランド / 時間の旅」に先立つもので、演技を伴う出演作としてはこれが遺作であり、エンドタイトルにおいて、彼に捧げるとのメッセージが出てくる。ここでの演技はまさにこの役柄にふさわしい複雑なものであるだけに、改めて惜しい俳優を亡くしたものであると思う。この映画における彼の最後のセリフは大変に重いので、これからご覧になる方は是非その重みを味わって頂きたい。
e0345320_23390678.jpg
この映画の副題、「世界一安全な戦場」とは、現地ナイロビからの映像を見ながら少女の命を危険にさらす、英米の軍人や政治家たちのいる場所を指す。確かに現代の戦争の多くは、テレビゲームさながらの遠隔操作による爆撃によって遂行されていることくらいなら、我々もマスコミ報道によって既に知っている。そして、時には誤爆による民間施設への攻撃も耳にすることがある。無差別自爆テロによる被害も悲惨なものであるが、テロとの戦いに一般市民が巻き込まれるということも、これはもう、言葉がないほどに悲惨な事態である。そんなことは分かっているつもりであったが、だがこの映画を見ると、世界の現実はそれほど単純なものではないということが分かる。ミサイル発射の是非を巡って交わされる様々な会話は、さながら奔流のようにあちらに流れこちらに流れ、ついにはシンガポールで下痢に苦しむ英国外務大臣や、中国で卓球による親善を試みる米国国務長官など、首脳たちの居場所を求めて世界を走る。軍の幹部や政府首脳たちは、それぞれの大義と職掌に基づき、時にはリスクヘッジを企図して発言をし、議論は議論を呼んで結論はなかなか出ない。その様子には本当に手に汗握るものがあるのだが、ビジネスマンの方々には、是非彼らの英語を注意して聞いて頂きたい。日本語で果たして、このような議論ができるであろうか。それは何も軍事上の議論ではなく、日常のビジネス活動における議論に置き換えてみてもよいと思うのであるが、ともすれば責任が不明確だと言われがちな日本のシステムは、(「シン・ゴジラ」を思い出すまでもなく) 一般人の命のかかった場面に対処できるのであろうかと思ってしまうのである。一例を挙げると、「シン・ゴジラ」における何度も聞かれた言葉は、「総理! ご決断を!!」であった。これは政府の緊急会議において大勢が総理を取り囲んだ状況において発される言葉であり、江戸時代であればこの「総理!」の部分がそのまま「殿!」であっただけで、きっと同じような光景があちこちで繰り広げられていたであろう (笑)。ここではあくまでも決断するのは殿であり総理という「個人」であるが、案を提言するのは合議を経た「集団」である。ところがこの「アイ・イン・ザ・スカイ」でしばしば見られるのは、指令を出すべき「個人」 (軍人) が、その指令を許可する権限を持つ「個人」 (政治家) に対し、"Do I have permission?" (しかも英国式に語尾を下げたイントネーションで) と尋ねるシーンである。つまりここで「許可」を与えられるべき主体は飽くまで発言者個人、"I" なのであり、個人の責任が明確な欧米式意思決定である。この違いは大きい。これは「シン・ゴジラ」において大杉漣演じる苦悩の首相。
e0345320_00573214.jpg
だがもちろん、私は欧米流のやり方が常に正しいと主張するつもりは毛頭ない。戦争とは所詮人間のやっていることであるという限界は、言語やシステムを問わず冷厳に存在していると思わざるを得ないし、この映画は実際にそこまでズカズカと入り込んで行く内容になっているのであり、その点こそがこの映画の素晴らしい点である。私はこの展開にハラハラドキドキし、納得したり心の中で反対の声を上げたり、巻き込まれそうになっている無垢な女の子がかわいそうで涙が出そうになったり、本当に椅子に座っているのがつらいような時間を過ごすこととなった。このような素晴らしい作品をまとめ上げたギャヴィン・フッド監督は 1963年、南ア生まれ。
e0345320_00093387.jpg
過去の作品としては、「ウルヴァリン : X-MEN ZERO」や「エンダーのゲーム」があるが、あまり知られていない名前である。南ア出身の映画監督と言えば、「第 9地区」「エリジウム」「チャッピー」のニール・ブロムカンプがいるが、このギャヴィン・フッドよりは一回り下。だがどちらもこれから期待できる名前である。

この映画は見るものに何か強烈なものを突き付ける。それは戦争の真実であるとともに、映画という文化の一分野の持つ素晴らしい表現力であると思う。なかなかそのように思える映画に出会えることは少ないので、是非一見をお薦めする。

by yokohama7474 | 2017-01-31 00:16 | 映画 | Comments(0)
<< シルヴァン・カンブルラン指揮 ... 海賊とよばれた男 (山崎貴監督) >>