吉田博 木版画展 - 抒情の風景 (ノスタルジック・ユートピア) 名古屋ボストン美術館

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米国有数の美術館であり、特にその膨大で上質な日本美術のコレクションで知られるボストン美術館は、名古屋に分館を持っている。主としてボストン美術館の所蔵品の一部の展示を行う施設であるが、金山駅に隣接した至便な場所にあり、名古屋と少し縁のある私は、何度も足を運んでいる。だが大変残念なことに、この美術館は、来年 9月末をもって閉館することが決定している。なので、このような現地の光景も、もうすぐ見ることができなくなるわけである。
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今回の展覧会は少し毛色が変わっていて、ボストン美術館の所蔵品によるのではなく、熱海の MOA 美術館の所蔵品によるものである。私はこの美術館にも随分ご無沙汰しているが、改装を経て先頃リオープンしているので、また出かけてみたい。さてこの展覧会で展示されているのは、上のポスターでも明らかな通り、吉田博という画家の木版画である。あまり知名度の高い画家ではないと思うし、かく申す私自身、昨年のある時期までは全く知らない名前であった。だがあるとき書店の美術書コーナーで以下のような本を見つけて、興味を抱いたのである。この本の帯に、生誕 140年を記念した彼の回顧展が全国を巡回中 (東京では今年 7 - 8月、東郷清児記念損保ジャパン日本興亜美術館にて開催) であること、そしてこの画家は、ダイアナ妃やフロイト (なんちゅう組み合わせか!! 笑) を魅了したことが記されている。
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昨年 8月24日付の松本に関する記事で、同地の美術館で開催されていた山岳画の展覧会にこの吉田の作品もいくつか含まれていたことを記したが、私が吉田の作品の実物に接したのは、これまではその機会に限られていたのである。実は現在名古屋ボストン美術館で開かれている (2/26 まで) この展覧会は、上記の全国の巡回展とは全く別のもので、名古屋だけの企画。なのでこれは大変に貴重な展覧会なのである。

吉田博 (1876 - 1950) は福岡県久留米市の生まれ。上田という家に生まれたが、明治初期の洋画家として福岡でその名を知られていた美術教師の吉田嘉三郎に画才を見出され、その養子となった。幼時より自然に親しんだが、京都、そして東京で画業に励むうち、画壇では洋行帰りの黒田清輝 (1866年生まれなので吉田よりも 10歳上) らが「新派」ともてはやされ、実力ではひけを取らないのに自分たちは「旧派」に分類されて等閑視される状況に義憤を覚える。そして彼は、東洋美術の収集家として高名であったデトロイトの実業家チャールズ・フリーア (ワシントン DC のスミソニアン博物館群のひとつ、フリーア美術館にその名を残している) の紹介状を携えて 1899年に横浜を船で発ち、一路米国へと向かったのである。そして彼はデトロイトで奇跡的成功を収め、そこからボストンに移り、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンといった東海岸の大都市を経てヨーロッパに渡る。これによって彼の作品は欧米でよく知られるようになった。以下、要塞のような規模の当時のデトロイト美術館 (そういえば先般日本でもこの美術館の所蔵品の展覧会が開かれていた) と、1899年12月頃のデトロイトでの吉田の写真。自動車産業に沸く大都市デトロイトでは文化活動も活発であったのだろう。弱冠 23歳の吉田の並々ならぬ自信が窺える写真である。
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これはボストンでの「6人展」の写真と、それを報じる1900年12月 5日付のボストン・サンデー・グローブの紙面。このような出来事があったからこそ、今回の展覧会が名古屋ボストン美術館で開かれる意味があろうというもの。因みに 6人の写真の中で、吉田は前列真ん中に写っていて、その足を組んだポーズからも、自信満々の様子が伝わってくるではないか。その他知られた名前では、前列左端が鹿子木孟郎、後列右端が満谷国四郎だ。
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今回の展覧会では、吉田の版画ばかり 86点が集められているが、いやその美しいこと!! 彼の作品集を眺めていても、人物画は極めて稀で、もっぱら風景画に人生を捧げた画家であったことは明らかだが、その風景の抒情性は際立っていて、版画という表現手法は彼に適したものであったことを実感する。同じような情緒を感じさせる画家には、小林清親と川瀬巴水を挙げてよいだろう。いずれも私を魅了してやまない画家であるが、そこに吉田博の名が加わったことは本当に嬉しい。やはり人生、生きていれば次々に新たな発見があるものである。吉田の版画について、昨年放送された NHK Eテレの日曜美術館での特集が先頃再放送されているのを見たが、彼が版画を始めたのは 1925年、49歳のとき。絵師が作品全体の創作者であり監修者であるためには、彫師や擦師は絵師に従属する存在であるべきとの信念に基づき、自身で彫りや擦りを一から始め、徹底した修練によって職人顔負けのレヴェルに達したという。これは 1940年頃の写真だが、確かに自分で版木を彫っている。
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気の遠くなるような手間をかけて何度も摺りを重ねた彼の版画は、どれもみな、息を呑むように美しい。まずは展覧会のポスターにもなっている 1926年の「光る海」。瀬戸内海の風景である。リアルでありながら郷愁を感じさせるのは、題材と技法の組み合わせによるものだろう。
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もちろん、多くの山を描いているが、これはシアトルのレーニア山とマッターホルン。ともに 1925年の作品で、初期の版画である。
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吉田は山岳地帯にとどまらず国内外を旅行し、多くの場所を題材として版画を制作した。興味深いのは、同じ版木を使って違う色合いの作品を複数制作していることもあるのである。例えばこれは、姫路城の朝と夕 (ともに 1926年の作)。写真ではその実際の美しさが伝わらないのがもどかしいが、多少のイメージはお分かり頂けよう。
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これは「東京拾二題」から「亀井戸」(1927年)。今でも有名な亀戸天神の藤を描いたものであろうか。構図は奇抜とは言えないが、工夫が凝らされているし、春の空気が伝わってくるような素晴らしい作品だ。
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これらは、「猿澤池」(1933年)と、「櫻八題」から「三渓園」(1935年)。似た構図だが、季節の違いと、それから恐らくは描いている時間帯も違うのではないか (前者は朝、後者は夕?)。
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これはすごい。吉田の版画の中でも最大の摺り回数、実に 96回の摺りを重ねたという「陽明門」(1937年)。この異形の門の美に迫るにはそれだけの執念が必要だったということだろう。そして同じ日光の風景でも、一転してシンプルな「日光霧之日」(1937年)。森閑とした空気を感じさせる。表現したい内容に応じて技法を使い分けるのは、芸術家として持てるパレットの濫用という誘惑に打ち克つことであろう。
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海外での作品から、「タジマハルの朝霧 第五」(1932年) と、「奉天大南門」(1937年)。面白いのは後者で、この頃には、のちの大指揮者小澤征爾は 2歳の幼児として、この奉天 (現在の瀋陽) にいたはず。
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繰り返しだが、やはり写真では本当の色合いの素晴らしさは分からない。今回展示されている作品は、是非 MOA 美術館で常に見ることができるようにして欲しいものだと思う。いずれにせよ、図らずも欧米で知名度の上がった吉田であったが、戦後も GHQ が彼の自宅を訪れ (マッカーサー夫人も来たらしい)、さながら美術サロンのようであったらしい。やはり若い頃果敢にも米国に乗り込んで活躍したことで、語学力も磨かれたのであろう。このような写真が残っている。
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なお、上に挙げた吉田博作品集の帯に、ダイアナ妃とフロイトを魅了したとあるが、まずダイアナ妃については、このような 1987年の写真が残っている。ケンジントン宮殿の彼女の執務室の壁にかかっているのは、上でもご紹介した作品、「猿澤池」と「光る海」である。
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またフロイトに関しては、近年判明したことには、1932年に日本精神分析学会の初代会長である古澤平作という人が、富士山を描いた吉田の「山中湖」という版画を送っており、フロイトは終生その絵を愛し、まだ見ぬ日本に想いを馳せたとのこと。私は彼の出身地であるウィーンでも、それから亡命先であるロンドンでも、彼の旧居に行ったことがあるが、いずれにおいてもそのような絵を見た記憶はない。ただフロイト邸の書斎や居間にはところ狭しと、主として古代の美術品が並べられていて圧巻である。イメージを持って頂くために、私がウィーンのフロイト旧居で購入した写真集から、ひとつの写真をご紹介する。
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こんな中に吉田博の版画が含まれていたと思うと、何やらワクワクするのである。そのフロイトが所蔵していたという「山中湖」(1929年) は、こんな作品。美しい逆さ富士である。
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次は、7月に始まる東京での吉田の回顧展に期待することとしよう。

by yokohama7474 | 2017-02-12 12:25 | 美術・旅行 | Comments(0)
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