エゴン・シーレ 死と乙女 (ディーター・ベルナー監督 / 原題 : Egon Schiele - Tod und Mädchen)

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このブログで何度か言及してきた通り、19世紀末ウィーンの文化はなにか私の根源的なものに触れてくる異様な力があって、私は心の底からその文化に惚れ込んでいるのである。もちろん音楽ファンにとっては、まさにウィーン世紀末を代表するグスタフ・マーラーが、音楽史上におけるかけがえのない偶像というケースも多いだろう。一方美術の面では、多彩な才能がひしめく中で、グスタフ・クリムトとエゴン・シーレの名前こそが、一段高く燦然と輝く歴史的なものとなっていることは疑いない。この映画は、そのような世紀末ウィーンの頽廃文化を代表する天才画家エゴン・シーレの生きざま、いや、死にざまを描いている。オーストリアとルクセンブルクの資本による映画で、あえて原題をドイツ語で記した通り (上のポスターではその英訳が見える)、ドイツ語による映画なのである。もちろん、全国のシネコンで大々的に公開中というわけではないが、このような映画を見ることができる日本は、文化的にかなり高度な環境であるとは言ってよいと思う。これがシーレの肖像写真。
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私が画家エゴン・シーレ (1890 - 1918) の名前を知ったのは恐らく、高校生のとき (調べてみるとそれは 1983年) に封切られた映画、「エゴン・シーレ 愛と陶酔の日々」によってであったと思う。私はその作品を劇場に見に行く勇気がなかったのであるが、それは、何やら怪しいエロスを放つエゴン・シーレなる画家に、近寄りがたいものを感じたせいであったろうと思う。実はあとから知ったことには、新宿歌舞伎町にあったアート系映画を上映する映画館、シネマスクエアとうきゅうが 1981年にこけら落としとして上映した、ニコラス・ローグ監督、アート・ガーファンクル主演の映画「ジェラシー」も、世紀末ウィーンを題材にしていたのである。その映画は当時どこかの劇場で予告編を見た記憶はあるものの、やはり本編は見ていない。そして私の場合はその後すぐ、マーラーに熱狂してからウィーン世紀末に深入りした高校生時代、興味は容易にクリムトにまではたどり着いたが、そこからシーレまでは未だ遠かった。そして、今書庫を調べて手元に引っ張り出してきた本は、1986年 3月号の「美術手帖 特集シーレとウィーン」である。
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私はこの雑誌を、大学時代に東京から実家のある大阪まで帰省するため、学生の特権で東海道線の夜行の各駅停車、大垣行に乗り、その車中で夢中になって読んだことを昨日のことのように覚えている。多少大げさに言えば、これは私の文化面での指向を決定的にした雑誌である。今めくってみても、飯田善國、瀧本誠、千足伸行らの碩学が刺激的な文章を寄せているし、シーレだけでなく、世紀末ウィーンについての網羅的な情報が記載されている。そしてこの特集、当時新宿に存在した伊勢丹美術館での「エゴン・シーレとウィーン世紀末展」に関連した特集であったのである。従って私がシーレの本物に初めて接したのは、この1986年の展覧会ということになる。伊勢丹美術館はその後も類似の展覧会を何度も開き、私はそれらに必ず足を運んだし、その後起こったウィーン世紀末ブームの中で、主要な展覧会には恐らく全部足を運んだと思う。映画への言及に入る前に長々と書いているが (笑)、これが私のシーレに対する強い思い入れの源泉なのである。

さてここで、そのように世紀末ウィーンに対する思い入れを持つ私の、勝手な持論を披露しよう。この説は、これまでに読んだいかなる美術書歴史書の類にも載っていない。だが私が過去 30年間に亘って信じているのは、世紀末ウィーン文化を体現した人々のうち主要な人物は、誰一人として第一次世界大戦を生き延びることができなかったということだ。もちろん例外はあるだろう。だが、奇しくもクリムトとその弟子であるシーレが、ともに 1918年に他界していることは象徴的だ。西欧先進諸国がナショナリズムと帝国主義に導かれた挙句、ついに人類初の世界大戦に突入したという激動の歴史の中、芸術家たちはその命を削って創作活動に勤しんだ。そのギリギリと軋む命の音が、永遠の表現力をたたえているのであるが、彼らの体は束の間の平和の到来まで持たなかった。これは 1912年にシーレが描いた自分とクリムトの肖像 (「隠者たち」)。
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この映画は、シーレが 28歳の若さでスペイン風邪で亡くなる (身重の妻が旅立った数日後に) 直前の情景を追いながら、そこに過去の様々な回想が積み重なるという構造になっている。一言で片づけてしまえば、大変僭越ながら、独立した映画としてはそれほど発見に満ちた作品とは思われない。例えば、劇中やたらと鏡が多いことに気付くが、それは例えば、先般このブログで採り上げた怪作「ネオン・デーモン」(ちなみにこの映画の余韻が、日が経つほどに大きくなってくるのはどういうわけか???) における鏡の多用とは全く異なり、人の心の裏側を覗き込むような怪しい雰囲気の醸成にまでは至っていない。際立った映画的瞬間は、残念ながらそれほど多くは訪れないのである。ただ、ウィーンにあって演劇 (もちろんその周辺芸術分野である音楽) のファンにはなじみある名前、マックス・ラインハルトの名を冠したゼミナールで演技の修練を積んだ役者が多く出ていて、彼らの演技自体には見るべきところもあり、何よりシーレの人生を忠実に辿ることで、その孤高の魂のありかを考えさせるような出来にはなっていると思う。題名の「死と乙女」(1915年) は、このようなシーレの代表作のひとつ。
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この作品を描くシーンが映画に登場する。やがて遥かアフリカの地で死を迎えるモデルであり愛人であったヴァリを抱きしめるシーレ自身が、死神なのであったのか。
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ところでその愛人ヴァリの肖像はこちら。なるほど、今回の女優さんには共通した雰囲気がありますな。
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題名になっている「死と乙女」とは、これは常識に属することであろうが、シューベルトの歌曲の題名であり、死の床に臥す乙女と死神との対話が題材になっている。シューベルトはこの歌曲の主題を弦楽四重奏曲にも転用していて、その曲も「死と乙女」と呼ばれる。それを弦楽オーケストラ版に編曲したのは、ほかならぬグスタフ・マーラーだ。つまりこの「死と乙女」というテーマは、世紀末ウィーンのひとつのキーワードなのである。
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そんなわけで、結局ほとんど映画については語っていないことに気付いたが (笑)、この映画は、シーレに興味のある人 (よく知らないが知ってみたいと思う人を含む) にとっては興味深いものであることは請け合いだ。だがその次は是非ウィーンに飛んで、ベルヴェデーレ宮殿に展示されているシーレやクリムトの実物を見、そして、かつて伊勢丹美術館等に何度もやってきたシーレ作品の一大コレクションを展示するレオポルト美術館に足を運ぶことを心からお薦めする。もしかすると、それによって人生が変わる人もいるかもしれないが、その責任は取りかねるので何卒ご容赦を。
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by yokohama7474 | 2017-02-17 23:48 | 映画 | Comments(0)