拝啓 ルノワール先生 あべのハルカス美術館

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この展覧会は、つい先頃まで東京・丸の内の三菱一号館美術館で開かれていたものである。私はそれを知りながら、あえて東京ではこの展覧会をパスしたのである。その理由は、私は自他ともに認める (?) ルノワール嫌いであること。もちろん私とても、この展覧会がルノワールのものというより、その弟子である梅原 龍三郎 (1888 - 1986) のものであることは一目で分かる。だが、平和でふくよかで安穏としたルノワールにどうも共感できない私は、それを敬遠したのである。ところが今回、大阪に出かける用事があり、未だ足を運んだことのない日本で最も高いビル、あべのハルカスに行ってみたいと思い、仕方ないので (?) ついでにそのビルの中にある美術館で開催中のこの展覧会に足を運んだのである。

まずはあべのハルカスだ。地上 60階、300m の高さを誇る。2014年に完成、高さ 296mの横浜ランドマークタワーを抜いて日本一となり、今日現在その地位を保っている。
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美術館はこのビルの 16階にある。
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だがせっかくだ。まずはこのビルの展望台まで登ろうではないか。60階まで登るのに、わずか 45秒。エレベーターの中には高度を示す表示もあり、また窓の外の壁には、高速で過ぎ行く壁の照明が見える。実はこの光景、上りのときには唖然として撮影できなかったので、下りのときに撮ったもの (笑)。
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屋上から見る大阪の景色。まぁ雑然とした都会ではあるが、まさに遠くまで見晴るかすこの景色には、天から雲の影が落ちていたり、降り注ぐ太陽の光が神々しい雰囲気を醸し出しており、なかなかのものである。何やら世界の支配者の視点に立っているようだ。これは一見の価値あり。
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またこの展望台には、日本にあるほかの高層建造物との比較があって面白い。あべのハルカスは第 3位の高さだが、東京スカイツリーと東京タワーは、タワーであって、ビルではない。尚あべのハルカスの展望台の高さは、スカイツリーに次ぐ第 2位だ。
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ではまた 16階に戻り、展覧会に足を運んでみよう。安井曾太郎と並ぶ日本の洋画家の大家、梅原龍三郎は、よく知られている通り、あのオーギュスト・ルノワール (1841 - 1919) の弟子である。この展覧会は、梅原の画業を辿りながら、その師弟関係をつまびらかにしようという試み。ルノワール嫌いの私であっても、大変に楽しめる内容であった。これは稀代の写真家、土門拳が撮影した壮年期の梅原。
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この梅原は京都の生まれ。家業はいわゆる「悉皆屋 (しっかいや)」、つまり和服の染め物の請負業者であった。つまり、日本独特の煌びやかな色彩に、幼時からなじんでいたということであろう。彼は 20歳という若さの 1908年 7月、パリに渡る。この展覧会に展示されている梅原の作品のうち最も早いものはこれである。渡仏の年に描かれた自画像。そう、この偉大なる洋画家にも、当たり前だが若い頃があったということだ。
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どうやら梅原は、船に乗ってフランスに向かう途中で初めてルノワールのことを知ったらしい。つまり、絵画を志すあまり、憧れのフランス人画家に会いたかったという理由で渡欧したわけではないようだ。その思い切りのよさと行動力は脱帽ものである。だが、ルノワールの薫陶を受ける前の若い頃の梅原の作品は、既に素晴らしい。ここに横溢している生命力はいかばかりか。これは同じく 1908年の「少女アニーン」。青が大変に美しく、これは典型的なルノワールの作風とは全く異なるものであるゆえに、師弟の画家としての資質の違いを表すものであろう。
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梅原とルノワールの出会いは 1909年。当時既にフランス画壇の大家であったルノワールを自宅に訪ねるに際し、誰かの紹介があったようには思われない。本当に凄まじい行動力である。だが遠い東洋の地から来たこの若者は、どうやらルノワールに気に入られたようで、それからルノワールが死去する 10年後まで親交が続いたのである。それにしても 20世紀初頭のパリは、とてつもないエネルギーで新しい芸術が花開いていった特別な場所。様々な刺激に満ちていたに違いない。そんな中、梅原もその作風の確立を目指して、様々な試みを行っている。これは 1911年に描かれた、ティツィアーノの自由な模写で、「ドンカルロス騎馬像」。ハプスブルクの絶頂期のスペイン王カルロス 1世、神聖ローマ皇帝としてはカール 5世の肖像画である。原画のイメージを頭の中で再構築しているのであろう。
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同じ 1911年の梅原のスタイル模索を示すこの「自画像」は、その長い胴体や小さい頭から、エル・グレコの作風に倣ったものと考えられている。だがこれは単なる模倣ではなく、この画家独特の持ち味がはっきり出ていると思う。
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これも 1911年作の「モレー風景」。これは大変美しい作品であると思うが、梅原自身はこの作品に不満があり、師匠であるルノワールに見せたところ、成熟した画業に至るには長い時間がかかると諭されたという。
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梅原とルノワールの交流を物語る貴重な資料が展示されている。上の作品が描かれたのはモレーという場所であるが、梅原の不満を聞いたルノワールは、自分の制作旅行に随行するようにとの指示を出す。その手紙がこれだ。なるほど、宛先として "R. Umehara" と読むことができる。
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尚、このモレーの風景画をルノワールに見せた経緯を、後年梅原自身が箱書きに記載している。
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梅原は題材を求めてイタリアも旅行したようだが、ポンペイで見た壁画に衝撃を受け、このようなポンペイ壁画風の作品も残している。
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この展覧会には、梅原自身の作品以外に、彼に影響を与えた作品や、梅原の手元に置かれた古今の美術品も展示されていて興味深い。これはそんな梅原の旧蔵品、師であるルノワールの「負籠の農婦」。このような細密なタッチで描かれた人物像の実在性には瞠目する。私はこの画家のことを嫌いと言いながらも、ルノワールはさすがの画家であることを認めることになってしまっているのだ。
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これはやはりルノワールによる印象派風の柔らかい作品、「樹木」。目の保養になるような無類の美しさに、しばしの間ルノワール嫌いは返上だ (笑)。
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梅原の収集品は、古代の彫刻にも及ぶ。そしてこの古代ギリシャ文明も相当初期の頃の、女性を象ったキュクラデス彫刻 (実に紀元前 2500 - 2000年頃のものという!!) と、その収容箱に自ら描いた対象物。なんとも可愛らしいではないか。
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会場に掲げられている説明によると、ルノワールは滅多に同業者を褒めなかったようだが、ドガはその数少ない例外であったようだ。これはそのドガが、ラファエロの「アテネの学堂」(ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂にある) を模写したもの。踊子や馬を描いた作品とは少し違う、古典に学ぶドガの姿。
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ルノワールが一目置いていたもうひとりの画家はセザンヌである。この画家こそ私が近代美術史上最高の画家と崇める存在なのであるが、梅原も後年、ルノワールよりもセザンヌを高く評価する発言を残している。この「リンゴとテーブルクロス」(1879-80) もいつものセザンヌであり、世界を再構築する試みが、ただひたすら素晴らしい。
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梅原はパリ時代に多くの歴史的画家と面識を得ているが、ピカソとは早くも 1911年に会っている。ピカソと梅原の作風は大きく異なっているし、梅原のピカソ評は厳しかったようだが、このような梅原が所持していたピカソ作品 (「アトリエのモデル」1966年) を見ると、その生命力という点における両者の意外な共通点に思い当たるのである。
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また毛色の違った画家で、梅原が面識を持っていたビッグネームとしては、マティスとルオーがいる。特に後者は、その厚塗り具合が梅原に直接影響を与えていると思われる。これはやはり梅原の旧蔵品で、ルオーの「びっくりした男」(1948-52年頃)。
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それから面白いのは、梅原の画風に影響を与えたものとして、大津絵が挙げられること。梅原の日本での師である浅井忠もこの民衆芸術に注目している。このデフォルメはなんともユニークであり、人物の表現としてはキッチュなまでの強い表現力がある。
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あとは梅原の作品を見て行きたいのだが、興味深いのは師匠であるルノワールの作品を、オリジナリティ溢れる筆遣いで模写していること。以下は、ルノワールが 1913 - 14年に描いた「パリスの審判」と、梅原が 1978年に描いた模写。構図だけは踏襲しているが、これは全く異なる作品であって、師匠と弟子とのテンペラメントの違いを如実に表していて面白い。
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また、ルノワールが手掛けた彫刻を梅原は絵画の中に描いている。梅原 84歳の作、異常な生命力溢れる「薔薇とルノワルのブロンズ」(1972年) と、そのモデルとなったルノワールの「ヴェールを持つ踊子」。
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梅原作品のこの生命力は、何も老年に至って現れたものではない。最後に掲載する 2点は、まず 1940 年の「紫禁城」と、1962年の「南仏風景」。北京の紫禁城や天壇を描いた作品はいわば梅原のトレードマークであるが、この作品では、空に浮かんだ雲がまるで生き物のようだ。一方の南仏の風景は、上に掲げた若い頃の「少女アニーン」の鮮やかな青を、屋外でさらに発展させたかのようで、やはり生命力の横溢が見られる。
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改めて梅原の画業を振り返ってみると、やはりルノワールとの運命の出会いが、師匠とのメンタリティの違いを含めて、梅原を梅原たらしめたのだと思い当たる。また、彼が得た多くの一流画家との知遇によって、日本の洋画壇自体が大きな刺激を受けたことも間違いないだろう。いつの時代も積極的に先端のものを学びに行く姿勢が、新たな展望をもたらすのであろうと思うが、翻って現代を考えてみえると、もはや世界をリードする偉大な芸術家の個性は、際立って存在しているようにも思われない。過度にノスタルジックになることはよくないかもしれないが、いわゆるアートというものが今後どうなって行くのか、不安を覚えるのも事実である。あべのハルカスからの眺めのような展望があればよいのに・・・と思ってしまうのであった。
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by yokohama7474 | 2017-02-05 00:30 | 美術・旅行 | Comments(0)
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