小林研一郎指揮 日本フィル (ピアノ : 金子 三勇士) 2017年 3月 4日 東京芸術劇場

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相変わらずポピュラー名曲を中心としたレパートリーで活発な指揮活動を繰り広げる小林研一郎、通称コバケンが、名誉桂冠指揮者を務める日本フィル (通称「日フィル」) の定期公演に登場した。来月 77歳という年になると気づいて驚くが、その指揮ぶりは「炎のコバケン」の異名にふさわしく依然エネルギッシュなもので、そのストレートなメッセージは多くの人を魅了する。なので今回のコンサートも、完売御礼である。その曲目は以下の通り。
 チャイコフスキー : ピアノ協奏曲第 1番変ロ長調作品 23 (ピアノ : 金子三勇士)
 チャイコフスキー : 交響曲「マンフレッド」作品 58

もちろんチャイコフスキーは小林のレパートリーの中核をなすものであり、前半のピアノ協奏曲第 1番の伴奏を手掛ける機会も多い。だが後半の「マンフレッド」は、日フィルでは実に 24年ぶりに採り上げる曲とのことだ。ただ、小林は既にロンドン・フィルやチェコ・フィルとこの曲を録音していて、本人としては自家薬籠中のレパートリーなのであろう。上に掲げたポスターでも、「コバケンの隠れた十八番」とある。同じチャイコフスキーの交響曲でも、後期 3大交響曲 (4・5・6番) とは一味違ったプログラムだ。

今回ピアノを弾いた金子三勇士 (みゆし) は、1989年生まれの若手ピアニスト。父は日本人、母はハンガリー人で、6歳で単身ハンガリーに渡ってピアノを学び始めたという。その後リスト音楽院で研鑽を積み、2006年に卒業して帰国、2010年にはデビュー・アルバムを発表している。私は以前彼の弾くリストのコンチェルトを聴いたことがあるが、力と美を兼ね備えた素晴らしい音楽を奏でるピアニストある。
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ハンガリーと言えば、周知の通り小林にとっても非常に縁の深い国である。1974年にブダペスト国際指揮者コンクールに優勝して以来、日本と並ぶ主たる活躍の場にしてきたと言っても過言ではなく、ハンガリー国立交響楽団の音楽監督を務めてかの地でも高い人気を持ち、民間人として最高位の勲章も授与されている。従ってこの指揮者とソリストは、ハンガリーつながりということになる。だがここではリストとかバルトークというハンガリーの作曲家の曲ではなく、天下の名曲、チャイコフスキーの協奏曲。このコンビでは既にレコーディングもある曲だ。演奏は期待に違わぬ優れたものであったが、そこにこの若いピアニストの個性が聴かれるのが嬉しい。例えば冒頭のオケの導入に続くピアノの入りでは、若手はともすれば力任せになりがちなところ、実にしなやかで情感豊か。鍵盤に指を叩きつけるのではなく、一音一音を丁寧に紡ぎ出す印象だ。日フィルは弦も管も好調で、オケが音楽を引っ張って行くように思われたが、音楽が進むにつれ、ピアノとオケの双方向の会話が聴かれ、実に気持ちがよい。もちろん音楽が熱を帯びる部分でのピアノの表現力にも不足はなく、終楽章のコーダに入る部分の雪崩のような箇所も、迫力充分。私が上で何の気なしに書いた「力と美を兼ね備えた」という表現が、このピアノにはふさわしい。そしてアンコールを自分で紹介するには、「僕が小学生のとき、小林マエストロに初めてお会いして、聴いて頂いた曲です」との説明で、リストの有名な「愛の夢」第 3番を弾いた。感情に耽溺するのではなく、少し抑制を効かせて知的に音楽をコントロールしながらも、響きには強靭なものがあったと思う。今後ますます楽しみなピアニストだ。

メインの「マンフレッド」交響曲であるが、これはバイロンの詩をもとにした標題音楽で、ベルリオーズの幻想交響曲になぞらえる人もいるが、同じベルリオーズなら、やはりバイロンの詩に基づく「イタリアのハロルド」に近いと言った方がよいかもしれない。だが、超有名曲である 4・5・6番に比べると、歴史的に見ても、あるいは最近の実演においても、その演奏頻度は格段に落ちる。歴史的には、この曲をレパートリーとした大指揮者としてトスカニーニが挙げられ (4番・5番はレパートリーから外していたにもかかわらず・・・)、それ以外にはオーマンディがいた。ほかに、チャイコフスキーの交響曲全集を録音した人ではハイティンクやマゼールがこの曲までカバーし、またロストロポーヴィチをはじめとするロシアの指揮者たちは当然採り上げているものの、やはり依然として多くの指揮者が好んで採り上げる人気の高い曲とは、とても言い難い。だが私はこの曲の劇的な第 1楽章が、ふるいつきたいくらい好きだし、第 4楽章の迫力も捨てがたい。とはいえ、第 2・3楽章はどうも印象が薄く、このあたりが不人気の理由かなと思ったりもする。今回コバケンは、前半のコンチェルトでは譜面台に楽譜を置いて全く開かずに指揮したが、この「マンフレッド」では譜面台すら置かずに暗譜での指揮であった。その身振りを見ていると、曲のツボを知り抜いていることは明らかで、出したい音がどんどん出てくるようにすら思われた。やはりオケの力は常に高く保たれ、荒れ狂ったり、押しつぶされたような悲痛な叫びをあげる金管や、鮮やかに駆け抜ける木管、纏綿たる情緒を奏でるつややかな弦、炸裂する打楽器など、聴いていて飽きることがない。上記のようにもともと内容に弱さのある第 2・第 3楽章でも、迷うことのない音楽の進みが聴かれ、例えば第 2楽章スケルツォで弦が無窮動的な動きからゆったりした流れに移行する箇所など、まるで光琳の描く川の曲線のような鮮やかな美しさ。ラストにだけ使われるオルガンも、音の広がりがあってよかった。ここ東京芸術劇場のオルガンは、クラシックな外見のものとモダンなものとを、回転させて切り替えることができるが、今回はこのようなモダンなもの。少ない出番だが存在感を示したオルガンであった。
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終演後に小林は楽員たちの間に入って嬉しそうに順々に握手を交わして歩き、そして客席に向かっていつものように呼び掛けた。普段サントリーホールで開かれている定期演奏会が、同ホール改修による閉鎖のために違うホールになったにもかかわらず、大勢の聴衆がやって来たことへの感謝。その聴衆のおかげで、日フィルとしても滅多に聴けないほどの雄渾な演奏をしてくれた、と語った。そして、「そういうことなので、ちょっと今日はアンコールは・・・」と述べて、客席を笑わせたのであった。

帰り道、私はバイロンのことを考えていた。この放蕩の貴族詩人のロマン的作品をじっくり読んだことがないのが残念であるが、その雰囲気は私の感性に深く訴えて来る。随分以前に見たケン・ラッセル監督の「ゴシック」で描かれた怪奇性や、スイスのモントルーを訪れた時に見たシヨン城の淋しい雰囲気が、まさにバイロンを巡る言説を彩るにふさわしく、また、このマンフレッド交響曲も (それからもちろん、シューマンの「マンフレッド」序曲も)、すべてバイロンという人の存在が持つロマン性の残滓かと思われる。コバケンの健康的な情熱とはちょっと異なる不健康な情熱を求めて、今度バイロンの著作を紐解きたいと思っている。
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by yokohama7474 | 2017-03-05 01:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)