スティーヴ・ライヒ 80th ANNIVERSARY 「テヒリーム」 2017年 3月 2日 東京オペラシティコンサートホール

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スティーヴ・ライヒは、ミニマル・ミュージック第 1世代の作曲家としてつとにその名が知られている・・・かな。うーん。一般的な知名度は恐らく高くはないものの、アートや現代音楽に興味のある人にとっては重要な名前であると言った方が正確であろう。そのライヒは 1936年生まれの米国人で、現在 80歳。彼の生誕 80年を祝うコンサートが昨年から世界 20以上の国で 400回以上予定されているらしく、これはそのひとつ。この作曲家はそれだけ偉大な存在であり、間違いなく音楽史に残る存在であるということを、最初に確認しておこう。
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だが、3月 1日・2日と東京初初台の東京オペラシティコンサートホールで 2回開かれたこのコンサート、日本においてライヒはそれほどポピュラーとは思えないので、チケット購入は期日が近くなってからでもよいだろうと高をくくっていたところ、なんのことはない、すぐにチケットは完売。二次マーケットでの入手にもかなりの苦労を要する状態となった。東京の文化度をなめてはいけないと、改めて思い知った次第。実際、今回の演奏会は大入り満席で、入り口で「チケット求む」の紙を持って佇む人の姿も。過去にも 2008年、2012年と、このホールでライヒの演奏が開かれており、作曲者自身も演奏に参加しているようだが、いずれもこんなに盛況だったのだろうか。

さて、ミニマル・ミュージックとは一体何か。もちろんこの便利な時代であるから、ネットで検索すればゲップが出るほどの情報が手に入るが、要するに、短い (ミニマルな) 音型を繰り返しながら微妙に変化させて行くパターンの現代音楽のこと。言葉を知らない人でも、その例を実際に耳にすればすぐに理解できると思う。いわゆる難解で高尚で理屈っぽい現代音楽ではなく、耳に心地よいものが大半である。私の感覚では、スティーヴ・ライヒはテリー・ライリーと並んでこの分野の開拓者。調べてみると、ラ・モンテ・ヤングやフィリップ・グラスも併せて皆同世代 (1930年代半ばから後半生まれ) なのであるが、ヤングは少し前衛の色が濃すぎ、グラスは逆に映画音楽などで少し大衆性も持ち合わせている。それに対して、あくまでスタイリッシュなライヒと、早くから宗教性を帯びてトランス状態に真骨頂を見出すライリーは、私にとってはミニマルの元祖たるにふさわしい存在だ。あれこれの現代音楽を渉猟している私 (もちろんその道のマニアの方々には及びもつかないものの) であるが、定期的にミニマルに戻って来たいと思うし、その時にやはり最も信頼したいのがこの 2人、特にライヒなのである。主要作品の CD もかなり持っている。既に 80歳と知って改めて驚くが、今回この演奏家のために来日してくれたことは、大変ありがたい。今回演奏された曲目は以下の通り。メインに据えられ、コンサートのタイトルにもなっている「テヒリーム」の前に、サウンド & ヴィジュアル・ライターの前島秀国によるライヒ本人へのインタビューがあった (通訳付き)。
 クラッピング・ミュージック (1972年) : スティーヴ・ライヒ & コリン・カリー
 マレット・カルテット (2009年) : コリン・カリー・グループ
 カルテット (2013年、日本初演) : コリン・カリー・グループ
 テヒリーム (1981年) : コリン・カリー指揮 コリン・カリー・グループ、シナジー・ヴォーカルズ

ミニマル・ミュージック、とりわけライヒの音楽を描写するとすると、どうなるであろうか。催眠的であり、静謐であり、孤独であり、無機的であり、機械的であり、スタイリッシュであり、都会的であり、モダンであり、詩的であり、単純であり、リズミカルであり、輻輳的であり・・・。その手拍子はフラメンコのように進み、そのマリンバはガムランのように響き、その歌唱はコンピューターのように鳴る。どこをとってもミニマルでありライヒである。この紛れもない個性が、いかに強く聴衆に語り掛けることか。このような曲の演奏に際して、演奏家はもちろんかなり神経を使う必要はあるであろうが、ここで求められているのは超絶技巧というものとは少し違っていて、単純な音型を淡々とこなして行くべき姿勢である。それにはこの種の音楽への慣れも必要であろうかと思う。今回演奏したコリン・カリー・グループは、打楽器奏者コリン・カリーのもと、2006年にロンドンの BBC プロムスでライヒの 70歳を祝うため、彼の「ドラミング」を演奏する際に結成されたとのこと。現在では打楽器だけではなく、今回の「テヒリーム」も演奏できるような弦楽器、管楽器のメンバーも揃えている。
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すなわち、ライヒの強い信頼を受ける楽団だ。時代を問わず作曲家には、やはり信頼できる演奏家が間近にいるか否かは、充実した作曲活動を行うための極めて大きな要素となることだろう。これはライヒと話すカリー。
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そして、メインの「テヘリーム」で共演したシナジー・ヴォーカルズの方は、ライヒ生誕 60周年を記念して 1996年にやはりロンドンで演奏された今回と同じ「テヘリーム」のために結成された 4人組。今回ステージでライヒ自身が語ったことには、リーダーのミカエラ・ハスラムの声に惚れ込み、演奏後に「すみません。私は幸せな結婚生活を送っている者ですが、それでも電話番号を教えてくれませんか」と言い寄った (?) とのこと。確かに今回も正確無比な歌唱であった。
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この「テヘリーム」とは、ヘブライ語で「詩編」のことであり、歌詞はすべて詩編から採られている。ユダヤ人であるライヒは、自らのルーツにつながるこの種の作品を数々手掛けてきており、上で彼の音楽を無機的とか機械的とか書いたが、ここには大いなる逆説があって、歴史や信仰といった人間的なものへのライヒの強い関心が窺える。ホロコーストを題材とした「ディファレント・トレインズ」や、イスラエルとアラブの祖アブラハムを埋葬した洞窟を題材にした「ザ・ケイヴ」などと、創作の原点は同じであろう。決して耳で聴いてそのような理由で感動する情緒的な音楽ではないが、情緒的なものを情緒性以外の手段で表現する点に、ライヒの音楽の真骨頂がある。今回のポスターにあしらわれているのはヘブライ語で、こんな感じの文字なのである。なにやらライヒの音楽と、イメージが近くないだろうか。
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中間の 2曲は典型的なライヒのミニマルで、ただただそこに浸っていたいと感じる。ところでミニマルのひとつの特徴は、起伏なく続いた音楽が突然切れる点にあるが、これは、もちろんサティの「家具の音楽」などに原点があるということはできようが、先日ミハイル・プレトニョフ指揮の東京フィルで聴いたストラヴィンスキーのロシア風スケルツォも、その終結部分には共通する部分があって面白い。1920年代から発達したモダニズムの感性がなければ、ミニマルは生まれなかったのではないか。それから、最初の「クラッピング・ミュージック」は日本語では「手拍子の音楽」とも訳され、2人で手拍子を叩くだけのシンプルな音楽。演奏時間約 3分。プログラムに載せられた作曲者自身の解説によると、第 1奏者は同じパターンを叩き続けるのに対し、第 2奏者は最初は同じパターンを叩くが、唐突に 1拍ずつ先行し、最後に至ってまたもとに戻るという構成になっている。リズムがずれているので、2人が同じパターンを叩いているとは分からないだろうとあるが、いや確かに全然分かりません (笑)。知らない方はこの動画をどうぞ。向かって右が作曲者のライヒです。これ、最後の着地が決まると気持ちいいでしょうねぇ (笑)。年末の余興でやったら面白いだろうなぁ。今から練習しようかな。それとも音楽学校の人たちの忘年会では、そのような余興も既にあるのかもしれない。
https://youtu.be/lesDb9GsQm4

今回ステージ上で行われたライヒ本人のインタビューでは、会場の東京オペラシティコンサートホールを、モダン建築でありながら日本の古寺のようでもあり、見た目も音響も素晴らしいと褒めた。そして昨年ロンドンで初演された「パルス」「ランナー」といった新作が簡単に紹介され、また、現在作曲中という「20の独奏者とオーケストラのための音楽」なる曲は、バロック時代のコンチェルト・グロッソ (合奏協奏曲) から発想したものであることや、また、ドイツの大アーティストであるゲルハルト・リヒターとの共作 (空間の隙間を音楽にあてはめるというような作業らしい) に取り組んでいることを明かした。「彼は私より何歳か年上だから、早くしないとね」と淡々と言っていたが、調べてみるとリヒターは既に 85歳。是非このコラボは完成させて欲しい。これが作品を前にしたリヒター。
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さて、今回の演奏、最後の「テヒリーム」が終わると満員の客席はすぐにほぼ総立ちのスタンディング・オベーションとなった。これはかなり珍しいこと。もちろん、今回の聴衆は通常のクラシック音楽の聴衆とは若干異なっていて、カラフルな頭もあれば長い髭もあり、奇抜な帽子や変わった眼鏡など、個性的な方々 (笑) も沢山おられた一方で、私のような平凡なサラリーマンらしき人も大勢いて、不思議なアマルガムであったのだが、要するに皆、スティーヴ・ライヒが好きなのだ。もって回ったところのない音楽なので、聴く人もストレートに反応したくなる。そんなライヒの音楽と、そしてライヒその人に、東京の聴衆は最大限の敬意を表した。そういうことなら、例えば一週間ぶっ通しのライヒ特集でも組んでくれればよかったのになぁと思いつつ、今度はまた 85歳のライヒに日本で会えることを心待ちにしている。

最後に蛇足。ちょうど 10年前のライヒ生誕 70年の際には私はニューヨークに住んでいた。ニューヨークはライヒのホームタウンであり、あれこれ記念演奏会があった。引っ張り出してきたカーネギーホールのプログラムに載っていた宣伝がこれだ。この写真は、この記事の冒頭に掲げたものと同じであるが、今回ステージで実物を見たライヒと比べると、やはり若いなぁ。
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私が行ったのは、"Music Making : Steve Reich" と題されたコンサートと、それから、これらとは別にリンカーン・センター主催で行われた大作「ザ・ケイヴ」の上演。
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この「ザ・ケイヴ」の上演会場は、私の住んでいた場所から数ブロックしか離れていない大学の講堂であったので、週末にブラブラ歩いて行った記憶がある。ここでは音楽だけではなく映像も使用されるが、それは妻の映像作家ベリル・コロットの制作になるもの。終演後には彼ら夫妻を囲んだ座談会があって、確か通路のようなところに皆立ったまま、この作品の制作について語る夫妻に耳を傾けていたと記憶する。ニューヨークらしい気取らない雰囲気で、今となっては懐かしい思い出だ。実は米国人と話すと、ライヒのことを「ライク」と発音する。それはバッハのことを英語で「バック」と発音するのと同じであるのだが、どうもなじめない。ただ、ライヒという発音は逆にドイツ語そのままで、ドイツ系ユダヤ移民の家系に生まれたとはいえ、ライヒは米国人であるから、それもおかしいといえばおかしい。本人は「ライシュ」と発音するらしいが、これはもしかするとヘブライ語風の発音なのだろうか。ともあれ、スティーヴ・ライヒという名前の響きはすっきりとして、彼の音楽にふさわしいと思うので、その発音で通すのがやはりよいと思います。ブラヴォー、スティーヴ!!

by yokohama7474 | 2017-03-03 01:38 | 音楽 (Live) | Comments(0)
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