2017年 02月 12日
吉田博 木版画展 - 抒情の風景 (ノスタルジック・ユートピア) 名古屋ボストン美術館
吉田博 (1876 - 1950) は福岡県久留米市の生まれ。上田という家に生まれたが、明治初期の洋画家として福岡でその名を知られていた美術教師の吉田嘉三郎に画才を見出され、その養子となった。幼時より自然に親しんだが、京都、そして東京で画業に励むうち、画壇では洋行帰りの黒田清輝 (1866年生まれなので吉田よりも 10歳上) らが「新派」ともてはやされ、実力ではひけを取らないのに自分たちは「旧派」に分類されて等閑視される状況に義憤を覚える。そして彼は、東洋美術の収集家として高名であったデトロイトの実業家チャールズ・フリーア (ワシントン DC のスミソニアン博物館群のひとつ、フリーア美術館にその名を残している) の紹介状を携えて 1899年に横浜を船で発ち、一路米国へと向かったのである。そして彼はデトロイトで奇跡的成功を収め、そこからボストンに移り、ニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンといった東海岸の大都市を経てヨーロッパに渡る。これによって彼の作品は欧米でよく知られるようになった。以下、要塞のような規模の当時のデトロイト美術館 (そういえば先般日本でもこの美術館の所蔵品の展覧会が開かれていた) と、1899年12月頃のデトロイトでの吉田の写真。自動車産業に沸く大都市デトロイトでは文化活動も活発であったのだろう。弱冠 23歳の吉田の並々ならぬ自信が窺える写真である。