ミハイル・プレトニョフ指揮 東京フィル (チェロ : アンドレイ・イオニーツァ) 2017年 2月26日 オーチャードホール

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今回、東京フィルハーモニー (通称「東フィル」) の指揮台に立つのは、ロシアの名指揮者、1957年生まれのミハイル・プレトニョフ。もともとはスーパーなピアニストであるが、1990年にロシア初の私設オーケストラ、ロシア・ナショナル管弦楽団を組織して自ら音楽監督に就任。指揮者としても活発な活動を継続しており、現在はこの東フィルの特別客演指揮者でもある。そのプレトニョフが今回指揮した曲目は以下の通り。
 ストラヴィンスキー : ロシア風スケルツォ
 プロコフィエフ : 交響的協奏曲 (チェロ協奏曲第 2番ホ短調) 作品125 (チェロ : アンドレイ・イオニーツァ)
 ストラヴィンスキー : バレエ組曲「火の鳥」(1945年版)

なるほどこれは、ロシア・プログラムだ。だがその中身は一味違っている。私はこのプレトニョフを、余人をもって替え難い大変な才人と思っているのだが、この演奏会では、その才人ぶりが見事に発揮されていた一方で、全体の仕上がりにはいささか課題も残ることになったように思う。
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最初の「ロシア風スケルツォ」は 4分程度の短い曲で、録音では大曲とのカップリングでしばしばお目にかかるが、実演での演奏は比較的珍しい。第二次大戦中、米国に暮らしていたストラヴィンスキーに、ポール・ホワイトマン (ガーシュインにあの「ラプソディ・イン・ブルー」を委嘱したバンドリーダー) が依頼して書かれている。この作曲家の軽音楽好みを表していてなかなかに楽しい曲なのであり、「ペトルーシュカ」を思わせる箇所もある。今回のプレトニョフは、最初に舞台に登場したときからなぜか疲れているというか、少し老けたようにも思われたが、音楽が鳴り出すとなかなかに楽しい流れを作り出していた。だが、この曲の唐突な終わり方に客席は戸惑いを隠せず、今日のコンサートのどこかに、その戸惑いの余韻もあったかもしれない。

2曲目のプロコフィエフの曲は、内容はチェロ協奏曲なのであるが、オーケストラがかなり複雑な音響を鳴らすため、交響的協奏曲という題名で呼ばれる。この作曲家のチェロ協奏曲第 2番なのであるが、実は、チェロ協奏曲第 1番の改作。なるほどそう言えば、ショスタコーヴィチの 2曲のチェロ協奏曲はそれぞれ一定頻度で演奏されるが、プロコフィエフのチェロ協奏曲は、この交響的協奏曲はともかく、第 1番はかなりマイナーである。もっともこのプロコフィエフという作曲家、交響曲第 4
番も、改訂によって作品 47と作品 127 の 2種類が生まれており、別の作品として認識されている。この交響的協奏曲は、20世紀後半の偉大なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの助言によって第 1番の協奏曲が大規模に改作されたものであるが、そのロストロポーヴィチは後年、小澤征爾指揮ロンドン交響楽団と共に録音している。素晴らしい名盤である。
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今回独奏チェロを弾いたのは、1994年ルーマニア生まれのチェリスト、アンドレイ・イオニーツァ。未だ 20代前半という若さである。2015年にチャイコフスキー・コンクールで優勝した実績の持ち主。
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この世代のチェリストにしてみれば、ロストロポーヴィチはまさに神のごとき存在であろうが、それに臆せずに曲の神髄に切り込んで行く姿が勇ましい。最初から最後まで激しく弾き続けることが求められるこの曲で、その伸びたり縮んだりする自在なチェロを縦横無尽に響かせて見事であった。時折、音が濁っても構わないという強い姿勢も見せながら、進んで行く音のドラマを劇的に表現してのけた点、若さの特権と言うべきか。そして面白かったのはアンコールだ。2曲いずれも本人の口から曲名が説明されたが、1曲目は珍しくグルジアの作曲家、スルハン・ツィンツァーゼ (1925 - 1992) の「チョングリ」という作品。ほんの数分の短い曲だが、全編弓を使わずにピツィカート主体で演奏される、抒情的かつ民俗的な曲。調べてみると、昨年この同じオーチャード・ホールで女優指揮者アランドラ・デ・ラ・パーラ指揮の NHK 交響楽団 (昨年 2月 2日の記事参照) と共演したやはり若手チェリストのナレク・アフナジャリャン (アルメニア出身。今日のソリストイオニーツァの前の回、2011年のチャイコフスキー・コンクール優勝者) も、以前この「チョングリ」を日本でアンコールとして弾いたこともあるようだ。アンコールの 2曲目は一転してスタンダードなバッハの無伴奏チェロ組曲第 3番からのブーレ。ここでイオニーツァは、模範的な正確なバッハというより、感興に満ちた自由な音の奔走を聴かせてくれた。ここでも再び同じ言葉を使うが、誠に若さの特権とも言うべきその音楽の自在さは、これから一体どこに向かって行くのか楽しみである。

さて後半は、ストラヴィンスキーの代表作のひとつ、バレエ音楽「火の鳥」である。だがここで演奏されたのは、普段なかなか耳にすることのない 1945年版。この曲の組曲には 3種類あり、これ以外には 1911年版と、最もポピュラーな 1919年版がある。その 1919年版と、今回演奏された 1945年版の、耳で分かる違いは以下の 3点だ。
・曲数が 5曲多い。それは「火の鳥のヴァリアシオン」と「ロンド」の間に入る 10分間ほど。
・序奏において 1919年版で響くチェレスタが、ここではピアノになっている。
・終曲で弦が朗々と歌う音型が短く切れている。
そういえば昔テレビで見た、作曲者自身が来日して NHK 交響楽団を指揮した「火の鳥」の映像では、終曲で弦の音が短く切れていた。調べてみるとそれは、やはり今回と同じ 1945年版。その演奏は 1959年のもので、今では DVD で見ることもできる。
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今回のプレトニョフと東フィルの演奏、一定の水準にはもちろん達していたものの、オケにはほんの少しミスもあり、音質はクリアではあっても、最大限の自在な流れがあったかというと、残念ながら少し違ったような気がする。プレトニョフがこの「火の鳥」を演奏するときはいつもこの珍しい版を使うらしく、譜面台に楽譜を置いたまま開くことなく暗譜で全曲を指揮する姿には確信は感じられたものの、オケの締め方が少し弱かったようにも思った。前述の通り、気のせいか少し元気がないようにも見えたプレトニョフであったが、彼ならさらに切れのよい音が可能であったはず。10月に予定されている彼の次の来日はを楽しみにしよう。ただ、次回もまたしてもロシア物が予定されているが、少し違うレパートリー、例えばブラームスの交響曲など振ってもらったらいかがであろうか。きっと面白いはず。

by yokohama7474 | 2017-02-26 22:25 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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